人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

Pulsar - The Strands Of Future (Kingdom, 1976)

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Pulsar - The Strands Of Future (Kingdom, 1976) Full Album : https://youtu.be/l1L5ZCYzMEY
Recorded at the Aquarius Studios, Geneva, Switzerland in January and February 1976.
Released September 1976, Kingdom Records, KA 20-226
Composed and Arranged by Pulsar.
All Lyrics by Francois Artaud,
(Side A)
1. The Strands of the Future - 22:08
(Side B)
1. Flight - 2:37
2. Windows - 8:47
3. Fool's Failure - 10:17
[Personnel]
Jacques Roman - organ, moog, mellotron, synthesizers, bass guitar
Victor Bosch - drums, percussion
Gilbert Gandil - electric and acoustic guitars, vocals
Roland Richard - flute, solina strings

 ピュルサーがエルドンやモナ・リザアトールよりも英米で認知度が高く、日本でもひと足早く知られる存在になったのは、デビュー作に続いて原盤のキングダム・レコーズがイギリスのインディーズだったこともあり、このセカンド・アルバムではデビュー作を上回る好評からキングダムの親会社であるイギリス最大手のデッカ・レコード本社がデッカ・レーベルからキングダム盤の翌77年にメジャー・リリースしたことによる。デッカの発売契約は当時日本ではキング・レコードにあり、即座にキング・レコード内のロンドン・レーベルから日本盤が発売された。70年代のユーロ・ロックは英米での配給会社なしに直接ユーロ圏のインディーズ・レーベルと契約して発売するのは困難で、ユーロ圏のロックの本格的紹介が80年代以降になったのは多くは英米発売がないバンドだったからだが、ピュルサーはその点では時代の変わり目の最後に比較的恵まれたデビューをしたことになる。フランスのバンドではゴングはヴァージン、マグマはA&Mレーベルから英語圏へ紹介されており(ゴングは英仏混合バンドでもあった。また、両バンドともレコード・デビューはフランスの国内レーベルだった)、ピュルサーと同期デビューのバンドでは唯一タイ・フォン(当時の紹介ではタイ・フーン)が75年のデビュー作・翌年のセカンド・アルバムを大手ワーナー・ブラザースのリリースで英語圏と日本でも発売されていたが、ピュルサーのデッカ盤発売の77年には活動休止している(79年にサード・アルバムを発表して解散)。
 アトールやエルドンも日本盤がリリースされた80年には事実上解散状態だったが、情報のタイム・ラグからタイ・フォンやピュルサー(『終着の浜辺』当時の紹介ではパルサー)より新しい音楽性を持った、次世代のバンドというイメージだった。実際はアトール、エルドン、モナ・リザ、タイ・フォン、ピュルサーは74年~75年にかけてデビュー作を発表した同期デビューのバンドで、ゴング、カトリーヌ・リベロ + アルプ(日本ではまったく未紹介だった)、マグマ、アンジュら第1世代というべきフランス70年代ロックのバンドより5年遅れてデビューしている。ピュルサーは第2世代のバンドでもデビュー作の時点で活動歴10年になり、地味ながら第1世代のバンドと匹敵するキャリアを持っていた。デビュー作後にはイギリス、ポルトガルで人気を高め、フランス国内でもアンジュに次ぐ人気でアトールよりも上だったというのもセールス実績が証明している。

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 (Original Kingdom "The Stands of Future" LP Liner Cover)
 前回のおさらいになるが、デビュー・アルバム『ポーレン』は1975年にイギリスのインディーズ、キングダムからフランスで発売され、翌76年にはイギリス盤とポルトガル盤も発売、バンドはロジャー・チャップマン率いるファミリーの前座でイギリス・ツアーも行った。デビュー作の売り上げはフランス国内だけで3,500枚ほどだったという。ツアー前にベースとヴォーカル、作詞のフィリップ・ロマンが家庭の事情でバンドを脱退、バンドはしばらくベース抜きで活動したが、セカンド・アルバム『終着の浜辺』1976完成後にはミシェル・マッソンがベースに加わり、このアルバムはフランス国内で35,000枚を売り上げて、デビュー・アルバムも15,000枚の追加プレスを売り切る。75~76年のピュルサーはフランス国内だけで50,000枚のセールスを上げたわけで、『終着の浜辺』はデビュー作のようにフランス市場狙いではなく、タイトルやクレジットも英語表記で国際的成功を企ったものだった。70年代にはLPレコードは1万枚台ならヒット作だったので、新人バンドがデビュー作と第2作の2枚で50,000枚というのは大成功の部類に入る。
 そこでピュルサーは大手CBSレコードに目をつけられ、バンドもより大きな成功を目指して移籍し傑作『ハロウィーン』1977を発表するが、キングダムはインディーズなりに全力でプロモートしてくれていたのに対して、大手CBSレコードはピュルサーをほとんどプロモートしなかった。前2作もバンド側に原盤権があったので移籍とともにCBSから再発売されたが、これもプロモートされないばかりかキングダム=デッカ盤が廃盤になるだけ、という裏目に出る。『ハロウィーン』発売後のツアーはバンド自身のプロダクションで行わずを得ず、ポルトガル公演では2日間で25,000人を動員するコンサートを成功させた(日本武道館規模)。だが『ハロウィーン』のセールスは18,000枚にとどまり、これは当時悪い売り上げではないのだがCBS側は将来性なしとして単発契約だけでピュルサーを切り捨て、3枚のアルバムも間もなく廃盤になった。

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 (Left Side of Original Kingdom "The Stands of Future" LP Inner Gatefold Cover)
 今年デビュー40周年・結成50周年になるピュルサーは『ハロウィーン』までで3作、以降2007年の最新作までに3作と、メンバー・チェンジもなし、音楽専業だったのは足かけ3年程度というすごいバンドだが、『ハロウィーン』の後はレコード契約もなく、舞台用音楽をアルバム化した『歓迎』を『ハロウィーン』から4年後の81年に、新興の復刻レーベル・ムゼアからの誘いで『歓迎』から8年後の89年に『ゲルリッツ』、さらに18年後の2007年に『メモリー・アッシェズ』と、デビュー作から最新作まで楽器の音色が多少現代的になった分やや明るいサウンドになったかな、という程度の変化しかない。とはいえ並大抵ではない辛抱強さを持ったバンドだけにアルバム1枚ごとが考え抜かれたもので、年1枚で順調に制作・発表された『ポーレン』『終着の浜辺』『ハロウィーン』の初期3作も十分にバンドの音楽性の幅を感じさせるのは、デビュー前にすでに10年間のアマチュア時代があった分、十分な音楽的アイディアの蓄積があったのを感じさせる。
 そして『ハロウィーン』の後ピュルサーは再びアマチュア・バンドに戻るが、舞台音楽『歓迎』はもともとコンセプト・アルバムを制作してきた(ちょうどレコード契約も失っていた)ピュルサーに適任の企画だったし、『ゲルリッツ』は大陸横断鉄道をテーマに理解あるインディーズ・レーベルから発表できたピュルサーらしさの溢れるアルバムで、『メモリー・アッシェズ』は『ハロウィーン』以来の夢と記憶のサウンド・イメージ化を意図したものだった。大物バンドのように清濁合わせ飲むスケールの大きさはピュルサーにはなく、柄の小さなマイナー・ポエット以上には出られないが、バンドとしての小粒さ加減がピュルサーの場合はセンスの良さに現れている。無理なことはしない、まとまりすぎもさせない分、ユーロ圏の70年代バンドにありがちな大仰さや凝りすぎにも陥っていない。ピュルサーより格上のゴング、マグマ、アルプ、アンジュ、同期デビュー組のアトールモナ・リザらは大仰さや凝りすぎが指摘できるが、ピュルサーに関しては言えないだろう。

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 (Original Kingdom "The Stands of Future" LP Side A Label)
 邦題の『終着の浜辺』はうまいタイトルで、ピュルサーのような傾向のサウンドはスペース・ロックなのだが、ゴングのように楽観的なスペース・ロックではなくピュルサーの場合は暗く悲観的で、イギリスのSF作家J.G.バラードの終末論的短編小説の名作『終着の浜辺』をそのまま拝借したものだが、意訳の名邦題と言って良い。A面はまるごとタイトル曲で占める。前作でリード・ヴォーカルとベース担当だったメンバーが脱退し、以降ライヴではベース専任・キーボード専任プレイヤーを加えて5人~6人編成で活動していたらしいが、アルバムではキーボード・プレイヤーのサポートのみでベースは多重録音している。脱退したフィリップ・ロマンは作詞家・ヴォーカリストでもあったので、『終着の浜辺』では専任作詞家を迎えてヴォーカルはギターのジルベール・ギャンディが担当することになった。
 ピンク・フロイド系のバンドだけあって、ピュルサーのヴォーカルはいわゆるヘタレ系なのだが、だいたいフランスはイタリア同様ヴォーカルものはガチで歌唱力重視、インストものは器楽で徹底的にテク重視なのだ。だが再び強調すればピュルサーはピンク・フロイド系のバンドなので、演奏もテクニックを売り物にしない地味なものになる。稚拙に聞こえても無理に派手なアレンジを持ち込まないのはハッタリかましてナンボのロック・バンドとしては例外的なほど抑制がきいている。ギャンディのリード・ヴォーカルも他のロック・バンドではまずNGだがピュルサーのサウンドには実にはまっており、『ポーレン』の次に『終着の浜辺』があったから『ハロウィーン』も作れたのだ、と納得のいく自然な表現力の向上がある。『終着の浜辺』自体は起伏に乏しいA面、統一性に欠けるB面と、『ポーレン』より曲の配置をシンプルにした分ロックらしいダイナミズムでは後退したアルバムになってしまった。だがフルートとムーグ・シンセサイザー、ソリーナ(ストリングス・キーボード)、メロトロン(マルチ・インストルメンタル・サンプリング・キーボード)の使用法が大胆になってサウンドにはピンク・フロイドに加えてキング・クリムゾンの影響が現れてくる。それが『ハロウィーン』では全面に開花するのだった。