人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

クラウス・シュルツェ Klaus Schulze - ポーランド・ライヴ Dziekuje Poland Live '83 (IC, 1983)

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クラウス・シュルツェ Klaus Schulze - ポーランド・ライヴ Dziekuje Poland Live '83 (IC, 1983)
Recorded live in Poland 1983 with Sony PCM 100 digital recorder.
Released by Innovative Communication KS 80.040/41, 1983
All tracks composed by Klaus Schulze.
(Side 1)
A1. Katowice (Iris) : https://youtu.be/FHRmYEbqyNg : https://youtu.be/Nbw7I2l7xfA : https://youtu.be/R4X39ASvWHk (3/3 complete) : https://youtu.be/5BjG8C6fbvg (extract) - 26:25*aka essentially a live version of "Spielglocken" from Audentity.
(Side 2)
B1. Warsaw (Halina) : https://youtu.be/wjc3oyBAFWo - 24:25*extract
(Side 3)
C1. Lodz (Janina) : https://youtu.be/IQ9CXNBthoA - 20:25*essentially a live version of "Ludwig II von Bayern" from X.
(Side 4)
D1. Gdansk (Tina) : https://youtu.be/nL-CjzZ9B0Q - 16:35*extract
D2. Dziekuje (Margot) : https://youtu.be/uqmTVrgulxU - 5:50
[ Personnel ]
Klaus Schulze - synthesizer, guitar, keyboards, vocals, Moog synthesizer, Fairlight
Rainer Bloss - synthesizer, keyboards, computers

(Original IC "Dziekuje Poland Live '83" LP Liner/Gatefold Inner Cover & Side 1 Label)

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 同年'83年にはシュルツェの古巣(どころか創立メンバーでもあった)タンジェリン・ドリームポーランド公演のライヴ盤をリリースしています。ポーランドは東欧諸国共産圏でも西ヨーロッパ諸国との文化交流は盛んで、政治体制だけが全面的に自由な交流の塞げになっていました。レフ・ヴァウェンサ(ワレサ)率いる独立自由労組"連帯"の隆盛によってポーランド戒厳令が施行されたのは1981年12月のことで、翌'82年からはポーランドは全面的にではないにせよ従来に較べれば大きく民主主義に近づいた自由化政策を進めます。タンジェリン・ドリームやシュルツェのポーランド公演が企画・実現したのはそうした政情下での文化的交流政策だったと想像され、タンジェリンやシュルツェの音楽はアカデミックなクラシック音楽由来の現代音楽(しかも最先端のエレクトロニクス音楽)とポピュラー音楽の両方のリスナーの渇望を満たすものとして格好だったのだろうと思われます。ショパンを生んだポーランドは音楽文化の進んだ国であり、ドイツとは歴史的に人口流動と密接な文化的・商業的交流がありました。シュルツェは'80年リリースの2枚組アルバム『ライヴ』でこれは最初で最後のライヴ盤であると宣言していましたが、毎回ほぼすべてのライヴを録音していたシュルツェはポーランド公演の出来と熱狂的な反響に押されたかたちで前作『オーディンティティ』'83に参加していたライナー・ブロス(1946-2015、キーボード)との連名名義で本作をリリースします。ブロスは演奏家としての力量や幅広い音楽的素養ではシュルツェを圧倒する技量の、高いミュージシャンシップを備えたアーティストで、年齢もシュルツェより1歳年長でしたから、早熟なシュルツェにとっては『X』'78から『オーディンティティ』までほぼレギュラー参加していたウォルフガング・ティーポルド(チェロ、弦楽指揮)ともどもようやく同年輩の師にめぐり会えたようなものだったでしょう。'70年代のシュルツェの交友圏はコズミック・ジョーカーズにしろGOプロジェクトにしろロック系、しかもドイツ人ロック・ミュージシャンではアシッド・ロックが出自のメンバーばかりでしたし、シュルツェを含め'80年代になってもしぶとく活動している'70年代ミュージシャンが多かったのが他のロックの盛んな国と較べてドイツの特色になっていましたが、'70年代のようなリーダー不在のジャムセッション録音式の制作は廃れていて、'80年代初頭にはすでにもっと音楽に明確な方向性を求められるようになっていたのが、英米以外のヨーロッパの3大ロック大国と言えるドイツ、フランス、イタリアのいずれでも共通していました。
 話のついでに「英米以外のヨーロッパの3大ロック大国」としてドイツ、フランス、イタリアを上げると、たまに「北欧の方がロックは盛んではないのか」と具体例も上げず異論のコメントが寄せられることがあります。たぶん一部のヘヴィ・メタルのバンド群を指しているのだろうと目星はつきますが、20世紀初頭から映画とポピュラー音楽はアメリカ主導であり、アメリカの映画やポピュラー音楽(20世紀半ばまではジャズとブルースを基本にしたポップス)に追従して映画やポピュラー音楽の生産国はイギリスと、ヨーロッパ大陸ではドイツ、フランス、イタリアで、これらの国では年間200~300本の新作映画、年間200~300枚以上のレコード発売がされていました。この3国以外、北欧や東欧諸国は文化輸入国ではあっても輸出国とは言えないため産業の規模が小さく、新作映画は年間20本未満~多くても40本、レコード発売も同様で、たまたま日本にスウェーデンデンマークのロック・バンドが紹介されたとしてもシーン全体は大規模な輸出入文化生産国としての歴史を持つドイツ、フランス、イタリアには及ばないということは念を押しておきます。通常映画史的名作を列挙するとベスト100のほとんどがアメリカ映画に次いでフランス映画、イタリア映画、ドイツ映画、非ヨーロッパ圏の映画大国である(年間新作本数300本台)の日本、インドですら北欧や東欧同様特定の国際的名声を確立した映画監督の作品しか上がらないのはよく知られている通りです。話が逸れましたが、ポーランドは高い文化的水準と優れた音楽家を生み出しながら国際的交流は制限されており、シュルツェのような現代ドイツのトップクラスの個性的な音楽家の公演の実現には熱狂的な関心が集まったのも当然な環境だったのは、上記のような文化的背景とは切り離せません。完全なリンクが引けない曲ばかりで残念ですが、本作は『X』の「ルードヴィッヒII世」や『オーディンティティ』の「スピールグロッケン」の2キーボードによるライヴ・テイクが聴ける熱狂的ライヴで、シュルツェとブロスが時にはせめぎ合い、時には寄りそう白熱の演奏が聴ける、これも名作のひとつと言える優れたライヴ・アルバムです。しかしここでのシュルツェはポーランドの観客の大反響に煽られたか、良く言えば極めて高いテンションの演奏ですが、シュルツェとしては少々やりすぎの観がある、暴走気味の演奏です。シュルツェのライヴがスタジオ録音アルバムよりはるかに情熱的で疾走感にあふれているのは『ライヴ』でもありありと感じられましたが、ドラムスのハラルド・グロスコフ、ヴォーカルのアーサー・ブラウンらロック系ミュージシャンを迎えた『ライヴ』に対して本作ではライナー・ブロスというシュルツェに勝るとも劣らないマルチ鍵盤奏者、おそらくエレクトロニクス抜きの楽器演奏であればシュルツェがかなわないようなマエストロ級奏者とのガチでの競演です。『オーディンティティ』での演奏から類推してピアノ系の音色・奏法の演奏はブロス、サスティンの利いたコード奏法のシンセサイザーはシュルツェで、オルガン系の音色と奏法はシュルツェ、ブロスのどちらもがこなしていると思われますが、早い話シュルツェが二人いてライヴでバトル演奏しているような状態ですから尋常なテンションではなく、喰うか喰われるかのようなバトルが2枚組LP、100分近くに渡ってくり広げられるライヴ・アルバムです。充実した内容ではお勧めできますが、本作を基準としてしまうとシュルツェのもっと抑制の利いた、じっくり聴いて良さがわかってくる名作の数々とすれ違ってしまうおそれもあり、本作はちょっと暴走気味のシュルツェであることは念頭に置いていただきたいような気がします。ちなみにアルバム・タイトルと曲名の「Dziekuje」とはポーランド語の「ありがとう」「Thank You」で、タイトルだけはずいぶん素直に命名したものです。