夜の居酒屋
この冬は1月25日まで暖房を出さなかった。さすがに電気敷毛布は年末からは使ったが、5週間前までは厚着だけしてなんとかしていた。寒くなかったと言えば意地を張りすぎだが、ホームレス経験や拘置所経験を思えば冷暖房など贅沢品きわまりない。それはまあ人類が穴居人生活をしていた時代も焚き火くらいはしていたと思うが、最近は焚き火の光景すらもすっかり見られなくなった。ドヤ街などでは焚き火を囲んで酒瓶をまわしクダをまき、泥酔したアル中が焚き火に飛び込んで大騒ぎになったりするのが冬の風物詩らしいが、そんなの自分とは無縁の世界と思う人が世間の大半だろう。だがもし気づいてみたら社会の底辺と思っていた世界に自分がいるとしたらどんな気がする?そしてそれも悪くないと思うようになっていたとしたら?というのがボブ・ディランの一世一代の代表曲「Like a Rolling Stone」の歌詞概略だった。アメリカ人が痛切にこの歌詞から想像力をふくらませ衝撃を受けるようには、突然やってくる社会的転落について想像力が働かないように日本社会はできている。真冬に暖房を我慢したって本当に命の瀬戸際だった時の切迫感は戻ってこない。居酒屋の外は寒く中は暖かいのだろう。だがその暖かさはいつまでも続かない。もうすぐ来る春を待つばかりだ。