人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

2017年映画日記4月15日~4月18日/ ルネ・クレマン(1913-1996)の初期監督作品

 (抱いているのは子犬の死体)

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 ルネ・クレマン(1913-1996)は『禁じられた遊び』と『太陽がいっぱい』の2大金字塔によってかつては日本で一番知られたフランスの映画監督だったでしょう。次点は『居酒屋』といったところか、作品があまりに知られすぎたために監督自体はかえって話題に上がることが少ない、映画が名作なのか作者が名手なのかよくわからない人でもありました。またクレマン以降の世代のフランスの映画監督は意図的にクレマンについて言及を避けていた節があり、ヌーヴェル・ヴァーグの世代以降にとってはクレマンやクルーゾーの存在は目の上のたんこぶのような先達だったのがうかがわれます。ですが今クレマンの初期作品を観ると抜群の面白さと舌を巻くしかない技巧の冴えに感心するばかりで、さすがクレマンより10歳前後若い世代からは羨望と嫉妬による無視を決め込まれるだけあります。同じ土俵では勝てないのでクレマン以後のフランス映画はクレマンとは異なる方面に進みました。クレマンとほぼ同時期デビュー、同世代のロベール・ブレッソンジャック・ベッケルジャン=ピエール・メルヴィルヌーヴェル・ヴァーグ運動で熱意に満ちた再評価をされながら好評に新作が迎えられたようにはならなかったのですが、かなりの部分は判官贔屓によるものではないかと思われます。しかし『靴みがき』(デ・シーカ, '46)がオーソン・ウェルズの絶賛した数少ない戦後映画だったように、『禁じられた遊び』はなんとあのトボケた癖者ルイス・ブニュエルが「真の名作」(ともにカイエ・デュ・シネマ編インタヴュー集『作家主義』より)と絶賛しているのです。

●4月15日(土)
『左側に気をつけろ』(フランス'36)*13mins, B/W
ジャック・タチの初主演作品がクレマン監督の短編だったとは気にもとめていなかった。50年後にゴダールが『右側に気をつけろ』とタイトルを拝借したので名のみ高い作品。田舎町の素人ボクシングを描いたサイレント風コメディで、最初自転車乗りの郵便配達夫がタチかと思ったくらい町のあんちゃん役のタチが若い。内容は他愛ない。脚本はタチ自身であまりにサイレント喜劇時代のアメリカ映画のギャグそのままで、タチの映画から入った観客にはともかく先にマック・セネット喜劇を観ているとあまりの追従ぶりが痛い。ドキュメンタリー映画のスタッフだったクレマンの手際はすこぶる良く、短編連作による長編ならもっと見応えもあっただろうが、いかんせん13分の短編1編ではタチのキャラクターも描ききれずきつい。

『鉄路の闘い』(フランス'46)*82mins, B/W
・フランスは大戦中ドイツ占領下だったのでレジスタンスは親ドイツ政権のフランス人に対する内戦でもあったのが嫌な感じでよくわかる。フランス国鉄職員のレジスタンス組織による鉄道網の妨害(破壊)工作をセミ・ドキュメンタリー的に細かく描いていて、似てる映画があったなと思うと帝政ロシア時代の労働運動鎮圧策略を描いたスパイ映画『ストライキ』(エイゼンシュテイン, '25)だった。スパイ、妨害、破壊(殺戮)が正当化されるのは革命と戦争の時で、これを反革命反戦に置き換えてもやることは変わらない。レジスタンス組織はフランスの自由のために戦っていたわけだが、手段は人間を作戦の部品にするもので、ことに国鉄網の破壊となると敗軍の将が城を焼くようなむごさがある。映画の意図とは逆に侵略戦争が結局空虚な解決しか生まないか国家紛争の非情さをひしひしと感じさせてくれる「勝った側が正義」の映画にもなっている。映画のクライマックス、これだけの大鉄道事故を再現した戦勝直後の国威発揚アピールもフランス人のしつこい面、ドイツへの恨みつらみを見せつけられたような気がする。映画の底力自体はカンヌ国際映画祭監督賞・国際審査員賞もよかろうと思うが、受賞そのものは政治性を感じずにはいられない。

●4月16日(日)
『海の牙』(フランス'47)*98mins, B/W
カンヌ国際映画祭冒険探偵映画賞受賞というのは1947年度は『幸福の設計』(ジャック・ベッケル)が恋愛心理映画賞、本作が冒険探偵映画賞、『ジークフェルド・フォーリーズ』(ヴィンセント・ミネリ)がミュージカル映画賞、『十字砲火』(エドワード・ドミトリク)が社会映画賞と4作同時グランプリを出した無茶な年だったので、アメリカ2作・フランス2作というのも国際情勢だなあと感心する。クレマンは『鉄路の闘い』と本作の間の『Le Pere tranquille』'46でもカンヌにノミネート、本作の次作『鉄格子の彼方』でも監督賞を受賞するから長編劇映画デビュー当時の勢いはすごかったのがわかる。同じ後出しジャンケン的反ナチ(ドイツ軍人=ナチではないが)映画でも潜水艦映画の本作は抜群に面白い。始まりは『深夜の告白』みたいで混乱するが敗戦末期に密命を帯びて南米へ航行するUボート、そこへようやく語り手が拉致される冒頭20分まで観ると止まらない。戦艦ものには金字塔『戦艦ポチョムキン』があるが、ことに潜水艦ものにハズレはないというのは本作あたりから定着したのではないか。ここまでも構成のネタバレはしているが、さらに後半こう来るか、とますますスリルが加速する仕掛けがある。メルヴィルのシリアスな『海の沈黙』とは体質が違うとしか言いようがなく、戦争をネタに面白い映画を作ろうという身も蓋もない職人根性は一本筋が通っている。レジスタンス映画とはいえ事実上フランス内戦事情だった前作よりも、ドイツ海軍潜水艦部隊の内輪モメを描いた本作の方が一見勧善懲悪なのに悪役ばかりの自滅劇で愉快痛快なのは当然ではなかろうか。『鉄路の闘い』は観客の歴史・政治的観点が問われるが『海の牙』は別に敗走する潜水艦はドイツ軍でなくてもよい。無責任に真綿で首が締められるドラマを楽しめる。フィルム・ノワールのような枠物語の構成は不要のようでいて第三者のフランス人を巻き込むにはこれしかないと思われるからこれで良いのだろう。主要登場人物十人ほどがどの順でどのような末路を迎えるか、これほど隙もなく意外性にも富むと文句のつけどころがない。狭い潜水艦艦内通路(当然セットだろうが)を1シーン1カットで移動するアンリ・アルカンのカメラには驚嘆する。Uボート敗走劇をネタにあらゆる技巧を試してみたハラハラドキドキ映画だから冒険探偵映画賞というのも妥当かもしれない。

●4月17日(月)
『鉄格子の彼方』(フランス'49)*83mins, B/W
カンヌ国際映画祭監督賞・主演女優賞、アカデミー外国語映画賞受賞。戦後映画の国際的評価ではクレマンとデ・シーカ(『靴みがき』『自転車泥棒』ともにアカデミー外国語映画賞受賞)が突出していたのではないか。ジャン・ギャバン主演で『望郷』を思わせる本作、ギャバンは執行猶予中の殺人犯という設定で作中では悪事は特にしていない。『望郷』はカスバが舞台だったが本作はジェノヴァが舞台。原作シナリオには『自転車泥棒』の脚本家も噛んでいる。前科者で執行猶予中の貨物船船員(ギャバン)はひどい虫歯でジェノヴァ停泊中に歯医者にかかろうと街に出る。地元の少女の案内で歯科に向かう途中財布を掏られ、取り戻すが歯科で会計しようとして偽札とすり替えられたのが判明。歯科はまたの寄港時までツケにしてもらい、レストランに入ってようやくまともに食事し、無一文で偽札しか持っていないとウェイトレス(イザ・ミランダ)に打ち明ける。ウェイトレスは船員に好意を持ち偽札を承知で受け取り会計を済ませる。店主にはすぐ偽札がバレて警察に出頭する羽目になり、執行猶予中の身なので途方に暮れた主人公をヒロインがかくまう。自分を裏切った愛人殺しの前科を打ち明けるがむしろヒロインは主人公に惹かれる。昼間の少女はヒロインの娘で別れた夫が連れ去りに来るが主人公は追い返し、ヒロインはますます好意を抱くが少女の態度はよそよそしくなる。別れた夫の通報で警察がフランスに主人公の身元を照合する。主人公は出航が迫って別れを告げて引き留めるヒロインを振り切り船に戻るが、同僚にジェノヴァに残っても構わないと言われヒロインのアパートに帰ってくる。少女のために贈り物を買い二人の仲を認めてもらおうとするが少女はかえって打ち解けなくなり、近所中で噂になっていると母に反抗する。少女が登校中の時だけ出入りして納戸を隠れ家にするが何だかんだで警察に捕まりフランスへ強制送還される。「ピエール!」「君のためにはこれでいいんだ」と牽かれていく主人公。こんな単純なサスペンス・ラヴ・ロマンスが似たような設定の戦前のギャバンの『望郷』『霧の波止場』よりほのぼの染みるのは日照りのアルジェ、霧のル・アーブルとはまったく違うジェノヴァの開放感と中年男女の交情に暖かみがあって、すぐさま恋に落ちるのも不自然にも安易にも見えない説得力がある。画面はのんびりしているのにテンポは早く小気味良い。戦前世代とは袂を分かつドライだがくつろいだ感覚が新しい。ギャバンミランダもどこか間の抜けた中年美男美女ぶりが愉しく陰湿にならない。とすればこれはコメディではないのかとすら思えてくる。

●4月18日(火)
禁じられた遊び』(フランス'52)*87mins, B/W

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アカデミー賞名誉賞(外国語映画賞)、ヴェネチア国際映画祭サン・マルコ金獅子賞、NY批評家協会賞外国映画賞、英国アカデミー賞作品賞(総合)、ブルーリボン賞外国作品賞と世界の映画界を席巻した子役映画、戦争孤児の5歳の少女ポーレット(ブリジット・フォッセー)が世話になった10歳の少年ミッシェル(ジョルジュ・プージュリー)と死んだ子犬を手始めに身近なもののお墓作りに熱中する話くらいは映画ガイドやDVDのパッケージに書いてある。世界が泣いた反戦映画の名作と一言で済ませてある紹介もある。有名すぎる哀愁の主題曲もあってこんな映画観たくないと普通は誰でも思う。だがこれはキューブリックの映画『ロリータ』'62(ナボコフの原作は1955年刊)に先立つ衝撃的ロリコン映画でシャーリー・テンプル(1928-2014)的な賢く純真で健気な子役像をぶち壊したやばい娯楽映画なのだ。5歳の少女が無意識に誘惑しているのも10歳の少年でどちらも性の自意識がないのがなおさらやばい。少年は少女の歓心のために次々と小動物の死骸を集め、十字架を自作し、墓を掘る。自作の板切れの十字架に少女が物足りなさを示し始めると葬儀や教会から十字架を盗み、遂には墓場からリアカーに山積みの十字架を盗んでくる。その間少年の兄は牛に蹴られて死に、仲の悪い隣家の息子は兵役休暇中に戻ってきて少年の姉と隠れて逢い引きする。ブニュエルが絶賛したのも当然で、ケチくさい悪徳がこれでもかの勢いで転がり落ちるように起こり、いがみ合い怒鳴りあいつかみあってもめ事が絶えず、教会や神父や儀式はますます争いに火を点けるどころか笑えないギャグが息つく暇なくくり出される。これではまるでブニュエルの映画みたいだ。有名なラストのシークエンス。少年の懇願もはねつけて少年の父は孤児院に引き取りに来た警官に少女を引き渡す。盗んだ十字架の隠してある水車小屋に走って十字架を川に次々と投げ捨てる。少女はごったがえす駅のホームで尼僧に迷子札をかけられ、ちょっと待っててね、と尼僧が離れてすぐに「ママ!……ミッシェル!」と走り出し、雑踏の中に消えていく少女。絵画でもないのに映画を「名画」と呼んだりするのはおかしいのだが、ここまで来ると各シーンの構図がそのまま絵画のように印象に焼きつく。超弩級の無敵のドタバタ悲劇で反戦というよりたまたま戦時下のドラマというだけだが、このスピード感とインパクトには開いた口がふさがらない。ブニュエルの不良少年映画の傑作『忘れられた人々』'50と同じくデ・シーカの『靴みがき』'46にインスパイアされた作品とは思うが、『ミツバチのささやき』'73(ヴィクトル・エリセ)のアナ・トレントや『ポネット』'96(ジャック・ドワイヨン)のヴィクトワール・ティヴィソルですら敵わないほど本作のブリジット・フォッセーには妖気に近い色気がある。もちろんその妖気は背徳性に近いが、こればかりは小細工なしで水際立っているとしか言いようがない。