人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

Ornette Coleman Quartet - The Belgrade Concert 1971 (Jazz Door, 1995)

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Ornette Coleman - The Belgrade Concert 1971 (Jazz Door, 1996) : http://youtu.be/VK_zQeKA8dA
Recorded live in Belgrade, November 2, 1971
1. Announcement - 2:14
2. Street Woman - 8:20
3. Who Do You Work For? - 5:16
4. Written Word - 10:24
5. Song For Che (C.Haden) - 15:03
6. Rock The Clock - 7:46
All Written by Ornette Coleman expect "Song For Che".
[Personnel]
Ornette Coleman - Alto Saxophone, Trumpet, Violin
Dewey Redman - Tenor Saxophone, Musette
Charlie Haden - Bass
Ed Blackwell - Drums

 オーネット・コールマンはつい先日、6月11日に心臓発作で急逝した。享年85歳で、老齢ながら健康不安はなく、演奏活動も順調だった。5月14日にはB・B・キング(1925~2015)が逝去したばかりだが(享年89歳)、突然の逝去も何となくオーネットらしい気がする。このブログでもしばらく前からデビュー以来のオーネットの音楽活動を音源の紹介とともにたどってきて、今回掲載分を含めて最終回までを6月4日までに書き上げて一応完結していた。しばらく数日おきの掲載が続くが、この前置きを書き足した以外はすべてオーネットの生前に書き上げていたものとお断りする。ちなみにオーネットと生涯共演したベーシスト、チャーリー・ヘイデン(1937~2014)が昨年7月に亡くなっている(享年76歳)。ドン・チェリーデューイ・レッドマンエド・ブラックウェルらデビュー以来の歴代メンバーが逝去しても、ヘイデンさえいればオーネットはオリジナル・カルテットの音楽を再現できた(オーネットの残したデュオ・アルバムはヘイデンとの共作が唯一だった)。その意味でも、ヘイデン没後に思い残すことはなかったのかもしれない。

 Belgradeという綴りからすぐベオグラードと読める人は少ないと思うが、1971年にはベオグラードユーゴスラビア社会主義連邦共和国の首都だった。言語的にはハンガリー語圏に属する東欧でも文化先進国で、共産圏下のフリージャズ・コンサートだったのだ。1992年にはユーゴスラビア連邦は解体され、現在のベオグラードセルビア共和国の首都で紀元前269年に入植の記録がある人類史上の古都でもある。イスタンブール同様ドナウ川沿いで、完全な内陸国家のセルビア共和国でもさらに内陸部に位置する。東欧はポーランドチェコスロヴァキアなど北欧と並んでジャズがさかんで、フリージャズの受容も早かった。ユーゴスラビア側でオーネットを招聘したのか、オーネット側からヨーロッパ・ツアーにユーゴスラビア公演を計画したのかわからないが、国営放送局用のライヴ音源が残されているからにはユーゴスラビア側で招聘した可能性が高い。
 この1971年11月のヨーロッパ・ツアーでは5日にベルリン公演の録音があり、また日付不詳でやはり11月のパリ公演の録音がある。ベオグラードが2日、ベルリンが5日ならパリ公演はもっと後の日付だろうと思われる。パリ公演の曲目は"Street Woman","Summer-Thang","Silhouette","Rock The Clock"の4曲だがどれも10分台の長い演奏で4曲で54分あり、一方ベオグラード公演は冒頭のアナウンスを曲と数えず全5曲で、アナウンスを含めて49分とパリ公演とは"Street Woman","Rock The Clock"が重複するにもかかわらずかなり短い。オリジナルはヘイデンの『Liberation Music Orchestra』(Impulse!, 1969)に収録されたチェ・ゲバラに捧げた名曲『ソング・フォー・チェ』(ロバート・ワイアットにもカヴァーがある)は69年のベルリン公演同様ベオグラードでは絶対やりたかったにせよ、アナウンスと『ソング・フォー・チェ』を除いても4曲で40分未満とパリ公演の4曲54分との差は明白で、リスナーに合わせた長さというより、バンド自体がツアー後半のパリで乗りが上がってきたと考える方が自然だろう。ただしこのベオグラード公演最大の名演は15分(ヘイデンの『リヴェレーション・ミュージック・オーケストラ』では9分半、オーネットの『クライシス』では11分半、69年のベルギー公演では10分半)あまりの『ソング・フォー・チェ』で、コンサート中最長演奏時間曲になっている。

 ツアーは71年9月・10月録音の名盤『サイエンス・フィクション』の発売前哨戦(アルバムは翌72年発売)で、『ストリート・ウーマン』も『ロック・ザ・クロック』も『サイエンス・フィクション』収録曲になる。他の曲はこれまでのレッドマンとのチーム時代の曲で、おそらくレッドマンが71年いっぱいでオーネットのバンドから独立するためツアーも前倒しになったのだろう。『サイエンス・フィクション』はオーネットのCBSコロンビアとの2作契約第1作で、ツアーには大手レーベルならではのバックアップがあったと思われる。オーネットのCBSコロンビア第2作は大予算のオーケストラ作品『アメリカの空』になった。
 この『サイエンス・フィクション』はドラムスはビリー・ヒギンズ、トランペットにドン・チェリーかボビー・ブラッドフォードが参加してアルバム2作分が録音されたが(『サイエンス・フィクション』未収録分は82年に『ブロークン・シャドウズ』として発売)、チェリーは独立活動していたしヒギンズはメインストリームの売れっ子ドラマーになっており、ブラッドフォードはセミプロだったから本職があり海外ツアーには出られなかった、と推察される。レッドマンは20代始めのテキサス時代からの仲間、ヘイデンとブラックウェルはレギュラー・バンドを組んだロサンゼルス時代からの仲間(チェリー、ヒギンズ、ブラッドフォードもそうだが)と、今回はレッドマンとのフェアウェル・ツアーとしての意味が大きかったと思える。

 パリ公演の音源も紹介したいのでこのピアノレス・アルト&テナー・カルテットについてはまた改めて触れたいが、前述の通りオーネットは『サイエンス・フィクション』でデビュー12年あまりのオーネット・ファミリー勢ぞろいアルバムの名作を作って、次には構想5年以上になるオーケストラ大作で作曲・アルトサックスのみならずオーケストラのフル・スコアまで書き上げた『アメリカの空』を完成する。大手CBSコロンビアだからこそ実現できた企画で、先にチャールズ・ミンガスビル・エヴァンスもコロンビアとの短期契約中にオーケストラ作品を制作しており、もっと長期契約ではセロニアス・モンク、さらに長期契約ではマイルス・デイヴィスもオーケストラ作品がある。『アメリカの空』は評価は悪くなかったが全然売れないアルバムになり、ようやく再評価されたのは90年代後半だった。
 72年の『アメリカの空』から77年の『ダンシング・イン・ユア・ヘッド』までオーネットはライヴ活動はしていたがアルバムはなく、『ダンシング・イン・ユア・ヘッド』は2エレキギター、ベースギター、ドラムスのR&Bまたは完全なロック・バンド編成による第1作になった。以降今日に至るまでオーネットは2エレキギターのエレクトリック・ジャズとピアノレスのアコースティック・ジャズを気ままに平行して演奏し続けることになるが、レッドマンとのカルテットとアコースティック・ジャズ時代の集大成『サイエンス・フィクション』と、60年代半ばから本格的に取り組んでいた現代音楽作品をついにフル・オーケストラで実現した『アメリカの空』(1968年の『ミュージック・オブ・オーネット・コールマン』は木管五重奏曲と弦楽四重奏曲だった)で、オーネットとしては一旦やり尽くした感があったのだろう。『サイエンス・フィクション』の残り曲を集めた『ブロークン・シャドウズ』さえ傑作で通る出来なほど、71年のオーネットは充実していた。