人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

Ornette Coleman - Friends And Neighbors (Flying Dutchman, 1972)

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Ornette Coleman - Friends And Neighbors (Flying Dutchman, 1972) : http://youtu.be/HnWI7mfs230
Recording live at Prince Street in New York on February 14, 1970.
Released Flying Dutchman FD-10123
(Side A)
A1. "Friends and Neighbors [Vocal Version]" - 4:14
A2. "Friends and Neighbors" - 2:57
A3. "Long Time No See" - 10:54
(Side B)
B1. "Let's Play" - 3:25
B2. "Forgotten Songs" - 4:26
B3. "Tomorrow" - 12:07
All compositions by Ornette Coleman
[Personnel]
Ornette Coleman - alto saxophone, trumpet, violin
Dewey Redman - tenor saxophone, clarinet
Charlie Haden - bass
Ed Blackwell - drums

 フライング・ダッチマンはインパルスの主任プロデューサーだったボブ・シールが独立して、MCA傘下だったインパルスからRCA傘下に移って設立したレーベルで、オーネットの『フレンズ・アンド・ネイバーズ』は早くも70年2月に録音完了していたが発売はオーネットがCBSコロンビア契約第1弾『サイエンス・フィクション』発売と同時期の72年になった。だいたいジャズは契約問題やプロモーションのために録音年と発売年が開いてしまうことが多い。ジョン・コルトレーンがインパルス・レーベル設立に看板アーティスト待遇で契約した時に、コルトレーン側が出した条件はアルバムのタイトル、ジャケット、発売時期の決定権だったというほどだった。このアルバムも近年の調査でようやく録音年月日が確定されたものになり、72年発売のLPジャケットには"Recorded live on Prince Street, New York City, 1970"としか記されていなかった。ようやくデューイ・レッドマンとのピアノレス・カルテットの公式アルバムをご紹介できて嬉しい。
 テキサスから呼び寄せた旧友デューイ・レッドマンとの初めてのアルバムはブルー・ノート・レーベルからの『ニューヨーク・イズ・ナウ』『ラヴ・コール』収録の68年4月・5月セッションだが、レーベルの意向で元ジョン・コルトレーン・カルテットのジミー・ギャリソンとエルヴィン・ジョーンズがベースとドラムスだった。ギャリソンとはアトランティック最終作『オーネット・オン・テナー』1961で共演経験があり、その時はギャリソンはオーネットに対して露骨に反抗的だったという。だが62年にコルトレーン・カルテットに加入してからはコルトレーンのオーネットへの傾倒にさんざんつきあってきており、67年にコルトレーンが急逝した時は故人の指名でオーネットとアルバート・アイラーが斎場(教会)で追悼演奏したくらいコルトレーンにとってオーネットとアイラーは特別な存在だった。

 素晴らしい出来ではあるが『ニューヨーク・イズ・ナウ』『ラヴ・コール』が純粋にオーネット&レッドマン・チームの作風とは言えないのはベースとドラムスが超ヘヴィ級リズム・セクションであるためで、4人中2人がコルトレーン・カルテットではどうしてもそうなる。オーネットの理想のベーシストはヘイデンやアイゼンソン(スコット・ラファロも入るか)、ドラマーはヒギンズやブラックウェルやモフェット、子息デナードだったわけで、全員芸風は異なるがソリッドではなくシンプルで直線的、良い意味で浮遊感のあるグルーヴ感を特徴とした演奏をするインプロヴァイザーだった。ギャリソン、エルヴィンはオーネットの音楽性を尊重しようとはしているが、ベースとドラムスが本気を出せばフロントの管楽器など押しつぶされてしまう。そうなる一歩手前でようやく成立したのがブルー・ノートの2枚だった。
 ベルギーの69年ライヴは音質がいまいちだった上、CD化されていないインパルス・レーベルからの公式アルバム『オーネット・アット・トゥエルヴ』1968、『クライシス』1969(発売1972年)は見つけづらいが、この『フレンズ・アンド・ネイバーズ』は2001年にフランスBMGからのリマスター盤、2013年にアメリカ本国のリマスター盤が出ているので入手しやすい。もっともジャズのCDは追加プレスされることはめったにないので、プレス分が完売すると次のリマスター再発まで数年~10数年の廃盤期間が生じる。70年代以降のオーネット作品のほとんどもそうで、初期のアルバムは古典として廃盤にならないが未CD化のインパルス作品以降の作品は廃盤・再発売を繰り返している。『フレンズ・アンド・ネイバーズ』は傑作ではないがオーネット&レッドマン・カルテットの本来の作風を示す代表作でもあり、前後のブルー・ノート盤『ニューヨーク・イズ・ナウ』やCBSコロンビア盤『サイエンス・フィクション』は傑作とされるものの純粋なレギュラー・メンバーによるアルバムではないので、この作品ならではの価値がある。

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 (Original "Friends and Neighbors" LP Liner Cover)
 60年代末にオーネットは自分のロフト・スタジオを設立し、自分のバンドの練習場所にするとともに若いミュージシャンにも開放し、またロフトで非商業的コンサートをまめに行うようになった。『フレンズ・アンド・ネイバーズ』はスタジオ録音アルバムのようにクリアな録音だが、もともとスタジオ・ライヴだからそれも当然で、1曲目は招待客がアルバム・タイトル曲を合唱しており、2曲目のインスト・ヴァージョンでもファンクなベースラインとレッドマンのブルース・テナーが強烈な印象を残す(オーネットはヴァイオリンを弾いている)。A3はオーネットのアルトのロング・ソロをフィーチャーして65年トリオに近く、B1ではオーネットはトランペットにまわる。B2,B3が本格的なアルト&テナー・カルテットの演奏で、B2はアルトとテナーの同時即興。B3は傑作で、先発ソロのレッドマンハーモニクスの複音奏法を駆使し、後発のオーネットのソロも自在なピッチコントロールがすごい。アルバム全体にご近所コンサートの開放感が良い効果を生んでいる。こうしたアーティスト所有スタジオを本拠にした活動はレニー・トリスターノあたりが先駆者として思い浮かび(トリスターノは密室の隠者という感じだが)、ジャズ批評家ナット・ヘンホフがチャールズ・ミンガスセシル・テイラーなど実験的アーティストに紹介した素人スタジオ、ノーラズ・ペントハウスの例もあったが、オーネットのロフトはジャズ自体がメインストリームとアンダーグラウンドに二極化した70年代のニューヨークのジャズ・シーンに指導的役割を果たした。
 このアルバムではレッドマン色はやや後退、というかレッドマンの強烈な個性にオーネットも圧されておらず、レッドマンが引っ込んでトリオになると65年のアイゼンソン&モフェットとのトリオに近い奔放なプレイになり、オーネットのテンションも高い。ヘイデンはいつもながらのユニークなラインを弾いていてアイゼンソンのように攻撃的ではないのだが、ブラックウェルのドラムスが本来の素朴な良さを失わずに、ヒギンズやモフェットらブラックウェル以外のオーネットのレギュラー・ドラマーの長所を学んで向上がいちじるしい。ブラックウェルはオーネットのドラマー中もっともプリミティヴでどたばたした粗いビートを叩いていた人だったが、スムーズな直進的シンバル・ワークではヒギンズから、4ビートに縛られないスネアやタムのフレージングではモフェットから的確な影響を受けていて、これはマックス・ローチエルヴィン・ジョーンズ、トニー・ウィリアムズやジャック・ディジョネットらスーパー・ドラマーたちでは絶対叩けない。逆にヒギンズやモフェットの奏法ならスーパー・ドラマーたちは叩けるのだ。それはレッドマンやヘイデンの個性にも言えて、一体感のあるカルテットならではの演奏が何よりこのアルバムの魅力になっている。

(付記)
 オーネット・コールマンはつい先日、6月11日に心臓発作で急逝した。享年85歳で、老齢ながら健康不安はなく、演奏活動も順調だった。5月14日にはB・B・キング(1925~2015)が逝去したばかりだが(享年89歳)、突然の逝去も何となくオーネットらしい気がする。このブログでもしばらく前からデビュー以来のオーネットの音楽活動を音源の紹介とともにたどってきて、今回掲載分を含めて最終回までを6月4日までに書き上げて一応完結していた。しばらく数日おきの掲載が続くが、この前置きを書き足した以外はすべてオーネットの生前に書き上げていたものとお断りする。ちなみにオーネットと生涯共演したベーシスト、チャーリー・ヘイデン(1937~2014)が昨年7月に亡くなっている(享年76歳)。ドン・チェリーデューイ・レッドマンエド・ブラックウェルらデビュー以来の歴代メンバーが逝去しても、ヘイデンさえいればオーネットはオリジナル・カルテットの音楽を再現できた(オーネットの残したデュオ・アルバムはヘイデンとの共作が唯一だった)。その意味でも、ヘイデン没後に思い残すことはなかったのかもしれない。