人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

Ornette Coleman Quartet - Live In Belgium 1969 (Gambit, 2008)

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Ornette Coleman Quartet - Live In Belgium 1969 (Gambit, 2008) Full Album : https://youtu.be/zQIQckLfFqQ
Recorded live at Blizen Festival, Belgium, 24 Aug.1969
1. As It Should Be (Comme Il Faut) - 7:59
2. Space Jungle - 16:13
3. Song For Che (C.Haden) - 10:19
4. Broken Shadows - 3:26
5. Countdown (Tomorrow) - 10:26
All Compositions by Ornette Coleman expect "Song For Che".
[Personnel]
Ornette Coleman - alto saxophone, violin, trumpet
Dewey Redman - tenor saxophone, Arabic oboe
Charlie Haden - bass
Ed Blackwell - drums

 1965年トリオからいきなりデューイ・レッドマン入りカルテットになるが、レッドマンとのカルテットは1968年のブルー・ノート盤2作『ニューヨーク・イズ・ナウ』『ラヴ・コール』から始まる。ただしその2枚はベースとドラムスはレーベルの意向で元ジョン・コルトレーン・カルテットのジミー・ギャリソン、エルヴィン・ジョーンズというスペシャル・カルテットだった。レッドマンとはトランペットにドン・チェリーやボビー・ブラッドフォードを加えたり、ドラムスは子息のデナード・コールマンかエド・ブラックウェルかビリー・ヒギンズで、オーネットという人はつくづく身内を大事にするが、ベースは先の2枚以外はすべてチャーリー・ヘイデンだった。
 実はデイヴィッド・アイゼンソンは1968年春まで残っていて、66年の『エンプティ・フォックスホール』はピアノレス・トリオはまだしもドラムスがオーネットの10歳の息子デナードだというのでアイゼンソンは怒って参加を拒否した。そこでチャーリー・ヘイデンを呼び戻してアルバムを作ったが、ツアーまではデナードには無理なのでエド・ブラックウェルを呼び戻し、ヘイデンとアイゼンソンの2ベース・ピアノレス・カルテットという異様な編成で1967年と68年春のヨーロッパ・ツアーが行われた。ヘイデンはアルペジオでコード奏法を多用するし、クラシック出身のアイゼンソンはアルコ(弓弾き)奏法で応酬するしで放送用ライヴ音源しか残っていないのが惜しまれる。68年にはアマチュア時代から友人だったレッドマンをニューヨークに呼んで自分のバンドでプロ・デビューさせる。デューイ・レッドマン(1931~2006)は今ではジョシュア・レッドマンのお父さんという方が通りがいいが、神童デビューした息子と違って中年近いデビューだった。オーネットは実に身内に篤い。レッドマンはオーネットの芸風を渋くしたようなテナーマンで、70年代にはキース・ジャレット・カルテット(キース、レッドマンチャーリー・ヘイデンポール・モチアン!)で大物の風格を示した。

 この69年夏のベルギー公演は実は"Broken Shadows"というタイトルで放送局用音源発掘レーベルMagneticから90年代初頭にはCD化されていたが、マグネティック・レーベルのほとんどのCDはおそらくLP発売されたものをLP盤起こしでCD化したらしいむごい音質の上、まだ正確なデータのリサーチが進んでいない時代で曲目表記に間違いがあったり、録音年月日不明だったりした。残念ながらリンクを探した無料試聴音源はマグネティック盤のもので、曲目表記が間違っているものは(****)内に正しい曲目を示した。マグネティックからリリースされたほとんどの音源が今ではもっと良質のマスター・テープからきちんとしたデータを記して他の発掘レーベルから再発売されており、ここにタイトルを上げたギャンビット・レーベルの2008年盤CDはたぶん現存する最良のマスター・テープからCD化された決定盤だろう。
 オーネット・コールマンは2007年にグラミー賞ピュリツァー賞の特別功労賞をダブル受賞しており、2008年に定評ある発掘専門レーベル各社から、それまで確認されていたオーネット・コールマンの稀少音源、放送用音源がいっせいに過去最高のマスター・テープから再CD化されたことがあった。ほとんどのレーベルがオリジナル・マスターを探し当てており、二次マスターのものも含めて最新のリマスタリングで公式アルバムに劣らない音質に改善されており、マニアは全部買い替えを迫られたばかりかこれまでつかまされてきたCDの劣悪さにあ然とした。発掘音源CD全般に同様の事情が起こっており、稀少音源や発掘音源のCDはリマスタリング技術が向上し、レーベルもリスナーも耳が肥えた2000年代以降のものが良い。80年代~90年代のCD化は(90年代後半に正規レーベルから始まったことだが)リマスタリング意識の低い時代の製品だから注意がいる。

 このベルギー公演のギャンビット盤の価値は、オーネットがブルー・ノート『ニューヨーク・イズ・ナウ』『ラヴ・コール』の後に契約したインパルス・レーベルの2作『Ornette at 12』1968と『Crisis』1969の作風を伝える現在唯一のCDということもある。どういう事情か、この2作はオーネットの全アルバム中今でも一度もCD化されていない。『12』はオーネット、レッドマン、ヘイデン、デナードのカルテットによるスタジオ作で68年にすぐ発売されたが、69年3月のライヴ『クライシス』は72年まで発売されなかった。メンバーは『12』の4人にドン・チェリーを加えたクインテットで、デナードも12歳になってニューヨーク大学の学園コンサートならばなんとかなったようだ。
 8月のベルギー公演の曲目は3月の『クライシス』と1曲以外同じで、『クライシス』には、
A1. "Broken Shadows" - 5:59 / A2. "Comme Il Faut" - 14:26
B1. "Song for Ch??" (Charlie Haden) - 11:32 / B2. "Space Jungle" - 5:20 / B3. "Trouble in the East" - 6:39
 が収録されている。B3の『トラブル・イン・ジ・イースト』を次作『フレンズ・アンド・ネイバーズ』に収録される『トゥモロウ』に替えて曲順を改めるとベルギー公演のセット・リストになる。ヨーロッパ・ツアーなのでオーネットのレギュラー・メンバー卒業生のチェリーは外れ、さすがに海外公演は12歳では無理なのでレギュラー・メンバーのエド・ブラックウェルがドラムスに戻る。
 先に発掘音源CDの再発売の音質向上について触れたが、ほとんどの再発売CDがオリジナル・マスター発掘に成功したらしき中、68年2月の2ベース・カルテットのイタリア公演『Languages』(Magnetic盤タイトル。再CD化タイトルは『Complete 1968 Italian Tour』Gambit)と、この69年8月ベルギー公演は残念ながら本物のオリジナル・マスターテープは発掘できなかったようで、『Complete 1968 Italian Tour』も『Live in Belgium 1969』も優良発掘音源レーベル・ギャンビットは頑張ったが、マグネティック盤よりは良いマスターにはたどり着き、可能な限りリマスタリングで音質向上を図ったものの、公式アルバム水準とまでは行かなかった。オリジナル・マスターテープにまでさかのぼらないと限界はある。それでも客席のカセットテープ録音からまあまあ感度良好なAMラジオのエアチェック録音程度には向上した。

 アイゼンソンとモフェットとの65年トリオと、68年4月からのレッドマンとのカルテットを比較すると、その間にデナード・コールマンがドラムスの『エンプティ・フォックスホール』しかスタジオ作がないため変化の過程がわかりづらいが(アイゼンソン、ヘイデン、ブラックウェルとの2ベース・カルテットは放送用ライヴ音源しかない)、62年/65年/66年トリオの方がオーネットには特異なテンションで演奏していた時期で、作風はアトランティック・レーベルからのカルテット時代の延長にある。2管ユニゾンがあるのとワンホーンとでは曲の親しみやすさが格段に違い、このベルギー公演の1曲目『Comme Il Faut』では先発ソロがレッドマンだったり、2曲目『Space Jungle』(曲名も曲調もサン・ラっぽい)はレッドマンがアラビア・オーボエを吹き鳴らし、オーネットはトランペットを吹く(後半はヴァイオリン)という変則アンサンブルに出るが、『Comme Il Faut』ではレッドマンのテナーに逆影響されたオーネットのソロが聴けるといった具合に、カルテット時代のドン・チェリーよりもレッドマンがオーネットを圧倒する局面が面白い。
 レッドマンは晩年にセシル・テイラー(ピアノ)、エルヴィン・ジョーンズ(ドラムス)という恐ろしいベースレス・トリオで3人とも個性が強すぎてなんともはやのアルバムがあり、70年代はキース・ジャレット・カルテットでド演歌テナー(キースの曲を管楽器が吹くとそうなる)を吹いたりしていたが、もともとテキサス時代はオーネットとR&Bバンド仲間だったそうだから、30代後半までジャズ・プロパーのテナーマンではなかったことになる。アトランティック時代のオーネットも初期ほどブルース色の強い官能的なプレイをしていたので、レッドマンと組んだのは原点回帰という側面もあっただろう。そしてレッドマンとのチームは71年まで続くことになる。

 オーネット・コールマンはつい先日、6月11日に心臓発作で急逝した。享年85歳で、老齢ながら健康不安はなく、演奏活動も順調だった。5月14日にはB・B・キング(1925~2015)が逝去したばかりだが(享年89歳)、突然の逝去も何となくオーネットらしい気がする。このブログでもしばらく前からデビュー以来のオーネットの音楽活動を音源の紹介とともにたどってきて、今回掲載分を含めて最終回までを6月4日までに書き上げて一応完結していた。しばらく数日おきの掲載が続くが、この前置きを書き足した以外はすべてオーネットの生前に書き上げていたものとお断りする。ちなみにオーネットと生涯共演したベーシスト、チャーリー・ヘイデン(1937~2014)が昨年7月に亡くなっている(享年76歳)。ドン・チェリーデューイ・レッドマンエド・ブラックウェルらデビュー以来の歴代メンバーが逝去しても、ヘイデンさえいればオーネットはオリジナル・カルテットの音楽を再現できた(オーネットの残したデュオ・アルバムはヘイデンとの共作が唯一だった)。その意味でも、ヘイデン没後に思い残すことはなかったのかもしれない。