人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ミッキー・カーチスと侍 Miki Curtis & Samurai - 侍 (Philips, 1971)

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ミッキー・カーチスと侍 Miki Curtis & Samurai - 侍 (Philips, 1971) Full Album : https://youtu.be/UC5QrT0D6r0
Recorded at Tangerine Studios, Londn, February 1970
Japanese released by Philips/日本フォノグラム FX-8517, August 1971
Originally 2LP released by Metronome MBLP 2/40.003, West Germany, Spring 1970
Produced by M.Curtis and M.Walker
(Side one)
A1. Green Tea (M.Curtis/M.Walker) - 5:31
A2. Eagle's Eye (T.Yamauchi/J.Redfern) - 5:47
A3. Boy With A Gun (M.Curtis/M.Walker) - 5:27
A4. 18Th Century (M.Curtis) - 0:57
(Side two)
B1. Four Seasons (Tetsu/John/Mickey/Walker) - 9:46
B2. Mandalay (M.Walker) - 6:28
B3. Daffy Drake (J.Redfern/M.Walker) - 2:37
[ ミッキー・カーチスと侍 ]
ミッキー・カーチス - vocals on A1,A3,B2, flute
ジョー・ダネット - guitar
泉ヒロ - guitar, koto
ジョン・レッドファーン - organ
山内テツ - bass guitar
マイク・ウォーカー - vocals on A2,B1, narration on B2, piano
原田裕臣 - drums
グレアム・スミス - mouth harp

日本の60年代ロックといえば必携の一冊、黒沢進『日本ロック紀GS編』(シンコー・ミュージック/1994年)から前進バンド、サムライズの項を引用させていただく。実際にはこれはミッキー・カーチス(1938-)と侍(ドイツ盤では単に「Samurai」名義)の本作リリース後の帰国までを記述しているからだ。
「1967年2月まで東南アジア各都市のヒルトン・ホテルで演奏活動をしていたミッキー・カーチスのバンド"ヴァンガーズ"が日本に帰国後、"サムライズ"に名前を変え再出発したもの。メンバーはミッキー・カーチス(vo)、冬梅邦光(tenor sax)、ヒロ・イズミ(g)、菊池牙(p)、山本五郎(b)、豊澄芳三郎(ds)。67年10月、TBS「ヤング720」で評判の良かった「風船」でクーガースやレインジャースなど他のクラウンのGS連中と一緒にレコード・デビューさせられたが、本人たちにGSという意識は全くなかった。同じ頃、日本ミュージカラーからカンツォーネのインスト・アルバム『愛のテナーサックス』も発表していた。日本ではほとんど活動らしい活動もせず、67年11月には長期のヨーロッパ旅行に出かけてしまった。最初に演奏活動をしたのはフランス第一のカジノがあるディボン・レ・バンという小さな町だった。その後、ロンドン、ドイツなどで活動を続け、途中からは後期のマイクスにいた山内テツも加入してきた。その間、ロンドン・レコーディングの「グッドモーニング・スターシャイン」をセブンシーズから出したりしたが(69年5月)、最後には生活も困窮をきわめ、日本へ帰ってきたのは1970年夏のことだった。」(p112より)
ミッキー・カーチスは平尾昌章(当時)、山下敬二郎とともに1950年代末にはロカビリー三人男(3人とも渡辺プロ所属だった。同世代のロカビリー歌手には内田裕也、尾藤イサオ佐々木功(当時)、かまやつひろしがいた)として歌手デビューしたが、ジャズ歌手ティーブ釜萢(かまやつひろしの父)に師事、60年代にはヨーロピアン・ポップス指向から自分のバンドを結成した。両親ともに日英人のハーフでファッション・センスにも優れて俳優としても名をなし、ヴァンガーズはヴァン・ジャケット提供の音楽番組「ヴァン・ミュージック・ブレイク」の専属バンドとして結成されたものだった。ミッキー・カーチスとサムライズに改名して発表されたデビュー・シングルのAB面を上げる。

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ミッキー・カーチスとサムライズ - 風船 (1967.10/シングルA面) : https://youtu.be/PuZjJ1LY9r4

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ミッキー・カーチスとサムライズ - 雨のプロムナード (1967.10/シングルB面) : https://youtu.be/gsDb6xiVO1A

ミッキー氏はもともとイギリス国籍だったくらいで(その後日本に帰化)、日本語と英語はもとよりドイツ語、イタリア語、タイ語ができ、感覚的にもまったく洋楽の人だったのがサムライズのデビュー・シングルからもわかる。サムライズ時代唯一のアルバムがインストの『愛のテナーサックス』だったのもメンバーがジャズマンたちだったからで、当初はラウンジ・ジャズとその延長上のポップスを指向していた(ロック化する前のブルー・コメッツ、スパイダースも同様だった)。『侍』のライナーノーツは故・中村とうよう氏によるが、ヨーロッパ滞在中のミッキー・カーチス&サムライがプログレッシヴ・ロックに路線変更したのが1969年1月だという。サムライは1968年9月のローマのロック・フェスティヴァルにアレクシス・コーナーの推薦でイギリス代表として出演し、同じイギリス代表にはピンク・フロイドがおり、アメリカからはキャプテン・ビーフハート&ヒズ・マジック・バンドが招かれている、といった現場をすでに体験していた。
現在休刊中の音楽誌「ストレンジ・デイズ」2016年4月号には日本のロック再検証の連載企画でミッキー・カーチスの最新インタビューが掲載されていたが、渡欧してもどこのクラブでもオーディションで落とされて困っていたところ、抜群にうまい箱バンがシカゴのアルバムをまるまるコピーして即座にクビになるのを見た。そこで全曲オリジナル、しかも日本のバンドなのを強調して着物を着て尺八や琴を使ってみたら妙に受けたのでこれだと思った、と語っているが、コピー演奏が追放されたのはオリジナリティを求められたというよりもコピーライトの問題だと思われる。オリジナル曲しかやらないバンドなら著作権問題が発生しないのでクラブ側は安心できる。ともあれ、当時よくあったことだがイギリスのアンダーグラウンド・バンドがドイツのレーベルからアルバム・デビューを誘われる、というチャンスが当時ロンドン滞在中のバンドにめぐってきた。全曲オリジナル、歌詞も全曲英語詞で、録音のタンジェリン・スタジオは地下で古くて狭くて汚く、壁には防音用のダンボールが何重にも画鋲で留めてあり、さらに残響を消す時には壁じゅうのダンボールを水浸しにする、というすごい所だったという。ドイツ・メトロノームはフォノグラム傘下のレーベルなので、イギリスではフィリップス・レーベルから発売された。このLP2枚組は「SAMURAI」名義で、収録時間が短く、通常の1LPの値段で発売されたらしい。

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"SAMURAI" Original Metronome 2LP Release (West Germany)
A1. Four Seasons - 9:46 (B1)
A2. 18Th Century - 0:57 (A4)
A3. Eagle's Eye - 5:47 (A2)
B1. Intermediate Stages - 7:37 *omited on 1LP
B2. Boy With A Gun - 5:27 (A3)
B3. Daffy Drake - 2:37 (B3)
C1. Five Tone Blues - 14:56 *omited on 1LP
D1. Green Tea - 5:31 (A1)
D2. Mandalay - 6:28 (B2)

日本発売された1971年8月の「ミッキー・カーチスと侍」名義の『侍』は通常の1LP仕様でジャケットはバンド名の記載以外同じイラストとデザインだが(もともと日本側スタッフによる)、1970年春のオリジナル・ドイツ・メトロノーム盤の2枚組ヴァージョンからB1とC1(C面全編)の、約22分半がカットされている。これを復原しても全編で60分に満たないからCDの容量なら余裕で収録可能なのに、これまで4度におよぶCD化はいずれも2曲・22分半をカットした1971年の日本盤と同一内容なのがもったいない。インディーズ盤海賊盤ではアナログ2枚組のままアナログ再発されているようだが、今は大手ユニバーサル傘下なのになぜ完全版の発売がされないのだろうか。
上記の通り日本盤『侍』は1枚ものとしての編集はなかなかうまく、オリジナルの楽曲配置を上手く組み替えてあり、2LPではディスク1ラストのコミック・ソング「Duffy Drake」をアルバム全編のクロージング・ナンバーにしている。短いインスト「18 Century」は「Boy With A Gun」と同じ調なのでこの1枚ものの配曲だとA面のコーダになり、CDだとなおさら流れの良さがわかるが、本来は「Four Seasons」から「Eagle's Eye」をつなぐ役割だったのがB面の「Four Seasons」につながる。ベースのボディ打撃奏法が聴かれる複雑な構成の同曲と「かごめかごめ」と「とおりゃんせ」の混ざったメロディが出てくる「Mandalay」、またハードな「Eagle's Eye」と琴が使われる「Boy With A Gun」はプログレッシヴ・ロック色が強いが、オルガンやメロトロンの響きもあって同時期のフォノグラム傘下でもヴァーティゴのクレシダやグレイシャスを思わせる、どこかサイケデリック色を引きずった音になっている。クレシダ、グレイシャスらとはブルース色が薄いのも共通するが、ハード・ロック色はサムライの場合さらに薄い。しかしカットされた「Intermediate Stages」と「Five Tone Blues」は気になる。前者は実験性を予感させるし、後者も5音階と謳っているからには独自のモード・ジャズ系長尺セッションが予想される。タンジェリン・スタジオの黴に埋もれてマスターテープそのものが使えないのだろうか。それをいえばクレシダだってマスターテープが紛失しているのだから、盤起こしでも構わないのに。