人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

Can - Prehistoric Future June 1968 (Tago Mago, 1984), Delay 1968 (Spoon, 1981)

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Can - Prehistoric Future June 1968 (Tago Mago, 1984) Full Album : https://youtu.be/_VLHiwWms3U
Spontaneous composed by Can at Inner Space Studio in Schloss Norvenich, West Germany, June1968
Mono Recording, Tape edited and mastered by Holger Czukay
Released by Tago Mago Magazine Tago Mago 4755 as Cassette Tape Edition, Paris France, Autumn 1984
(Side 1) 15:40, (Side 2) 14:00
[ Personnel ]
Holger Czukay - bass, tapes
David Johnson - flute, tapes
Michael Karoli - guitar
Jaki Liebezeit - drums, percussion, flute
Irmin Schmidt - piano, organ
with Manni Lofa (Guest) - vocals, percussion, flute

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Can - Delay 1968 (Spoon, 1981) Full Album : https://www.youtube.com/playlist?list=PL2DB8A30F2BFBA6FD
Recorded at Inner Space Studio in Schloss Norvenich, West Germany, June1968-Late 1969
Released; Spoon Records Spoon 012, 1981
All tracks by Can
(Side 1)
1. "Butterfly"?? 8:20
2. "Pnoom"?? 0:26
3. "Nineteen Century Man"?? 4:26
4. "The Thief"?? 5:03
(Side 2)
1. "Man Named Joe"?? 3:54
2. "Uphill"?? 6:41
3. "Little Star of Bethlehem"?? 7:09
[ Personnel ]
Holger Czukay - bass
Michael Karoli - guitar
Jaki Liebezeit - drums, percussion
Irmin Schmidt - keyboards
Malcolm Mooney - vocals

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 フランスのファンジンによる1984年の発掘リリース、しかも限定版カセット・テープ(2000本)ながら『Prehistoric Future』はバンド公認によるもっとも古い時期のセッションを収めており、現在はインディーズによる直販CDでしか入手できないがその価値は高い。内容はAB面通して全1曲約30分のインプロヴィゼーションであり、リード・ヴォーカルのマルコム・ムーニーはまだ参加していない。バンドは前月1968年5月に結成されたばかりで、68年いっぱいまで在籍していた創設メンバーのデイヴィッド・ジョンソンの他にカンにバンド専用スタジオ用のネルフェニヒ城を貸していた古城のオーナーがゲストでセッション参加している。
 バンド名を提案したのは8月に加入するマルコムで、『Monster Movie』収録中最古の録音も同月マルコム初参加の「Father Cannot Yell」なのだから、強力なヴォーカリストの加入で一気にカン独自性の音楽性が結実したのがわかる。ドイツの同時代のバンドはだいたいカン同様に長時間のインプロヴィゼーション曲を初期の音楽性にしており、カンは1969年の時点でインプロヴィゼーションからも、またサイケデリック・ロックからも一歩進んだ独自の方法を打ち出していた点でも、ドイツのロック・バンドでは頭ひとつ抜けていた。他のバンドの大半は1970年でもカンの『Prehistoric Future』の水準で発想したサイケデリックインプロヴィゼーション・ロックを演奏し、その段階でアルバム・デビューするのが普通だった。アモン・デュールしかり、タンジェリン・ドリームしかり、ポポル・ヴーしかり、グル・グルエンブリオしかり。やや後発グループになるクラフトワークファウスト、アモン・デュールIIがようやくデビュー作からインプロヴィゼーション以上の発想を持っていたとも言える。だが後発グループでもアシュ・ラ・テンペルなど泥沼のインプロヴィゼーション・サイケでアングラ人気を博したバンドもあり、ドイツではそうしたスタイルもリスナーの要望があったということになるだろう。

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 (Original Tago Mago "Prehistoric Future June 1968" Liner Cover)
 そこで『Prehistoric Future June 1968』は後から続くジャーマン・ロックの長時間サイケデリックインプロヴィゼーションの先駆例と言えるものだが、カンが参考にした英米ロックの先行作品には何が数えられるだろうか。カンのメンバーはジェームス・ブラウンローリング・ストーンズヴェルヴェット・アンダーグラウンド、クリームを影響源に上げるが、JBとクリームはライヴの長時間演奏には定評があったから楽曲を特定しなくてもいいだろう。一般にストーンズの「Going Home」11分13秒(アルバム『Aftermass』英1966.4/米66.7)のインパクトが「ロック・マラソン」と呼ばれ後続のバンドに多大な影響を与えたと言われる。ボブ・ディランの「Sad Eyed Lady of the Lowlands」(アルバム『Blonde on Blonde』1966.5)も11分23秒でギター弾き語りのフォーク・ロック曲だが、このアルバム全体は当時絶大な影響力を持ったロック作品だった。
 ディランとストーンズにはっきり対抗意識を持っていたフランク・ザッパマザーズ・オブ・インヴェンジョンのデビュー作には12分22秒の「The Return of the Son of Monster Magnet」(アルバム『Freak Out!』1966.6)が収録され、ロサンゼルスのアンダーグラウンド・シーンでマザーズのライヴァルだったラヴがセカンド・アルバム『Da Capo』1966.11収録の「Revelation」(18分57秒)を発表してザッパを激怒させる。ラヴの所属したエレクトラ・レーベルからはディランのアルバムでリード・ギターを勤めたマイク・ブルームフィールドの在籍していたポール・バターフィールド・ブルース・バンドのアルバム『East West』1966.8のタイトル曲が13分10秒のインストルメンタルインプロヴィゼーション曲で注目を集めた。エレクトラからはラヴの後輩、ザ・ドアーズがデビュー作(『The Doors』1967.1)で「The End」11分41秒、第2作(『Strange Days』1967.9)で「When the Music's Over」で10分58秒の大作を成功させ、しかもポップ・チャートNo.1を記録してエレクトラのロック部門で初のメジャー・バンドになる。イギリスではピンク・フロイドのデビュー作『The Piper at the Gates of Dawn』1967.8の、ラヴの曲からリフを流用した9分41秒の長尺インスト曲「Interstellar Overdrive」が注目される。

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 (Original Tago Mago "Prehistoric Future June 1968" Cassette Printing)
 一方ニューヨークのアンダーグラウンド・シーンからはヴェルヴェット・アンダーグラウンドがデビュー作(『Velvet Underground & Nico』1967.3)で7分12秒の「Heroin」、7分46秒の「European Son」と第2作(『White Light / White Heat』1968.1)で17分28秒の「Sister Ray」でミニマル・ノイズ・ロックの極点をきわめる。ヴェルヴェットの広範な影響力は言うまでもないが、解散後のメンバーたちのソロ活動よりも正統にヴェルヴェットの音楽を発展させたのがカンだった。1968年にはアイアン・バタフライの第2作『In-A-Gadda-Da-Vida』1968.6のタイトル曲が17分5秒あり、3分に短縮したシングルが大ヒットし、またピンク・フロイドの第2作『A Saucerful of Secrets』1968.6の11分57秒におよぶインスト・インプロヴィゼーションのタイトル曲はタンジェリン・ドリームアシュ・ラ・テンペルに決定的影響を与えた。だがアイアン・バタフライやフロイドの第2作は『Prehistoric Future June 1968』と同月発表で、(その後聴いているのは間違いないが)このセッションには影響していないだろう。発表は71年4月になったが、カンと音楽的共通点の多いキャプテン・ビーフハート&ヒズ・マジック・バンドが没にされていた第2作(発表順で5作目)『Mirror Man』でタイトル曲15分46秒、「Tarotplane」19分8秒、他2曲も8分7秒、9分50秒で、録音は67年11月~12月だから、もし68年初頭に発売されていたら初期カンへの影響は甚大だったかもしれない。
 ドイツのバンドに影響力があった珍品アルバムにイギリスの匿名プロジェクト『Hapshash And The Coloured Coat Featuring The Human Host And The Heavy Metal Kids』1967.11があり、A面4曲はほとんど曲とはいえない1コードのセッション、B面の「Empires Of The Sun」はさらに15分50秒1曲1コードになっている。マザーズとヴェルヴェット、フロイドの亜流を狙った便乗企画アルバムで、後にスプーキー・トゥースTレックスを結成する面々が演奏している。ロンドンのヒッピーのパーティの実況録音と称した本当にうさんくさいアルバムなのでイギリス本国では冗談としか扱われていないが、アメリカやヨーロッパ諸国でも発売され、真面目に最新のブリティッシュ・ロックとして聴かれていた。アモン・デュールの『Psychedelic Underground』1969はハップサーシュのアルバムを下敷きにしたものになっている。これも『Prehistoric Future』で聴けるカンの音楽には近いので、『Prehistoric~』もやはりパーティ形式のセッション録音という性格を持つ。

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 (Original Spoon "Delay 1968" LP Side 1&2 Label)
 だがアモン・デュールの『Psychedelic Underground』が68年末録音でカンの『Prehistoric~』より後の録音ながら、ほぼ同時期に発売されたカンの公式デビュー作『Monster Movie』1969に引けをとらない傑作になったのは、巧みな編集技術で単なるヒッピーのズンドコパーティには終わらせなかったからだった。『Prehistoric~』もホルガーが編集しているが、素材に限界があった。ヤキの素晴らしいドラムスが聴きどころの資料的録音を出ない。このアイディアについてはアモン・デュールの料理の腕前の方が冴えていた。ただしアモン・デュールは素人音楽集団で、『Psychedelic Underground』セッション(68年末~69年初頭)と70年6月録音のシングルAB面セッション、『Paradieswarts Duul』セッション(1970年末)の3回しか録音活動していない(アルバムは未発表テープから2枚組2作を含む5作がリリースされた)。『Prehistoric~』や『Psychedelic~』のように、トライバルな演奏を編集でまとめる手法は限界に突き当たりやすいと言える。
 一方『Prehistoric~』から2か月後、マルコム・ムーニー加入後の68年8月以降の録音になる『Delay 1968』はまったく面目を一新している。1981年にカンのマネジメントが新設したインディーズ・レーベル「Spoon」の旗揚げのためにマルコム在籍時の最初期の未発表録音をまとめたものだが、81年のポストパンク時代にこれはPiLやジョイ・ディヴィジョンのアルバムと互して圧倒的な革新性を持ち、ヴェルヴェットやビーフハート、ドアーズ、ジャックスのような伝説的バンドと同格の偉容を知らしめるものだった。よくもこれだけ粒ぞろいの曲が未発表になっていたものだ。1曲ごとにアイディアに溢れており、演奏の密度も完成度も高い。人によってはレギュラー発売された作品より、ストレートなガレージ・ファンク・パンク曲の並ぶ『Delay 1968』を採るかもしれない。ドイツのロックというとテクノかハードロックかプログレか、くらいに思って聴くと良い意味で裏切られる(それを期待したらハズレになるが)。ちなみにカンの曲はマルコム時代はアメリカ人なので歌詞は英語、ダモ鈴木時代は英語と日本語、ダモ脱退後はイギリスを拠点とするからやはり英語歌詞になる。マルコム時代の音も、ヴォーカルがアメリカ人でも全然アメリカのロックには聴こえないのが面白い。