人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

Revisited、あるいは永劫回帰

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Revisitedという、意味は簡単だが訳語にしづらい単語があります。文字通りVisitにReがついているだけですから再訪(再訪問)でいいのですが、実際にはReがつくだけで回数だけでなく質的にもVisitの意味が変化してしまうため、一定の訳語に定着できない厄介な自動型動名詞でもあります。

フランシス・F・フィッツジェラルドの代表的短編小説"Babylon Revisited"1931は『バビロン再訪』の直訳と映画化邦題の『雨の朝巴里に死す』の二通りが通用しており、確かにこれはフィッツジェラルド版『ヴェニスに死す』ですからこの改題も的外れではありません。フィッツジェラルドは『ヴェニスに死す』を読んでいなかったとは思えませんが、トーマス・マン作品と自作の類似は思いもしなかったでしょう。映画『雨の朝巴里に死す』1954は絶頂期のエリザベス・テイラー主演作品として作られたため、映画としてはそつないものの原作のテーマからは離れたものになりました。ヴィスコンティによる国際無国籍映画『ベニスに死す』1971が原作以上に老いと老年を鋭く追求したのとは比較になりません。

イーヴリン・ウォーの大作"Brideshead Revisited"1945は『ブライヅヘッドふたたび』と『青春のブライズヘッド』の二種がありますが、この小説のRevisitedも複雑で重い意味を担うもので、読者は『失われた時を求めて』を連想せずにはいられません。あの大作もまたRevisitedということの意味こそがテーマになっているような作品でした。

要するにVisitとRevisitedは概念語としての属性が異なるのです。Visitが空間的移動ならRevisitedは空間的移動よりも時間的移動を指すものでしょう。現代日本語に適切な訳語がないのは文学的伝統から見れば不思議な話で、日本文学の批評は藤原定家に始まり、近世には松尾芭蕉本居宣長上田秋成らが古代から中古(王朝時代)を通り江戸時代に至る国文学の総論にたどり着きましたが、宣長の「もののあはれ」説がおそらく宣長の眼中にはなかった芭蕉宣長の宿敵秋成の業績と照らしても目安としてはおおむね妥当になる。もののあはれ、というのは文学概念としてはRevisitedに相当するものでしょう。

奥の細道』の旅は芭蕉にとって国文学史へのRevisitedの旅でした。秋成の『雨月物語』『春雨物語』を成立させた怒りは『肝大小心録』で爆発していますが、怒りは何に向けられているかを思えば国文学の正史体系という権威構造にあり、宣長をボスとした国文学史の研究成果自体は不承不承認めざるを得ない。では、正史の裏にはどんな歴史が隠蔽されているのか。

俳諧は俗文学でしたが中古以来の文学伝統を基盤にしていた。正史における詩は漢詩と和歌でした。漢詩はアカデミズムから逃れられず、和歌は和歌であるだけで文学の条件を満たしているとされたからどんどん安易なものになっていく。俳諧は鋭敏な方法的自覚なしでは成立しないものですから、芭蕉においては俳諧とは何かを追求しているうちに(当時の概念の範囲での)日本文学とは何か、とまで探究を深めることになりました。『奥の細道』は詩の極限を乞食と放浪に見つけてそれを実践する文学紀行です。歌枕を放浪する芭蕉は幽霊も同然であり、古人の詩魂にRevisitedする。同書が商業出版を目的とせず没後に領布用限定印刷する意図で最晩年にまとめられた、実はフィクションだらけの日記体手記なのも良く知られることです。

近代化以後の日本語には「もののあはれ」に相当する、またはRevisitedに対応する日常的な概念語はないのか。田山花袋の代表作に『時は過ぎ行く』1916がありますが、日本文学の長編小説に時間を感じさせるものは数少ない。『暗夜行路』1921~1937、志賀直哉門下の滝井孝作『無限抱擁』1921~1927など私小説作家による自伝的作品の方が元手がかかっているからか、作為的でなく豊かな時間を湛えている、ともいえるでしょう。ただし私小説作家でもそうした資質を持つのは志賀直哉系統の作家たちだけでもあり、破滅型と呼ばれる作家たちはまず駄目です。

第二次大戦後なら、北杜夫『楡家の人びと』1962が屈指の傑作で、三島由紀夫の「豊穣の海」四部作1965~1970はロレンス・ダレルの「アレクサンドリア・カルテット」四部作1957~1960と『楡家の人びと』に挑んで健闘した力作でした。北杜夫精神科医を本職とした人ですが躁鬱病者でもあり、その躁は爆発的な株式投資というギャンブル型の出現をしたので、ご家族がうまくコントロールして難を免れるの繰り返しだったそうです。それは余談として、精神医学用語でRevisitedに当たるものに「振りかえり」という療法がありますが、それよりもRevisitedする心の中には「風化」という現象が進んでいると言えて、これも一般的には日常言語とは言えないでしょう。

風化をより生々しく、そのプロセス自体を指して言うなら、坂口安吾の『堕落論』は敗戦からまだ浅い1946年の発表でした。堕落、という言葉は強いニュアンスを帯びていますが、安吾はこれに熱い肯定の意味を込めています。これは不退転の下降志向によってニーチェの「永劫回帰」への否定にもなっています。

1984年のベストセラー『存在の耐えられない軽さ』は小説のところどころにエッセイが挟まれる構成ですが、亡命チェコスロバキア作家の著者のオブセッションになっているのは少年時代、ドイツ占領下の思い出です。嫌な時代だった、だが懐かしい。ノスタルジアが存在するなら永劫回帰はあり得ないだろう。だがノスタルジアを否定するには永劫回帰の立場に立つしかない。ノスタルジアは人を足止めさせもするが、過去を過去に押しやる契機にもなる。永劫回帰には前進も後退もない。だがあの辛く屈辱的な時代を懐かしく思う気持をどうしたらいいのだろう。

そこでクンデラが発想したのが永劫回帰を生きる男女の軽薄なメロドラマで、永劫回帰の中ではどんな行為も無限に反復され得ますから存在は耐え難く軽いものでしかない。というのがタイトルの由来でした。30年近く前に読んだ本の内容を思い出すのは苦労するものです。
堕落論』はニーチェにも永劫回帰にも言及していませんし、またそこから引き出したとしても安吾クンデラでは永劫回帰ニーチェについて異なる位置にいるかもしれません。ニーチェは没後半世紀ものあいだその反ユダヤ主義(実際には反ユダヤ人種ではなく反ユダヤ思想)を悪用されてきた哲学者で、ドイツ同盟国の軍国日本では国策思想家として人種差別主義の思想的根拠とされましたし、ドイツ占領下のチェコで行われた恐怖政治はニーチェ思想を標榜したものでした。

庶民的な日本語でRevisitedに近いニュアンスを持つ慣用句もないことはありません。30年前に暗黒大陸じゃがたらというファンク・バンドがいて、その後メンバー二人を精神疾患の悪化による事故から亡くしたバンドですからライヴを聴きに行けたのは貴重な体験でした。で、ライヴで聴いて記憶に残った曲だからタイトルはわかりません。ファンク・バンドなのにこの曲はレゲエでした。
「ちょっとの恨みなら」というのが歌い出しの文句でした、「……水に流しちまえよ」
きっとRevisitedのもっとも慎ましく、かつ積極的なかたちは、通俗きわまりないこの慣用表現どおりなのだと思います。