人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

フライド・エッグ Flied Egg - ドクター・シーゲルのフライド・エッグ・マシーン (Philips/Virtigo, 1972)

イメージ 1

フライド・エッグ Flied Egg - ドクター・シーゲルのフライド・エッグ・マシーン Dr. Siegel's Fried Egg Shooting Machine (Philips/Virtigo, 1972) Full Album : https://youtu.be/QPfhrk9Ux74
Original album recorded at Victor Studio 1971-72.
Released by Philips Records Virtigo-FX-8603, April 1972
Produced by Masaharu Honjo & Shigeru Narumo
(Side A)
A1. ドクター・シーゲルのフライド・エッグ・マシーン Dr. Siegel's Fried Egg Shooting Machine (C.Lyn, S.Narumo) - 6: 06
A2. ローリング・ダウン・ザ・ブロードウェイ Rolling Down The Broadway (C.Lyn, S.Narumo) - 4: 33
A3. アイ・ラブ・ユー I Love You (C.Lyn, H.Tsunoda) - 3: 32
A4. バーニング・フィーバー Burning Fever (S.Narumo) - 3: 14
A5. プラスティック・ファンタジー Plastic Fantasy (C.Lyn, M.Takanaka) - 6:09
(Side B)
B1. 15秒間の分裂症的安息日 15 Seconds Of Schizophrenic Sabbath (C.Lyn, S.Narumo) - 0: 16
B2. アイム・ゴナ・シー・マイ・ベビー・トゥナイト I'm Gonna See My Baby Tonight (C.Lyn, M.Takanaka) - 5: 33
B3. オケカス Oke-Kus (S.Narumo) - 4: 36
B4. サムデイ Someday (C.Lyn, H.Tsunoda) - 3: 59
B5. ガイド・ミー・トゥー・ザ・クワイエットネス Guide Me To The Quietness (C.Lyn, S.Narumo) - 8:12
[ フライド・エッグ Flied Egg ]
成毛滋 Shigeru Narumo - guitar, keyboards, vocals
角田ヒロ Hiro Tsunoda - drums, lead vocals
高中正義 Masayoshi Takanaka - bass, guitar, vocals
with
葵まさひこ Masahiko Aoi - orchestra arrengement on A3,B4

前回は成毛滋(1945-2007)とつのだ☆ひろ(1949-, 当時角田ヒロ表記)の組んだデュオ、ストロベリー・パスの唯一のアルバム『大烏が地球にやって来た日』1971.6と、当時高校生の高中正義(1953-)をベースに迎えてトリオ編成のフライド・エッグに改名し、その2作目で解散アルバムになった『グッバイ・フライド・エッグ』1972.12の2作をご紹介した。『グッバイ~』はA面ライヴB面スタジオ録音のアルバムだったから、フライド・エッグの第1作『ドクター・シーゲルのフライド・エッグ・マシーン』は唯一のフル・スタジオ録音アルバムになる。ストロベリー・パスの前身バンドのジプシー・アイズは録音を残していないので、当時日本ロック界のNo.1ギタリストとNo.1ドラマーの盛名高かった成毛と角田コンビが聴けるのはこの3枚だけ。しかもポップスやフォークとは隔絶した純正ロック・バンドとしてストロベリー・パスフライド・エッグは一切の妥協のない音楽をやっていた。と、そういう日本ロックのオリジネーターで、祠を祀ってお詣りしなければいけないほど偉い人たちなのだった。ちなみに『大烏が~』のジャケット画は(当時)石森章太郎、『ドクター・シーゲル~』のジャケット画は(故)景山民夫の各氏になる。
アルバム全3枚にはどれも欠かせない注目点があり、ストロベリー・パスの唯一作は当初日本フィリップス社の本城和治氏プロデュースによる成毛滋中心のオムニバス盤として企画され、角田ヒロも参加することになった時点でジプシー・アイズの単独アルバムに企画が変更され、メンバーの流動的なジプシー・アイズでのフル・アルバムの制作は不可能だったため成毛&角田のデュオによるアルバムになったという。成毛はハード・ロックで統一したかったが角田はハード・ロック1本路線には抵抗があり、「メリー・ジェーン」はあえて英語詞の歌謡曲ならいいんじゃないか、とアルバム完成直前に収録が決まった曲だった。ライヴでは成毛は右手でキーボード、ギターは左手の指の押弦だけでこなし、さらにフット・ペダル式ベース・キーボードを同時演奏していたが、アルバムではさすがに楽器ごとのオーヴァーダビングを行い、ベースは当時のNo.1セッション・ベーシストの江藤勲が弾いている。アルバム発表後からアメリカン・スクールのハード・ロック・バンドで活動していた高中正義がライヴ・ステージに呼ばれるようになり、間もなく高中を正式メンバーにすると決めてバンドはフライド・エッグとして再デビューすることになった。フライド・エッグの『ドクター・シーゲルのフライド・エッグ・マシーン』は日本のニュー・ロックを代表するアルバムになる。
(Original Philips/Virtigo "Dr. Siegel's Fried Egg Shooting Machine" LP Front & Liner Cover)

イメージ 2

イメージ 3

 60年代末~70年代初頭のこの時期、60年代的ビート・グループから脱して新しい70年代スタイルを模索していたバンドの音楽はニュー・ロックと呼ばれたが、後のニュー・ウェイヴ同様この呼称は時代的なもので、ニュー・ロックには特定のスタイルはなかった。平均的にはニュー・ロックはフォーク・ロックやブルース・ロックをサイケデリック・ロック経由で誇張させ、ハード・ロックプログレッシヴ・ロックへ整理したもので、英米のバンドで言えばクリームやSRC、ヴァニラ・ファッジから始まり、マウンテンやユーライア・ヒープで頂点に達するとともに急速に古いスタイルとして廃れることになる。ただしアメリカではブルー・オイスター・カルト(ヴァニラ・ファッジやマウンテンと同じくニューヨーク出身)や、ローカル・バンドのスティクスやカンサスなどがニュー・ロックのスタイルを継承しており、ファッジ~ヒープの影響力はヨーロッパ大陸では絶大なものだった。成毛はジプシー・アイズ以前にはヴァニラ・クリーム名義で活動しており、ストロベリー・パスフライド・エッグは楽曲によってもろEL&P(キーボード・インスト曲)だったりレッド・ツェッペリンだったりするが(ギター・リフ主体のキーボードレス曲)、全体的に中心となっているのはユーライア・ヒープで、『ドクター・シーゲルのフライド・エッグ・マシーン』で言えばB2、B5などヒープ本家以上にヒープしている。
また高中正義は『グッバイ~』でもキング・クリムゾンの「Epitaph」そっくりのバラード曲を提供していたが、『ドクター・シーゲル~』A5もエピタフで、もろヒープのB2も高中提供曲だが当時18歳としては楽曲が模倣的でも健闘している。A5は後半ビーチ・ボーイズ的な小組曲になるが、これはクリストファー・リンの歌詞が先にあったのではないか。成毛はツェッペリン風でもヒープ的でも俺の勝ちといわんばかりにパワフルで押しまくるが、さすがにもろEL&PのB3はタイトルはダジャレでネタバレする。角田のオーケストラ入りバラードはA面B面1曲ずつはやりすぎに思えるが、フライド・エッグのポピュラー路線というと角田のバラード以外になかったのだろう。今では普通だが、ピアノとオーケストラ入りパワー・バラードでディストーションの効いたリード・ギター、という取り合わせは純ポップスにはなかった手法だった。だがこのアルバム最大の聴きものは、オープニング曲A1とクロージング曲B5だろう。どちらも成毛の作品で、楽曲自体もアイディアが豊富で良くできており、成毛のギターとキーボードがどちらも凝りに凝ったアレンジで聴きどころ満載になっている。
(Original Philips/Virtigo "Dr. Siegel's Fried Egg Shooting Machine" LP Gatefold Cover)

イメージ 4

イメージ 5

 このアルバムは日本の音楽スタジオに16トラック・レコーダーが導入されて制作された、もっとも初期のアルバムになるらしい。フィリップスの本城氏は日本のジョージ・マーティンと呼ばれたほどの業績を持つプロデューサー(60年代~70年代の呼び方ではレコーディング・ディレクター。フライド・エッグのアルバムで「プロデュース」とクレジットされたのは、成毛側の欧米スタイルの制作意識による特例)で、ザ・スパイダース、ザ・テンプターズを始め日本フィリップスのGSが他社のGSのしょぼいレコードとは一線を画した、しっかりしたバンド・サウンドだったのも本城プロデューサーの理解と指導力の功績だった。
今聴くとA1はニュー・ロックというよりビートルズの『Sgt.Pepper's~』やストーンズの『Satanic Majesties~』影響下の、1967年~1968年のイギリスのサイケデリック・ポップに近い楽曲とサウンドに聴こえる。ふんだんに盛り込まれたサウンド・エフェクトもシリアスな要素の強くなった70年代ロックよりは遊びの要素の強いサイケデリック・ポップ期のものだろう。A1のサイケデリック・ポップ趣向はA5の後半にも現れるから、A面はサイケデリック・ポップで前後を挟んだ面と言える。一方B面は15秒のアカペラ・コーラス曲B1からそのままB2になだれ込み、このB2とB5はユーライア・ヒープなのでB面はヒープ・サイドという印象が強い。AB面とも角田バラードがあり、A面ではツェッペリン風ヘヴィ・ロック、B面ではEL&P「Tarkus」のパクり曲「オケカス」(笑)もあるのだが、アナログ時代のアーティストが各面の冒頭曲・最終曲をどれだけ慎重に配置しているかを思えば、AB面の色分けはだいたい今見た通りになると思われる。
(Original Philips/Virtigo "Dr. Siegel's Fried Egg Shooting Machine" LP Side A & Side B Label)

イメージ 6

イメージ 7

 だがフライド・エッグは1972年4月に本作が発売された時にはすでに半年後の解散が決まっていた。前年にはすでにデュオ編成のストロベリー・パスからトリオ編成のフライド・エッグに変わってライヴ活動を行っていたのだが、アンプ持参で来日する欧米ロック・バンドに劣らないP.A機材をバンドの経費で維持するのは当時の日本の国内バンドの集客力では無理だった。当時サディスティック・ミカ・バンドを立ち上げたばかりの加藤和彦は機材の維持費のためにバンド所有の機材をレンタルもしていたが、フライド・エッグの所有機材はレンタルしても維持できる規模のものではなかっただろう。ハード・ロックのギター・トリオならまだしも、欧米プログレッシヴ・ロック並みにキーボード器材まで揃えていた。
フリーの来日公演に感化されたというフライド・エッグは、1972年9月19日の解散コンサートをA面に収めた『グッバイ・フライド・エッグ』1972.12では『大烏が~』と『ドクター・シーゲル~』からツェッペリン系のハード・ロック曲のライヴ・ヴァージョンが聴ける。スタジオ盤よりストレートに躍動感が伝わってくる好ヴァージョンで、『グッバイ~』というのはもちろんライヴとスタジオ録音半々の『Goodbye Cream』だが、どうせなら『Wheels of Fire(クリームの素晴らしき世界)』のようにライヴ盤とスタジオ盤で2枚組にしてほしかった。スタジオ録音のB面では柳ジョージ参加の4人編成で1曲(柳作)、高中、角田、成毛がそれぞれ1曲ずつ持ち寄っている。前回ご紹介したのでよければ『ドクター・シーゲル~』に続けてお聴き返しください。ちなみにフライド・エッグは欧米では日本を代表するプログレッシヴ・ロックとして知られているが、実際聴いてみるとヒープじゃん、と外人さんも拍子抜けするらしい。それでもこのアルバムは45年近く聴かれ続けているのだから成毛滋の勝利なのだった。