人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

アモン・デュールII Amon Duul II - 神の鞭 Phallus Dei (Liberty, 1969)

アモン・デュールII - 神の鞭 (Liberty, 1969)

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アモン・デュールII Amon Duul II - 神の鞭 Phallus Dei (Liberty, 1969) Full Album : https://youtu.be/DT2Pk46nXU8
Recorded in Munich, Late 1968-1969
Released by Liberty Records LBS 83 279, 1969
Produced by Olaf Kubler
All tracks composed by Amon Düül II.
(Side 1)
A1. カナーン Kanaan - 4:02
A2. 善なるもの、美しきもの、真なるものへ Dem Guten, Schonen, Wahren - 6:12
A3. 堕天使ルシフェル Luzifers Ghilom - 8:34
A4. アンリエット ヒキガエルの尻尾 Henriette Krotenschwanz - 2:03
(Side 2)
B1. 神の鞭 Phallus Dei - 20:48

[ Amon Duul II ]

Shrat - bongos, vocals, violin
Peter Leopold - drums
Holger Trulzsch - Turkish drums
Dieter Serfas - drums, electric cymbals
John Weinzierl - guitar, 12-string, bass
Falk Rogner - organ
Christian Borchard - vibraphone
Chris Karrer - violin, guitar, twelve-string guitar, soprano saxophone, vocals
Renate Knaup - vocals, tambourine
Dave Anderson - bass

(Original Liberty "Phallus Dei" LP Liner Cover & Side 1 Label)

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 ミュンヘンのヒッピー集団アモン・デュールがかたやノン・ミュージシャン指向で制作したのが『サイケデリックアンダーグラウンド』なら、同年に発表されたアモン・デュールIIはアモン・デュールからミュージシャン指向の強いメンバーが分かれて本格的な国際進出を期してデビューしたバンドでした。『サイケデリックアンダーグラウンド』『崩壊』『楽園へ向かうデュール』のオリジナル・アモン・デュールも素晴らしいアルバムを残して伝説化しましたが、アモン・デュールIIの方は1981年までに15作(うち2枚組LP3作)を残して後期はポップ化・マンネリ化して解散したので侮られがちな存在です。しかし1980年代にはオリジナル・メンバーの一部がアモン・デュール名義で細々とインディー・レーベルからの新作リリースを続け、1996年以降は全盛期メンバーによってアモン・デュールIIとして再結成、以降現在でも散発的にライヴ活動と新作制作を行ってドイツ最古参バンドとなり、結成50年以上になってなおも現在なのは驚くべきことで、しかも近年のライヴ音源を聴いても衰えもなく、本作を始めとする全盛期の作風のままパワーアップしているほどで、新曲のスタジオ盤では全盛期ほどの名曲がないとはいえもはやほとんど主要メンバーが鬼籍に入っている往年のクラウトロックのバンドではアモン・デュールIIは残るべくして残った観があります。

 アモン・デュールは素人集団、デュールIIはプロ集団だったのをありありと示すのがこのデビュー作『神の鞭』で、1969年はカンの『モンスター・ムーヴィー(Monster Movie)』の年でもありますが、翌1970年にはアモン・デュールIIは2枚組大作『地獄(Yeti)』でイギリス、フランス、アメリカを始めとする欧米諸国と日本でも国際進出を果たします。1970年にはクラフトワークのデビュー作『クラフトワーク(Kraftwerk)』、タンジェリン・ドリームの『瞑想の河に伏して(Electronic Meditation)』、グル・グルの『UFO』がリリースされ、1971年にはポポル・ヴーの『猿の時代(Affenstunde)』、ファウストの『ファースト(Faust)』アシュ・ラ・テンペルの『ファースト(Ash Ra Tempel)』のリリースとともにカンがLP2枚組大作『タゴ・マゴ(Tago Mago)』によってアモン・デュールIIに次ぐ国際進出を果たします。アモン・デュールIIはさらに2枚組大作の第3作『野鼠の踊り(Tanz der Lemminge)』をリリースし、国際的な地位を固めました。アモン・デュールやカンの影響を受けたイギリスのホークウインド、フランスのゴングのようなバンドも現れました。タンジェリン・ドリームクラフトワークの国際進出は1974年(『フェードラ(Phaedra)』と『アウトバーン(Autobahn)』)ですから、電子音楽系のバンドと見なされるタンジェリンやクラフトワークに先立ってデュールIIとカンは強烈なサイケデリックプログレッシヴ~ヘヴィ・ロックのジャーマン・ロックで国際進出を果たしています。

 カンの『モンスター・ムーヴィー』もA面3曲・B面1曲の大作でしたが、アモン・デュールIIの『神の鞭』もA面4曲・B面1曲と同様の構成をとっており、ドアーズの「ジ・エンド(The End)」とヴェルヴェット・アンダーグラウンドの「シスター・レイ(Sister Ray)」とアイアン・バタフライの「ガダ・ダ・ビダ(In-A-Gada-Da-Vida)」が『サイケデリックアンダーグラウンド』に乗じて一斉砲火してくるようなサウンドです。5人編成の標準的なバンドだったカンに較べるとデュールIIはこのデビュー作では10人編成(!)とやたら多い人数がヒッピー集団出身の痕跡を残していますが、デュールIIの場合はそれでいいので、無駄に多いメンバーが一見乱雑、よく聴くと整然と野卑な演奏をくり広げているのが魅力となっており、男女のリード・ヴォーカリストがいるのもジェファーソン・エアプレインやフェアポート・コンヴェンション的ですが、本作のA2を聴いてすぐに女性ヴォーカルとわかるリスナーは少ないのではないでしょうか。デュールIIの歌姫レナーテ・クラウプさんはこの後参加したりしなかったりして'70年代後半には同じバイエルンのグループ、ポポル・ヴーのリード・ヴォーカルの方が比重が高くなり、また本作とセカンド『地獄』に参加しているイギリス人ベーシストのデイヴ・アンダーソンは2作で脱退しホークウインドのセカンド『宇宙の探求(In Search Of Space)』1971に参加、ホークウインドのジャーマン・ロック化に貢献し、デュールIIが解散した'80年代にはイギリスのインディー・レーベルから「アモン・デュール」を襲名して1983年~1989年に4作を発表、のちに「アモン・デュールU.K.」と呼ばれて区別されますが当時はリスナーに混乱を招きました。

 アモン・デュールIIは英米の批評家・リスナーにも英米流のサイケデリック・ロックとは明らかに異なる、ダークで凶暴な音楽性とサイケデリック・ロックプログレッシヴ・ロックの渾然一体としたヘヴィ・ロックで大きな衝撃を与え、また西ドイツ国内でも「ピンク・フロイドヴェルヴェット・アンダーグラウンドに匹敵するオリジナリティとパワーを持ったバンド」と高く評価され、映画音楽やバンド自身の映画出演(R・W・ファスビンダーの『ニクラスハウゼンへの旅』1971など)に起用されドイツ語圏のヒッピーの象徴的バンドになりました。『サイケデリックアンダーグラウンド』のアモン・デュールはライヴも行わない純然たるレコーディングのみのアンダーグラウンドな存在でしたが、アモン・デュールIIは本格的な国際進出を果たし得る最有望バンドとして早くから注目されたのです。本作のレコーディング時には30分のライヴのドキュメンタリー映画も制作され、続いて制作された同じスタッフによるカンのライヴ・ドキュメンタリー映画(60分)とも当時20代半ばのヴィム・ヴェンダースがカメラマンを勤めていることでも知られます。アモン・デュールIIの全盛期のアルバムはカンとともにジャケット・アートも秀逸ですが、現在はDVD化されているライヴ・ドキュメンタリー映画で観ることのできるアモン・デュール、カンの初期のステージは音楽に劣らず呪術的な魅力に満ちており、相次いでイギリス公演、フランス公演を大成功させて外国でも根強いファンを獲得したのも納得のいく熱狂的なライヴを観ることができます。
Amon Duul - Kanaan (Live, 1969) : https://youtu.be/YyEAkxlsrlg

 『サイケデリックアンダーグラウンド』『崩壊』『楽園へ向かうデュール』の方のオリジナル・デュールをいくら賞賛しても、アモン・デュールIIの濃密な音楽性とプロフェッショナルな意識の高さには感服せざるを得ません。これは確かな力量と抜群のセンス、確立したオリジナリティを持ったバンドならではで、アマチュア集団の勢いと録音の編集加工の工夫で成り立っていたオリジナル・デュールにはたち打ちできない音楽です。1969年はエアプレインは『ヴォランティアーズ(Volunteers)』、グレイトフル・デッドは『アオクソモクソア(Aoxomoxoa)』、ヴェルヴェットは『サード(The Velvet Underground)』、フランク・ザッパは『ホット・ラッツ(Hot Rats)』があり、またイギリスではイエスキング・クリムゾンのデビュー作、ムーディー・ブルースの『夢幻(On The Threashold of A Dream)』とピンク・フロイドの『ウマグマ(Ummagumma)』があり、ビートルズの『アビー・ロード(Abbey Road)』がリリースされた年でした。アモン・デュールIIの『神の鞭』とカンの『モンスター・ムーヴィー』はそれら英米ロックの最先端より鼻の差以上の異常な音楽性で突き抜けたのです。コンパクトながら悪夢的な曲が並ぶA面、泥沼のようなインプロヴィゼーションがまるまる占めるB面の本作はロック・バンドのデビュー・アルバムとしては最高峰と言える大傑作です。しかもアモン・デュールIIは1974年の7作目までこの水準よりさらに高いか、少なくとも本作と同等のアルバムを作り続けたのです。