人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ザ・ルースターズ - THE ROOSTERS (日本コロムビア/DENON, 1980)

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ザ・ルースターズ - THE ROOSTERS (日本コロムビア/DENON, 1980) Full Album : https://youtu.be/e3ZTYD32U-Q
Recorded at AMS in August & September 1980
Released by 日本コロムビア/DENON, AF-7017-AX, November 25, 1980
(Side A)
A1. テキーラ (作曲 : Chuck Rio) - 1: 19
A2. 恋をしようよ (作詞・作曲 : 大江慎也) - 1: 50
A3. カモン・エヴリバディー (作詞・作曲 : Edward Cochran) - 2: 32
A4. モナ (アイ・ニード・ユー・ベイビー) (作詞・作曲 : Ellas Modaniels) - 2: 40
A5. フール・フォー・ユー (作詞・作曲 : 大江慎也) - 2: 13
A6. ハリー・アップ (作詞・作曲 : 大江慎也) - 2: 55
A7. イン・アンド・アウト (作曲 : The Roosters) - 1:12
(Side B)
B1. ドゥー・ザ・ブギ (作詞 : 柴山俊之、作曲 : 鮎川誠) - 4: 15
B2. 新型セドリック (作詞・作曲 : 大江慎也) - 2: 21
B3. どうしようもない恋の唄 (作詞 : 南浩二、作曲 : 大江慎也) - 3: 19
B4. 気をつけろ (作詞・作曲 : 大江慎也) - 2: 01
B5. ロージー (作詞・作曲 : 大江慎也) - 4:45
[ ザ・ルースターズ The Roosters ]
大江慎也 - ボーカル、ギター
花田裕之 - ギター
井上富雄 - ベース
池畑潤二 - ドラムス

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 全12曲・全編で32分の短いアルバムですがこれはいい!テナーサックス入りロックンロールのノヴェルティ・ソングでも通俗中の通俗曲「テキーラ」のカヴァーをサックス・パートはごっそり削りデビュー・アルバムの冒頭でやってのけたギター・バンドのビート・グループがザ・ルースターズ以外にいるでしょうか。他にもエディ・コクランの「カモン・エヴリバディー」やボ・ディドリーの「モナ」などベタな曲のカヴァーを英語詞はカタカナ英語で、日本語部分は直訳で歌っています。博多の先輩バンド、サンハウスの未発表曲を譲り受けた「ドゥー・ザ・ブギ」はスリム・ハーポの曲を『Exile On Main St.』でローリング・ストーンズがカヴァーしたヴァージョンの再改作なのもすぐにわかります。初期のヴォーカル専任メンバーだったという南浩二作詞の「どうしようもない恋の歌」はサンハウスの「もしも」と同じくモータウン・ナンバー(マーサ&ザ・ヴァンデラス)の「Heat Wave」の改作で、他のオリジナルはブルースかII-Vものが大半です。つまり音楽的に斬新なことは何もやっていません。なのに、というかだからこそというか、バンド自前で借金して揃えたというスーツで決めたアルバムジャケットは日本のロックのアルバム史上でも最高にかっこいいバンド・ポートレイトですが、ヴォーカルも楽曲も演奏もジャケット通りの音が出てくるのです。
 北九州で結成されたザ・ルースターズは結成翌年の1980年には東京に進出、各種バンド・コンテストを総ナメにし、レコード会社の争奪戦を経て日本コロムビア/DENONレーベルから1980年11月にシングル「ロージー/恋をしようよ」、アルバム『THE ROOSTERS』で早くもデビューしました。コンテスト審査員の多くは現役の音楽ジャーナリストでもあったのでレコード発売前から評判は鳴り響いていました。テレビ神奈川のロック番組「ファイティング80's」の出演回数も多く(レギュラー・ホストは宇崎竜堂、1980年度のレギュラー・バンドは子供ばんどで、翌年はザ・モッズがレギュラーだったと記憶しています)、観客を入れたスタジオ・ライヴでもかっこ良さではずば抜けており、大江慎也は肘ごと腕を振り直角にコードを刻んでいました。「ファイティング80's」はレコード・デビューしたほとんどの新人バンドのライヴが観られる番組で、ARBザ・ルースターズザ・ロッカーズ、ザ・モッズら福岡出身バンドは特に出演回数が多かったのですが、ルースターズに突出した評価が集まったのは生演奏の映像を観ていなくてもレコード音源だけでもわかります。前述の福岡出身バンドはおおまかに分ければライヴハウス「照和」系のバンド(70年代にチューリップ、海援隊甲斐バンドを輩出している)がARBとザ・モッズで、シンガーソングライター+バンドという性格を残していました。ARBなら石橋凌、ザ・モッズは森山達也というシンガーソングライターあってのバンドです。一方「照和」系のバンドとも交流がありながらルーツ・ロックに強く立脚していたのがサンハウス影響下のビート・バンドで、シーナ&ザ・ロケッツ、ザ・ロッカーズザ・ルースターズはこちらに入ります。
(Original Nippon Columbia/Denon "THE ROOSTERS" LP Liner Cover)

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 70年代にメジャー進出した「照和」系のフォーク/ロック・バンドがレコード・デビューとともに東京に拠点を移したのに対して、サンハウスはレコード・デビュー後もあくまで博多を拠点とした活動を続けました。音楽的にも「照和」出身グループと異なりフォーク的要素・シンガーソングライター+バンド的発想はなく、初期のザ・ビートルズザ・ローリング・ストーンズをモデルにしたロックンロールとブルース・ルーツのビート・グループを指向していたのです。サンハウスと同時期に、サンハウスと同じ発想で閃光のように煌めいて消滅したバンドに村八分村八分の模造バンドとして結成されそこそこの成功をおさめた外道(外道の日本的グラム・ロックの遺産は後年、東京都町田市の同郷のXに反映されます)が数えられますが、70年代の日本のロックで最大の成功をおさめたキャロルはサンハウスストーンズならビートルズのような存在でした。キャロルの成功にも満足しなかった矢沢永吉はバンドを解散させソロ・シンガーになってより商業的成功を目指した音楽を追求します。
 サンハウスのロックは日本へのロック移入としてはもっとも正攻法なもので、日本のロックはザ・スパイダースとザ・ブルー・コメッツの次にグループ・サウンズではなくサンハウスが登場すべきでした。グループ・サウンズでもザ・ジャガーズザ・カーナビーツ、ザ・テンプターズザ・ゴールデン・カップスらはサンハウスと競合できたでしょう。しかしグループ・サウンズ最大の人気バンドは本人たちも不如意なまま和製モンキーズ/ビージーズ/ウォーカー・ブラザースのポピュラー・コーラス・グループ路線で売り出されていたザ・タイガースで、進んで哀愁コーラス・グループ路線でデビューしたジ・オックスがNo.2につけました。当時まだサンハウスのメンバーは九州の大学生バンドでストレートな同時代の英米ロックのカヴァーをやっていました。サンハウスを結成するメンバーをルーツ・ロックに開眼させたのは『Beggars Banquet』1968から『Get Yer Ya-Ya's Out !』1970を通って『Exile On Main St.』1972に達する時期のローリング・ストーンズだったでしょう。サンハウスのデビュー・アルバム『有頂天』1975は頭脳警察のデビュー作『頭脳警察セカンド』1972、キャロル『ルイジアンナ』1973、村八分村八分ライブ』1973、外道『外道』1974と較べて遅きに失した観がありました。『有頂天』のセールスはアルバムのラジオ放送禁止規定にも関わらず好調なものでしたが各種音楽誌からの評価は点の辛いもので、上記のバンドのどれよりも音楽的にはオーソドックスなロックだったのです。
(Original Nippon Columbia/Denon "THE ROOSTERS" LP Side A Label)

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 そこが良いのだ、と早くから気づいたのは日常的にサンハウスのライヴに接することができた博多のリスナーとアマチュアのバンドたちで、「照和」系の石橋凌森山達也といったシンガーソングライターたちもバンドの結成にはサンハウスに倣ったビート・グループの形態を選んだのです。サンハウスはデビュー以後バンド運営に行き詰まり、1978年までには解散してメンバーたちは各自の活動に移りましたがヴォーカルの菊(柴山俊之)は作詞家となり、博多のバンドの多くに歌詞を提供します。サンハウスのギタリストの鮎川誠は夫人をヴォーカリストに起用したシーナ&ザ・ロケッツを結成し、今度は東京を拠点として不退転の覚悟で再デビューしました。シーナ&ザ・ロケッツが注目を浴びたことからようやくサンハウスを中心とした博多のビート・グループ・シーンの存在と、サンハウスの再評価が起こったのです。日本にロックはあったか、といえばサンハウスがあったし、サンハウスを継ぐバンドがいる。シーナ&ザ・ロケッツは実質的にサンハウスの後継バンドですし、ザ・ロッカーズ(陣内孝則在籍)やザ・ルースターズは直系、また周辺バンドにARBやザ・モッズがいる。中でもザ・ルースターズの実力は抜群でした。
 このデビュー・アルバムの時点でリーダーでヴォーカルの大江とドラムスの池畑は22歳、ギターの花田は20歳、ベースの井上は19歳です。リーダーの大江は健康上の理由で後に脱退してリーダーとヴォーカルは花田が継ぐことになりますが、その頃には池畑や井上も自分がリーダーのバンドを立ち上げメジャー・デビューしていました。花田がリーダーのルースターズ解散後には花田の新バンドに井上・池畑が入り、さらに二転三転して健康状態次第で大江が加わる、という、別バンド名義ながらメンバーはオリジナル・ルースターズという状態が10年来続いています(アルバム発表もされています)。35年以上断続的にこのメンバーは離合集散をくり返しているのですが、年齢構成がデビュー当時のビートルズと同じです。担当楽器が少し違いますが、ビートルズはジョンとリンゴが22歳、ポールが20歳、ジョージが19歳でした。ザ・ルースターズはカヴァー曲もオリジナル曲も良いですが、がなるような大江のパンキッシュなヴォーカルが良く、何よりメンバー全体の一体感とグルーヴ感をデビュー・アルバムでこれだけ高度に表現できたバンドは日本のロックではルースターズが初めてかもしれない。スパイダースやカップス、キャロルや村八分、外道、サンハウスでもデビュー・アルバムでここまですさまじいグルーヴをレコードに刻みこめなかったし、彼ら先達バンドの全アルバムでもルースターズのデビュー・アルバムほどソリッドなロックンロール・アルバムはなかったと言えるほどです。それは先立つ日本のパンク・ロックのアルバムすら凌駕するパンキッシュなアルバムでもありました。しかも音楽的な斬新さとは一切関係がないのです。これがまぐれなのではなかったのは、続く数枚のオリジナル・メンバー時代のアルバムからでもわかります。