人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ヴァニラ・ファッジ Vanilla Fudge - キープ・ミー・ハンギング・オン Vanilla Fudge (Atco, 1967)

ヴァニラ・ファッジ - キープ・ミー・ハンギング・オン (Atco, 1967)

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ヴァニラ・ファッジ Vanilla Fudge - キープ・ミー・ハンギング・オン Vanilla Fudge (Atco, 1967) Full Album : https://youtu.be/fp1M6cLQhpU : https://www.youtube.com/playlist?list=PL94gOvpr5yt1l3sACNpxQFlYFFu-ts198
Released by Atlantic Records/Atco 33-224/mono, SD 33-224/stereo, July 1967, peaking at #6 on the Billboard album charts in September 1967.
Produced by Shadow Morton.

(Side 1)

A1. 涙の乗車券 Ticket to Ride (John Lennon-Paul McCartney) - 5:40
A2. ピープル・ゲット・レディー People Get Ready (Curtis Mayfield) - 6:30
A3. シーズ・ノット・ゼア She's Not There (Rod Argent) - 4:55
A4. バン・バン Bang Bang (Sonny Bono) - 5:20

(Side 2)

B1. 少年時代の幻影・パート1 Illusions of My Childhood, Pt. 1 - 0:20
B2. キープ・ミー・ハンギング・オン You Keep Me Hangin' On (Brian Holland-Lamont Dozier-Eddie Holland) - 6:42
B3. 少年時代の幻影・パート2 Illusions of My Childhood, Pt. 2 - 0:23
B4. フォー・ア・リトル・ホワイル Take Me for a Little While (Trade Martin) - 3:27
B5. 少年時代の幻影・パート3 Illusions of My Childhood, Pt. 3 - 0:23
6. エリナー・リグビー Eleanor Rigby (Lennon–McCartney - 8:10

[ Vanilla Fudge ]

Carmine Appice - drums, vocals
Tim Bogert - bass, vocals
Vince Martell - guitar, vocals
Mark Stein - lead vocals, keyboards

(Original Atco "Vanilla Fudge" LP Liner Cover & Side 1 Label)

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 ロック史上屈指の影響力を誇るアルバム。ヴァニラ・ファッジはフォーク・ロック全盛のニューヨークから生まれてきた最初期のサイケデリック・ロック・バンドで、ヘヴィなベースとドラムスに唸りを上げるハモンド・オルガンと弾きまくるファズ・ギターのアンサンブルを特徴としたバンドですが、最大のヒット作になったこのデビュー・アルバム(全米最高位6位、年間アルバム・チャート6位、シングル「キープ・ミー・ハンギング・オン」最高位6位)がなければアメリカのヘヴィ・ロックもなく、イギリスのディープ・パープルもイエスもなく、ヨーロピアン・ロックもなく、要するにビート・グループやフォーク・ロックからロックが次の次元に移るのには当時他にはブルース・ロックしか方向性はありませんでしたが、ブルース・ロックより幅広い音楽性を表現できるスタイルとしてファッジのサウンドはもっとも模倣しやすく、応用が効くものでした。アメリカ本国でもアイアン・バタフライやステッペンウルフ、SRC、スティール・ミル(ブルース・スプリングスティーン在籍)、ハッスルズ(ビリー・ジョエル在籍)、ヴェイグランツ(レスリー・ウエスト在籍)など、ファッジ・フォロワーが次々と出現しました。その点でヴァニラ・ファッジの影響力の即時性はジェファーソン・エアプレインやグレイトフル・デッドをしのぎ、ザ・ドアーズやヴェルヴェット・アンダーグラウンドをしのぎ、サウンド・コンセプトの革新ではジミ・ヘンドリックスジャニス・ジョプリンをもしのぐものだったのです。ビートルズストーンズ、ディランとビーチ・ボーイズザ・バーズ、ザッパ&マザーズは最大限に尊敬されていましたが、サウンド・スタイルの模倣対象には仕立てにくいのです。当時アメリカのバンドではエアプレインとデッド、イギリスのバンドではヤードバーズとクリームがもっとも影響力が強く模倣されたバンドでしたが、ファッジの影響力はそれ以上でした。アメリカではヘヴィ・メタルという言葉は大まかに使われますが、ヴァニラ・ファッジはブリティッシュ・ビートとサイケデリック・ロックからヘヴィ・メタルへの中継点に当たるバンドとされています。まさにそうで、ファッジは'70年代型ハード・ロックプログレッシヴ・ロックの生みの親と言える存在でした。カンサス、スティクス、ボストン、フォリナー、ジャーニー、トトなどはすべてファッジを起源とするバンドです。イギリスでは一連のパープル系バンドがそれに当たり、ユーライア・ヒープなどはファッジ以上にファッジな音楽性を追究しました。

 そこでもうお気づきのように、ヴァニラ・ファッジと親近性が高いバンドほど音楽的には節操がなく無内容で、ロックの最悪の空疎さを体現しているのは驚嘆すべき現象です。ファッジのオルガン・サウンドはあらゆるキーボード・バンドの手本になりましたが、良識のあるバンドほどファッジの影響から早く抜け出しています。ジェネシスしかりアンジュしかりで、イタリアやドイツのヘヴィ・ロック系バンドはファッジ~パープル~ヒープと続くオルガン・サウンドからなかなか抜け出せないバンドが多かったのです。ブルー・オイスター・カルトのように策士サンディ・パールマンがブレインにいて、ファッジ的サウンドを整理してオカルト仕掛けに的確なプロデュースをしてくれる場合は良い結果になりました。スピリットのようにファッジやBOCと同等以上の腕利き集団のバンドでは、メンバー全員が技巧を競いすぎて音楽が散漫になる場合もありました。それもヴァニラ・ファッジが露骨にロック・バンドの演奏力のハードルを上げるような、メンバー全員が同時にソロイストであるようなアンサンブルを広めたことから悪い風潮が蔓延したので(パワー・トリオ編成ではクリームが悪影響を広めました)、イエスやディープ・パープルのようにヴァニラ・ファッジからの影響から独自のスタイル確立に成功したバンドはめったにありません。ファッジはヒープを生みヒープはクイーンを生んだのですが、ファッジやヒープにはフレディーもブライアン・メイもいなかったとも言えます。

 イタリアのムゼオ・ローゼンバッハも発掘ライヴを聴くとヴァニラ・ファッジとユーライア・ヒープのレパートリーを演奏していますが、唯一のスタジオ・アルバムではファッジやヒープの影はありません。良くも悪くもアマチュア・バンドが本格的なロック、それもヘヴィ系のバンドを目指すのにはヴァニラ・ファッジやユーライア・ヒープのアルバムをコピー演奏してみるのがいちばん手っ取り早い、という時代があったのです。日本ではハリマオというヒープ・フォロワーがデビューして失敗しました。ファッジから発してヒープが受け継いだのはプログレッシヴ・ロックにも発展していったアレンジ手法で、プログレッシヴ・ロックというと転調や変拍子組曲構成など小難しいイメージがありますが、ファッジ~ヒープ系のプログレッシヴ・ロック成分はドラマチックでメロディアスゆえ憶えやすく分かりやすく、しかも実はリズム構造は単純なので演奏の難易度もそれほどではありません。ファッジのメンバーは当時のロック水準では全員が新人離れした驚異的なテクニシャンでしたが、アレンジが合理的かつ明快なのでコピー自体はそれほど困難ではないのはヒープもそうでした。そしてファッジやヒープをコピーして身につけたクリシェは楽器演奏にもアレンジにも手軽に応用が効き、あまりにも早く一般化してしまったために、もはやヴァニラ・ファッジやユーライア・ヒープというより、ハード・ロックプログレッシヴ・ロック全般のクリシェであり、ほとんどパブリック・ドメインと言ってよいものになっています。

 日本のロック・バンドにもファッジ~ヒープ路線のヘヴィ・サウンドを出していたバンドは山ほどいましたが、クリーム、ジェフ・ベック、フロイド、クリムゾン、パープルやレインボーからの影響を口にすることはあってもファッジやヒープに言及するアーティストはほとんどいませんでした。ヒープとクイーンからの影響を認めていたのはノヴェラのアンジーさん、キーボード・ロックの祖にファッジを上げる近田春夫氏くらいのものでした。ファッジもヒープも優れたバンドでしたが一流とは言えない面があり、しかもファッジ~ヒープの手法は'60年代末~'70年代初頭のロックの発展史ではあまりに最大公約数すぎて、おそらくファッジやヒープが出なくてもどこか他のバンドによって出現したに違いないスタイルであり、創造性を主張できないようなものだったのです。ヴァニラ・ファッジは1966年1月にティム・ボガートとマーク・ステインがバンド結成に乗り出し、旧知のヴィンス・マーテルが加わり、やや遅れてカーマイン・アピスがドラマーの座に着いたニューヨーク出身のバンドでした。しばらくはピジョンズと名乗っていましたが、'66年12月にはヴァニラ・ファッジと改名しプロ・デビューに向けてライヴとレコーディングのための本格的リハーサルに入り、1967年6月にデビュー・シングル発売とともにザ・バーズとザ・シーズの前座でライヴ・デビューしています。最年長のボガートが22歳、最年少のステインが20歳、全員がリード・ヴォーカルを取れる上、重厚なサウンドで抜群のテクニックを誇るメンバー揃いのファッジは、バーズやシーズと較べると明らかに革新的な新世代のロックとして差をつけていたでしょう。

 ファッジがサウンド・スタイルのヒントにしたのはニューヨークで異彩を放っていたザ・ラスカルズのソウルフルなヴォーカル、躍動的なリズム・セクションとラウドなオルガン、ギターのアンサンブルでしたが、イタリア系メンバーのラテン的サウンドラスカルズを元にずっとヘヴィなサウンドを生み出したアイディアは決して平凡ではありません。なのに評価されないその一因は、ファッジについて言えば作曲力の乏しさで、最大のヒット作になったデビュー・アルバムが全曲1967年当時には耳新しいヒット曲のカヴァー・ヴァージョンだったことにもよります。最大のヒットになった「キープ・ミー・ハンギング・オン」はダイアナ・ロス&シュプリームス1966年11月のNo.1ヒット曲ですし、「フォー・ア・リトル・ホワイル」はブルー・ベルズ(パティ・ラベル在籍)の1967年1月の中ヒット(全米89位)、「バン・バン」はソニー&シェールのシェール単独ヴォーカル曲で1966年4月に全米2位、全英3位と、女性ヴォーカルものが半数近くを占めています。男性グループものでは「シーズ・ノット・ゼア」は1964年8月のザ・ゾンビーズのデビュー・ヒット(全英12位、全米2位)で、ゾンビーズはイギリス本国よりアメリカで人気の高かったバンドでした。「ピープル・ゲット・レディー」はカーティス・メイフィールドのジ・インプレッションズ1965年3月の全米14位の代表的ヒット曲で、ロッド・スチュワートジェフ・ベックに「キープ・ミー・ハンギング・オン」やこの曲のカヴァーがあるのはヴァニラ・ファッジのカーマイン・アピス&ティム・ボガート経由なのがわかります。そしていわずもがな、アルバム巻頭と巻末にザ・ビートルズのカヴァーがあり、アルバム最後のコーダにはビートルズの「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」の一節(ノンクレジット)をアカペラで入れています。

 ファッジほどに十分すぎるほどの実力を持っていたバンドが、やがて類型化した陳腐で古臭いスタイルのバンドと顧みられなくなるのは流行の推移の残酷さを感じないではいられませんが、今なおファッジは現役のバンドでもあります。ライヴ作やコンピレーションを除いたスタジオ・アルバムのリストを上げると、

[ Studio Albums ]

1967 : Vanilla Fudge (Highest #6)
1968 : The Beat Goes On (Highest #17)
1968 : Renaissance (Highest #20)
1969 : Near the Beginning (Highest #16)*Half Side live recording
1970 : Rock & Roll (Highest #34)
1973 : While the World was Eating Vanilla Fudge (German only, recorded in The Pigeons Era, 1966)

1984 Reunion : Mystery (No Chart)

2002 Reunion : The Return (No Chart)
2007 : Out Through the In Door (No Chart)
2015 : Spirit of '67 (No Chart)

[ Live Albums ]

1991 : The Best of Vanilla Fudge - Live
2003 : The Return - Live in Germany Part 1
2003 : The Real Deal - Vanilla Fudge Live
2003 : Rocks the Universe - Live in Germany Part 2
2007 : Good Good Rockin' - Live at Rockpalast
2008 : Orchestral Fudge
2008 : When Two Worlds Collide

[ Compilation Albums ]

1982 : The Best of Vanilla Fudge
1993 : Psychedelic Sundae - The Best of Vanilla Fudge
2010 : Box of Fudge - Rhino Handmade

 このうち1967年~1970年の5作はオリジナル・メンバーの4人で、この時期にメンバー・チェンジなしで5枚のアルバムをリリースしたバンドはそれこそザ・ドアーズくらいしかいません。解散のきっかけは行き詰まりにあった時期のファッジと競演したジェフ・ベックにボガートとアピスが引き抜かれたためでしたが、ベックが交通事故に遭ったためにボガートとアピスはカクタスを結成してベックの復帰を待ったのは有名な話です。ベック・ボガート&アピスの解散後にアピスはロッド・スチュワート・バンドの名物ドラマーになりましたが1984年にファッジは再びオリジナル・メンバーで新作『Mystery』をリリースし、精力的にライヴも行いました。FENで当時日曜晩9時に放送されていたキング・ビスキット・フラワー・アワーでのライヴではデビュー・アルバム全曲の完全再現で神奈川県のロック・リスナーを感極まらせたものです。その後アピスだけが若手メンバーを集めてファッジ名義でライヴを続け、2002年の再々カムバック作はステイン不参加の3/4ファッジでしたが、デビュー当時はファッジの前座バンドだったレッド・ツェッペリンの『In Through the Outdoor』をもじった全曲ツェッペリンのカヴァー集『Out Through the In Door』では再びオリジナル・メンバー4人に戻り、その後ボガートが健康上の理由から不参加になりましたがサポート・ベーシストを迎えて結成50周年記念アルバム『Spirit of '67』をリリースしたのが今のところ最新作です。

 デビュー・アルバムの本作から初期3枚は白人女性ヴォーカル・グループのシャングリラスを手がけた名物怪人プロデューサー、シャドウ・モートンのプロデュースで、ところどころ録音やミックスにギミックならぬ音響的異常が生じるのはコラージュ好きの編集マニアだった元祖リミックス男モートンの仕業と思っていいでしょう。ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・クラブ・バンド』(1967年6月発売)の影響に先だって(本作は7月発売ですからぎりぎり最終ミックスで改変された可能性もあり、「フォー・ア・リトル・ホワイル」エンディングの位相の粗が疑惑を深めますが)アルバム全体をトータル・アルバムにして曲間のない構成にしているのもモートンの仕業で、モートン主導の第2作『The Beat Goes On』とバンド主導の第3作『Renaissance』は同時に制作が進められました。『The Beat Goes On』はデビュー作のサイケデリックバロック趣味をいっそうモートンの趣味によりエスカレートさせたアルバムで、バンドがセカンド・アルバムに望んだのはサイケデリック色を抑えヘヴィ・ロックに統一した『Renaissance』でしたから、オーヴァープロデュースの『The Beat Goes On』はメンバーにとっては不本意なセカンド・アルバムになった上にセールスも低下しました。『Renaissance』を最後にモートンと別れたバンドは自作曲中心のヘヴィ・ロックを『Near the Beginning』(片面ライヴ)、『Rock & Roll』と続けていきましたが、1967年デビューのバンドは1969、70年にはもう古いと見なされるほど当時のロック・バンドの新旧交代は進んでいたのです。ましてやファッジのようにフォロワーの続出したバンドはオリジネーターとして尊重されることすらなく、また飽きられやすいサウンドだったのが人気の低下に拍車をかけました。

 しかし本作だけでもファッジは不朽の存在です。アルバム開始を告げるアナウンスから無音を破るように唸るハモンド・オルガン、ドタバタとうるさいドラムスのフィルにやたら手数の多い躍動的なベース、さらに切り込んでくる非ブルース的な凶暴なディストーション・ギターに溜めの効いたヴォーカルとやりたい放題に爆発的に弾けて始まるこのアルバムは、冒頭の「涙の乗車券」だけでブリティッシュ・ビートでもなければカントリーやブルースをベースにしたウェスト・コースト流サイケデリック・ロックでもない、ロックのサウンド水準が次の次元に入ったことを知らせるものになっています。当時のイギリスのロックからは生まれる可能性のなかった音で、ディープ・パープルやイエスがイギリス版ヴァニラ・ファッジを想定してデビューしたのもこの音楽のインパクトを語ってあまりあります。ファッジとほぼ同時にデビューしたピンク・フロイドや新生ムーディー・ブルースもスタジオ作ではともかく、ライヴではヴァニラ・ファッジ的なダイナミックなヘヴィ・ロック・アレンジを取り入れていたのがわかります。ヴァニラ・ファッジのつちかった土壌がなければキング・クリムゾンジェネシスもなかったかもしれないのです。アトランティックは先にラスカルズでロック路線に成功を収めていましたが、アイアン・バタフライやレッド・ツェッペリン、イエスと続く路線はヴァニラ・ファッジの大成功によるものでした。

 日本のロック・バンド、当時グループ・サウンズと呼ばれたバンドでもザ・タイガース、ザ・テンプターズはもちろんザ・ジャガーズ、ハプニングス・フォーまでヴァニラ・ファッジ・ヴァージョンの「キープ・ミー・ハンギング・オン」をいち早くカヴァーしています。ザ・スパイダーズやブルー・コメッツ、ザ・ワイルドワンズザ・ゴールデン・カップス、ザ・モップスザ・カーナビーツにカヴァーがないのはバンドのカラーや嗜好に合わなかったからでしょう。残念ながらタイガースとテンプターズには無理がありましたが、ジャガーズとハプニングス・フォーは実力派だけにファッジのカヴァーに健闘しています。またファッジは二人のリード・ヴォーカリストも力量があり、「涙の乗車券」がティム・ボガート、「キープ・ミー・ハンギング・オン」がマーク・ステインのリード・ヴォーカルと聴き分けると、ともにソウル・ミュージックに根ざしながら粘着質なボガートとストレートなステインのヴォーカル・スタイルの違いが生かされているのがわかります。ファッジの日本での本格的影響は'70年代初頭からのニュー・ロック時代に現れますが、その頃にはハモンド・オルガンと凶暴なギター、重量級のベースとドラムスはヴァニラ・ファッジの専売特許ではなく、ごく標準的なヘヴィ・ロックの手法になっており、後継者と言えるマウンテンやイギリス版ヴァニラ・ファッジのユーライア・ヒープに注目は移っていました。ファッジ同様マウンテンやヒープも手法だけが存在価値であり、音楽内容が空疎なことまで同じでした。ただしヴァニラ・ファッジやマウンテンの真価はロサンゼルスのスピリット同様に意識の高い音楽激戦区で切磋琢磨したメンバーの真剣なミュージシャンシップにあり、それは折衷主義的なユーライア・ヒープではずっと低俗化しており、カンサスからスティクス、ボストンを通ってジャーニー、トト、LAメタルで最悪に陥る職人ロックの通俗性よりはよほどアーティスティックなものでした。ヴァニラ・ファッジはレイ・マンザレクもジム・モリソンもいない(もちろんロビー・クリーガーもジョン・デンズモアもいない)ザ・ドアーズのようなものだったかもしれません。それでは何も残らないではないかと思ってしまいますが、音楽だけは残っているのです。

(旧稿を改題・手直ししました)