Released by Capitol Records, Capitol LP ST-2985, 1968
(Side 1)
A1. Merciful Monks (Lawrence Hammond) : https://youtu.be/5dQbr8AipoY - 3:40
A2. High All The Time (Lawrence Hammond) : https://youtu.be/F5IEz_w8COM - 4:04
A3. Amphetamine Gazelle (Lawrence Hammond) : https://youtu.be/70Cb9D0hwBg - 2:50
A4. Eastern Light (Greg Dewey, Lawrence Hammond) : https://youtu.be/u5rxMZ--cD8 - 7:55
(Side 2)
B1. Wind Chimes (Mad River) : https://youtu.be/nPcd3vGAC5M - 7:20
B2. War Goes On (Lawrence Hammond) : https://youtu.be/g0PCzH-K1hg - 12:30
B3. Hush, Julian (Lawrence Hammond) : https://youtu.be/d0uQyyoReF0
1:10
[ Mad River ]
Lawrence Hammond - lead vocals, bass, piano(A4), lead guitar(1st solo in B1), 12-string guitar(B2), recorder(B1)
David Robinson - lead guitar
Rick Bochner - 2nd guitar, 12-string guitar(B1), vocals
Thomas Manning - bass(B1, B2), 12-string guitar, vocals
Gregory Leroy Dewey - drums, performer(fence, worms recorder in A4), vocals(B2)
たとえばイギリスにコーマス(Comus、もちろんバンド名はジョン・ミルトンの戯曲から)というバンドがあり、男女混声ヴォーカルのアシッド・フォーク系ロック・バンドだがこの男性ヴォーカルがマッド・リヴァーに似ている。アルバムは『First Utterance』Dawn, 1971と『To Keep From Crying』Virgin, 1974の2作で、大物ならともかくデビュー作と第2作(かつ最終作)の間が3年空いているのは珍しい。コーマスはアコースティック楽器編成だが偏執的な曲想といい、かん高く引きつった金切り声のヴォーカルといい、エキセントリックさの方向まで全面的にマッド・リヴァーのイギリスの従兄弟という感じがする。ツェッペリンがマッド・リヴァーを参考にしたようにはコーマスは、というか、コーマスはそもそもマッド・リヴァーを知らなかっただろう。知っていたら逆に出てこなかった音だと思える。コーマスのエキセントリックさにはイギリスのトラディショナル・フォークに根ざした安定感があり、狂気っぽくても足元が危うい感じはしない。
マッド・リヴァーは、カントリー・ロックもまたポスト・サイケデリアの西海岸ロックの流行だったのだが、カントリー音楽自体が歴史を持たない国アメリカの仮想の伝統音楽だったというアイロニーがある。そこでマッド・リヴァーの音楽はサイケをひっくり返したら裏側もサイケデリックだった、という合わせ鏡のような様相に陥ったのがセカンドにしてラスト『Paradise Bar and Grill』1969で、これは本当にロック原産国アメリカのバンドにしか起こらない現象で、イギリスのバンドでもヨーロッパ諸国のバンドでもアイデンティティの崩壊はまずない。しょせんロックはアメリカからの借り物の音楽にすぎない。社会構造の堅牢な歴史ある国家だからロックは趣味でやれる。だが移民国家アメリカでは、契約社会でロックをやることは社会参加だから、逆に音楽から人間が疎外されることもあり得る。よく似た音楽なのにマッド・リヴァーとコーマスでは立ち位置がまるで違うのはそういうことになる。
(Original Dawn "Comus / First Utterance" 1971 LP Front Cover)
当時ニューヨークではフォーク・ロックかソフト・ロック、シカゴ(デトロイトも隣接)ではR&B系のハードなロック、ときて、カリフォルニア州ではレコード産業やナイト・クラブはロサンゼルスに集中していてジャズやフォークの素養のある都会的でミュージシャンシップの高いバンドが多いが、隣接するサンフランシスコではコミューン生活するヒッピーからアマチュア主義的な音楽文化が生まれてロサンゼルスと往来していた。オハイオ州を出てきて以来、マッド・リヴァーもまたコミューン生活から音楽活動をしてきたバンドだった。サンフランシスコのアンダーグラウンド・ヒーローだったカントリー・ジョー&ザ・フィッシュやクイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスらに目をかけられ、ヒッピー文化のカルト作家リチャード・ブローティガンがパトロンになり衣食住の世話にあずかる幸運も得て、1968年2月末日にキャピトル・レコーズと念願のアルバム・デビュー契約を結ぶにいたった。
(Original Capitol "Mad River" LP Liner Cover)
一方ロサンゼルスのバンドの実験的、叙事詩的またはスペクタクル的な試みとしては、B面全面1曲のアルバムを制作したフランク・ザッパ&マザーズ(66年6月、ただしD面だが)、ラヴ(66年11月)、アイアン・バタフライ(68年6月)、またクロージング・ナンバーに12分の大作を入れたドアーズ(67年1月、9月)があり、サンフランシスコのバンドの自然発生的な長尺化は性格が異なるのだが、その点ではマッド・リヴァーのデビュー作(特にアルバム2面)はロサンゼルス・サイケに近い意識的な実験性、叙事詩性、スペクタクル性を試みたもので、そこがイギリスのプログレッシヴ・ロックを予見する音楽性につながっているといえる。
(Original Capitol "Mad River" LP Side 1 Label)
サイド2の3曲は組曲のようなもので、歌詞のないヴォーカリゼーションは入るが大胆なサイケデリック・インプロヴィゼーションの「Wind Chimes」、曲の分かれ目がわからないくらい前曲のムードを引き継ぎながらさらに激しくヴェトナム戦争の泥沼化を糾弾した「War Goes On」と続き、戦死者の孤児たちへの美しい子守歌「Hush, Julian」で沈鬱にアルバムは閉じる。サイド1ではマッド・リヴァーのサイケデリック・ロックへのアプローチは内面性、自我に向かうものだったが(ドアーズの場合はほぼ全面的にそれだった)、サイド2でのマッド・リヴァーはサイケデリック・ロックによる積極的な現実批判というカントリー・ジョー&ザ・フィッシュやジェファソン・エアプレインに倣ったアプローチを採っている。
(Original Capitol "Mad River" LP Side 2 Label)
この巧妙な構成は『Meddle』1971以降のピンク・フロイドにも匹敵する緊密でダイナミックなものだが、次作でマッド・リヴァーはアルバムの構成力も作為性として放棄してしまう。ザ・バンドのデビュー作と第2作の関係を参照すると、ザ・バンドも極言すれば最初の2作にすべてのあるバンドだったし、ザ・バンドが敵視していたドアーズもデビュー作と第2作がすべてだったが、マッド・リヴァーの場合は第2作はデビュー作で描いた世界をバンドみずからなしくずしにしてみせたものになった。それがバンドにとって本意だったのかわからないが、このデビュー作の時点で次作は危ないぞ、と予感させるようなところが確かにある。この音楽には死臭がする。そして次作『Paradise Bar and Grill』でその予感は的中する。15年後リチャード・ブローティガン(1935-1984)は忘れられた作家になりピストル自殺し、1986年にマッド・リヴァーのアルバムはイギリスで再評価されて再発売、初CD化されて今日に至る。
(Original Capitol "Paradise Bar and Grill" LP Front Cover)