人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ボブ・ディラン/考察・追憶のハイウェイ61Revisited(前)

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一定の訳語が定着できない英単語にRevisitedというやっかいなニュアンスを持った言葉がある、というのが前回の題目でしたが、その時いくつか現代文学の古典を例に上げながら、これにも触れるとしたら一回分を割かなければならないぞ、とあえて上げなかったのがボブ・ディランの『追憶のハイウェイ61』です。フィッツジェラルドやウォーの名作からRevisitedの訳語を借りれば、

『ハイウェイ61再訪』
『ハイウェイ61に死す』
『ハイウェイ61ふたたび』
『青春のハイウェイ61』

-といったところですが、最後のはいくら何でも意味を限定しすぎて無理がある(アイロニーとしてはありとしても)。『ハイウェイ61に死す』というとまるでリルケの『マルテの手記』1909の、当時としては衝撃的な冒頭、

「人々は生きるために都会に集まるのだという。だが私にはむしろここでは、すべてが死に絶えてゆくとしか思えないのだ」

……を彷彿させもして-ハイウェイは生きるための場所であり、死ぬための場所ではないから-しかし自動車やバイクには危険はつきものだから(実際ディラン本人が翌66年にバイクで首を骨折する転倒事故に遭います)ディランがハイウェイを暗喩にした歌詞を書いたのはリルケ的な発想に違いなく、先の引用文の「都会」を「ハイウェイ」に置き換えるとそれは明瞭です。どうせ話は脱線しますから早いうちに脱線しておきましょう。

詩人リルケの唯一の長編小説『マルテの手記』は、この作品の発表された1909年をもってドイツ語圏文学は人間中心の文学ではなくなった、と評される画期的作品で、ローベルト・ヴァルザー『ヤーコフ・フォン・グンテン』1909、ローベルト・ムージル『和合』1911、フランツ・カフカ『観察』1912、フーゴー・フォン・ホーフマンスタール『アンドレアス』1913と続き、ヘルマン・ブロッホ46歳の遅咲きの処女作『夢遊の人々』1932、ムージル畢生の大作『特性のない男』1930~1932が限界でした。1933年にナチスヒットラー内閣が成立し、これらは退廃文学と目されたからです。ただ、明らかに『マルテの手記』以降の文学潮流に生まれながら崩壊時代の文学にドイツ教養主義の伝統を蘇生させた驚くべき例もあります。それが極度の実験小説でありながらベストセラーを記録したアルフレート・デーブリーンベルリン・アレクサンダー広場』1929でした。日本の横光利一「機械」『上海』、川端康成「禽獣」『浅草紅団』などが1930年前後ですから、文学における人間性の解体は国際的な思潮でした。

さて。ボブ・ディランの『追憶のハイウェイ61』は同名アルバムのタイトル曲で1965年8月2日に録音され、アルバムは同年8月30日に発売されました。このアルバムは先行シングル『ライク・ア・ローリング・ストーン』が凄すぎて他の曲も良いけど横一列、みたいな印象がありますが、出来が良すぎてそうなった面が大きいのです。しかし、先行シングルのプロモーション効果は十分あったとはいえ、8月2日録音の曲が8月30日にレコード発売されるなど67年以降では考えられない(67年が分水嶺になっている)。しかもアメリカ最大手のコロンビアにしてそうだったのは驚かされます。

実は『追憶のハイウェイ61』はシングル・カットもあり、B面は1985年の『バイオグラフ』までアルバム未収録になる『窓からはい出せ』でした。公式ライヴ盤にはザ・バンドとの『偉大なる復活』1974、ミック・テイラーとイアン・マクレガンを中心にイギリス人でバンドを堅めた『リアル・ライヴ』がありますが、観客から怒号が飛んだという1965年夏のニューポート・フォーク・フェスティバルのライヴ録音ではマイク・ブルームフィールドのレスポールが当時最強ギタリストの大爆発をクールに捉えており、ハード・ロックと呼んでも的外れではないサウンドになっています。
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ディランの歌詞では、全五連あるヴァースのすべてがHighway 61で締めくくられますが、直接Revisitedと結ばれることはない。ハイウェイ61号線とRevisitedするのはこの曲を聴く、あるいは歌詞を読む受け手の側なのです。
ディランの訳詞は、現在では中川五郎氏の正確で語感にも優れた訳がありますが、LPレコード時代から聴いている人間には解説・中村とうよう、訳詞・片桐ユズルというのが擦り込まれてしまっています。訳詞を鵜呑みにしないで、原文と並列してご覧ください。誤訳ではないが、原文のあいまいさと訳詞のあいまいさにギャップがある面があるのです。また、各連ごとにハイウェイ61をRevisitedするそのRevisitedの意味合い、ニュアンスははっきり異なります。各連は独立した小咄となっていることに注意して、一連ずつ楽しんでみましょう。一見でたらめながら、ちゃんと読めば合理的な解釈ができる歌詞なのです。
(以下後編)
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参考までにあらかじめ拙訳と原詩を掲げておきます。筆者の解釈ではこのタイトルのRevisitedは、ディランの次のアルバム収録曲『メンフィス・ブルース・アゲイン』(これもかっこいいロックンロール曲です)とおなじニュアンスで、「またハイウェイ61なのかい?」というジョークでしょう。仮に新しく邦題をつけるなら、『またもやハイウェイ61』あたりが原題のニュアンスを伝えていると思います。この記事のタイトル『「追憶のハイウェイ61」Revisited』の場合、Revisitedは再読という意味になるでしょう。

『またもやハイウェイ61』

神がアブラハムに言った「お前の息子を生け贄にせよ」
エイブは言った「あんた試しているんでしょう?」
神は「違うよ」エイブは「はあ?」
神は言った「好きにするがいいぞエイブ、だが
今度出会ったら命はないものと思え」
エイブは言った「ではどこで生け贄にしますか?」
神は言った「ハイウェイ61の路上でだ」

ジョージア・サムの鼻は血の色
福祉課から着るものさえもらえない
サムは貧しいハワードに、どこに行けばいいだろう、と尋ねた
ハワードは、ひとつだけ心当たりがあると言う
サムは言った、早く教えてくれ、追われているんだ
老いたハワードは銃でまっすぐに示した
その道の向こう、ハイウェイ61を

マック・ザ・フィンガーがルイ王に言った
赤・白・青の靴ひもが40本と
鳴らない電話が1000台あるが
処分できる場所を知りませんか?
ルイ王は言った、ちょっと考えさせてくれ……
そうだ、あそこなら簡単にやれるぞ
全部ハイウェイ61に持って行くのさ

第五の娘が十二夜
第一の父に打ち明けた
どうも調子がよくないの
私の顔は白すぎるみたい
第一の父は、こっちへおいでと呼ぶと
灯りの下で、ふむふむ、お前の言う通りだと答えた
第二の母には私からもう片づいたと伝えておこう
だが第二の母は第七の息子と
一緒にハイウェイ61にいた

さて、放浪の賭博師はとても退屈して
次の世界大戦を目論んでいた
そして今にも床に崩れてしまいそうな
興行師を見つけた
興行師は言った、契約したことのない仕事だが
まあ、たやすく実現できますよ
いくつもでかい観客席を日向に
ハイウェイ61に建てるだけです

"Highway 61 Revisited"

Oh God said to Abraham, “Kill me a son”
Abe says, “Man, you must be puttin’ me on”
God say, “No.” Abe say, “What?”
God say, “You can do what you want Abe, but
The next time you see me comin’ you better run”
Well Abe says, “Where do you want this killin’ done?”
God says, “Out on Highway 61”

Well Georgia Sam he had a bloody nose
Welfare Department they wouldn’t give him no clothes
He asked poor Howard where can I go
Howard said there’s only one place I know
Sam said tell me quick man I got to run
Ol’ Howard just pointed with his gun
And said that way down on Highway 61

Well Mack the Finger said to Louie the King
I got forty red, white and blue shoestrings
And a thousand telephones that don’t ring
Do you know where I can get rid of these things
And Louie the King said let me think for a minute son
And he said yes I think it can be easily done
Just take everything down to Highway 61

Now the fifth daughter on the twelfth night
Told the first father that things weren’t right
My complexion she said is much too white
He said come here and step into the light, he says hmm you’re right
Let me tell the second mother this has been done
But the second mother was with the seventh son
And they were both out on Highway 61

Now the rovin’ gambler he was very bored
He was tryin’ to create a next world war
He found a promoter who nearly fell off the floor
He said I never engaged in this kind of thing before
But yes I think it can be very easily done
We’ll just put some bleachers out in the sun
And have it on Highway 61