人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ザ・ルースターズ - THE ROOSTERS a-GOGO (日本コロムビア, 1981)

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ザ・ルースターズ - THE ROOSTERS a-GOGO (日本コロムビア, 1981) Full Album : https://youtu.be/nw52409bAW8
Released by 日本コロムビア Columbia AF-7053, June 25, 1981
All Arranged by The Roosters
(Side A)
A1. RADIO上海~WIPE OUT (作曲 : J. Fuller、B. Berryhill、R. Wilson、P. Connolly) - 2:00
A2. LIPSTIC ON YOUR COLLAR (作詞 : E. Lewis、作曲 : G. Goehring) - 3:01
A3. ONE MORE KISS (作詞 : 大江慎也、M. Alexander、作曲 : 大江慎也) - 4:06
A4. SITTING ON THE FENCE (作詞・作曲 : 大江慎也) - 2:54
A5. GIRL FRIEND (Album Version) (作詞・作曲 : 大江慎也) - 4:26
(Side B)
B1. DISSATISFACTION (作詞・作曲 : 大江慎也) - 2:13
B2. FADE AWAY (作詞・作曲 : 大江慎也) - 3:30
B3. BACILLUS CAPSULE (作詞 : 柴山俊之、作曲 : 鮎川誠) - 3:00
B4. FLY (作詞 : 大江慎也、作曲 : ザ・ルースターズ) - 2:27
B5. I'M A MAN (作詞・作曲 : E. McDaniels) - 3:42
B6. TELSTAR (作曲 : Joe Meek) - 3:07
[ ザ・ルースターズ The Roosters ]
大江慎也 - ボーカル、ギター
花田裕之 - ギター
井上富雄 - ベース
池畑潤二 - ドラムス

 デビュー・アルバムから早くも半年後にリリースされた第2作。作風で分けるならデビュー作と第2作は双生児的作品で、初CD化の際には2in1の体裁でしたがアートワークの簡略化に不満があるにせよ初期2作が通して聴けるのは便利でした。バンドにはさらに半年後にリリースされた第3作『INSANE』1981.11までは「知らないうちにアルバムが出ている」状態だったといいます。デビュー作から1年間でアルバム3枚の発売は当時の日本のロック・バンドでも群を抜いた多作で、初期のサンハウスを手がけ、日本コロムビアゴダイゴを担当していた柏木省三プロデューサーがザ・ルースターズを積極的に売り出しており、柏木プロデューサーは以降もルースターズとメンバーのソロに関わる大変なやり手でした。バンドのメンバー以上にバンドをコントロールする立場にあり、後のルースターズの作風の変化や頻繁なメンバー・チェンジにも柏木プロデューサーの関与が大きいとされジャーナリズムでも賛否両論がありましたが、ルースターズのメンバーがプロデューサーの意向に忠実に従っていたのも事実のようです。後述しますがルースターズは1982年~1984年にはいつ解散してもおかしくない状態で不安定極まりない状態に陥っており、1985年~1988年にはほとんど新生バンドとしてようやく安定した活動に落ち着きましたが、これほど混乱を極めた事態を乗り切るにはバンド外部のプロデューサーの存在が不可欠だったでしょう。ただしデビュー当時のラインナップを維持するには、バンドは内部から深刻に崩壊していました。その点で、オリジナル・メンバーがバンド出発時のコンセプトで制作した初期アルバム2作は際立っているのです。
 作風面ではともかく、デビュー作と第2作は制作プロセスは大きく異なるものでした。デビュー作は特に方向性を定めず2日間で40曲あまりのレパートリーを一気に録音した中から選んだものだったそうです。デビュー作の好セールスを受けて第2作はもっとポップなものを目指し、リヴァーヴやエコー処理など録音を工夫して選曲も意を凝らしたものになりました。デビュー作冒頭の「テキーラ」同様、本作ではラジオのチューニング音に続いてヴェンチャーズの「WIPE OUT」のパンキッシュなカヴァーが始まり、アルバム最後の「TELSTER」のエンディングはA1とそのままつながります。このA1、B6のループと意表を突く「カラーに口紅」のせいでカヴァー曲とオリジナル曲の配分では第2作の方がカヴァー曲の比率がやや高く聴こえますが(実際はほぼ同数になります)、アレンジ力の向上とアルバムの構成からカヴァー曲の比重により特にポップになった印象は受けません。それより演奏自体がこなれて良い意味で軽みが生まれたことの方が第2作をより親しみを感じさせるアルバムにしています。
(Original Columbia AH-55-AX "ONE MORE KISS/DISSATISFACTION" 7" 45rm. Picture Sleeve)

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 この第2作ではバンドの売り出しにもいっそう力が入ったのがゲイトフォールド(見開き)ジャケットにも現れていて、表は大江慎也、裏は花田裕之、内側は井上富雄池畑潤二のメンバー・ポートレイトが全面を飾っています(シングル「ONE MORE KISS/DISSATISFACTION」スリーヴ参照)。硬派のロックン・ロールバンドでも過去にキャロルのようにアイドル的人気を博したバンドはあるので、ルースターズもルックスの良く乗りの良いロックン・ロールバンドとしてアイドル的人気を期待されていたのがうかがわれます。第3作『INSANE』でルースターズは従来路線とダークなネオ・サイケデリック路線の混交した作風に転じますが、時代的にはポスト・パンク風のサウンドに変化したのは自然なことでした。その後、大江慎也は映画『爆裂都市』出演(1982年3月)出演後に精神的体調不良からミニ・アルバム『ニュールンベルグでささやいて』1982.11制作中に入院してバンドも活動停止、池畑潤二が脱退して新メンバー加入、次のミニ・アルバム『C.M.C』1983.7で大江が復帰するもフルアルバム第4作『DIS』1983.10を最後に井上富雄が脱退、さらに新メンバー加入と同時にバンド名をThe Roosterzと改名しますが、新曲を含む編集盤『Good Dreams』1984.4の頃には人気絶頂期ながらも内情は正式メンバー7人という混乱状態にあり、次作『φ』1984.12発表後には大江が休養宣言、翌年3月には正式に脱退が発表されます。バンドは柏木プロデューサー指揮下で花田裕之のヴォーカル/ギターを中心に体制を建て直し『Four Pieces』1988.5まで5枚のスタジオ・アルバムを発表、バンド解散後に1988年7月録音の解散記念ライヴ・アルバム『Four Pieces Live』1988.11が発表されました。
 本作の「BACILLUS CAPSULE」は前作の「ドゥー・ザ・ブギ」同様サンハウスの未発表曲で、サンハウスのヴァージョンは一時的再結成のライヴ盤『クレイジー・ダイヤモンズ』1983.11で聴ける他シーナ&ザ・ロケッツのレパートリーにもなっています。前作の「恋をしようよ」、本作の「FADE AWAY」「ハエ」などサンハウスの「やらないか」、「もうがまんできない」「ぶんぶん」などと歌詞内容の似ている曲が多いのは直接的な影響でしょう。サンハウスがやらなかったのはストレートな英語カヴァーで(ライヴではブルースの古典曲に限って英語で歌いますが)、前作のエディ・コクラン「カモン・エヴリバディー」、本作のコニー・フランシス「LIPSTICK ON YOUR COLLAR(カラーに口紅)」など軽快なポップ・ロック曲にしてもボ・ディドリーから前作では「モナ」(ストーンズで有名)、本作での「I'M A MAN」(ヤードバーズで有名)など原曲より性急なテンポで噛みつくように英語詞のまま(一部日本語混じりですが)歌うなどよほど自信がなければできず、しかも様になるどころかアルバムのハイライト曲にすらなっています。前作のラヴソングの名曲「ロージー」がマイナーのスカだったのに対し、本作のラヴソングの名曲には近田春夫氏も当時絶賛した切なく純情なバラード「GIRLFRIEND」があります。前作の攻撃的な「恋をしようよ」に対しては真正面なパンク・ナンバー「DISSATISFACTION」があります。前作、本作でも一部の曲は部分的に英語で作詞していますが、次作からは英語詞はさらに増えて、カタカナ英語がかえって無骨でかっこいい成果を上げています。ただし次作『INSANE』では音楽性に明らかに過渡期的な変化が見られ、かっこいいけれどどこか病的な、リスナーを突き放すような響きもあるのです。