人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ラゴーニア Laghonia - Glue (MaG, 1969) Full Album

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Laghonia - Glue (MaG, 1969) Full Album : https://youtu.be/0dJH0f5g3IY
Se solte por Discos MaG LPN-2403, 1969
Todas las canciones escritas y arregladas por Laghonia.
(Lado A)
A1. Neighbor - 3:20
A2. The Sand Man - 3:24
A3. Billy Morsa - 4:16
A4. Trouble Child - 2:48
(Lado B)
B1. My Love - 4:50
B2. And I Saw Her Walking - 3:18
B3. Glue - 3:14
B4. Bahia - 4:24
[ Miembros ]
Saul Cornejo - guitarra, piano, voz primer
Davey Levene - guitarra primer, coros, voz primer (A1,B2)
Eddy Zarauz - bajo
Carlos Salom - organo, piano (A2)
Manuel Cornejo - bateria, vibes (A3,B2)
Alex Abad - percussion

「1967年に結成、翌1968年デビューしたペルーのロック・バンド、トラフィックサウンドは1972年の解散までに4枚のアルバムを残した。シングル6枚・12曲のうちアルバム未収録曲が6曲ある。アルバムはいずれも1990年代半ばまではペルー国内盤のみで、
1. A Bailar Go Go (Discos MaG, 1968) : https://youtu.be/mAUGVT7zbRA (with Bonus Tracks)
2. Virgin (Discos MaG, 1969) : https://youtu.be/VTXcEWMi0B8
3. Traffic Sound (a.k.a. III) (a.k.a. Tibet's Suzettes) (Discos MaG, 1970) : https://youtu.be/rs7mtL5CMIc
4. Lux (Discos Sono Radio, 1971) : https://youtu.be/RC0rXGjTl8s (with Bonus Tracks)
があり、1990年代末からようやくアメリカ、イギリス、イタリアのサイケデリック・ロック復刻レーベルから国際的に紹介されることになった」というのが今年2月にトラフィックサウンド全4作をご紹介した時の書き出しになる。ペルーにロックがあったと知って驚かない人でも、実際ペルーのバンドの名前をいくつも上げられ、もちろん主要なアルバムは聴いている、という人もいると思うが、筆者は最近知った(実は手持ちのコンピレーションにもペルーのバンドは入っていたが、これまで引っかからなかった)ので、これほどオリジナリティがあって質の高いロックがペルーにあると知りつくづく長生きはするものだと思った。トラフィックサウンドは特にセカンド・アルバム(1は英米ロックのカヴァー・シングル集なので、全曲オリジナルの実質的ファースト・アルバム)『Virgin』が素晴らしい。似たような名称のロック・レーベルがあったが、同日の談ではないほど素晴らしい。これだけの作品が単独で出てくるわけないからペルーのロック遺産は相当なものと推測される。なにしろ元インカ帝国なのだ。しかし資料がほとんどない。
日本の非英米圏ロック好きの人に人気が高いのは60年代からロックが盛んだったフランス、ドイツ、イタリアで、次いで北欧諸国、それから東欧と南欧諸国といったところで、南米大陸ラテンアメリカ全体の首都ともいうべきブラジルとアルゼンチンか、アメリカと接していることもあってメキシコに集中している。また60年代~70年代に至っても政情不安定な国が多かったのも国際的知名度の高いアーティストが生まれない原因になっているだろう。世界的に最大の成功をおさめた南米出身のポピュラー音楽アーティストは、メキシコ移民のカルロス・サンタナなのは間違いない。だがサンタナの音楽は疑問の余地なくロサンゼルスの音楽産業規格にチューンナップされたもので、アメリカ人のイメージする架空のラテン・ロック以外のものではないだろう。サンタナ一家がメキシコからカリフォルニアに移住してきたのがカルロス15歳の時だが、カルロスの父ホセはメキシコ時代から観光客相手のマリアッチのバンドでヴァイオリン奏者をしており、サンタナの音楽がメキシコを出自としてもそれはいわば観光客向け、輸出商品としてのラテン・ロックだった。サンタナの場合はそれでいい。だがトラフィックサウンドはペルー人がペルー人リスナーのためにやっているロックだった。
  (Original Discos MaG "Glue" LP Liner Cover)

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 トラフィックサウンドについて調べて、いくつかのペルーのロックのコンピレーション盤を聴いてみると、ウィ・オール・トゥゲザー、またその前身のラゴーニアというバンドがトラフィックサウンドと同格に位置づけられているのがわかった。しかし資料がない。手持ちのコンピレーションで聴くと、ウィ・オール・トゥゲザーはビートルズ直系という感じ。ウィキペディアで調べるとウィ・オール・トゥゲザーはスペイン語(ペルーの公用語。南米は元ポルトガル領で今もポルトガル語公用語のブラジル以外はぜんぶスペイン語公用語)、英語、イタリア語、ノルウェー語版に載っている。トラフィックサウンドスペイン語版と英語版しかない。ではラゴーニアは(Laghonia=ラゴーニアという読みも発音記号を見て知った)、というとスペイン語版しかない。要するに南米スペイン語圏でしか聴かれていないということで、とりあえずスペイン語ウィキペディアのラゴーニアの項目を全訳する。短いものなので原文をそのまま載せてどなたか奇特な方に訳して頂けば楽だが、一応訳文を載せる。

(スペイン語ウィキペディアより全訳・前半)
ラゴーニア
ラゴーニア(Laghonia)は1965年にリマで結成されたロック・サイコデリコとプログレッシーヴォのバンドで、1969年に最初のアルバムを発表するまではニュー・ジャグラーサウンド(New Juggler Sound)名義で活動していた。最初のアルバムはブリティッシュ・ビート・グループからの影響が強いが、セカンド・アルバムではより実験的なサイコデリコとロック・プログレッシーヴォに向かい、バンドが解散した1971年以降の音楽的流行を先取りしていた。ペルーのロック運動が伝説化した後で、ラゴーニアのアルバムはドイツ、スペイン、アメリカ合衆国、イギリス、ペルー本国でようやく知られるようになった。

ラゴーニア
概要
ラゴーニア (Laghonia)
出身 - ペルー共和国・リマ
国籍 - ペルー共和国
音楽ジャンル - ロック・サイコデリコ Rock Psicodelico、ロック・プログレッシーヴォ Rock Progresivo、ロック・ラティーノ Rock Latino、ロック・アンド・ロール Rock and roll
活動期間 - 1965年-1971年
レコード会社 - MaG、Electro Harmonix、Lazarus Audio Products、World in Sound、Repsychled Records
交流関係 - We All Together、Jean Paul "El troglodita"、Traffic Sound
メンバー - サウル・コルネーホ Saul Cornejo (ギター、ピアノ、ヴォーカル)
デイヴィー・レーヴェン Davey Levene (ギター、コーラス)
エディー・ザラウス Eddy Zarauz (ベース、~1969年)
アーネスト・サマメ Ernesto Samame (ベース、1970年~)
カルロス・サロム Carlos Salom (オルガン)
マニュエル・コルホーネ Manuel Cornejo (ドラムス)
アレックス・アバド Alx Abdd (パーカッカッション)
カルロス・ゲレロ Carlos Guerrero (バックグラウンド・ヴォーカル、コーラス、1970~)

経歴
前期 : ニュー・ジャグラーサウンド (1965年-1968年)
バンドは1965年にギターとヴォーカルのサウル・コルネーホ、ドラムスのマニュエル・コルホーネ、ベースのエディー・ザラウスを中心に結成され、リード・ギターを探してアルベルト・ミラーを迎え、さらにロス・ジャガーズ(Los Jaguar's)からパーカッションのアレックス・アバドが加入した。バンドは新しいレパートリーと音楽性を模索してニュー・ジャグラーサウンドのバンド名で活動し、この時期にはザ・ビートルズザ・ローリング・ストーンズ、ザ・ホリーズザ・ビーチ・ボーイズ、ジ・アニマルズ、ザ・キンクス、そしてザ・ヤードバーズら、主にイギリスのバンドからの影響の強い音楽を演奏していた。
彼らはまだその音楽に商業性がなかった1966年にアンダーグラウンドな活動を開始し、少数の理解者によって少しずつ受け入れられるようになっていった。
1967年半ばにニュー・ジャグラーサウンドラファエロ・ヘイスティングに見出され美術展の期間中に演奏する機会を得て、新聞の三面記事に「ヒッピー、リマを侵略す」と話題を提供することになった。
1968年6月にはシングル「Baby Baby / I Must Go」が、その3か月後には「Mil millas de amor(愛の1000マイル) / Sonrisa de cristal(微笑みの結晶)」が発売され、そのうち前者は英語詞によるものだった。シングル発売の同月末にアルベルト・ミラーがバンドを去り、リード・ギターにはエドゥワルド・ザラウスの友人のデイヴィー・レーヴェンが加入した。レーヴェンのフェンダーストラトキャスターによるサウンドとリズム・アンド・ブルースへの造詣はバンドの音楽性を大きく転換させ、ブルース色を増して、バンドはRCAレコードからMaGレコードへと移籍することになる。

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The New Juggler Sound - Baby Baby (RCA, 1968, Single-A Side) : https://youtu.be/fXRRJACvq0k

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The New Juggler Sound - I Must Go (RCA, 1968, Single-B Side) : https://youtu.be/nt3CKx66bY8

(スペイン語ウィキペディアより全訳・後半)
ロック・ペルアーノ Rock Peruano(ペルー・ロック)のサイコデリコな旅 : ラゴーニア (1968年-1971年)
1968年にMaGレコードはバンドの売り出しにかかり、「Glue / Billy Morsa」「And I saw her walking / Trouble child」そして「Bahia / The Sandman」と、3枚のシングルを発売した。バンド名がラゴーニア(Laghonia)と決まったのはこの年の後半で、彼らがもっとも影響を受けたザ・ビートルズがまもなく解散間近とのニュースにメンバーたちが悲嘆(La Agonia)に暮れたことからバンド名を決定した。また、バンドはジャズとブラジル音楽に詳しいキーボード奏者のカルロス・サロムを迎えてハモンド・オルガンを使用した「Neighbor」と「My love」で新機軸を生み出す。そしてMaGからニュー・ジャグラーサウンド名義で発表していた前記シングル3枚の6曲をカルロス・サロム加入後に再録音し、ラゴーニア名義の初のアルバム『Glue』1969の全8曲が完成した。
ラゴーニアは当時のペルーはおろかラテンアメリカ全体でもハモンドB-2オルガンをレコーディングに使用した数少ないバンドだった。この新しい方向性で録音された1970年5月のシングル「World full of nuts / We all」は話題を呼び、驚異的なサイケデリコのレコードとして記憶され、狂気じみたほどに歪曲された作風の最終段階を記録したものになった。

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Laghonia - World Full Of Nuts (MaG, 1970, Single-A Side) : https://youtu.be/mFV27au-H-E

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Laghonia - We All (MaG, 1970, Single-B Side) : https://youtu.be/WOew60AOFVQ
ベーシストのエディー・ザラウスは1970年に旅行のために脱退した。後任にはエルネスト・サマメが加入した。
1971年に、ラゴーニアはセカンド・アルバム『Etcetera』を発表した。カルロス・ゲレロがコーラスで全面参加したこのアルバムは、ラゴーニアがヒューズのついたサイコデリコとプログレッシーヴォの複雑な混合を高いレヴェルでなしとげたもので、同時代の権威あるどんなイギリスのバンドにも匹敵するのを示すものだった。アルバム・ジャケットの表と裏を埋めつくすサイコデリコなコラージュはマニュエル・コルホーネによる。だがアルバム発表後デイヴィー・レーヴェンがアメリカ合衆国に帰国し、アレックス・アバドが別のバンドに去った後、ラゴーニアはカルロス・ゲレロをリーダーにウィ・オール・トゥゲザー(We All Together)として再デビューすることになる。
2004年にはRepsychledレコードがMCAスタジオからマニュエル・コルホーネによってバンドの残した未発表デモ・テープ、インストルメンタル・トラック、ジャムセッションを発掘し、アルバム『Unglue』として発表した。
2010年3月にはミラフロア・ペルー/イギリス文化センターで、サウル・コルネーホ、エディー・ザラウスマニュエル・コルホーネ、そしてアレックス・アバドが一時的なラゴーニア再結成コンサートを行い、メンバーの健在ぶりを示したのは記憶に新しい。

ディスコグラフィー
シングル
・"Baby Baby" / "I must go" (RCA Victor 1967 -? New Juggler Sound名義)
・"Glue" / "Billy Morsa" (MAG 1969 - New Juggler Sound名義)
・"And I saw her walking" / "Trouble child" (MAG 1969 - New Juggler Sound名義)
・"Bahia" / "The Sandman" (MAG 1969 - New Juggler Sound名義)
・"World full of nuts" / "We all" (MAG 1970)
スタジオ録音アルバム
・Glue (MAG 1969)
・Etcetera (MAG 1971)

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未発表発掘アルバム
・Unglue (MCA & Repsychled 2004)
(Original Discos MaG "Glue" LP Lado A e Lado B Label)

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以上でスペイン語ウィキペディアを全訳したが、ペルー(スペイン語圏)ではサイケデリック・ロックをロック・サイコデリコ、プログレッシヴ・ロックをロック・プログレッシーヴォというのか、そもそもペルーにもサイケやプログレがあったのか、と新鮮に思える。
ラゴーニアの音楽はどんなものかとアルバムを一聴すると、先にトラフィックサウンドの名作『Virgin』『Traffic Sound』『Lux』を聴いている人には華やかなトラフィックサウンドと較べて全然地味じゃん、と期待がスカされた思いをしたかもしれない。再発CDは全10曲入りで、ニュー・ジャグラーサウンド名義のデビュー・シングル「Baby Baby / I Must Go」で始まるのだが(アルバム『Glue』本編は3~10曲目)、初期メンバーのアルベルト・ミラーとサウル・コルネーホの共作のこの2曲、どこかで聴いたことないか。すぐ思いつく。日本の過小評価GS、アウト・キャストの代表曲「友達になろう」「ふたりの秘密」にそっくりなのだ。アウト・キャストはメンバーのオリジナル楽曲で通したバンドで、タイガースのアルバムの影武者録音をしていたことでも名高い実力派。メンバーは70年代以降のポップス界でもマネジメント運営、作編曲家、スタジオ・ミュージシャンとして重鎮になった。

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アウト・キャスト - 友達になろう (テイチク, 1967, シングルA面) : https://youtu.be/h0sqEz9Fnow

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アウト・キャスト - ふたりの秘密 (テイチク, 1968, シングルB面) : https://youtu.be/ohrXog6KfdE
初期アウト・キャストから脱退したメンバーが結成したバンドがザ・ラブ、アルバムを1枚残して解散したアウト・キャストの後身はアダムズになったが、ザ・ラブの唯一のシングルも曲調・サウンドともにMaG移籍後のニュー・ジャグラーサウンドに酷似している。

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ザ・ラブ - イカルスの星 (エクスプレス, 1969, シングルA面) : https://youtu.be/Xi6bGslV_po
ザ・ラブ - ワンス・アゲイン (エクスプレス, 1969, シングルB面) : https://youtu.be/Oi6TFO37yVY
まだある。ビートルズ直系の曲調、ブルース・ロック~サイケデリック・ロック期特有だがハードロックには行かないギター・サウンドなどラゴーニアのデビュー・アルバムは日本のGSの最良の部分と地球の反対側で同時に同じことをしていた。ザ・ビーバーズは後にフラワー・トラヴェリン・バンドのギタリストになる石間秀樹在籍。ヤンガーズは斬新な構成が光るビート・バラード、ハプニングス・フォーのアルバム曲は『Glue』1曲目のダンス・ナンバーと  双生児と言って良い。
ザ・ビーバーズ - 君なき世界 (セブンシーズ, 1967, シングルA面) : https://youtu.be/tIfCGLHMgi8
ザ・ヤンガーズ - マイ・ラブ・マイ・ラブ (フィリップス, 1968, シングルA面) : https://youtu.be/_M22Mk9fYdw
ハプニングス・フォー - 東京ブーガルー (エキスプレス, 1968, アルバムトラック) : https://youtu.be/EydflJg1iMw
アルバム『Glue』はトラフィックサウンドほどのインパクトやオリジナリティはなく一聴して地味なブリティッシュ・ビート系アルバムだが、聴くほどに非英米圏ならではのセンスと巧みな作曲、アレンジが丁寧な演奏に結実しているのがわかる。シングル既発売の曲を再録音した手間をかけただけあるのだ。名曲「And I Saw Her Walking」は60年代モータウン・ソウル調だがエンディングのギターのロング・ソロが素晴らしいし、デイヴィー・レーヴェンのリード・ギターはヤードバーズ時代のジェフ・ベックをポップに消化している。また名曲「Trouble Child」も、ラヴィン・スプーンフルのデビュー・トップ10ヒット、
Lovin' Spoonful - Do You Believe In Magic (Karma Sutra, 1965, Single-A Side) : https://youtu.be/mDYNuD4CwlI
が明らかに下敷きになっているが、パクリでは終わらない味がある。美メロのバラードA2、B1も冗長な泣きに流れず、アルバムを締めくくるB3、B4ではラゴーニア流ラテン・ロックのグルーヴ感が追求される。こうしてみると『Glue』の良さは聴き手の聴修経験次第でずいぶん違ってくるようにも思える。一見没個性な作風が実は相当なセンスに支えられている。トラフィックサウンドの『Virgin』と同年だと思うと、日本のロックとペルーのロックの平行進化を思わずにはいられない。
ちなみにMaGレコードは中堅メジャー・レーベルだったが『Glue』のプレス枚数は300枚、売り上げは260枚だったという。ペルーの国内バンド需要を物語るエピソードだろう。