人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

現代詩の起源(18); 八木重吉詩集『秋の瞳』大正14年刊(vii)山村暮鳥との関連(5)

(大正13年1924年5月26日、長女桃子満1歳の誕生日に。重吉26歳、妻とみ子19歳)

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八木重吉詩集『秋の瞳』
大正14年(1925年)8月1日・新潮社刊

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 イギリスのロマン派詩に傾倒する中学校の英語教師で無教会派プロテスタント・クリスチャンだった現東京都町田市出身の詩人・八木重吉(1898-1927)が第1詩集『秋の瞳』を編纂していた最中、もっとも意識していたと思われる日本の現代詩の詩人がプロテスタントの牧師詩人だった山村暮鳥(1884-1924)だったと思われるのは、大正13年(1924年)1月付のノートの日本の明治大正の詩人32人・詩集80冊の筆頭に暮鳥の既刊詩集『三人の處女』'13(大正2年5月刊)、『聖三稜玻璃』'15(大正4年12月刊)、『小さな穀倉より』'17(大正6年9月刊)、『穀粒』'21(大正10年7月刊)を上げていたことの他に、大正13年12月の暮鳥逝去翌月に刊行された暮鳥生前に印刷完了していた新詩集『雲』'25を発売されてすぐ購入繁読していた証言があること、そして『秋の瞳』の編集を大正14年春には終えていることからも推察されます。前記リスト中『小さな穀倉より』はエッセイ集であり、大正10年7月刊の『穀粒』'21は自選詩集になり、また八木は大正7年11月刊の大冊詩集『風は草木にささやいた』'18、大正10年5月刊の詩集『梢の巣にて』'21を記していませんが、学生時代もっとも愛読したという北村透谷をリストに記していないように書きとめるまでもなく親しんでいたのかもしれません。
 享年29歳の八木重吉、享年30歳の中原中也、享年37歳の宮澤賢治よりは早逝ではありませんが、40歳で亡くなった山村暮鳥の評価が没後90年以上経っても一定せず、宮澤、中原が広く愛唱され八木が敬愛をこめて読み継がれているようには、山村暮鳥はポピュラーな詩人とは言えません。先に最晩年の詩集『雲』'25(完成'24=大正13年)をご紹介し、前回は以前ご紹介した初期の代表詩集『聖三稜玻璃』'15(大正4年)の解説的な文章を再録しましたが、まず暮鳥は(1)『第三稜玻璃』の難解さ、(2)初期の『三人の處女』『第三稜玻璃』、中期の『風は草木にささやいた』『梢の巣にて』、後期(晩年)の『雲』では文体も詩想もまったく異なって見えることがあります。暮鳥は宮澤、中原、八木よりは長く生きたとは言え詩作を始めたのは比較的遅かったので、10年強の詩作歴という点では宮澤賢治や早熟な中原中也と大差なく、八木よりは数年長かった程度です。
 しかし宮澤賢治八木重吉中原中也が大量の未発表遺稿にいたるまで一貫した文体を示していたのに対し、暮鳥の場合は生前本人が編纂した詩集ですら10年強の作詩期間に3期または4、5期(初期を『三人の處女』までと『第三稜玻璃』前後に分ける、さらに中期の『風は草木にささやいた』『梢の巣にて』も異なる指向性を持つとする)もの作風の変遷があり、それが萩原朔太郎(1886-1942)のように「愛憐詩篇」期(大正2年大正3年)、『月に吠える』期(大正4年大正6年)、『青猫』期(大正7年大正12年)、「郷土望景詩」期(大正13年大正14年)、『氷島』期(昭和2年昭和8年)のように各時期ではっきり作風の変遷の目的があり、明確なスタイルを打ち出しているのでもないところに山村暮鳥という詩人のとらえ難さがあります。

 詩集『雲』は先に全編をご紹介したので、山村暮鳥の初期の代表詩集『聖三稜玻璃』全4部・35編から22編、中期の代表詩集『風は草木にささやいた』全10部・125編から14編を抄出してご紹介します。平成元年('89年)刊の初の山村暮鳥の完全版全集ではかな遣いは原文のまま、用字は原則略字体に改められていますが(『風は草木にささやいた』)、初期の『三人の處女』『聖三稜玻璃』だけは用字の視覚的効果を尊重して正字体を残しています。ここでも出来る限り正字体のままとしました。
 無教会派のプロテスタント・クリスチャンだった八木重吉が熱心なキリスト教信徒だったとはいえ、暮鳥は神学校に学び日本聖公会の正牧師職に就いていて信仰と信徒たちの現実との相克に辛酸をなめた人です。晩年の『雲』では病状を理由に牧師職を免職され、結核末期の病床に着きながら犬に法華経を教えてすらいます。八木重吉も少なくとも選詩集『穀粒』で読んだはずの『聖三稜玻璃』や『風は草木にささやいた』の詩編と『雲』を読みあわせて、やはりキリスト教伝道師詩人だった北村透谷ともども暮鳥の詩と信仰の関係をどう考えていたか、文学論を書きも人に話しもしなかった八木の場合は八木の詩作から判読するしかないのです。

[ 山村暮鳥(1884-1924)、明治41~42年(1908~09年)秋田県聖救主教会伝道師(牧師)として横手町~湯沢町伝道所に赴任中の近影(24~25歳) ]

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山村暮鳥詩集『聖三稜玻璃』初版
四方貼函入り型押し三方山羊革表紙特製本
にんぎょ詩社・大正4年(1915年)12月10日発行

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(着色型押し三方山羊革表特紙本)

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詩集 聖三稜玻璃  山村暮鳥

(ダ・ヴィンチ装画)

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 太陽は神々の蜜である
 天涯は梁木である
 空はその梁木にかかる蜂の巣である
 輝く空氣はその蜂の卵である。
        Chandogya Upa. III I. I.

   こゝは天上で
   粉雪がふつてゐる……
   生きてゐる陰影
   わたしは雪のなかに跪いて
   その銀の手をなめてゐる。


1915 III-Vより

  囈 語

竊盜金魚
強盜喇叭
恐喝胡弓
賭博ねこ
詐欺更紗
涜職天鵞絨(びらうど)
姦淫林檎
傷害雲雀(ひばり)
殺人ちゆりつぷ
墮胎陰影
騷擾ゆき
放火まるめろ
誘拐かすてえら。
 (大正4年=1915年6月「アルス」)

  大宣辭

かみげはりがね
ぷらちなのてをあはせ
ぷらちなのてをばはなれつ
うちけぶるまきたばこ。
たくじやうぎんぎよのめより
をんなのへそをめがけて
ふきいづるふんすゐ
ひとこそしらね
てんにしてひかるはなさき
ぎんぎよのめ
あかきこつぷををどらしめ。
 (大正4年=1915年3月「卓上噴水」)

  曲 線

みなそこの
ひるすぎ
走る自働車
魚をのせ
かつ轢き殺し
麗かな騷擾(さわぎ)をのこし。
 (大正4年=1915年4月「卓上噴水」)

  手

みきはしろがね
ちる葉のきん
かなしみの手をのべ
木を搖(ゆす)る
一本の天(そら)の手
にくしんの秋の手。
 (大正3年=1914年11月「卓上噴水」)

  だんす

あらし
あらし
しだれやなぎに光あれ
あかんぼの
へその芽
水銀歇私的利亞(ヒステリア)
はるきたり
あしうらぞ
あらしをまろめ
愛のさもわるに
烏龍(ウウロン)茶をかなしましむるか
あらしは
天に蹴上げられ。
 (大正4年=1915年4月「卓上噴水」)

  圖 案

みなそこに壺あり
壺のなかなる蝙蝠は
やみよの紋章
ふね坂をのぼり
朧なる癲癇三角形
くされたる肉にさく薔薇
さてはかすかな愛の痙攣。
 (大正4年=1915年4月「アルス」)

  烙 印

あをぞらに
銀魚をはなち
にくしんに
薔薇を植ゑ。
 (大正4年=1915年5月「卓上噴水」)


1914 V- (全)

  青空に

青空に
魚ら泳げり。

わがためいきを
しみじみと
魚ら泳げり。

魚の鰭
ひかりを放ち

ここかしこ
さだめなく
あまた泳げり。

青空に
魚ら泳げり。

その魚ら
心をもてり。
 (大正3年=1914年5月「風景」)

  A FUTUR

まつてゐるのは誰。土のうへの芽の合奏の進行曲である。もがきくるしみ轉げ廻つてゐる太陽の浮かれもの、心の日向葵の音樂。永遠にうまれない畸形な胎兒の「だんす」、そのうごめく純白な無數のあしの影、わたしの肉體(からだ)は底のしれない孔だらけ……銀の長柄の投げ鎗で事實がよるの讚美をかい探る。

わたしをまつてゐるのは、誰。
黎明のあしおとが近づく。蒼褪めたともしびがなみだを滴らす。眠れる嵐よ。おお、めぐみが濡らした墓の上はいちめんに紫紺色の罪の靄、神經のきみぢかな花が顫へてゐる。それだのに病める光のない月はくさむらの消えさつた雪の匂ひに何をみつけやうといふのか。嵐よ。わたしの幻想の耳よ。

わたしをめぐる悲しい時計のうれしい針、奇蹟がわたしのやはらかな髮を梳る。誰だ、わたしを呼び還すのは。わたしの腕は、もはや、かなたの空へのびてゐる。青に朱をふくめた夢で言葉を飾るなら、まづ、醉つてる北極星を叩きおとせ。愛と沈默とをびおろんの絃のごとく貫く光。のぞみ。煙。生(いのち)。そして一切。

蝙蝠と霜と物の種子(たね)とはわたしの自由。わたしの信仰は眞赤なくちびるの上にある。いづれの海の手に落ちるのか、靈魂(たましひ)。汝(そなた)は秋の日の蜻蛉(とんぼ)のやうに慌ててゐる。汝は書籍を舐る蠧魚と小さく甦る。靈魂よ、汝の輪廓に這ひよる脆い華奢(おしやれ)な獸の哲理を知れ。翼ある聲。眞實の放逸。再び汝はほろぶる形象(かたち)に祝福を乞はねばならぬ。

靡爛せる淫慾の本質に湧く智慧。溺れて、自らの胡弓をわすれよ。わたしの祕密は蕊の中から宇宙を抱いてよろめき伸びあがる、かんばしく。

わたしのさみしさを樹木は知り、壺は傾くのである。そして肩のうしろより低語(ささや)き、なげきは見えざる玩具(おもちや)を愛す。猫の瞳孔(ひとみ)がわたしの映畫(フヰルム)の外で直立し。朦朧なる水晶のよろこび。天をさして螺旋に攀ぢのぼる汚れない妖魔の肌の香。

いたづらな蠱惑が理性の前で額づいた……

何といふ痛める風景だ。何時(いつ)うまれた。どこから來た。粘土の音(ね)と金屬の色とのいづれのかなしき樣式にでも舟の如く泛ぶわたしの神聖な泥溝(どぶ)のなかなる火の祈祷。盲目の翫賞家。自己禮拜。わたしの「ぴあの」は裂け、時雨はとほり過ぎてしまつたけれど執着の果實はまだまだ青い。

はるかに燃ゆる直覺。欺むかれて沈む鐘。棺が行く。殺された自我がはじめて自我をうむのだ。棺が行く。音もなく行く。水すましの意識がまはる。

黎明のにほひがする。落葉だ。落葉。惱むいちねん。咽びまつはる欲望に、かつて、祕めた緑の印象をやきすてるのだ。人形も考へろ。掌の平安もおよぎ出せ。かくれたる暗がりに泌み滲み、いのちの凧のうなりがする。歡樂は刹那。蛇は無限。しろがねの弦を斷ち、幸福の矢を折挫いてしくしく「きゆぴと」が現代的に泣いてゐる。それはさて、わたしは憂愁のはてなき逕をたどり急がう。

おづおづとその瞳(め)をみひらくわたしの死んだ騾馬、わたしを乘せた騾馬――――記憶。世界を失ふことだ。それが高貴で淫卑な「さろめ」が接吻の場(シイン)となる。そぷらので。すべて「そぷらの」で。殘忍なる蟋蟀は孕み、蝶は衰弱し、水仙はなぐさめなく、歸らぬ鳩は眩ゆきおもひをのみ殘し。

おお、欠伸(あくび)するのは「せらぴむ」か。黎明が頬に觸れる。わたしのろくでもない計畫の意匠、その周圍をさ迷ふ美のざんげ。微睡の信仰個條(クリイド)。むかしに離れた黒い蛆蟲。鼻から口から眼から臍から這込む「きりすと」。藝術の假面。そこで黄金色(きんいろ)に偶像が塗りかへられる。

まつてゐるのは誰。そしてわたしを呼びかへすのは。眼瞼(まぶた)のほとりを匍ふ幽靈のもの言はぬ狂亂。鉤をめぐる人魚の唄。色彩のとどめを刺すべく古風な顫律(リヅム)はふかい所にめざめてゐる。靈と肉との表裏ある淡紅色(ときいろ)の窓のがらすにあるかなきかの疵を發見(みつ)けた。(重い頭腦(あたま)の上の水甕をいたはらねばならない)

わたしの騾馬は後方(うしろ)の丘の十字架に繋がれてゐる。そして懶(ものう)くこの日長を所在なさに糧も惜まず鳴いてゐる。
 (大正3年=1914年5月「風景」)


1914 VII-XIIより

  樂 園

寂光さんさん
泥まみれ豚
ここにかしこに
蛇からみ
秋冴えて
わが瞳(め)の噴水
いちねん
山羊の角とがり。
 (大正3年=1914年11月「地上巡禮」)

  發 作

なにかながれる
めをとぢてみよ
おともなくながれるものを
わがふねもともにながれる。
 (大正4年=1915年3月「地上巡禮」)

  曼陀羅

このみ
きにうれ

ひねもす
へびにねらはる。

このみ
きんきらり。

いのちのき
かなし。
 (大正3年=1914年10月「地上巡禮」)

  岬

岬の光り
岬のしたにむらがる魚ら
岬にみち盡き
そら澄み
岬に立てる一本の指。
 (大正4年=1915年4月「詩歌」)

  十 月

銀魚はつらつ
ゆびさきの刺疼(うづ)き
眞實
ひとりなり
山あざやかに
雪近し。
 (大正3年=1914年11月「地上巡禮」)

  印 象

むぎのはたけのおそろしさ……
むぎのはたけのおそろしさ
にほひはうれゆくゐんらく
ひつそりとかぜもなし
きけ、ふるびたるまひるのといきを
おもひなやみてびはしたたり
せつがいされたるきんのたいやう
あいはむぎほのひとつびとつに
さみしきかげをとりかこめり。
 (初出誌不詳)

  光

かみのけに
ぞつくり麥穗
滴る額
からだ青空
ひとみに
ひばりの巣を發見(みつ)け。
 (大正3年=1914年8月「郷土文藝」)


1915 I-IIより

  くれがた

くれがたのおそろしさ
くりやのすみの玉葱
ほのぐらきかをりに浸りて
青き芽をあげ
ものなべての罪は
ひき窓の針金をつたはる。
 (大正4年=1915年1月「地上巡禮」)

  肉

癩病める冬の夜天
聖靈のとんねる
ふおくは悲しめ斷末魔
純銀食堂車
卓上に接吻あり
卓上永生はかなしめ。
 (大正4年=1915年1月「地上巡禮」)

  晝

としよりのゐねむり
ゐねむりは
ぎんのはりをのむ
たまのりむすめ
ふゆのひのみもだえ
そのはなさきに
ぶらさがりたるあをぞら。
 (大正4年=1915年2月「詩歌」)

  風景
   純銀もざいく

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
かすかなるむぎぶえ
いちめんのなのはな

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
ひばりのおしやべり
いちめんのなのはな

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
やめるはひるのつき
いちめんのなのはな。
 (大正4年=1915年6月「詩歌」)

  冬

ふところに電流を仕掛け
眞珠頸飾りのいりゆじよん
ひかりまばゆし
ぬつとつき出せ
餓ゑた水晶のその手を……
おお酒杯
何といふ間抜けな雪だ
何と……凝視(みつむ)るゆびさきの噴水。
 (大正4年=1915年1月「詩歌」)

  いのり

つりばりぞそらよりたれつ
まぼろしのこがねのうをら
さみしさに
さみしさに
そのはりをのみ。
 (大正4年=1915年6月「新評論」)

(詩集『聖三稜玻璃』抄・了)


山村暮鳥詩集『風は草木にささやいた』
大正7年(1918年)11月15日・白日社刊

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  人間の勝利 (序詩)

人間はみな苦んでゐる
何がそんなに君達をくるしめるのか
しつかりしろ
人間の強さにあれ
人間の強さに生きろ
くるしいか
くるしめ
それがわれわれを立派にする
みろ山頂の松の古木(こぼく)を
その梢が烈風を切つてゐるところを
その音の痛痛しさ
その音が人間を力づける
人間の肉に喰ひいるその音(ね)のいみじさ
何が君達をくるしめるのか
自分も斯うしてくるしんでゐるのだ
くるしみを喜べ
人間の強さに立て
耻辱(はぢ)を知れ
そして倒れる時がきたらば
ほほゑんでたふれろ
人間の強さをみせて倒れろ
一切をありのままにじつと凝視(みつ)めて
大木(たいぼく)のやうに倒れろ
これでもか
これでもかと
重いくるしみ
重いのが何であるか
息絶えるとも否と言へ
頑固であれ
それでこそ人間だ
 (大正6年=1917年9月「感情」)


IIIより

  子どもは泣く

子どもはさかんに泣く
よくなくものだ
これが自然の言葉であるのか
何でもかでも泣くのである
泣け泣け
たんとなけ
もつとなけ
なけなくなるまで泣け
そして泣くだけないてしまふと
からりと晴れた蒼天のやうに
もうにこにこしてゐる子ども
何といふ可愛らしさだ
それがいい
かうしてだんだん大きくなれ
かうしてだんだん大きくなつて
そしてこんどはあべこべに
泣く親達をなだめるのだ
ああ私には真実に子どものやうに泣けなくなつた
ああ子どもはいい
泣けば泣くほどかはゆくなる
 (詩集書き下ろし)


IVより

  荷車の詩

日向に一台の荷車がある
だれもゐない
ひつそりとしてゐる
木には木の実がまつ青である
荷車はぐつたりとつかれてゐるのだ
そしてどんよりした低気圧を感じてゐるのだ
路上には濃い紫の木木の影
その重苦しい影をなげだした荷車
 (大正6年=1917年9月「感情」)


V (全)

  キリストに与へる詩

キリストよ
こんなことはあへてめづらしくもないのだが
けふも年若な婦人がわたしのところに来た
そしてどうしたら
聖書の中にかいてあるあの罪深い女のやうに
泥まみれなおん足をなみだで洗つて
黒い房房したこの髮の毛で
それを拭いてあげるやうなことができるかとたづねるのだ
わたしはちよつとこまつたが
斯う言つた
一人がくるしめばそれでいいのだ
それでみんな救はれるんだと
婦人はわたしの此の言葉によろこばされていそいそと帰つた
婦人は大きなお腹(なか)をしてゐた
それで独り身だといつてゐた
キリストよ
それでよかつたか
何だかおそろしいやうな気がしてならない
 (大正6年=1917年7月「感情」)

  或る淫売婦におくる詩

女よ
おんみは此の世のはてに立つてゐる
おんみの道はつきてゐる
おんみはそれをしつてゐる
いまこそおんみはその美しかつた肉体を大地にかへす時だ
静かにその目をとぢて一切を忘れねばならぬ
おんみはいま何を考へてゐるか
おんみの無智の尊とさよ
おんみのくるしみ
それが世界(よ)の苦みであると知れ
ああそのくるしみによつて人間は赦される
おんみは人間を救つた
おんみもそれですくはれた
どんなことでもおんみをおもへばなんでもなくなる
おんみが夜夜(よるよる)うす暗い街角に餓ゑつかれて小猫のやうにたたずんでゐた時
それをみて石を投げつけたものは誰か
あの野獣のやうな人達をなぐさむるために
年頃のその芳醇な肉体を
ああ何の憎しみもなく人人のするがままにまかせた
歯を喰ひしばつた刹那の淫楽
此の忍耐は立派である
何といふきよらかな霊魂(たましひ)をおんみはもつのか
おんみは彼等の罪によつて汚れない
彼等を憐め
その罪によつておんみを苦め
その罪によつておんみを滅ぼす
彼等はそれとも知らないのだ
彼等はおのが手を洗ふことすら知らないのだ
泥濘(どろ)の中にて彼等のためにやさしくひらいた花のおんみ
どんなことでもつぶさに見たおんみ
うつくしいことみにくいこと
おんみはすべてをしりつくした
おんみの仕事はもう何一つ残つてゐない
晴晴とした心をおもち
自由であれ
寛大であれ
ひとしれずながしながしたなみだによつて
みよ神神(かうがう)しいまで澄んだその瞳
聖母摩利亜のやうな崇高(けだか)さ
おんみは光りかがやいてゐるやうだ
おんみの前では自分の頭はおのづから垂れる
ああ地獄の「ゆり」よ
おんみの行為は此の世をきよめた
おんみは人間の重荷をひとりで背負ひ
人人のかはりをつとめた
それだのに捨てられたのだ
ああ正しい
いたましい地獄の白百合
猫よ
おんみはこれから何処へ行かうとするのか
おんみの道はつきてゐる
おんみの肉体(からだ)は腐りはじめた
大地よ
自分はなんにも言はない
此の接吻(くちつけ)を真実のためにうけてくれ
ああ何でもしつてゐる大地
そして女よ
曾て彼等の讃美のまつただ中に立ちながら
ひとときのやすらかさもなかつた
おんみを蛆虫はいま待つてゐるのだ
あらゆるものに永遠の生をあたへ
あらゆるものをきよむる大地
此の大地を信ぜよ
人間の罪の犠牲としておんみは死んでくださるか
自分はおんみを拝んでゐる
彼等はなんにもしらないのだ
わかりましたか
そして吾等の骨肉よ
いま一どこちらを向いて
おんみのあとにのこる世界をよくみておくれ
 (大正6年=1917年9月「感情」)

  溺死者の妻におくる詩

おんみのかなしみは大きい
女よ
おんみは霊魂(たましひ)を奪ひ去られた人間
おんみの生(ライフ)は新しく今日からはじまる
その行末は海のやうだ
そしてさみしい影を引くおんみ
けふもけふとて人人はそれを見たと言ふ
何んにも知らずにすやすやとねむつたあかんぼ
そのあかんぼを背負つて泣きながら
渚をあちらこちらと彷徨(さまよ)つてゐるおんみの残すその足あと
その足あとを洗ひけす波波
女よ
おんみは此の怖ろしい海をにくむか
にくんではならない
おんみは此のひろびろとした海を恨むか
うらんではならない
海でないならと呟くな
ああそれが海である悲しさに於て
静におもへ
海はただ轟轟と吼えてゐるばかりだ
波は岸を噛みただ荒狂つてゐるばかりだ
海に悪意がどこにある
それは自然だ
けれど溺れる人間の小ささよ
人間の無力を知れ
溺れたものがどうなるか
いたづらになげきかなしむことをやめ
それより背負ふその子を立派に育てることだ
強く強く
海より強く
波より強く
その手の上に眠る海
その手の下に息を殺した暴風(あらし)と波と
此の壮大な幻想を
あかんぼの未来に描け
それをたのしみに生きろ
その子のちからが此の大海を統御する時
おんみはもはや悪まず恨まず
此の海をながめ
此の海の無私をみとめて
はじめて人間を知るであらう
人間を
そして此の海をかき抱いて愛するであらう
而もおんみはそれまでに
いくたび海に悲しくも語らねばならぬか
せめてその屍体(なきがら)なりと返してよと
ああ若くして頼(よ)るべなき寡婦(やもめ)よ
 (大正6年=1917年9月「詩歌」)

  大きな腕の詩

どこにか大きな腕がある
自分はそれを感ずる
自分はそれが何処にあるか知らない
それに就ては何も知らない
而もこれは何といふ力強さか
その腕をおもへ
その腕をおもへば
どんな時でも何処からともなく此のみうちに湧いてくる大きな力
ぐたぐたになつてゐた体躯(からだ)もどつしりと
だがその腕をみようとはするな
見ようとすれば忽ちに力は消えてなくなるのだ
盲者(めくら)のやうに信じてあれ
ああ生きのくるしみ
その激しさにひとしほ強くその腕を自分は感ずる
幸(さち)薄(うす)しとて呟くな
どこかに大きな腕があるのだ
人間よ
此のみえない腕をまくらにやすらかに
抱かれて眠れ
 (詩集書き下ろし)

  先駆者の詩

此の道をゆけ
此のおそろしい嵐の道を
はしれ
大きな力をふかぶかと
彼方(かなた)に感じ
彼方をめがけ
わき目もふらず
ふりかへらず
邪魔するものは家でも木でもけちらして
あらしのやうに
そのあとのことなど問ふな
勇敢であれ
それでいい
 (大正6年=1917年11月「詩歌」)


VIIIより

  人間の詩

ぼくは人間がすきだ
人間であれ
それでいい
それだけでいい
いいではないか

ぼくは人間が好きだ
人間であれ
此の目
此の耳
此の口
此の鼻
此の手と足と
何といはうか此の立派さ

頭上(づじやう)に大きな蒼天をいただき
二本の脚で大地をふみしめ
樹木のやうにその上につつ立つ人間
牛のやうな歩行者
蜻蛉(とんぼ)のやうな空中の滑走者

此の人間をおもへ
此の世のはじめ
まだ創造のあしたであつた時を想像してみろ
そこに何があつたか
茫漠としてはてなき荒野
おなじやうな其上の空
その空の太陽
それをみつけたのは人間だ
みんな人間が発見(みつ)けたのだ
みんな人間のものだ

翼あるもの
鰭あるもの
すべての匍ふもの
すべての草木
すべてのものを愛し
すべてのものに美よき名をあたへた人間

一切の価値
一切の意義
一切の法則
一切は人間のさだめたところによつて存在するのだ
人間あつての世界でないか
人間を信ぜよ
此の偉大なる人間を
大地が地上に押しだした生(いのち)の子ども

人間であれ
人間を信ぜよ
鉄のやうな人間の意志を
けだもののやうな人間の愛を
そして神神のやうな人間の自由を
ああ人間はいい

空気と水と穀物
それから日光と
そこで繁殖する人間だ
そこで人間は大きくなるのだ
そこで人間はつよくなるのだ
ああ人間はいい

此の人間は生きてゐる
此の人間は生きんとする
人間であれ
人間であることを思へ

人間はいい
ぼくは人間が好きだ
ぼくが一ばん好きなのは何とゆつても人間だ
人間であれ
人間であれ
人間であれ
人間であれ

此の人間はどこからきた
此の人間はどこへ行く
それがなんだ
そんなことはどうでもいい
よくみろ
而して思へ
どんな世界を新しく此の人間がつくりいだすか
どんな時代を新しく此の人間がつくりいだすか
どんな大きな信念を
どんな大きな思想を
どんな大きな芸術を
此の人間が生みいだすか

人間をみろ
人間をみろ
よくみろ
目をすゑてみろ、太陽
永遠を一瞬間に生きる人間
汝の愛(いつく)しむもの
神神も照覧あれ
此の生きてゐる人間を
 (大正7年=1918年4月「詩歌」)


IXより

  そこの梢のてつぺんで
     一はの鶸がないてゐる

すつきりとした蒼天
その高いところ
そこの梢のてつぺんに一はの鶸(ひは)がないてゐる
昨日(きのふ)まで
骨のやうにつつぱつて
ぴゆぴゆ風を切つてゐた
そこの梢のてつぺんで一はの鶸がないてゐる
それがゆふべの糠雨で
すつかり梢もつやつやと
今朝(けさ)はひかり
煙のやうに伸びひろがつた
そこの梢のてつぺんで一はの鶸がないてゐる
それがどうしたと言ふのか
そんなことをゆつてゐたのでは飯が食へぬと
ひとびとはせはしい
ひとびとのくるしみ
くるしみは地上一めん
けれど高いところはさすがにしづかだ
そこの梢のてつぺんで一はの鶸がないてゐる
 (詩集書き下ろし)

  雨は一粒一粒ものがたる

一日はとつぷりくれて
いまはよるである
晩餐(ゆふげ)ののちをながながと足を伸ばしてねころんでゐる
ながながと足を伸ばしてねころんでゐる自分に
雨は一粒一粒ものがたる
人間のかなしいことを
生けるもののくるしみを
そして燕のきたことを
いつのまにかもうすやすやと眠つてゐる子ども
妻はその子どものきものを縫ひながら
だんだん雨が強くなるので
播いた種子が土から飛びだしはすまいかと
うすぐらい電燈の下で
自分と一しよに心配してゐる
 (大正7年=1918年6月「詩歌」)

  苦悩者

何をしてきた
何をしてきたかと自分を責める
自分を嘲ける此の自分
そして誰も知らないとおもふのか
自分はみんな知つてゐる
すつかりわかりきつてゐる
わたしをご覧
ああおそろしい

いけない
いけない
私に触つてはいけない
私はけがれてゐる
私はいま地獄から飛びだしてきたばかりだ
にほひがするかい
お白粉や香水の匂ひが
あの暗闇で泳ぐほどあびた酒の匂ひが
此の罪悪の激しい様様なにほひが
おお腸(はらわた)から吐きだされてくる罪悪の匂ひ
それが私の咽喉(のど)を締める
それが私のくちびるに附着(くつつ)いてゐる
それから此のハンカチーフにちらついてゐる

自分はまだ生きてゐる
まだくたばつてはしまはなかつた
自分はへとへとに疲れてゐる
ゆるしておくれ
ゆるしてくれるか
神も世界もあつたものか
霊魂(たましひ)もかねもほまれもあつたものか
此の疲れやうは
まるでとろけてでもしまひさうだ
とろけてしまへ

何だその物凄いほど蒼白い顔は
だが実際、うつくしい目だ
此の頸にながながと蛇のやうにからみついたその腕は
ああゆるしておくれ
そして何にも言はずに寝かしておくれ
私はへとへとにつかれてゐる

なんにもきいてくれるな
こんやは
あしたの朝までは
そつと豚のやうに寝かしておいておくれ
とは言へあの泥水はうまかつた
それに自分は酔つぱらつてゐるんだ
此の言葉は正しい
此のていたらくで知るがいい

而も自分は猶、生きようとしてゐる
自分の顔へ自分の唾のはきかけられぬ此のくやしさ
ああおそろしい
ああ睡い
そつと此のまま寝かしておくれ

だがこんなことが一体、世界にあり得るものか
自分は自分を疑ふのだ
自分は自分をさはつてみた
そして抓つて撲(なぐ)つてかじつてみた
確に自分だ
ああおそろしい

自分は事実を否定しない
事実は事実だ
けれどもう一切は過去になつた
足もとからするすると
そしてもはや自分との間には距離がある
そしてそれはだんだん遠のきつつ
いまは一種の幻影だ
記憶よ、そんなものには網打つな

おお大罪悪の幻影!
罪悪はうつくしい
あの大罪悪も吸ひついた蛭のやうにして犯したんだ
けれどその行為につながる粘粘した醜い感覚
それでもあのまつ暗なぬるぬるしてゐる深い穴から
でてきた時にはほつとした
そして危く此の口からすべらすところであつた
この涎と甘いくちつけにけがれた唇から
おお神よと
そして私は身震ひした
それはさて、こんやの時計ののろのろしさはどうだ
迅速に推移しろ
ああ睡い睡い
遠方で一ばん鶏(どり)がないてゐる
もう目がみえない
黎明は何処(どこ)までちかづいて来てゐるか
このままぐつすり寝て起きると
そこに新しい人間がある
ゆふべのことなどわすれてしまつて
はつきりと目ざめ
おきいで
大空でもさしあげるやうな背伸び
全身につたはる力よ
新しい人間の自分
それがほんとの自分なんだ
此の泥酔と懊悩と疲労とから
そこから生れでる新しい人間をおもへ!
彼が其時吸ひこむ新鮮な空気
彼が其時浴びる朝の豊富にして健康な世界一ぱいの日光

どこかで鷄が鳴いてゐる
ああ睡い
ぶつ倒されるほど睡い
自分はへとへとにつかれてゐる
ねかしておくれ
ねかしておくれ

そして自分の此の手を
指をそろへて此の胸の上で組ましておくれ
しかし私に触つてはいけない
私はひどくけがれてゐる
たつた一とこと言つてくれればいい
誰でもいい
全人類にかはつて言つておくれ
何(なん)にも思はず目を閉ぢよと
それでいい
それでいい
ああ睡い
これでぐつすり朝まで寝られる
 (大正7年=1918年9月「詩歌」)


Xより

  生みのくるしみの頌栄

くるしいか
くるしからう
いまこそ
どんなに此のくるしみがしのべるか
おんみは人間の聖母
じつとこらへろ
人間の強さを見せて!

くるしいか
くるしめ
此のくるしみの間より出で来るもの
否、此のくるしみの間にあつて
此の人間のくるしみより生みだせ
新しき世界へ
雄々しきものを
小獅子を
おんみは生死の間にある
おんみを凝視(みつ)める自分をみろ
くるしいか
おおそのくるしみ
此のくるしみ
自分もおんみと一しよだ

ああ偉大なる人間の創造
ああ偉大なる人間の誕生
 (大正7年=1918年10月「苦悩者」)

  あかんぼ

暴風(あらし)はさつた
あらし
あらし
あばれくるつて過ぎさつた
そしてそのあとに可愛いいあかんぼを残して
わすれていつたのか
あかんぼはすやすやと寝床(ねどこ)の上
そのそばにぐつたりとつかれてその母もねてゐる
何といふ麗かな朝だらう
わたしは愛する
 (大正7年=1918年10月「苦悩者」)

(詩集『風は草木にささやいた』抄・了)

(引用詩のかな遣いは原文に従い、『聖三稜玻璃』は正字体のまま、『風は草木にささやいた』は当用漢字に改め、明らかな誤植は訂正しました。)