人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

Uriah Heep - Live Jaunuary 1973 (Bronze,1973)

イメージ 1


Uriah Heep - Live Jaunuary 1973 (Full Album, HQ) : http://youtu.be/_PxuPkuQ1hg
Recorded 26 January 1973, Town Hall,Birmingham, England
01. Introduction /サンライズ Sunrise (Hensley) 0:00
02. スウィート・ロレインSweet Lorraine (Box/Byron/Thain) 5:01
03. 時間を旅する人Traveller in Time (Box/Byron/Kerslake) 10:02
04. 安息の日々Easy Livin' (Hensley) 13:41
05. 七月の朝July Morning (Byron/Hensley) 16:41
06. 瞳に光る涙Tears in My Eyes (Hensley) 28:24
07. ジプシーGypsy (Box/Byron) 33:41
08. 連帯Circle of Hands (Hensley) 47:49
09. 対自核Look at Yourself (Hensley) 56:52
10. 魔の饗宴The Magician's Birthday Party (Box/Hensley/Kerslake) 1:04:24
11. ラヴ・マシーンLove Machine (Box/Byron/Hensley) 1:06:10
12. ロックン・ロール・メドレーRock and Roll Medley - Roll Over Beethoven, Blue Suede Shoes, Mean Woman Blues, Hound Dog, At the Hop, Whole Lotta Shakin' Goin' On, Blue Suede Shoes (Various) 1:09:38
[Personnel]
David Byron - Lead Vocals
Ken Hensley - Keyboards,Guitar,Vocals
Mick Box - Guitars,Vocals
Gary Thain - Bass Guitar,Vocals
Lee Kerslake - Drums,Vocals

 LP時代は1~4がA面、5~6がB面、7~8がC面、9~12がD面になっていた。輸入盤では12をカットして1CDに収めたものがCD初期には出回っていたが、現在は2CDでは収録時間が短いので同時期のライヴをボーナス・トラックに追加したエクスパンデッド・エディションが流通している。だがこのライヴ盤はもともと73年1月26日のコンサートをそのまま収録したもので過不足ないし統一感があり、アンコールのロックンロール・メドレーも最初からないと思えば気にならない。1~11の11曲を1CDに収めた初期プレスのCDが一番聴きやすい。
 このライヴ・アルバムはスタジオ盤第4作『悪魔と魔法使い』でようやくベスト・メンバーが揃ったユーライア・ヒープが第5作『魔の饗宴』に続いて制作した、ベスト・メンバーによるベスト選曲のライヴで、楽曲では『ユーライア・ヒープ・ファースト』『ソールズベリー』『対自核』の初期3作も良いのだが、ヒープ初期はアルバム制作中にもベーシストとドラマーのメンバー・チェンジが相次いでいてサウンド的には弱点があった。第4作から加入したゲイリー・セインは言っては何だが、唯一リズム・キープの確かなメンバーであり、リー・カースレイクは後にオジー・オズボーンのブリザード・オブ・オズの創設メンバーになる。
 選曲はそれまでの5枚のアルバムからセカンド『ソールズベリー』以外で、『ファースト』からの7、『対自核』からの5、6、9、11、『悪魔と魔法使い』からの3、4、8、『魔の饗宴』からの1、2、10となっている。バンドの頭脳ケン・ヘンズレーさえ途中参加で制作されたファーストからは『ジプシー』1曲でともかく、セカンドからは『肉食鳥』Bird of Pray、『黒衣の娘』Lady in Black、4作目からは『魔法使い』The Wizardくらい演ってほしかった。上記3曲はシングル曲でもある。また、『対自核』の『悲嘆のかげり』Shadows of Griefはムゼオ・ローゼンバッハ(伊『ツァラトゥストラ組曲』73)の発掘ライヴを聴いていたら突然完全コピーのカヴァーを演っていたので驚いた記憶がある。ここで、ユーライア・ヒープの75年までのアルバム・リストを上げる。英米はもちろんだが、独芬伊のチャート順位が興味深い。

1. ...Very 'Eavy ...Very 'Umble (June,1970) UK--/US-186/ GER-22/FIN--/ITA-8
2. Salisbury (May,1971) UK--/US-103/GER-31/FIN-1/ITA-6
3. Look at Yourself (November,1971) UK-39/US-93/GER-11/FIN-1/ITA-3
4. Demons and Wizards (May,1972) UK-20/US-23(Gold)/GER-5/FIN-1/ITA-12
5. The Magician's Birthday (November,1972) UK-28/US-31(Gold)/GER-7/FIN-1/ITA--
6. Uriah Heep Live (May,1973) UK-13(Silver)/US-37(Gold)/GER-8/FIN-5/ITA--
7. Sweet Freedom (September,1973) UK-18(Silver)/US-33(Gold)/GER-12/FIN-2/ITA--
8. Wonderworld (June,1974) UK-23(Silver)/US-38/GER-7/FIN-5/ITA--
9. Return To Fantasy (June,1975) UK-7(Silver)/US-85/GER--/FIN-8/ITA--

 ライヴ盤の後、バンドはオカルト色を払底した『スウィート・フリーダム』と『夢幻劇』をバイロン/ヘンズレー/ボックス/セイン/カースレイクの黄金メンバーでリリースし、商業的成功も続くが、楽曲の質の低下は明らかで初期5作よりはっきり落ちるものだった。セインはバンドのハード・スケジュールに疲れて『夢幻劇』を最後に脱退してしまう。代わりに入ったベーシストがキング・クリムゾン解散直後だったジョン・ウェットンで、『幻想への回帰』は本国イギリスでのヒープ最大のヒット・アルバムになった。だが次作『ハイ・アンド・マイティ』76を最後にウェットン、カースレイクばかりかオリジナル・ヴォーカリストバイロンも脱退(実際はクビ)、『ファイアフライ』77からは元ルシファーズ・フレンドのジョン・ロートンをヴォーカルに迎えてバンドを立て直すが、ヒープ10周年記念アルバム『征服者』ではついにヘンズレーすら抜けてしまう。だがその後も何度かのメンバー・チェンジを経て、80年代半ばからのヒープは固定メンバーで活動ももう30年におよぶ。

イメージ 2


 (Uriah Heep 1973)
 レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、ブラック・サバスと並んでユーライア・ヒープはブリティッシュ・ハードロックの4大バンドと言われたこともあったが、時間の経過が各バンドの真価を明らかにした面が大きいと思われる。ツェッペリンは巨大な存在だがフォロワーがおらず、サバスの音楽はパンク以降のヘヴィ・ロックにも応用のきく耐久性と影響力があり、パープルは意外と個人芸の集まりで明確なサウンド・コンセプトを抽出できない融通の効かなさがある、と言える。ではヒープはどうかというと、ヒープの前にはヴァニラ・ファッジがいるが、全盛期には同時代にもっとも大きな影響力を誇ったバンドだった。
 パープルやイエスがヴァニラ・ファッジのイギリス版を想定して結成されたバンドなのはよく知られている。日本でもニュー・ロックといえばヴァニラ・ファッジのようなオルガンとサイケデリックなギターとのアンサンブル、ヘヴィでファンキーなベースとドラムスが典型的なサウンド・イメージだった。ユーライア・ヒーププログレッシヴ・ロックプの要素とハード・ロック、つまりイエスやパープルが一定の成果を上げたスタイルをさらに融合させようとしていたバンドで、当時ドイツやイタリア、北欧にユーライア・ヒープもどきのバンドをうようよ生むことになった。バンドの中でサイケデリック・ロックもやりたい、ハード・ロックもやりたい、プログレッシヴ・ロックもやりたいと方向性が絞りこめない時、ヒープのサウンドは当時流行のスタイルを束ねたようなものだった。だからこそ多くのバンドが直接参照したのも当然と言ってよい。

 日本のバンドでもディープ・パープルやエマーソン、レイク&パーマーを参照したはずが、出来上がってくるとユーライア・ヒープになっている、という例が思い浮かぶ。紫やカルメン・マキ&OZなどもそうだし、ハリマオ『猛虎』(74年8月)など元GSデュオのジェット・ブラザースの後身だったと思うが、アルバム1枚まるまるユーライア・ヒープ、曲もヒープからそのままパクりという困ったバンドだった。CD化されてはいないと思う。英米仏独伊に加えて北欧諸国からヒープもどきのバンド、明らかに直接影響があるものを拾えばすぐに20~30枚は上がるが、問題なのはヒープが存在しなくてもヒープに代わる存在が出たと思われるばかりか、これらのバンドもヒープの影響がなかろうと同じようなサウンドを出していただろうと思われるからで、それは紫もマキ&OZもそうだったろう。ハリマオほど完全なヒープ・クローンはさすがにそれほど存在しないのだ。「ヒープが存在しなくても」というのは「ヴァニラ・ファッジが存在しなくても」と言い換えることもできて、ファッジやヒープは歴史的必然が曲がり角に生んだバンドだった。
 だがそれも結構なんじゃないか、と思う。ツェッペリン、パープル、サバスのようにヒープは特別のバンドではない。普通のバンドだからこその良さがあるのだ。クイーンだってビートルズビーチ・ボーイズ、ムーディ・ブルースからほどではないが、明らかにユーライア・ヒープを参考にした形跡がある。確かに古いロックだし、ベース以外のリズム感の悪さは一流バンドとは思えない演奏だが、この作品はバンドの短かった全盛期を良く捉えた、ライヴ・アルバムの傑作だと思う。