人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

蜜猟奇譚・夜ノアンパンマン(43)

 ジャムおじさんだけがバタコさんを相手にいい思いをしているとしたら(今ジャムおじさんはバタコさんの漏らした水たまりに顔を寄せたりぴちゃぴちゃしたりして遊んでいるところでした)、いちばんひどいめにあっているのは言うまでもなく得体の知れない乳頭でした。これが一夜のうちにアンパンマンが変態した姿だという可能性を率直に受け入れているのはばいきんまんだけで(ドキンちゃんもいまーす)、パン工場の仲間たちはそうあってほしくないという理由からこの乳頭がアンパンマンのなれの果てとは認めたくないのです。
 それは一種の都合のようなものであって、仮にジャムおじさんが臨終の床に臥せるようなことになってもパン工場の仲間たちは乳頭は臨終の床には呼ばず、葬儀に参列させることもないでしょう。理由は簡単、単純明快で、乳頭が身内なんてみっともないからです。いわゆる親の死に目にも呼ばれない、というやつで、乳頭自身には責任はないことですが、世間体では身内に乳頭がいるなどというのは真人間のファミリーとは思われず、国勢調査の時期になろうものならしばらくは裏山のほこらの中にでも隠しておくしかありません。
 さもなければペットと言い張る、という手もあります。ペットとしては家畜並みの大きな体躯を誇るから、家畜というほうがいいかもしれない。しかし家畜は資産に数えられますが、川島なお美壇蜜の乳頭ならともかく、ただでかいだけで出自の知れない乳頭にどんな資産価値があるというのでしょう。昔なら見世物小屋という商売がありました。現代なら?案外、巨大な乳頭に押し潰されたい、という性癖のフェティシストを顧客に会員制の秘密クラブの営業も成り立つかもしれませんが、風俗店だって表向きには飲食店やマッサージ店、特殊浴場として届け出を出してきちんと納税しなければならないわけです。
 古いタイプのSMクラブのように定期的に開催されるイヴェントの鑑賞会、というブルーフィルム上映会のライヴ実演版の催しをアマチュア写真の同好会名目で行う場合も未だにあって、こうして検討していくとこの乳頭の末路はもっともアンダーグラウンドなSMモデルあたりに落ち着く以外は、おおよそ役に立たないことがはっきりします。
 おまえは本当にアンパンマンなのか?とロープで乳頭に縛りつけられたカレーパンマンはくり返し問い詰めました。しかし返答は、まるで要領を得ないうなり声だけなのです。