Can - Flow Motion (EMI-Harvest/Virgin, 1976) Full Album : https://www.youtube.com/playlist?list=PLfjuB2eAQz6uxweI99xUNd5Icj4Tt7lG1
Recorded at Inner Space Studio, June 1976
Released; EMI-Harvest 1C 062-31831/Virgin V2071, October 1976
All lyrics written by Peter Gilmour, all music composed by Can.
(Side one)
1. I Want More - 3:29
2. Cascade Waltz - 5:35
3. Laugh Till You Cry, Live Till You Die - 6:43
4. ...And More - 2:43
(Side two)
1. Babylonian Pearl - 3:29
2. Smoke (E.F.S. No. 59) - 5:15
3. Flow Motion - 10:23
[ Personnel ]
Holger Czukay - bass, djin on "Smoke", backing vocals on "I Want More", "…And More" and "Smoke"
Michael Karoli - guitars, slide guitar, electric violin on "Cascade Waltz", baglama on "Laugh Until You Cry", background noise on "Smoke", lead vocals on "Cascade Waltz" and "Laugh Until You Cry", backing vocals on "I Want More", "…And More" and "Flow Motion"
Jaki Liebezeit - drums, percussion, backing vocals on "I Want More", "…And More"
Irmin Schmidt - keyboard, Alpha 77, lead vocals on "Babylonian Pearl", backing vocals on "I Want More" and "…And More"
Peter Gilmour - Vocals on "I Want More" and "…And More"
カンのアルバムではもっともすっきりまとまった1枚。また、ダモ鈴木在籍時唯一のシングル・ヒット(西独トップ10入り、ただしTVドラマ主題歌)「Spoon」と並んで後期カン唯一のヒット・シングル「I Want More」(英26位)を生んだアルバムでもある。この曲でヴォーカルに参加し、これまでヴォーカリストに任せてきた作詞を一任されたピーター・ギルモアはカンのイギリス進出以来のPA担当者で、そのセンスを買われて今作の作詞を手がけることになった。前作『Landed』と今作の間にイギリス人ヴォーカリストを加えて試験的なライヴも行われたが、残された放送用音源を聴くと悪くないものの、アルバム通りに歌っているだけでマルコム・ムーニーやダモ鈴木との差は歴然としており、結局今回も結成メンバー4人で録音することになった。『Soon Over Babaluma』1974、『Landed』1975と結成メンバー4人きりでのアルバムはこれで3作目になる。純粋なフルアルバムの枚数としてはダモ鈴木在籍時の『Tago Mago』1971、『Ege Bamyasi』1972、『Future Days』1973に並んだと思うと、独創性と創造力の衰退を感じずにはいられない。
だがそう見えるようになったのは80年代後半からで、70年代後半にはカンはイギリス進出後の音楽的洗練を評価されており、マルコムやダモ時代のアルバムは順次廃盤になっていて、2枚組ベスト・アルバム『Cannibalism』1978の発売時にはバンドは残り2枚で解散の段階に入っていた。1981年にUA時代のアルバムをカン自身が自主レーベル「Spoon」から一斉再発し、マルコム在籍時の強力な未発表曲集『Delay 68』1981を同時発売しても(スプーン・レーベルの日本盤は1983年に一斉再発された)、カンにはどうもヴァージン・レーベルのアーティストというイメージがついてまわった。カンがマルコムを呼び戻し(ダモにも呼びかけたが断られたという。だが音楽活動復帰後のマルコムとダモは親しいことが知られる)一時的な再結成アルバム『Rite Time』を制作したのは1986年だが、発表は1989年に持ち越された。実際86年にはカンの再結成アルバムは唐突だったろうが、89年にはマルコム~ダモ時代のカンの再評価が確実に進んでいたのをメンバー自身が認識していたと思われる。
(Original EMI-Harvest "Flow Motion" LP Liner Cover)
カンが再評価にいち早く対応し、90年代には『Cannibalism 2』1992、『Anthology』1993、『Cannibalism 3』1994、『The Peel Sessions』1995、『Sacrilege(Remix)』1997、『Can Box』1999、『Can Live』1999とほとんど毎年のようにコンピレーションや発掘盤を出せたのは、創設メンバーたちがすでに音楽業界のプロだったため、バンド発足当初から原盤権をバンドが確保していたからだった。解散後もカンの音源管理はメンバーたちがマネジメントを立てて保管しており(イルミンの夫人が経営)、その意味では解散というよりカンの活動を休止してメンバーがソロ活動に移っていただけだった。カンと似た状態だったバンドにザ・ドアーズがあり、ヴォーカリストの逝去後は近年リーダーが逝去するまでバンド自体は存在していた。ザ・ドアーズが編集アルバムや発掘ライヴ盤をリリースするかたわらゲスト・ヴォーカリストを迎えて散発的にライヴ活動していたように、カンのメンバーも折にふれコンピレーションの編集やヒストリー映像の追加撮影に集まっていた。マルコムとダモが談笑している映像などまさか観られるとは思わなかった。
そうしてバンドの歴史全般が見渡せるようになると創設メンバーたちも、またリスナーも、4人になってしまってからのカンよりもマルコム~ダモ時代のカンがロックをはみ出るアイディアにあふれた、従来思われていたよりずっと先見性のある、今なおくり返し聴くに耐え、発展させられる要素を満載したオリジナリティを持っていた、というのが定評になった。相対的にそれまで国際的に広く聴かれていたイギリス進出後のカンの評価は低下したのだが、確かに『Landed』以降の後期5作は初期~中期の全盛期7作に比較すると、全盛期なら1曲に盛り込まれたアイディアだけでアルバム1枚に引き伸ばしたような密度の低さは否めない。ヒット・シングル「I Want More」はカンお得意のファンクでリヴァーブをかけたリズム・ギターが心地良く、バスドラの四つ打ちでも気づく通りディスコ曲でもある。他は、サイド2の「Smoke」がアフロ・リズム曲以外はおおむねレゲエのアルバムになっており、個々の曲はサイド1-2のレゲエ・ワルツ、1-3のヴァイオリンを入れた効果、1-4で1-1をリプリーズするLPサイド1の構成や、イルミンがヴォーカルをとるサイド2-1の変態ポップ感覚(ミヒャエルのヴォーカルよりイルミンの方が良い、とする評者は多い)、サイド2-3のタイトル曲の脱力インストなど、どのレゲエ曲にもそれなりに工夫はある。だが、工夫がサウンドの表層止まりで、1曲ごとにまったく違う世界を見せてくれるような全盛期のアルバムのようにはなっていない。
(Original EMI-Harvest "Flow Motion" LP Side 1 Label)
後期カンの目的にはマルコム~ダモ時代のような、同時代には「非ロック的」とされた(それはそうで、カンは音楽的には9割方ファンク、1割サイケというバンドだった)ようなつかみどころのなさをもっと明快な英米ロック基準に近づける、というのがあっただろう。1976年にはイギリスのロックのトレンドはレゲエだったから、カンはここで一種のフェイク・レゲエを試みた。シングル向けのキャッチーな曲ではディスコにチャレンジして、中ヒットながらカンのような実験的バンドには珍しいヒットを出した。サイド1-2のギター・ソロではミヒャエルがロバート・フリップ(キング・クリムゾン)を連想させるトーンで巧みなプレイを聴かせてくれ、これまでミヒャエルのプレイは粗さや散漫さに特徴があっただけに今回は相当サウンドに凝った痕跡がある。それはイルミンのキーボードにも言えて、『Soon Over Babaluma』で専任ヴォーカリスト不在のバンドになってサウンドにキーボードの比率が増えた。それまではここぞという時しか弾かないキーボードがカンのスカスカなサウンドの特徴だった。イルミンのセンスは80年代のエレ・ポップを先取りしていた面があり、実際イギリスのポスト・パンクのバンドが隔世遺伝的にカンから受けた影響は小さくないが、全盛期カンのリズム・セクションの影響は当時はわかりづらかった。イルミンのキーボードからの影響は分かりやすく現れていて、それも後期カンのイメージがまだ新しく、初期~中期との連続性を見えにくくしていた一因でもあるだろう。カンはサウンドの変化こそあれロックのあり方には批評的なアプローチをとっていたバンドだった。
だが初期~中期カンと後期カンを分ける最大の要因は、ホルガーのベースとヤキのドラムスから躍動感がすっかり消えてしまったことにあると思える。初期~中期カンのサウンドは、ヴォーカルもギターもキーボードも、ベースとドラムスとのコンビネーションとインタープレイを引き出すために存在していたようなものだった。カンの音楽の快感はベースとドラムスの、当時ロックでは他に例を見ない即興性の強い突出したサウンドにあった。P.i.L.やJAPANらポスト・パンクのバンドが初期~中期カンのベースとドラムスのコンビネーションを参照したものだったとは、P.i.L.もJAPANも事実上解散してだいぶ経ってからのことで、白人ロック・バンドによるファンクやレゲエの再構築的解釈のお手本がカンだったとは、EMI/ヴァージン・レーベル移籍後のカンが念頭にあるとその分なかなか気づけなかった。だが、なぜ後期カンはベースとドラムスから自由度を奪い、躍動感を排除してしまったのだろうか、と言えば答えはもう出ている。同時代の英米ロック基準では、初期~中期カンのベースとドラムスのサウンドはあまりに異様すぎたから、カンがより国際的成功を目指すバンドになるなら過剰な要素を抑制する必要があった。初期~中期カンはサウンドの発想自体が英米ロックとは反転していたので、ある意味ようやくまっとうなロック・バンドになったと言える。
(Original Virgin "Flow Motion" LP Side 1 Label)
しかし『Flow Motion』アルバム全編を聴いても『Tago Mago』や『Ege Bamyasi』収録のどれか1曲にでも値するとは思えず、もしUA時代のカンがなく『Landed』でデビューしたバンドだと思えば『Landed』も『Flow Motion』も十分満足のいくアルバムにはなっているのはさすがだが、楽曲としてなかなかなのは「I Want More」と「Babylonian Pearl」、サウンド実験としては「Smoke (E.F.S. No. 59)」と、アルバム半分の出来で持っている作品とも言える。収録曲の半分が聴くに耐えるなら十分、という意味での十分で、捨て曲など1曲もない初期~中期7作のカンと比較しては不当で、カンだって英米ロック基準で通用するアルバムを作れるのが証明できただけでも役割は果たした。だが他ならぬホルガーがベースに飽きてしまい、イギリス進出後に交流ができた後期トラフィックからベースのロスコー・ジーとパーカッションのリーバップのプロフェッショナルな黒人メンバー2人を迎え、ヴォーカルもロスコーとリーバップ担当にアフロ・ビート色を打ち出し、ホルガー本人はオペレーターとエフェクトにまわって次作『Saw Delight』1977を制作する。ベーシストはもちろんだが、パーカッション奏者を増員する必要はかつてのカンのヤキのプレイならなかっただろう。
だがホルガーはオペレーターとエフェクトどころかカンにも飽きてしまい、1978年の『Out of Reach』はホルガーの脱退後に制作された。このアルバムで末期を自覚したバンドは、ホルガーをサウンド・プロデューサーに呼び戻して解散アルバム『Can (Inner Space)』1979で有終の美を飾り、バンドとしての活動を休止して原盤権管理のためだけに名義を存続する。一時的再結成アルバムが好作『Rite Time』1989と、まだ4枚、未紹介アルバムが残っている。筆者にとってはカンは20代を支えてくれた唯一のロック・バンドだった。あと4枚も精一杯聴きどころを見つけてご紹介したい。