Ornette Coleman - Who's Crazy? (Jazz Atmosphere, 1979)
Ornette Coleman - Who's Crazy? (Jazz Atmosphere, 1979) : https://youtu.be/KNWA4fN5qI4
Recorded prob.Nov.1965, Paris
Released Jazz Atmosphere IRI 5006 (Side A & B), IRI 5007(Side C & D)
All Composed by Ornette Coleman
(Vol.1/Side A)
A1. January - 4:23
A2. Sortie Le Coquard - 1:10
A3. Dans La Neige - 7:50
A4. The Changes - 10:03
(Vol.1/Side B)
B1. Better Get Yourself Another Self - 9:22
B2. The Duel, Two Psychic Lovers And Eating Time - 8:54
(Vol.2/Side C)
C1. The Mis-Used Blues (The Lovers And The Alchemist) - 10:05
C2. The Poet - 10:06
(Vol.2/Side D)
D1. Wedding Day And Fuzz - 8:42
D2. Fuzz, Feast, Breakout, European Echoes, Alone And The Arrest - 10:17
[Personnel]
Alto Saxophone, Violin, Trumpet, Composed By - Ornette Coleman
Bass - David Izenzon
Percussion - Charles Moffett
(Notes)
Recorded in Paris 1966 for the soundtrack of the film 'Who's Crazy?'.
オーネット・コールマンはつい先日、6月11日に心臓発作で急逝した。享年85歳で、老齢ながら健康不安はなく、演奏活動も順調だった。突然の逝去も何となくオーネットらしい気がする。このブログでもしばらく前からデビュー以来のオーネットの音楽活動を音源の紹介とともにたどってきて、今回掲載分を含めて最終回までを6月4日までに書き上げて一応完結していた。しばらく数日おきの掲載が続くが、この前置きを書き足した以外はすべてオーネットの生前に書き上げていたものとお断りする。ちなみにオーネットと生涯共演したベーシスト、チャーリー・ヘイデン(1937~2014)が昨年7月に亡くなっている(享年76歳)。ドン・チェリーやデューイ・レッドマン、エド・ブラックウェルらデビュー以来の歴代メンバーが逝去しても、ヘイデンさえいればオーネットはオリジナル・カルテットの音楽を再現できた(オーネットの残したデュオ・アルバムはヘイデンとの共作が唯一だった)。その意味でも、ヘイデン没後思い残すことはなかったのかもしれない。
("Who's Crazy?"Vol.2 LP Front Cover)
これは30分ほどの短編ドキュメンタリー映画のサウンドトラックで、ジョン・ケージ(!)とローランド・カークの25分の短編ドキュメンタリー『Sound??』と合わせた二部構成の中編ドキュメンタリー映画になった。音楽映画というよりドキュメンタリーの手法による純然たるアート・フィルムなのだが、ローランド・カークでも映画クオリティの映像はほとんどないし、オーネットに至ってはアイゼンソン、モフェットとの65年~66年トリオの映像はこれしかない。制作者の意図とは別にカークやオーネットの稀少映像として珍重されることになってしまった。ドキュメンタリー映画本編は28分しかないのにサントラは81分ある。
どんな趣向のドキュメンタリー映画かというと、ジャズマンのスタジオ・リハーサルを撮影したドキュメンタリーで、当時フランスを発祥に流行したシネマ・ヴェリテの手法による。シネマ・ヴェリテと言っても50年を経た現在では映画好きでも知らないかもしれず、映画史に興味がある人が聞いたことがある程度だろう。映画撮影技術の発明者はエディソン(米、1894年)だが世界初の映画はリュミエール兄弟(仏、1895年)で、内容は市民生活を撮影したものだった。だが実録撮影に劇映画の構成や学術的視点を加え、ドキュメンタリー映画の創始者となったのはロバート・フラハティ(『極北の怪異』米1921など)であり、国際的にもジガ・ヴェルトフ(『カメラを持った男』ソヴィエト1929など)、ジャン・ヴィゴ(『ニースについて』仏1930)、ルイス・ブニュエル(『糧なき土地』スペイン1933)など広範な影響を与えた。フラハティがアイルランドのアラン島の人びとの生活を描いた『アラン』1934はアイルランド詩人シングのエッセイ『アラン島』とともに、詩集『氷島』1934発表後の晩年の萩原朔太郎が絶賛している。オーネット・コールマン・トリオとローランド・カークのドキュメンタリーはこちらで観られる。カークの演奏場面は1964年秋に撮影され、66年にケージのモノローグが追加撮影されて完成されたらしい。
Ornette Coleman Trio Performing The Soundtrack (1966) : https://youtu.be/s0sAuMPhFt8
Rahsaan Roland Kirk and John Cage - Sound?? (1966-1967) : https://youtu.be/7m4xkY0WgVw
シネマ・ヴェリテという呼び方が従来のドキュメンタリーとどう違うかというと、実際はフラハティやヴェルトフ、ヴィゴ、ブニュエル作品もそうだったのだが、単純にフィクション映画とノンフィクション映画の境界があるのではない、という方法意識の問題になる。ノンフィクション映画は事実を記録または再現するものだが、そこに映画制作というプロセスが入ってくるとフィクション映画よりもたやすくメタフィクションの領域にすべりこんでしまう。たとえば「ドキュメンタリー映画のサウンドトラックを録音するオーネット・コールマン・トリオを撮影したドキュメンタリー映画、のサウンドトラックを録音するオーネット・コールマン・トリオを撮影したドキュメンタリー映画、のサウンドトラックを録音するオーネット・コールマン・トリオを撮影したドキュメンタリー映画」と、映画の目的自体が無限ループに入ってしまう。辞典サイトでシネマ・ヴェリテの解説を見つけたから引用すると、
●シネマ・ヴェリテ=フランス語で「真実映画」の意味。
人類学的記録映画において、作り手の存在が映画から排除される虚構上のトリックを排し、映像の作り手が被写体の人々と関わる行為そのものをも記録する手法。もっとも明確な定義はない。
たとえば、事前の打ち合わせなしに即興的に行われる突撃アンケート的手法がある。
旧仏領アフリカの人々の研究で知られるフランスの映像人類学者ジャン・ルーシュと社会学者エドガール・モランの『ある夏の記録』(1960)が最も有名だが、カナダ、ケベック州のピエール・ペローらのマイノリティの生活を描く記録映画作家たちも同時期に同じような手法で記録映画を作っていた。
こうした手法は1960年代に、ジャン=リュック・ゴダールら劇映画の監督にも影響を与えた。たとえばゴダールの『男性・女性』(1966)では部分的にシネマ・ヴェリテの手法が導入されている。
ただし近年は、こうした作為なきように見せかける手法の作為の欺瞞も指摘されている。
ボブ・ディランの『ドント・ルック・バック』1966やザ・ドアーズのイギリス公演を素材にした『ザ・ドアーズ・アー・オープン』1968などでもそうだが、今となってはストレートなライヴやスタジオ・セッション映像の方がシネマ・ヴェリテ手法で編集しまくりの記録映画よりありがたかった、と思わないではいられない。アイゼンソンがスタッフに腹を立てるのをオーネットがなだめる場面などは面白いが。アイゼンソンはオーネット・コールマン・カルテットの1960年のニューヨーク・デビューのライヴを観て共演を買って出たが、オーネットによると相当主張の強い人だったそうで、なるほどな、と思う。アイゼンソンは72年(40歳)にご子息がポリオを発症して音楽活動を休止し、看護のかたわら大学に再入学して哲学博士と精神療法士の資格を取り、77年から音楽活動に復帰していたが79年に泥棒を追いかけている最中に心臓麻痺で急逝した。R.I.P.
この『フーズ・クレイジー』サントラは初めてアルバム化されたのが1979年で、Vol.1とVol.2に分かれていた。発掘盤ともオリジナル作とも言えない微妙なタイミングで、アイゼンソンの急死よりは早く出ている。日本盤LP発売は翌80年だったようだ。1994年に日本盤で2枚組CD化されたきりだからあまり聴かれていないアルバムかもしれない。オーネットはヴァイオリンを弾くパートが多く、65年トリオのレパートリー『フォーリング・スター』や『サッドネス』、『ドーナット』『ヨーロピアン・エコーズ』を交えながら、ほぼノー・テーマのインプロヴィゼーションを繰り広げている。65年トリオは『ゴールデン・サークル』『クロイドン・コンサート』『チャパカ組曲』と62年録音『タウン・ホール』が名作だが、『チボリ』『パリ』『フーズ・クレイジー』も初めて聴く人はインパクトに大差ないだろう。ただし映画サントラと知らないと『フーズ・クレイジー』は大作のわりに散漫に聴こえるかもしれない。