ザ・ルースターズ - Insane (日本コロムビア, 1981) Full Album : https://youtu.be/rmaxzjjIrig
Recorded at Star Ship & Aoi Studio, Aug 1981
Released by 日本コロムビア AZ-7129-AX, November 25, 1981
Arranged by The Roosters
(Side A)
A1. レッツ・ロック (Dan Dan) (作詞・作曲 : 大江慎也) - 4:10
A2. ゲット・エヴリシング (作詞・作曲 : 大江慎也) - 1:36
A3. ベビー・シッター (作詞・作曲 : 井上富雄) - 2:58
A4. オール・ナイト・ロング (作詞・作曲 : 大江慎也) - 2:43
A5. フラッシュ・バック (作曲 : The Roosters) - 3:32
(Side B)
B1. ケース・オブ・インサニティ (作詞・作曲 : 大江慎也) - 4:55
B2. イン・ディープ・グリーフ (作詞 : M・アレキサンダー、大江慎也、作曲 : 大江慎也) - 9:14
[ ザ・ルースターズ The Roosters ]
大江慎也 - ボーカル、ギター
花田裕之 - ギター
井上富雄 - ベース
池畑潤二 - ドラムス
デビュー・アルバムから満1年目に発売されたアルバム第3作。1980年11月のデビュー・アルバムからは「ロージー」、1981年6月の第2作からは「ONE MORE KISS」がシングル・カットされていましたが、本作と同時発売シングルでポップなロック曲「ヘイ・ガール」はアルバム未収録曲になりました。アルバムはAB面で全6曲29分23秒とあえて短くまとめられ、2,000円の廉価盤で発売されました(当時の新作LPの価格帯は2,500円~2,800円)。続く2作『ニュールンベルグでささやいて』1982.11と『C.M.C』1983.7はどちらも4曲入り12インチ45prmミニ・アルバムで発売され(価格は1,500円)、レコード会社側ではレコード価格の高騰とセールスの低下にソフトの形態で模索していたのがわかります。ザ・ルースターズはデビューから1年でアルバム3作という当時の日本の新人ロック・バンドでは好調なスタートだったものの、1982年3月の映画『爆裂都市』(他にアナーキー、ザ・ロッカーズ、ザ・スターリン、町田町蔵ら出演)に大江・池畑が出演(ルースターズもサントラに日本語版「レッツ・ロック」提供)撮影中に大江が心身ともに不調に陥り、『ニュールンベルグでささやいて』を最後に池畑が、バンド表記をThe Roosterzと改名したフルアルバム第4作『DIS』1983.10を最後に井上が脱退し、新曲とリミックス曲からなるコンピレーション『Good Dreams』1984.4発売時には大江・花田のオリジナル・メンバー2人に追加メンバー5人という混乱をきわめていました。そしてフルアルバム第5作『φ』1984.12を最後に大江も脱退してしまい、1988年5月リリースのラスト・アルバム『Four Pieces』までバンドは花田がヴォーカルとギターで牽引し『SOS』1985.7、『NEON BOY』1985.9、『KAMINARI』1986.11、『パッセンジャー』1987.9と5作のスタジオ盤を残しています。
花田がリーダーになった後期は再び8ビートのロック色を強めたルースターズですが、大江がリーダー時代の後半期では、特に『ニュールンベルグでささやいて』と『C.M.C』の2作のミニ・アルバムは大胆に実験的なダブ/ファンクに踏み込んだ作品で、『Good Dreams』と『φ』では大江の活力がどんどん枯渇していったドキュメント的なアルバムになっています。『Insane』ではA1~A4は従来路線のルースターズが聴けますが、A5のインストルメンタル曲はデビュー作・第2作で演奏していたような明快な楽曲ではなくサイケデリックなムードが漂い、B面の2曲はポスト・パンク型のネオ・サイケデリック・スタイルの楽曲で、大江と花田の2ギターの絡みやファンクを消化したベースとドラムスなど『ニュールンベルグでささやいて』を予告しており、全体的には大江のリーダー時代は『Insane』を過渡期に前後に分かれると言えるでしょう。デビュー作・第2作のルースターズからは9分もあるサイケな「イン・ディープ・グリーフ」のような楽曲にバンドが向かうとは予想がつかないことでした。
(Original Nippon Columbia "Insane" LP Lyric Sheet)
デビュー作・第2作のルースターズがサンハウスを継いでいたのは日本語のロックに前例がありそうでなかった直截な歌詞にもよく現れていますが、8ビートに強いシャッフル感覚を持たせることでハードロック的ではない方向にソリッドなビートを強化したことで、これはサンハウスがストーンズを始めとするイギリスのブルース系ビート・グループから学んで自作曲に取り入れたスタイルであり、サンハウスと同期の村八分、キャロル、外道らにもない方法でした。歌詞の面でもサンハウスから学んだARB、ザ・モッズらはドラマティックなシチュエーションを設定することで情感を歌い上げる手法ではフォーク的な発想を残していましたが、ルースターズとザ・ロッカーズはより直接的にサンハウスに忠実にドラマ性を排した、生々しい言い切りだけを列挙する反情緒的な歌詞に勝負をかけていました。
ある意味サンハウスやルースターズはストーンズ、プリティ・シングズ、ヤードバーズのあられもない直訳バンドでしたが、東京や横浜、大阪や京都ではなく博多や小倉からこうしたスタイルのバンドが出現したこと自体が何かを語っているようです。横浜からゴールデンカップス、京都からは村八分のような特殊なバンドが生まれてきた必然が感じられますが、昭和40年代前半にピークを過ぎた生バンド入りのキャバレーが福岡県の都市部には昭和50年代になってもまだあり(10年前に用事で小倉に訪れましたが、いまだに駅前にグランドキャバレーが営業しており感嘆しました)、年代的なズレというよりも特定の強固なスタイルが根づくと徹底してそのスタイルの追求に向かうような気風が感じられました。ルースターズはデビュー時期から言ってパンク・バンドとして出発しても良かったのにそうならず、『Insane』でネオ・サイケに向かっても特にポスト・パンク/ニュー・ウェイヴに転向したというのではなく、バンドの中では地続きの変化に過ぎなかったのがアルバムの統一感から感じられます。
(Original Nippon Columbia "Insane" LP Side A & B Label)
それでもやはりアルバム冒頭の痛快なロックンロール曲「レッツ・ロック」とアルバム最終曲「イン・ディープ・グリーフ」の落差は奇妙なもので、意図的な音楽性拡張の実験性から試みられたものとは思えないだけにバンドのセルフ・イメージの揺らぎを感じさせ、ヴォーカリストでソングライターのリーダーの指向にメンバーが不安げに着いていきながらようやく成立したような危うい均衡がかろうじてバンドをまとめているように聴こえます。この状態でバンドが長続きするのはまず無理ですので、『ニュールンベルグでささやいて』ではより積極的なダブ/ファンクへのアプローチが行われますが、バンドのオリジナル・ラインナップも次第に崩れていきます。すでにバンドが結成時の音楽性ではなくなってしまった以上はメンバーの新陳代謝もやむを得ない段階に入っていたということでしょう。
もし東京や大阪ら東西中心地の出身だったバンドなら、時流に乗った音楽性で最新の実験的手法を取り入れることはそれ自体が目的化しているので、ルースターズのような変化はむしろ歓迎すべき事態でもあり、『Insane』や『ニュールンベルグでささやいて』はバンドのリニューアルをうまくやってのけた成功作だったでしょう。しかしサンハウスの系譜にあるルースターズには自然な変化を柔軟に体質化していくには立脚点が強固で、鋭敏なビート感覚を生かすことでは本質的なバンドの姿勢を完徹していたとしても初期のビートバンド・スタイル以上に資質に合ったものではない、と感じたメンバーから離れて行ったと想像されます。脱退した池畑が結成したZERO SPECTRE、井上が結成したBlue Tonicも80年代スタイルのバンドでしたが、それはルースターズを離れたことで音楽的指向性を一旦リセットしたのだろうと思います。筆者が生で初めてルースターズのステージを観たのが『C.M.C』発売の前月、イギー・ポップの初来日公演初日1983年6月19日(日)の前座出演でしたが、曲に聴き憶えがなければテレビ出演で観たことのある初期ルースターズとは別バンドのように覇気のない演奏に戸惑いを感じたのを覚えています。