人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2018年3月20日~22日/ジョセフ・フォン・スタンバーグ(1894-1969)の映画(3)後期ディートリッヒ主演作以後'32年~'35年

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 3作品ずつ3回、9作でスタンバーグの回が終わるのは何とも残念な気がします。今回観直すことができなかった作品はいずれまた取り上げるとして、スタンバーグの映画は以下の長編24作、短編1作になります。邦題を記したものが日本劇場公開、または映像ソフト・リリース作品です。サイレント作品8作のうち1作はお蔵入り、それを含む4作はフィルム散佚作品となっていますから現在観ることの可能な長編は20作ですが、トーキー以降の作品でも『サンダーボルト』『アメリカの悲劇』『罪と罰』、'36年の『陽気な姫君』以降の作品はめったに上映されません。また『ジェット・パイロット』は'50年にスタンバーグが撮影完了しましたがプロデューサーのハワード・ヒューズが追加撮影の上さんざん改竄して'57年公開になったので、事実上の遺作は'53年の東宝映画『アナタハン』になります。このフィルモグラフィーを見ると、スタンバーグのキャリアは'25年~'35年に最盛期を終え、以後は非常に不遇だったことが痛感されます。システム化されたハリウッド映画界ではこうした急激な凋落はかえって珍しく、スタンバーグシュトロハイムに次ぐ特異な映画監督たる所以ともなっています。
●Silent films (サイレント作品)
1. 救ひを求むる人々 The Salvation Hunters (1925)
2. 陽炎の夢 The Exquisite Sinner (1926)*lost(フィルム散佚作品)
3. A Woman of the Sea (お蔵入り作品、1926, also known as The Sea Gull or Sea Gulls)*lost(フィルム散佚作品)
4. 暗黒街 Underworld (1927)
5. 最後の命令 The Last Command (1928)
6. 非常線 The Dragnet (1928)*lost(フィルム散佚作品)
4. 紐育の波止場 The Docks of New York (1928)
8. 女の一生 The Case of Lena Smith (1929)*lost(フィルム散佚作品)
●Sound films (トーキー作品)
1. (9) サンダーボルト Thunderbolt (1929)
2. (10) 嘆きの天使 The Blue Angel (Ufa, Germany, 1930)*with Marlene Dietrich
3. (11) モロッコ Morocco (1930)*with Marlene Dietrich
4. (12) 間諜X27 Dishonored (1931)*with Marlene Dietrich
5. (13) アメリカの悲劇 An American Tragedy (1931)
6. (14) 上海特急 Shanghai Express (1932)*with Marlene Dietrich
7. (15) ブロンド・ヴィナス Blonde Venus (1932)*with Marlene Dietrich
8. (16) 恋のページェント The Scarlet Empress (1934)*with Marlene Dietrich
9. (17) 西班牙狂想曲 The Devil is a Woman (1935)*with Marlene Dietrich
10. (18) 罪と罰 Crime and Punishment (1935)
11. (19) 陽気な姫君 The King Steps Out (1936)
12. (20) Sergeant Madden (1939)
13. (21) 上海ジェスチャー The Shanghai Gesture (1941)*日本劇場未公開、映像ソフト・リリース
14. (22) The Town (1943, short film)*短編
15. (23) マカオ Macao (1952)*日本劇場未公開、映像ソフト・リリース
16. (24) アナタハン Anatahan (Toho, Japan, 1953, also known as The Saga of Anatahan)
17. (25) ジェット・パイロット Jet Pilot (1957; Sternberg only directed a small portion of this film, in 1950, while still under contract to Howard Hughes)
 なおスタンバーグは'50年代末~'60年代初頭にカリフォルニア州立大学映画学科で教鞭を執っており、その生徒にはフランシス・フォード・コッポラがおり、またドアーズを結成するレイ・マンザレクとジム・モリソンはスタンバーグの授業の受講がきっかけで出会っています。『地獄の黙示録』'79にドアーズの楽曲が使われているのは言うまでもありません。ドアーズがデビュー年('67年)の初夏早くも全米No.1ヒットを出した時スタンバーグはメンバーを覚えていたという証言もあり、興味深いものです。

●3月20日(火)
上海特急』Shanghai Express (Paramount, 1932)*82mins, B/W, 日本公開昭和7年(1932年)3月

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○解説(キネマ旬報近着外国映画紹介より)「アメリカの悲劇」「間諜X27」に次ぐジョセフ・フォン・スタンバーグの監督作品」で原作はハリイ・ハヴェイの筆になる小説、それを「モロッコ」「反逆者」のジュールス・ファースマンが脚色し、「アメリカの悲劇」「間諜X27」と同じくリー・ガームスが撮影した。主演者は「間諜X27」「モロッコ」のマルレーネ・ディトリッヒで「沈黙」「赤新聞」のクライヴ・ブルック、「龍の娘」のアンナ・メイ・ウォン、「間諜X27」「龍の娘」のワーナー・オーランド、「腕白大将」のユージーン・パレット、「間諜X27」のグスタフ・ヴォン・セイファティッツなどが助演する。
○あらすじ(同上) 上海特急列車は、やがて北京を出発した。車内はひどいドンチャン騒ぎだった。そのデッキで久しく別れていた愛人がめぐり合った。シャンハイ・リリ(マルレーネ・ディートリッヒ)として知られている浮名の高い女と英国陸軍の一等軍曹ハアヴェイ(クライヴ・ブルック)だった。二人は数年前喧嘩して別れ、リリは淫売婦として中国の海岸を流れていた。ハアヴェイはまだリリを愛していたがリリの現在はもはや二人の間に高い障壁を作っていた。リリの車室には高等教育を受けた中国の娘フイ・フェイ(アンナ・メイ・ウォン)がいた。彼女もまたリリに劣らない程のしたたか者だった。他の車室には中国のある地方の勢力家ヘンリイ・チャン(ワーナー・オーランド)とサム・サルト(ユージン・ポーレット)がいた。サムはあらゆるものに賭けたがる賭博狂で今も彼はこの上海行き特急が必ず遅れるということに賭けていたが、幸か不幸かこの予言が的中して、列車は北京を出て一時間中国の兵隊に臨時停車を命ぜられた。そして車内はくまなく捜索され、一人の怖え切った中国人が叛軍の便衣隊兵士として捕らえられた。その時、チャンは何故か怒ったが平気を装っていた。その夜、叛軍は列車を襲撃した。ところが機関手は自暴になって列車を走らせたので、叛軍は登り線の貨物列車を徴発して追跡した。二つの列車は夜を衝いて疾走する。ついに叛軍は機関銃で機関手を殺し、無人のまま疾駆する特急に飛び乗って列車を止めてしまった。やがて乗客は小さな駅に追い込められた。そしてチャンが叛軍の將であることが判った。彼は上海に電報をうって、この特急には英国軍人が乗っていることを告げ、もし先に捕らえられた便衣隊を無害で返さなければ特急は出発させないと言った。ついにその便衣隊が帰るまで乗客は拘留されてしまった。ハアヴェイは獄中でチャンがリリを口説いているの聞いた。そして間もなく、チャンはハアヴェイに張り倒された。丁度その時、上海から便衣隊が列車で到着し、乗客は特急に乗り込むことが出来た。けれどリリはハアヴェイが見えないので停車場に引き返して見るとチャンが焼きごてでハアヴェイを盲目にしようとしていた。彼女はチャンに従うからハアヴェイを許してやってくれと頼んだのでようやくハアヴェイは許された。やがてチャンは駅に隠れていたフェイに殺された。彼女からそのことを聞いたハアヴェイは再び停車場に引返してリリに乗車をすすめた。最初は、彼女はチャンとの約束を守って動かなかったが彼が殺されたと聞いて、ハアヴェイの後に従って叛軍と戦いながら特急に帰った。上海行き特急列車は再び出発した。ハアヴェイはリリがチャンに身売りしたものと信じて冷たかった。けれどこうした事件から上海に着く前に二人の愛は再び結ばれるに至った。

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 ディートリッヒ連作のうち前作『間諜X27』と本作の間にアメリカの大作家セオドア・ドライサー畢生の大作『アメリカの悲劇』'25を映画化した同名作品('31)があり(戦後『陽のあたる場所』'51として再映画化)、日本でもキネマ旬報ベストテン10位の高い評価を受けましたが、これは同年欧米諸国の映画界視察をソヴィエト政府から命じられたセルゲイ・エイゼンシュテイン(1898-1948)がハリウッドで映画化したいと企画していた作品であり(エイゼンシュテインは英仏語に堪能で、ロシア語訳のないジェームズ・ジョイスを原書で読んでいたほどの語学力がありました)、エイゼンシュテインは自伝で「スタンバーグがひどい映画にしていたために実現できなかった」と悔しがっています。エイゼンシュテインの世界旅行はアメリカの社会主義小説作家アプトン・シンクレアの出資でメキシコ製作の未完成映画を生み、エイゼンシュテイン帰国後にプロデューサーによってエイゼンシュテイン未公認のまま『メキシコの嵐』'33として公開され、さらに未編集フィルムとしてアメリカに保存されていた分が資料映像として公表されましたが、エイゼンシュテインに同行していた助監督によってエイゼンシュテインの意図通りに編集し、未完成部分をスチール写真とナレーションで補った決定版が完成・公開されたのは'79年の『メキシコ万歳』になりました。映画史の話はそこまでで本作に移ると、ディートリッヒ主演、ファースマン脚本、『モロッコ』以来のガームス撮影、ハンス・ドライアー美術の鉄壁の布陣にサイレント時代からの魅惑の中国系ハリウッド女優アンナ・メイ・ウォン(黃柳霜、ヒャン・リュウシャン、1905-1961)が国際カラーをかもし出す、上海から北京にひた走る特急列車の中国内戦革命軍の乗っ取り騒ぎを事件とした一昼夜のサスペンス映画です。ディートリッヒの相手役が『暗黒街』のアル中崩れの元弁護士ロールス・ロイス役だったクライド・ブルックなのがいまいちですが、ブルジョワ老婦人(ルイズ・クロッサー・ヘイル)にインテリ神学教授(グスタフ・フォン・セイファーティッツ)、賭博趣味の実業家(ユージン・ポーレット)、何より英中混血の名家の名士で実はイギリス同盟下の中国政府に叛乱する革命軍の首領(ワーナー・オーランド)と達者な助演者が揃っていますし、クライド・ブルックの軍医が重要な人質になるのも政府要人の緊急手術に呼び出されたためと、過去に恋人だった同士の再会は『モロッコ』の踏襲ですし、戦争映画的背景からも『モロッコ』『間諜X27』の踏襲ですが、ゲイリー・クーパーでは男性主人公の見せ場が少なすぎますし今やディートリッヒが一枚看板、ジョージ・バンクロフトやヴィクター・マクラグレンでは革命軍首領など叩きのめしてしまいそうですしそもそも軍医には見えないので線の細い二枚目ブルックの出番となったのでしょう。これでリチャード・バーセルメスでも連れてくればトーキー以降の貴重なバーセルメス出演作として価値がいや増したところですが、バーセルメスはリリアン・ギッシュより背が低かったくらいなので当然ディートリッヒ(しかもいつもハイヒール)とはつりあいが取れず、ゲイリー・クーパー以降の長身俳優の人気はトーキーのロングの構図からは必然だったので、サイレント時代の撮影法なら小柄な背丈が目立たなかったバーセルメスでも本作では向きません。役柄としてはバーセルメスにぴったりなだけに身長だけがネックだったのは惜しまれます。トーキー以降にバーセルメスを重用したのはハワード・ホークスでした。もっともサイレント出身のブルックも滑舌にやや難があり、本作は極力ブルックの役を寡黙なキャラクターにしている節があります。アンナ・メイ・ウォンが寡黙なのは中国人高級娼婦役としてごく自然で違和感ありませんし、効果的ですらあるので問題ありません。
 本作は一昼夜の出来事なので漢字で時間が書かれた壁時計が頻繁に映り、これはシーンの変わり目に頻繁に時計のショットを入れるフリッツ・ラングみたいです。ラングはサイレント時代よりもトーキー第1作『M』'31以降、特にハリウッド進出後の『激怒』'36以降にこれが増えるので本作の時計はラングの影響ではなく、逆にラングが本作の成功を参考にどしどし時計を撮るようになったとも考えられます。また『間諜X27』にはディートリッヒが楽譜で情報を暗号化し、それを楽譜の読めないふりをしていたマクラグレンがあっさり見破るシーン、さらに脱出成功してきたディートリッヒが暗譜でピアノを弾きながら楽譜に起こす見せ場がありましたが、楽譜に仕込んだスパイ情報と言えばヒッチコックのあれです。また邦題がずばりなのでばらしてもいいと思いますが、特急監禁サスペンスになる展開はヒッチコックの『バルカン超特急 (Lady Vanishes)』'38で、同作の日本公開は遅れに遅れて昭和51年('76年)ですから、邦題命名者である水野晴郎氏が本作にあやかったのはほぼ確実でしょう。監禁サスペンス、しかも特急列車という手口も'31年にはどれほど独創的だったことか。原作小説があるにせよそれを映画でやってみせるのは大きな違いがあります。ディートリッヒの危機を主人公が気づかないうちにアンナ・メイ・ウォンが救ってしまう筋立ても上手く、またディートリッヒとアンナ・メイ・ウォンを悪しざまに侮蔑していた神学教授が結果的にディートリッヒの理解者となりブルックの誤解を解くのも泣ける展開ですが、事件解決からディートリッヒとブルックの和解に20分もかけたのは終盤の緩みになっていて『嘆きの天使』はヤニングスに焦点を当てているからあれでいいですが『モロッコ』『間諜X27』の鮮烈なラスト、特に『モロッコ』などあのラストシーンで全世界感動、ただしフランスだけ観客大爆笑(フランスはあの辺が植民領なので「現地人ならともかく、焼けた砂漠を白人女が裸足で歩けるか(笑)」とヒールを脱ぎ捨てるショットをカットしてしまったそうです)だったくらいインパクト抜群だったので、本作は終盤に一気にすべての解決が収斂するような仕組みが欲しかったと欲が出ます。リー・ガームスの撮影はこれでスタンバーグ作品から離れたのがもったいないくらい素晴らしくアカデミー賞撮影賞受賞も納得の出来。ハンス・ドライアーの美術も『モロッコ』でアカデミー賞ノミネートだったのを本作で受賞させても良かったのではと思え、『モロッコ』ではディートリッヒが女優賞ノミネート、スタンバーグは『モロッコ』と本作で監督賞ノミネートされていますが『モロッコ』の年はノーマン・タウログ『スキピイ』、本作はキング・ヴィダーの『チャンプ』と競りあいフランク・ボーゼージ『バッド・ガール』に穫られています。いくら何でもヴィダーならともかくタウログやボーゼージよりは上でしょう。『モロッコ』のディートリッヒは『惨劇の波止場』のマリー・ドレスラー(当時62歳)に賞を穫られていますが、チャップリン共演のサイレント喜劇長編『醜女の深情け』'14(マック・セネット)以外にドレスラーの名など記憶されているでしょうか。本作は作品賞にもノミネートされ、ヴィダーの『チャンプ』やフォードの『人類の戦士』、ルビッチの2作『君とひととき』『陽気な中尉さん』、ボーゼージ『バッド・ガール』と競ってグールディングの、というよりはMGMのオールスター映画『グランド・ホテル』に穫られました。まあ『グランド・ホテル』なら仕方ないか。それと本作、乗りあわせた二人の娼婦が侮蔑されながら結果的に乗客たちを助ける話といえば溝口健二の『マリアのお雪』'35で、モーパッサンの短編「脂肪の塊」を川口松太郎が翻案したのが原作とクレジットされますが、なんだ『上海特急』じゃないか、と今さらながら気がつきます。また『救ひを求むる人々』にも日本語の求人募集の貼り紙を主人公の青年が見て(たぶん)「安く雇える日本人じゃないから駄目」と断られるシーンがありましたが、スタンバーグが日本映画好きでロサンゼルスの日本人向け映画館によく出入りし(入場料が安かったからかもしれませんが)牧野プロのスタッフによる阪妻プロの阪妻映画『雄呂血』'25を70回観た、などという逸話を知るとスタンバーグ映画の日本映画っぽさに何となく納得いくような気がします。

●3月21日(水)
恋のページェント』The Scarlet Empress (Paramount, 1934)*104mins, B/W, 日本公開昭和10年(1935年)5月

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○解説(キネマ旬報近着外国映画紹介より)「恋の凱歌」に次ぐマルレーネ・ディートリッヒ主演映画で「ブロンド・ヴィナス」「上海特急」のジョセフ・フォン・スタンバーグが監督したもの。マムエル・コムロフ編集のカテリナ二世の日記を素材として脚色したものでフォン・スタンバーグが脚色に当たった。撮影は「ブロンド・ヴィナス」「勝利の朝」のバート・グレノンの担当である。助演は「若草物語」のジョン・デイヴィス・ロッジ、「復活」のサム・ジャッフェ、「ゆりかごの唄」のルイズ・ドレッサー、「クレオパトラ」のC・オーブリー・スミス、「紅蘭」のルーセルマ・スティーヴンス、「風雲の支那」のギャヴィン・ゴードンその他である。
○あらすじ(同上) 2世紀前、プロシャの一隅にソファイア・フレデリカ姫(マルレーネ・ディートリッヒ)と呼ばれる幼い公爵の令嬢があった。彼女の母ヨハンア公爵夫人(オリーヴ・テル)は将来姫をどこかの王族嫁にするつもりで厳格に教育した。ソファイアが美しく成人したとき、プロシャのフレデリック大王から彼女をロシアのピーター・フォオドロヴィッチ大公(サム・ジャフェ)の花嫁にとの申込みが彼女の父オーギュスト公爵(C・オーブリー・スミス)の許に届けられた。両親の喜びを見てソファイアも大公妃になる日を楽しく待つ気持ちになった。ロシアからソファイアを出迎えるため、アレキセイ伯爵(ジョン・デイヴィス・ロッジ)が訪れてきて女帝からの贈り物を渡し、ソファイアにはピーター大公が世にも立派な貴公子であると告げた。1744年3月15日、無邪気に未来の夢を抱いて、ソファイア姫は母と共にアレキセイ伯爵の率いるコサックに護られてロシアへ出発した。モスコーのクレムリン宮殿に到着したとき、彼女の期待と空想は裏切られた。ピーターは美男ではなく、知的障害者で極度の背曲りであったし、女帝(ルイズ・ドレッサー)は彼女の宗教を変え、名もキャサリンと改める事を命じ、口激しく彼女の行動に干渉するのであった。国を挙げて喜びの鐘が鳴り響くうちに、キャサリン(マルレーネ・ディートリッヒ)とピーターの結婚式はカザンの古き寺院においていとも盛大に挙げられ。かくてキャサリンはロシアにおける最も不幸な女帝となる第一歩を踏み出したのである。キャサリンの母は彼女に別れの挨拶をする事すら許されず、女帝の命令でドイツへ帰された。これを知って怒ったキャサリンは女帝にその理由を詰問しようとして、却って女帝に罵られ、女帝の身の回りの世話をさせられる様になった。数カ月後、キャサリンは玉の様な男の子を生んだ。世継ぎの王子の誕生にロシア全土は喜びに溢れたが不幸なキャサリンは未来の統治者たる位置を確保してからは、青春の夢も捨てて権力の把握に心を用い始めた。この時女帝が崩御し、ピーターが即位したが、暴虐無残、国民は塗炭の苦しみを受けた。彼はキャサリンを亡き者とし、恋人のエリザベス伯爵夫人(ルーセルマ・スティーヴンス)と結婚する計画を立てていた。キャサリンはこの間に軍隊と僧正の援助を受け、自らも女帝の位についた。ピーターは退位し、ここに初めてロシアの国民に朗らかな春が訪れた。その喜びを伝えるべく鐘の音は延々と鳴り渡ったのである。

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 スタンバーグのディートリッヒ映画も全7作となると後半の『ブロンド・ヴィナス』'32、『恋のページェント』'34、『西班牙狂想曲』'35はあまり評判がかんばしくありません。『嘆きの天使』『モロッコ』とディートリッヒのステージ芸を見せる場面のあった作品から『間諜X27』ではピアノを弾きつつ楽曲化した暗号を文書に起こすシーンにとどまり、『上海特急』ではそうしたシーンもありませんでしたから、『ブロンド・ヴィナス』はディートリッヒ原案でスタンバーグ&ディートリッヒ作品初の現代アメリカが舞台の作品になり、難病の夫の転地治療のため母子家庭になった母が夫の治療費と子供の養育費、生活費のためキャバレー歌手になる、というステージ場面を押しこむための母子ものになりました。夫をハーバート・マーシャル、ディートリッヒのパトロンになる金持ちの青年ファンを若いケイリー・グラントが演じているのが見物で、同作の後ディートリッヒは渡米後初めてスタンバーグ以外の監督作品『恋の凱歌』'33(ルーベン・マムーリアン)に出演します。それから本作『恋のページェント』で帝政ロシア中期(18世紀中葉)の女帝エカテリーナII世を演じ、スタンバーグ&ディートリッヒ作品最終作はスタンバーグ自身が撮影も兼務した『西班牙狂想曲』で、現代版スペインの「カルメン」風の作品になり、これがヒットしなかったことからスタンバーグ&ディートリッヒ作品は打ち切りになります。ディートリッヒはパラマウント社のスターとして残り、スタンバーグはフリーの監督になって'35年中にコロンビア社で監督したドイツ出身、イギリス経由(ヒッチコックの『暗殺者の家』'34、『間諜最後の日』'35)でハリウッドにやってきたピーター(ペーター)・ローレを主人公ラスコリニコフに起用(ビリングでは警部役のエドワード・アーノルドが主演)したドストエフスキー作品の映画化『罪と罰』'35を発表します。『ブロンド・ヴィナス』から『西班牙狂想曲』の3作では本作『恋のページェント』がパラマウント社の大作で、『嘆きの天使』は別としてハリウッドでの6作のスタンバーグ&ディートリッヒ映画は内容などどうでもいいようなムード映画であり、審美性に磨きのかかった耽美的映像美だけが命なので、後期3作はそこらへんが『モロッコ』『間諜X27』『上海特急』の前期3作より明らかに弱くなっている。『モロッコ』のようにディートリッヒのキャバレー歌手芸があればなお良いのですが毎回風来坊のキャバレー歌手役で行くわけにはいかないので『ブロンド・ヴィナス』のように所帯じみた設定にしてみたりしたのですが、それもやっぱり冴えないので『恋のページェント』ではスタンバーグ&ディートリッヒ初で唯一の史実映画にし、巨大セットから小物まで贅をこらしてエキストラ1,000人を動員した大作に作り上げた。これも壮大な浪費という観のあるものですが、スタンバーグがカメラマンまで兼ねたせいかもともと荒唐無稽なスペイン恋愛ドラマをスタンバーグとも思えない粗っぽさで描いた『西班牙狂想曲』よりは取り柄があります。『ベルサイユのばら』の池田理代子も『女帝エカテリーナ』を描いていたと思いますが、帝政中期のロシア宮廷の頽廃的雰囲気は盛りすぎなくらい出ています。周期的に「ロマノフ家の財宝」の行方の新事実が話題になりますが、ロマノフ家が帝位に着いたのが17世紀初頭、エカテリーナII世が18世紀中葉、1917年のロシア革命ロマノフ朝滅亡、翌年ロマノフ家全員銃殺処刑と中学校か高校の世界史で習いましたから、学校の勉強は映画ひとつ観るにも役に立つものです。
 1,000人のエキストラとはクレジット・タイトルのキャストの最後に「......and 1,000 Players!」と出てくるのですが、ディートリッヒ映画はパラマウント社の主力番組なのでもはやスタンバーグの意向を越えてビッグ・タイトルを求められていたのではないでしょうか。『ブロンド・ヴィナス』はディートリッヒ自身の原案ですが子持ちのキャバレー歌手の哀愁映画はスタンバーグにはあまり乗り気な企画だったとは思えずディートリッヒの意向に譲ったというところでしょう。本作はスタンバーグ自身がシナリオを書きましたが題材はデミル映画のような豪奢な歴史もの、という会社企画だったと想像されます。スタンバーグはうぶな少女が宮廷に嫁入ってやがて好き放題に士官の愛人と戯れ、夫ピョートルIII世が即位し圧政を敷くや軍部と僧部を味方につけ、民意を勝ち取りピョートルIII世を追放し女帝の地位に就くまでをテンポ良く描いていきます。例によって割とどうでもいい話で、ピョートルの伯母の女帝エカテリーナI世(サイレント時代のスター、ルイーズ・ドレッサー)にしごかれながら宮廷のしきたりに馴染み、極力嫌う夫のピョートルを避けながら愛人を作って男児をもうけ、エカテリーナI世の崩御とともにピョートルIII世が即位するとさっさと完全別居して女帝を目指す。このピョートルを演じるのが本作が映画デビューのサム・ジャッフェで、大学院卒で数学教師を勤めつつブロードウェイで演劇活動をしていたというインテリ俳優です。本作ではハーポ・マルクスそっくり(ユダヤ系同士なのでもともと似ているのでしょう)な風貌(変態的なぎょろ目)と演技(不審な挙動)でヒロインがひと目見て幻滅する知的障害者のピョートルを演じていますが、ピョートルの行動は私利私欲が明快で知的障害者という描かれ方ではありません。ジャッフェは映画出演は少ない舞台俳優でしたがユダヤ人偏見をテーマにしたカザンの『紳士協定』'47で戦後も注目され、ヒューストンの『アスファルト・ジャングル』'50でアカデミー賞助演男優賞ノミネートばかりかヴェネツィア国際映画祭男優賞を受賞します。ハリウッドの赤狩りの影響でブランクが空きましたがワイラーの『ベン・ハー』'59、テレビシリーズの「ベン・ケーシー」'61-'65に出演し、'75年には「刑事コロンボ」の1作、'80年の『宇宙の7人』まで息の長い俳優でした。ディートリッヒの父親の貴族役でC・オーブリー・スミスがさりげなく出ている具合にたたずまいの決まる俳優が脇を固めているので、ハリウッドの史劇映画としてはきっちり水準をクリアしています。頽廃を通り越してグロテスクの域に達した宮廷の雰囲気も十分で、そこらへんは達者なものですが、これはスタンバーグとディートリッヒでなくてもいいんじゃないかと思わせるのがスタンバーグの仕事もディートリッヒの演技もばっちりなだけに、たとえば'40年代ならディターレの監督とリタ・ヘイワースの主演で同じような映画ができてしまうんじゃないかという、スタンバーグとディートリッヒの組み合わせからは新しいものは生まれなくなってしまった行き詰まりを感じさせます。それが次作『西班牙狂想曲』の興行的不振に現れ、パラマウントはドル箱スターのディートリッヒは残すものの、スタンバーグの契約は切ってしまうことになります。戦後の溝口が松竹から離れた時のように、パラマウントの会社企画中心の路線にスタンバーグは居場所がなくなったのかもしれません。

●3月22日(木)
罪と罰』Crime and Punishment (Columbia, 1935)*84mins, B/W, 日本公開昭和11年(1936年)2月19日 ; https://youtu.be/pAhQtiref-g

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○解説(キネマ旬報近着外国映画紹介より) フェードル・ドストイェフスキーの名作小説の映画化で、「西班牙狂想曲」「ブロンド・ヴィナス」のジョセフ・フォンスタンバーグが監督に当たったもの。脚色には「恋の一夜」「舗道」のS・K・ローレンがジョセフ・アンソニーと協力した。主演者は「暗殺者の家」「M」のピーター・ローレ、「ダイヤモンド・ジム」「羅馬太平記」のエドワード・アーノルドで、「古城の扉」のマリアン・マーシュ、「恋をしましょう」のタラ・ビレル、「台風」のパトリック・キャンベル夫人「深夜の星」のジーン・ロックハート、舞台から来たエリザベス・リスドン、「歌の翼」のロバート・アレン及びダグラス・ダンブリル等が助演している。撮影はルシエン・バラードの担当である。
○あらすじ(同上) ラスコルニコフ(ペーター・ローレ)は天才的な大学卒業生だったが、奇矯生には入れられず貧困のどん底に落ちていた。彼は犯罪学の研究に専念していたが、下宿代に困り父親譲りの時計を入質にいった際、そこで薄幸の乙女ソーニヤ(マリアン・マーシュ)と会い知った。彼の妹アントニア(タラ・ビレル)は貧しきが故に無趣味で下等な役人根性の1官吏と結婚せねばならなくなった。妹想いのラスコルニコフは万里を排して子の不幸な結婚を破壊せんとし、「完全犯罪を実行し得るものは我1人なり」との確信の下に、彼は質屋の老婆(パトリック・キャンベル夫人)を惨殺した。金を奪う事は出来なかったが、本屋から原稿料を前借りして、彼は妹の不幸な婚約を解消させ、愛し合っているディミトリ(ロバート・アレン)の手に委ねた。しかし、彼の冷静な理知に対して激しい良心の呵責が始まった。さらに探偵ボルフィリー(エドワード・アーノルド)に会うに及んで彼の信念はグラつき始めた。探偵は彼が犯人なる事を知りつつも証拠がないため、捕縛子得ずにいる。ラスコルニコフは探偵を軽蔑しつつも、良心の呵責に追いつめられる。彼は心の悶へ抑えがたく、ソーニヤの許に赴く。彼を愛するソーニヤはその呵責から逃れるには、すべてを告白して罪の償いをする事であると説いた。初めこれを拒み続けたラスコルニコフもついに心の悶えと、ソーニヤの愛に打ち負けて自首する。彼のシベリア流刑の日、ソーニヤも雄々しくも彼の後を影のように就いていった。

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 ディートリッヒがまだ新人扱いの『嘆きの天使』『モロッコ』ではヤニングスやクーパーがビリングのトップだったように、本作もピーター(ペーターの英語読み)・ローレのハリウッド映画デビュー作になったので、ベテランのエドワード・アーノルド(本作の翌年ホークスの『大自然の凱歌』'36に主演)の刑事ポルフィリー(原作では判事だったはず。『罪と罰』1866当時のロシアではイギリス同様判事が捜査権と裁判権の両方を兼ねていたようで、19世紀が設定の西部劇の保安官でも同様だったのがワイラーの『西部の男』'40のような悪徳保安官ものを観るとわかります)が主演扱いになっています。しかし視点人物はほとんどローレ演じる犯罪者ラスコリニコフなので、アーノルドのポルフィリー刑事の側もカット・バックで描かれますがローレの妹役タラ・ビレルや恋人ソーニャ役マリアン・マーシュとの接触といった場面からなのでポルフィリー刑事は妹や恋人が視点人物で描かれているといってよく、当然妹や恋人はローレ側の立場なのでローレ側視点というのは一貫しており、諸外国公開では『ラスコリニコフ』というタイトルに改題されていたのもポスターから知れます。本作は日本でも「昔日の気迫はなかった」(田中純一郎『日本映画発達史』)というのが批評家・観客の反響だったようですが、2015年には『Crime and Punishment - 80th Anniversary Series』としてリマスター・レストア盤DVDリリースもあり、世界各国版のDVDリリース点数も多く案外長い人気を誇っているのはピーター・ローレがはまり役だからでしょう。ラングの『M』'31やヒッチコックの『暗殺者の家』'34、『間諜最後の日』'35(公開'36)の直後のローレはヒッチコックも舌を巻いたビターなユーモアのセンスのある悪役俳優だったそうですし、それはもう『M』とヒッチコックの2作、本作を観ただけで即座に納得します。スタンバーグとしては『恋のページェント』以来のロシアものでもあればディートリッヒ連作の途中で手がけて好評だった(エイゼンシュテインにはこき下ろされた)ドライサー原作の『アメリカの悲劇』が、原作小説は現代アメリカ版『罪と罰』と大評判の作品だったことも踏まえ、サイレント時代から21世紀まで映画に舞台にテレビドラマに無数に脚色された『罪と罰』を撮るのは、ピーター・ローレという逸材をキャスティングし得て文学性もあれば大衆性のある題材で無理のない企画だったと言えます。できれば『恋のページェント』か本作にドイツ系ロシア人役で俳優専念に転向していたシュトロハイムをキャスティングできれば新旧いかさまオーストラリア人映画監督対決ですごいことになったと思いますが、さすがにそこまで無茶な思いつきは上がらなかったようです。本作の出来は80周年レストア盤が出るのも納得のスマートな仕上がりで、スタンバーグとキャストを囲んだ記念写真まで宣伝用スチール写真に残されているくらいで、あえて簡素を装ったセットも凝っており、スタンバーグと組んだカメラマンは必ずいい仕事をしますが本作もB/W撮影の最高の映像が全編で堪能できます。看板や文書など映像で映される文字はすべて英語です。『上海特急』であれほど徹底して美術に中国語表記を貫いたスタンバーグですが、そもそも本作、登場人物全員ロシア名前ですし死刑でなければシベリア流刑とも台詞には出てきますが、ロシア系移民のブロックを描いたニューヨークの下町が舞台の映画にしか見えないのです。帝政ロシアの貧困街を舞台背景にした映画にはまったく見えない。男性女性の身なりも都会の現代('30年代)アメリカ人ですし、ヒロインたちのメイクもそうです。
 そもそも『罪と罰』『アメリカの悲劇』のテーマは社会的な富の不公平が常態化している社会では富のための殺人は正当化され得るか、と、簡単に言ってしまえばそういうことで、社会主義や福祉制度はそうした危機を未然に防止するために考案施行されたシステムです。社会的関心が映画の主眼ではないスタンバーグでも『救ひを求むる人々』でデビューした監督だけにそれはわかっていて、『罪と罰』は現代アメリカに置き換えてもそのまま描けるから一応ロシアが舞台ということにはなっていますが、俳優は現代のニューヨークの下町と変わらないセットを舞台に現代アメリカ人の衣装で出演させてもいいだろう、とすっぱり割り切った。これは古典劇を演じるのにセットや衣服は現代のままでいいという割り切り方と同じです。主人公を精神的に救済する恋人ソーニャも娼婦という設定は外して、原作小説ではソーニャの信仰は国教であるロシア正教ではなくもっと民間信仰的な素朴な口承キリスト教信仰なのが主人公に衝撃を与えることになります。主人公がインテリ大学生で新聞の社説執筆をアルバイトにしているのは本作でも描かれますが帝政ロシア識字率は非常に低く、『恋のページェント』でもエカテリーナI世が文盲だったのを示すシーンがありました。原作小説では主人公は高利貸しの老婆や自分の家族、ソーニャを含め文盲者ばかりの下層社会に生きるインテリなのが殺人の正当化の根拠にもなっているのですが、本作の老婆は質屋に置き換えられており、つまりユダヤ人を暗示しています。金貸し自体もそうで、アメリカの映画会社は大銀行のスポンサー下に経営されていますが、アメリカの大銀行(つまり高利貸し)はすべてユダヤアメリカ人の経営なので、皮肉を避けてもっと庶民的な質屋にしたのでしょう。この老婆が帳簿をつけるだけの識字力があり、ソーニャやラスコリニコフの家族も読み書きのできるだけの教養があることになっている。文盲の娼婦ソーニャでさえ口承キリスト教の信仰を持っている、という主人公の衝撃は描かれようがない上に、江戸川乱歩が短編「心理試験」で『罪と罰』からパクった犯行現場の記憶の証言のトリックも省いています。アーノルドがローレを追いつめていく「刑事コロンボ」的しつこさと心理的圧力、抑圧された犯人像を演じて『M』での名演を彷彿とさせるローレを描いて割と簡単にソーニャや妹・母への良心の呵責にラスコリニコフの改心を収めてしまったのは何と言っても作劇上の弱点で、帝政ロシアの圧政下の貧困無教養都市難民層という歴史的な特色は最初から排除されている。良かれ悪しかれ本作がすっきりした映画版『罪と罰』になったのは原作の文化的相違をすべて避けて通ったからで、原作のヒロインを「純真で信仰心の篤い娼婦なんかあるか」と読まないうちから嘲る読者もいると思いますが、ほとんど庶民のための教育機関もなく無文字社会も同然だった帝政ロシアではそれもあり得たし、創作とは思考実験ですから創作の中でリアリティが実現されればそれはあり得ます。原作小説のラスコリニコフはシベリアで強制労働の刑を受けながらまだ自分の罪を納得できない。強制労働の果てに倒れて大地に顔を押しつけ初めて自分個人ではないロシアの大地の倫理を実感してソーニャの信仰をようやく理解する。こういうのはスタンバーグは描けませんし脚本家もあっさり切り捨てていましたから逆算して現代アメリカそのままの『罪と罰』に仕上げ、サイレント時代からひさびさに下層庶民の世話物映画になった。そうした人情劇ならスタンバーグのお手のもので、アパートの階段や廊下のセットの演出などさすがなものです。階段はもともと『救ひを求むる人々』『暗黒街』の頃からスタンバーグの得意な演出舞台でした。ただし本質的なテーマなら『アメリカの悲劇』が原作自体も現代アメリカを舞台に、アメリカ社会ならではの貧富の差を問題にして『罪と罰』を現代アメリカに置き換えるまでもなくとっくに済ませていたので、逆に『アメリカの悲劇』のリメイクのような『罪と罰』を達者な俳優陣で作ってみたにとどまるとも見えますし、『アメリカの悲劇』で原作の通り裁判過程に重点を置いて後半法廷シーンに力を入れたのは原作小説『罪と罰』では長いシベリア流刑以降の葛藤に相当しますから重複を避けたとも言えます。また本作は一応の成功作としても本作の路線を踏襲し発展は考えられない作品でもあるので、以降スタンバーグは'36年~'53年(遺作)まで18年間に6作しかない。'25年のデビュー以降本作('35年)までに通算18作、トーキー10作を数えていたのに激減してしまったのは本作が分かれ目になったとも言えます。本作自体は十分面白いのですが、それだけではスタンバーグのキャリアに利さなかったということでしょう。絶大な存在感と影響力を誇ったスタンバーグの全盛期はここまででした。運命とはわからないものです。