人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2017年6月21日~6月23日/ スタンリー・キューブリック(1928-1999)監督作品全長編(2)

 今回のキューブリック作品第4作~第6作は3作ともまるで毛色の異なる題材と仕上がりでそれぞれヒット、大ヒット、興行成績不振と幅があり、結果的にキューブリックがメジャー商業映画界の中で異例のインディペントな製作環境を勝ち取る契機になった作品群です。第7作『博士の異常な愛情』'64と第8作『2001年宇宙の旅』'68でキューブリックは巨匠の名を不動にしますが、今回の『突撃』『スパルタカス』『ロリータ』はもっとも微妙な進路がかかっていた時期で、さらに商業映画監督としてハリウッドの職人監督に進むか、思い切ってインディペント映画に戻るか、商業映画監督として個性派としての地位を開拓するかはまだ決まっていませんでした。キューブリックはそれらのどれでもあるようでどれか一つとは言えない独自の立場の映画監督になったので、他のハリウッド映画の監督たちと同じ足場で商業映画に取り組んでいた第3作『現金に体を張れ』~今回の第6作『ロリータ』までの時期はキューブリックにとっても必要な通過点にして二度と戻れない職人監督時代でした。なお前回からもデータとして転載している日本公開年月日、配給会社、上映日数、観客動員数、興行収入、興行成績、配給コピーは『フルメタル・ジャケット』公開(昭和63年=1988年3月18日封切り)に合わせて刊行された昭和63年(1988年)4月刊の「月刊イメージフォーラム増刊号」『キューブリック』(ダゲレオ出版)に拠りました(当時日本未公開の第1作『恐怖と欲望』、最新作『フルメタル・ジャケット』、1999年の遺作『アイズ ワイド シャット』は除きます)。

●6月21日(水)
『突撃』Paths of Glory (米ユナイテッド・アーティスツ'57)*88min, B/W, Standard

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・昭和33年(1958年)2月19日日本公開、配給・ユナイト=松竹。上映日数14日、観客動員数36,421人、興行収入506万6,474円(ヒット)。コピー「これが軍隊だ 怒号と恐怖にぶち抜く戦場リアリズム 『攻撃』『最前線』を凌ぐ迫力巨弾」「死の絶望と怒号に血まみれの将兵の群像!」。前作『現金に体を張れ』の次作に予定されていたステファン・ツヴァイク原作の『燃える秘密』Burning Secretがキューブリックと共作者の共同脚本完成段階でボツになったため、キューブリック自身が選んできた1935年刊の第1次世界大戦の実話小説『栄光の小径』(映画の原題通り)から脚本を仕上げ、大スターのカーク・ダグラスが出演を引き受けたので製作が実現。製作費93万5,000ドルの中規模予算中(前作は32万ドルの低予算)ダグラスの出演料が30万ドルで、作中の舞台はフランスでフランス軍側の視点からドイツ軍との前線の攻防戦を描くが、フランス軍内部の不正軍事裁判を描いた内容のためフランスでのロケを避け(フランスでの公開は1974年まで見送られた)、ドイツでロケとスタジオ撮影が行われた。膠着状態に陥った前線の攻防戦に総本部の軍団長将軍(アドルフ・マンジュー)から現場の師団長将軍に突撃司令が下される。部隊の参謀格で弁護士出身のダックス大佐(カーク・ダグラス)は成功が不可能で戦死者を出すばかりの作戦に反対するが、作戦実行による出世をほのめかされた師団長将軍は聞き入れず、無謀な作戦は前線突破どころか部隊の大半を戦死させ大敗に終わってしまう。師団長将軍は責任の回避のために部隊の戦意怠慢を告発し3部隊から1名ずつの被告を代表させて軍法会議を開き、ダックス大佐は3名の弁護士を買って出るが上層部の腹は命令違反による撤退を理由に部隊から見せしめ処刑することと決まっており、判決は有罪による銃殺刑に決まる。ダックス大佐は通信記録から戦闘中に師団長将軍が突破口を開くためフランス軍突入中の塹壕を砲撃隊に要請し、砲撃隊が文書命令なしの要請を拒否したことを知り兵士たちの処刑の前夜に軍団長将軍に自軍への砲撃を命じた師団長将軍の件を報告するが、軍団長将軍は師団長将軍に砲撃要請の件で査問にかける旨を本人とダックス大佐にのみ伝え兵士3人の銃殺刑は実行される。軍団長将軍は大佐に次期師団長の座を持ちかけるが大佐は猛然と拒否、軍団長将軍も憤然として大佐を面罵する。その頃兵士たちは捕虜のドイツ人少女を囲んではやし立てていたが、少女の歌に次第に静まり返って唱和し始める。ダックス大佐は兵士たちへの前線復帰命令を伝えに来た伝令に、もう少しだけ待ってやるようにと言い残して去っていく。'20年代からおフランスの伊達男を演じたらこの人、のアドルフ・マンジューの喰えない策謀家ぶりとカーク・ダグラスの一直線の演技は水と油なのだが本作では異質な演技の衝突が効果を上げており、処刑されるぐうたら兵士のラルフ・ミーカーが実にやる気のない中年ダメ兵士を演じてキャスト2番目も納得の存在感がある。総本部での壁をカメラがすり抜ける長いカットはメジャー作品ならではのセット設計で(手法自体は'30年代のホークス『暗黒街の顔役』'32や溝口『祇園の姉妹』'36に遡りヒッチコックも多用している、特に目新しいものではないが)、着弾の轟音と粉塵で何が何だかわからない塹壕での戦闘もカメラを兵士の目線の低さに置いて前作『現金に~』で減少した長回しのカットが復活した。3人の兵士たちが処刑前夜に手づかみで食べる(フォーク、ナイフ、スプーンは危険なので)「最後の晩餐」シーンは特に本編の白眉というほどには思えずコミック・リリーフにとどまるように思えるが、こうした一種の儀式的場面は後になるにつれキューブリック映画のTMになっていくので(第1作『恐怖と欲望』からすでにあった)、職人監督的な戦争歴史映画の域は軽く越えている。キューブリック20代最後の作品としてようやく一流監督としての本領が見えてきた。本作に続きキューブリックは第2次世界大戦ものの『ドイツ軍中尉』The German Lieutenant、カーク・ダグラスの意向で金庫破りの自伝『私は1600万ドル盗んだ』I Stole 16 Million Dollarsを企画するが前者は企画のみで頓挫、後者はキューブリックによる脚本をダグラスが却下し中止となる。次作『スパルタカス』はエグゼクティヴ・プロデューサーを兼ねたカーク・ダグラス主演の70mm、カラー大作が当初監督に当たったアンソニー・マンをダグラスが更迭したため、キューブリックに白羽の矢が立った一種の代役監督作品だった。だがそれが世界的な大ヒット作になったことで再びキューブリックは大半の自作の権限を握るのを許される、名実ともに一流監督に足をかける。

●6月22日(木)
スパルタカス』Spartacus (米ユニヴァーサル'60)*197min, Technicolor, Super Technirama 70

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昭和35年(1960年)12月15日日本公開、配給・ユニバーサル。上映日数90日、観客動員数29万人、興行収入7千800万円(大ヒット)。コピー「全世界の感動を呼ぶ世紀の巨編!! 12月15日より全東洋独占公開」。紀元前1世紀のローマ帝国、奴隷スパルタカス(カーク・ダグラス)は商人バタイアタス(ピーター・ユスチノフ、本作でアカデミー助演男優賞受賞)に売られて見世物の剣闘士にされる。奴隷剣闘士仲間ともども不満をつのらせたスパルタカスは愛し合っていた女奴隷バリニア(ジーン・シモンズ)が貴族の軍人クラサス(ローレンス・オリヴィエ)の下に売られたのをきっかけに反乱を起こし、奴隷たちの反乱軍を拡大しながら帝都ローマに向かいクラサス率いるローマ軍と対決する。クラサスの野望を快く思わない元老グラッカス(チャールズ・ロートン)、クラサスの稚児の奴隷詩人でスパルタカスの反乱奴隷軍に加わるアントナイナス(トニー・カーチス)らがドラマに絡み、スタンダード曲になったアレックス・ノースによる「『スパルタカス』愛のテーマ」の哀調の美メロが盛り上げる。キューブリック自身は晩年間際までカーク・ダグラスからの雇われ仕事として自分の監督作て見られるのを嫌ったが(最晩年には自分の貢献を認める考えに変わったらしい)、3時間超の長丁場が快調でストレスを感じさせない。現行ヴァージョンでは4分近い音楽だけの序曲、2時間目に「INTERMISSION」が入る(以後2時間半を越えるキューブリック作品には前半3/5の辺りで「INTERMISSION」が入るのが通例になる)。快調なのは必ずしも長所ばかりではなく、ジャンルとしては歴史スペクタクルなのに歴史の面では原題劇とあまり違いがなく、スペクタクルとしてはテーマに足を取られて活劇的見せ場に乏しく、よく比較される新旧の『ベン・ハー』(フレッド・ニブロ版、ウィリアム・ワイラー版)の爽快感に及ばない。原作ベストセラー小説を踏襲したものとしてもチャールズ・ロートントニー・カーチスがおいしい役を持って行くので帳尻は合うが、主演のダグラスの強い個性はあまり反乱奴隷軍のリーダーらしく見えない。もっともカリスマ性とリーダーシップの両立したキャラクターを積極的に描くのは本作の設定では難しそうで、ダグラスの動機も何だかんだ言って私怨だが個人で戦える規模の反乱ではないから奴隷剣闘士仲間で徒党を組んでいるのだが、にわか仕込みの反乱軍では軍隊の体をなさないから前哨小隊には勝てても本気を出したローマ軍にはあっさり負けるのも一応きっちり押さえている。ロートンが手を回してスパルタカスの妻子をローマ市外に逃がす結末は良く落とし所があったものと感心するが、3時間を越える上映時間でこれかあ、と思わなくもないが2部構成の映画の第2部の結末、と見ればこんなものか。映画館で観ればワイラー版『ベン・ハー』に遜色ない迫力はありそうだがテレビモニター画面では構図的に引きの画面が多く、劇場観賞した観客とテレビ観賞した視聴者では大きく評価が分かれそうな作品ではある。たぶん劇場で観る機会はもうないんだろうなあ、と思うとこのジャンル、このフォーマットでは全盛期の最後を看取った作品のような感慨がある。

●6月23日(金)
『ロリータ』Lolita (英MGM'62)*154min, B/W, Widescreen

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・昭和37年(1962年)9月22日日本公開、配給・MGM。上映日数20日、観客動員数(推定)3万人(推定)、興行収入(推定)900万円(不振)。コピー「遂に映画化された問題作 全世界に話題の渦を捲起した『ロリータ』旋風日本に上陸」。休暇研究のためにハンプシャー州の田舎町を訪れた古典文学者ハンバート・ハンバート(ジェームズ・メイスン)は下宿を探して未亡人シャーロット(シェリー・ウィンターズ)と出会い、その13歳の娘ロリータ(スー・リオン)に魅了される。ハンバートはロリータを目当てにシャーロットと結婚するが、母娘につきまとう劇作家キルティ(ピーター・セラーズ)に翻弄され、やがてハンバートのロリータ目当てを知ったシャーロットの発作的事故死をきっかけにハンバートはロリータを連れて放浪生活を始めるが……。旧ロシアからの亡命作家ウラジミール・ナボコフ(1899-1977)の原作(1955年フランス刊)はアメリカ版発売(1958年)即ベストセラーになり映画化権もすぐにMGMが押さえていたが、アメリカの映倫コードに抵触する児童性愛が重要な主題の一部だったため映画化の実現は数年遅れた。『スパルタカス』製作中からキューブリック・プロダクションはナボコフに脚本依頼を打診し、数次に渡る交渉を経て完成された7時間かかるシナリオを何とか現行の長さに圧縮。セラーズがメイスンに射殺されるオープニングから始まり4年前にさかのぼるフィルム・ノワール風の構成になったが、後半はロードムーヴィー風になるとはいえ2時間半越えはいかにも冗長、13歳設定とはいえ実年齢15歳の新人女優スー・リオンではあまり児童性愛ムードにはならず、初公開時にも批評、興行成績ともに振るわなかったが中年男の独り相撲ブラック・ユーモア作品として観ると観所も多く、次作『博士の異常な愛情』で炸裂するピーター・セラーズの怪演が主役のメイスンを食っている。MGMの予算消化と内容からイギリス製作が余儀なくされた作品だが、本作で映画会社からの干渉も少ないイギリスの製作環境が気に入ったキューブリックは本作からの全作品をイギリスで製作・撮影することになる。色々な面で以後のキューブリック作品の先駆をつけた重要作だが、単品で観ても何か変な映画で終わってしまう微妙な線でブレがあり、次作『博士の異常な愛情』からの堂々と開き直った貫禄にはあと一歩で届かないのが過渡期の作品らしい短所と長所の両面になっている。シェリー・ウィンターズの「若い頃は美人」だった中年主婦ぶりも好演、メイスンはやや微妙、期待のデビュー作スー・リオンは大人びた15歳で好みは分かれるとしてもタイトル・ロールを飾る主演女優にふさわしい存在感には欠ける大根女優ぶりがきびしいが、シナリオやキャスティングの悪条件や過渡期ならではの試作品的撮影環境のもたらしたバランスの悪さが本作だけの面白さにもなっているわけで、『突撃』または『スパルタカス』から一気に『博士の異常な愛情』は考えられないが『ロリータ』があることでキューブリックの作品歴にはなだらかな連続性が出てくる。キューブリック作品の人気投票をすれば間違いなく最下位ランクの作品だが、だからと言って存在価値のない映画では決してないし、これだってけっこう面白い映画にはなっているではないか。