第7作『ガメラ対深海怪獣ジグラ』'71で大映倒産のため一旦シリーズの終わりを迎えるまでのガメラ映画中でこの1本、というくらい人気が高いのは今回ご紹介する第3作『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』でしょう。筆者の記憶では同作はテレビ放映頻度もシリーズ中もっとも高く、ガメラが戦う悪役怪獣ギャオスの魅力とともに映画の展開も手に汗握る見せ場の連続で、ガメラ映画中前作『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』に次ぐ大予算で作られた作品になるそうですが、公開当時の興行収入のみならず怪獣人形の売り上げ、主題歌レコードの発売、テレビ放映時の二次収入、映像ソフトのレンタル・売り上げなど累積収益では永田社長時代の大映の生んだガメラ作品中最高の商業的成功作なのではないでしょうか。続く『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』は前作の1/3の製作費で作られたシリーズ初の宇宙人侵略もので、ここから本式に日本人とアメリカ人の少年コンビが主役になりガメラに助けを求めて侵略者を撃退する、という路線が敷かれて大ヒット作品となり、その次の『ガメラ対大悪獣ギロン』では予算すえおきのままに、プロローグ部分とエピローグ部分は地球ですが本編部分は謎の惑星で地球侵略を企む2人の宇宙人美女に捕らわれた少年2人、という規模で展開する作品になります。今回も1度目はざっと、2度目はメモを採りながらじっくり脳裏に刻みこむように鑑賞しましたが(今年に入ってからは主にそうやって感想文を書いています)、ルビッチやスタンバーグ、ウェルマンやロイド、スコリモフスキ、マカヴェイエフといった面々の映画はともかくゴジラ映画、ガメラ映画も気を抜かずに観るのは、まさかこういう見方をする時が来るとは思わなかっただけに映画とのつきあい方も観る人間次第だな、と妙に感慨深い感じもします。では今回の感想文も楽しくご覧いただければ幸いです。
●6月26日(火)
『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』(大映京都'67)*湯浅憲明監督, 87min, Color; 昭和42年3月15日公開
○解説(キネマ旬報新作邦画紹介より)「大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン」の高橋二三がシナリオを執筆し、「大怪獣ガメラ」の湯浅憲明が監督した怪獣特撮もの。撮影は「ごんたくれ」の上原明。
○あらすじ(同上) ある日突然、富士火山帯の活動で日本列島は揺らいだが、この地殻変動によって、一匹の大怪獣が出現し、ギャオスと名付けられた。ギャオスは怒ると、口から強力な超音波を発し、物質の構造を破壊する力を持っている。そのため、自衛隊のジェット機も落され、戦車も大きな翼で吹き飛ばされてしまい被害は益々大きくなっていた。その頃、高速道路建設にあたっていた堤志郎(本郷功次郎)は工事が始っても用地買収に応じない金丸辰衛門(上田吉二郎)に手こずっていたが、ギャオスの出現で工事を中断せざるを得なかった。しかし、辰衛門の孫息子英一少年(阿部尚之)が、ギャオスが夜行性怪獣であることを発見したことから、六百燭光もある対ゲリラ戦用のAGIL照明弾を使うことになった。ところが、明るさを嫌ったギャオスは名古屋市に飛んでくると、名古屋城を破壊し、一帯は火の海となった。そこへ現われたのが炎を好むガメラである。忽ち、すさまじい大怪獣同士の決闘となった。しかし、首の回転がきかないギャオスは決闘の場が海上に移ると全く形勢不利になり、からくもガメラをふり切って逃げ去った。一方ギャオス対策本部は、ギャオスの好物である人間の血液と同じ液体をホテルのラウンジに置いてギャオスを誘い寄せ高速で回転するラウンジにギャオスを釘づけにして日の出を待とうと計画した。ギャオスの細胞が紫外線によって壊れることが分ったからである。しかし、それも電力不足で失敗。最後に、山火事を起してガメラを呼び、ギャオスと対決させることになった。ギャオスは炎を求めて、飛来したガメラと、空いっぱいに戦いを繰り展げたが、ついにガメラに敗れ去り、火口の中に突き落されたのだった。
雲海の上に浮かぶ大映のTMから三宅島を結ぶ群小諸島に次々と噴火の映像ニュース。富士山の噴火に行きつくのではないかという科学者らの予想に避難する人々、ついに富士山が噴火。すると金丸英一少年(阿部尚之)が「お姉ちゃん、ガメラだよ!」ここまでアヴァン(タイトル前)が5分間で、タイトルバックの間にガメラはマグマのエネルギーを求めて噴火口に入っていきます。本編開始後、道路公団が富士山麓の高速道路建設のための開発に二子山村だけが応じないで工事がストップしている状況が語られ、二子山にカットバックするとぎりぎりまで粘って立ち退き金を釣り上げるんじゃ、という金丸村長(上田吉二郎)と村民の姿。ここまで本編5分目。そして二子山近辺の上空を飛ぶ民間旅客機が地上からの謎の光線で斜めに真っ二つに切断されて墜落するのが10分目です。続く10分で二子山近辺の青く光る洞窟に新聞記者が英一少年に案内を頼みこみ、洞窟の中に潜んでいた巨大怪獣に気づいて英一少年を置いて逃げようとして怪獣の口に飲み込まれるのが次の10分で、巨大な翼竜の出現に次いでガメラ登場が本編開始25分目。ガメラは英一少年をかばって巨大翼竜の切断光線を片方の前肢に受けて傷つきながら、英一少年をつかんで甲羅の上に乗せると安全圏の二子山まで送り届け(この時は回転せず飛行します)、火焔噴射して去っていきます。ここまでで30分目。続いて英一少年が証言に立ち会い、英一少年によって鳴き声から巨大翼竜がギャオスと命名されると、ギャオスの切断光線は2対の声帯から発射される超音波ビームであると解析され、続く5分間で次々と民間機やギャオス調査機の被害がおこります。40分目までには二子山の村中の牛馬や家畜は夜間にギャオスに喰われるか逃げ出してしまい、それでも二子山の村長は立ち退き金の釣り上げを狙って村民ともども村に踏ん張り、道路工事責任者の堤(本郷功次郎)らと対立します。英一少年の観察日記からギャオスは夜行性と判明し、ギャオスが光を嫌う性質があると考えた堤はギャオスの出現を照明弾で撃退しますが(45分目)、ギャオスは名古屋に飛来して名古屋の街を破壊、中日球場に避難する人々の見守る中飛来してきたガメラはギャオスと空中戦をくり広げ(50分目)、ガメラは火焔噴射で攻撃しますがギャオスは胸部から焔を消火する霧を放出し、ガメラはギャオスを港まで誘導してギャオスの片足の爪先を食いちぎりギャオスは飛び去っていきます。翌朝、湾岸労働者たちが埠頭に流れついたギャオスの爪先を見つけ、発見時から陽にさらされたその爪先が次第に縮小していくことからギャオスの生体細胞が紫外線によって破壊され収縮するのが判明します(55分目)。ガメラとギャオスはそれぞれ深海で傷を癒やしているショットが挿入されます。60分目からは肉食獣で人肉が好物であるギャオスを人血を模した人工血液を餌にして巨大な回転プレートに誘い込み、プレートの高速回転でギャオスの目を回させ朝日が昇るまで拘束する作戦が計画され、一方二子山の村民は道路工事計画のコース変更の決定から立ち退き金を釣り上げようとしていた村長と仲間割れします。70分目、出現したギャオスは人工血液を霧状に噴射する回転塔に抱きつきながらプレートは回転しますが、ようやく夜明けという頃にプレートは負荷の限界で停止し、ギャオスは回転塔を破壊して飛び去っていきます。英一少年のアイディアから二子山に火災を起こしエネルギー源の焔を好むガメラを呼び寄せる作戦が、二子山の森林資源の代償を決意した村長から提案され、75分目で潜んでいた二子山の洞窟から弱点である焔を消火するため現れたギャオスに、ガメラが飛来してきて最終決戦になり、85分目、ガメラはギャオスを富士山の噴火口に引きずりこんでギャオスの断末魔の超音波ビームが一筋上がり、「ありがとうガメラ!」という英一少年に送られてガメラは主題歌「ガメラの歌」(ひばり児童合唱団)の流れる中、キャスト・クレジットがかぶる戦闘シーンの流用映像が次々と映され、主題歌の終了とともに映画は終わります。
同時上映は少年サスペンス映画『小さい逃亡者』だったという本作は、前作『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』で子供が主人公の作品ではなかったこと、第1作『大怪獣ガメラ』でもっとも反響を呼んだのはガメラが灯台から転落しそうになった子供を手のひらに乗せて救う場面だったことから、本作で再び本編監督に再起用された湯浅憲明監督によって意図的に子供の活躍を中心にして内容が詰められました。これは大映社長・永田雅一の意向とも一致しましたし、湯浅監督は怪獣映画は荒唐無稽で子供が対象の作品であるべき、という考えの監督で、また前作『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』では特技(特撮)監督を勤めたため本作以降は本編監督・特技(特撮)監督とも湯浅監督が兼務することになりました。本作でもガメラが英一少年を甲羅に乗せて空を飛ぶシーンは子供たちが大喜びしたそうです。また東宝のゴジラ映画は科学者や新聞記者を主人公にして怪獣の生態や対策を討論する場面が多いですが、これも湯浅監督が避けた側面で、とにかく子供と怪獣が活躍する映画、という指向が本作では立ち退き問題で揉める道路建設予定地に怪獣出現、と最小限の人間ドラマ要素とバランスの取れた出来になっており、次作以降はほとんど大人はドラマの脇役でしかなくなりますから脚本家の高橋二三氏は本作までは子供向けのガメラ映画ではなかった、としています。ちなみに高橋氏は本作を観て感激した本多猪四郎監督から絶賛と、いずれ一緒に仕事がしたい旨の葉書を寄せられたといいますから、怪獣映画の巨匠・本多猪四郎監督のビッグ・ハートが偲ばれる良いエピソードです。本作の魅力は東宝ゴジラ映画の怪獣のリアルさとは次元の異なる、マンガかアニメーションの世界から出現したような、映画を観た子供がすぐにでも落書きできそうなガメラとギャオスの絶妙な組み合わせでしょう。カメの怪獣ガメラはもちろん、当初巨大ドラキュラ、すなわちコウモリをイメージしたギャオスは丸っこい四つ足怪獣のガメラに対して三角形の頭部を持ち逆三角形のフォルムを持つ翼竜で、前作のバルゴン同様人肉を好む残虐凶悪怪獣であり、この設定は以降のガメラ映画でも使われます。赤い血液ではありませんが怪獣同士が血を流しながら戦い、傷が癒えるのを待つ描写もゴジラ映画にはないもので、本作はガメラとギャオスの戦いは中断を挟んで3回あり、人間側の作戦も見所になっていて特に回転台作戦という面白いアイディアがでてくる。また、前作で本編監督をヴェテランの田中重雄監督に譲り特技(特撮)監督に回った湯浅憲明監督の本編演出の腕前が第1作『大怪獣ガメラ』から飛躍的に向上しており、渋い内容ながら100分以上の長尺怪獣映画をテンポ良く視点・時制の統一も巧妙にこなした『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』の田中監督の手腕は、25歳あまり年少の湯浅監督には編集段階の整合性を学ぶ上でも助監督に就いた以上の経験になったと思われます。頻繁なカットバックによって視点や時制の混乱・不統一をきたし怪獣の居場所すら判然としないで話がどこまで進んだかもわからずシークエンスが展開していた『大怪獣ガメラ』と較べると長足の進歩、面目を一新した会心作となっており、田中監督の『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』のような重厚さはありませんが本多猪四郎監督が絶賛したというのもあながち過褒ではないような、子供も大人も楽しめる好作になっていてゴジラ映画の怪獣対決路線とは違った面白さがある。テンポの快調さと展開の工夫は本作では5分・10分刻みで着実に進行していくのは感想文中でストーリーを追った通りです。次作以降本格的に少年向け映画化していくガメラ映画ですが、演出の手堅さだけは本作で確立されて以来安心して観ることができるようになるのもシリーズが続けられていった要因でしょう。その意味では、ガメラ映画の正式なシリーズ化(前作はバルゴンが主役で、ガメラは脇役怪獣でした)は本作から始まるとも言えそうです。
●6月27日(水)
『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』(大映京都'68)*湯浅憲明監督, 81min, Color; 昭和43年3月20日公開
○解説(キネマ旬報新作邦画紹介より)「大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス」のコンビの高橋二三がシナリオを執筆し、湯浅憲明が監督した怪獣もの。撮影は新人の喜多崎晃。
○あらすじ(同上) 宇宙空間を猛烈なスピードで地球に接近する謎の宇宙船があった。この宇宙船は地球を占領する命を受けていた。折しもジェット噴射で飛行中のガメラは、火焔を放って地球の危機を救った。その頃、茅ケ崎海岸ではボーイスカウトのキャンプがはられていた。世界各国から参加した少年少女たちがリーダーの島田伸彦(本郷功次郎)や国際海洋研究所所長ドビー博士(ピーター・ウィリアムス)の指導で海底調査用小型潜水艇の運転訓練を受けていた。いたずらコンビの正夫(高塚徹)とジム(カール・クレイク)は潜行中にガメラに出会った。大喜びの二少年はガメラと遊び興じているうちに突然オレンジ色の光のドームに包まれてしまった。第一号機の復讐に現われた宇宙船が発射したスーパーキャッチ光線に捕えられてしまったのである。ガメラは必死に抵抗し、二少年の潜水艇を脱出させた。だが、その間に宇宙船の高度なメカニズムはガメラの弱点を調べあげていた。子供に対しては異常なまでに好意を示すガメラの性質。これを探知した宇宙船は再び二人を人質にしてしまった。危険にさらされる二人を見ては身動きも出来ず、ガメラは脳波コントロール器を打込まれてしまった。今やガメラの行動は字宙船の命ずるままとなり、地球征服者の狂暴な手先と化した。ダムや都市がつぎつぎに破壊された。降伏すべきか、少年を犠牲にしても攻撃すべきか、地球防衛対策本部は剣ケ峰に立たされた。そんな時島田は一計を策し、彼から連絡を受けた正夫とジムはガメラの行動を支配するリモコン装置のコイルをあべこべにつけ替えた。自由をとり戻したガメラは猛然と宇宙船を襲った。しかし九死に一生を得て地上に降り立った宇宙人のボスは、次々に部下五人を吸収し、見る見る三十二倍に巨大化。三つの頭部と六本の足を持つ宇宙怪獣バイラスとなった。地球防衛の期待を一身に担ったガメラは、バイラスと壮烈な死闘を展開した。形勢互角のまま海中に没したガメラとバイラス。やがてキャンプ場の上を、隊員たちの歓声を浴びて、悠悠と旋回するガメラの姿があった。
夕焼けの雲海をバックにした大映TMに続いて5つの砲丸を組み合わせたような白黒マーブル模様の宇宙船が宇宙空間を進み、移住先として地球に目をつけます。そこに飛翔形態のガメラが登場、「あの生物は我々の敵だ!」ガメラは5つの砲丸型コクピットの一つを破壊し「第1号機は失敗した。ただちに第2号機の発進を要請する。敵の生物の名は……」どーんと『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』のタイトルが出て「ガメラ~、ガメラ~、強いぞガメラ、強いぞガメラ、強いぞガメラ!」のOP主題歌(「ガメラマーチ」大映児童合唱団)とともにクレジット・タイトル。つづいて映画はゆるーく海岸でのボーイスカウトのキャンプ風景が描かれ、正夫少年(高塚徹)とジム少年(カール・クレイク)が海底調査用小型潜水艇の運転訓練に選ばれます。映画開始10分目、カットバックで宇宙人の第2号機が地球侵略の前にガメラを始末せねばならぬと飛来し(宇宙人たちの会話は五角形のアイコンによって行われます)、映画開始15分目に少年たちの潜水艇はガメラと出会いガメラと遊びますが、20分目に宇宙船からのキャッチ光線でガメラはキャプチャーされ、15分間のキャプチャー持続時間のうちに宇宙人によるガメラの弱点発見のための記憶分析が行われてガメラ対バルゴン(の戦闘シーン使い回しフィルム)が約7分、ガメラ対ギャオス(の戦闘シーン使い回しフィルム)が約3分と30分目までに宇宙人はガメラの弱点は人間の子供を守ろうとする本能と判断し、正夫少年とジム少年を拉致しガメラに敵対すると少年たちを殺す、と警告してガメラを鎮座させます。それからようやく宇宙船に拉致された少年時代の前に人間体の5人の宇宙人たち(橋本力、豪健司、夏木章、中原健、山根圭一郎)が現れ、宇宙人たちは鎮座したガメラを自由に操るための脳波コントロール光線を照射します。ここまでで40分、少年たちは宇宙船の中を探りますが、脱出手段は見つからず、奇妙な宇宙生物が檻の中に入れられているのを発見しますが(45分目)、宇宙人たちは少年たちを危険視し拘束してしまいます。50分目からは宇宙人に操られたガメラが宇宙船に誘導され日本各地の主要施設、主要都市を破壊して回ります。宇宙人の命令のままに東京タワーを倒し、東京湾の石油コンビナートを壊滅させた宇宙人はガメラを武器に、少年たちを人質に地球人に降伏を迫ります。少年たちは通信装置で自分たちは犠牲になると宇宙船攻撃を呼びかけますが、国連本部は少年たちの犠牲よりも人類降伏を決定します(65分目)。かつて少年たちが動力装置の配線を逆にしたいたずらを思い出したボーイスカウト隊長は宇宙船の装置の逆配線を指示、少年たちがスーパーキャッチ光線の逆作用で脱出に成功し、宇宙人のガメラへの攻撃命令が逆作用で宇宙船を攻撃してきて万事休すになった宇宙人たち5人は、檻の中の生物(声・若山弦蔵)のまわりに集まり「隊長!助けてください!」「その代わりにお前たちの体をもらおう」実は宇宙人の隊長だった怪生物は部下たち5人の首を一瞬ではねると(「地球人を殺して体の中に潜んでいたんだ!」と正夫少年)巨大バイラス星人に変身します。ガメラは海上に移動して戦闘し、バイラス星人の尖った頭部の尖端攻撃で何度も突き刺されながら、バイラス星人が腹部に刺さったまま成層圏まで飛翔して高速回転を続け、バイラス星人は凍りついたまま海中に落下して絶命します。「いたずらが役に立ったな」「ありがとうガメラ!」青空に飛翔して去って行くガメラ、映画終了。
同時上映は『妖怪百物語』となかなか強力な2本立て春休み映画だった本作は快調なテンポは前作のままですが、『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』ではドラマ本編の主演俳優、『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』では大人の登場人物では主役だった本郷功次郎が本作では子役主人公2人の保護者役のボーイスカウト指導員としてほとんど大人の登場人物が設定上の背景人物でしかないのが印象的です。キャスティングには当時の大映の魅惑のセクシー・ヒロイン、渥美マリも出演しているようなのですが見落としてしまいました。大人の登場人物で物語上活躍するのは宇宙人役の5人の俳優だけで、捕らえられている宇宙生物と思ったら実は宇宙人たちのボスだったバイラス星人の声は若山弦蔵です(笑)。この足は6本、頭部は5肢に割れていて、花弁のように開いたり角のように閉じて尖ったりするこの頭部を含めて、バイラス星人の造型はいかれているとしか言いようがありません。ゴジラ映画にも異形のキメラ大怪獣キングギドラやシリーズでは破格の変形ヘドロ怪獣ヘドラ('71年作品)がいましたが、一応サイが原型になっているバルゴン、コウモリ+古代翼竜が原型のギャオスと較べるとバイラス星人の造型の非常識さは円谷プロのウルトラシリーズに稀にあった程度で、テレビ・シリーズの1エピソードならともかくフィーチャー・フィルムでこれはないでちゅと観客の脳波までも幼児化させる馬鹿馬鹿しさがあります。ガメラ映画はアメリカでは第1作こそ劇場公開でしたが『バルゴン』『ギャオス』はテレビの子供番組枠放映で、本作もその輸出条件下で作られ、しかも特撮予算を含まない一般映画製作費、『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』の約1/3の予算での製作を課せられたため、ボーイスカウト・キャンプ地と戦闘シーンに茅ヶ崎のホテル(当時加山雄三経営)、宇宙船内部の部屋はどの部屋も同じ作りという設定、さらにシリーズ従来作からのフィルムを大量に流用して作られ、脚本家の高橋二三氏は不本意ながら子供向けの条件を引き受けたそうですが、湯浅憲明監督は「子供が冒険し、怪獣が出ずっぱりの『バイラス』が、シリーズ当初から本来やりたかった形だ」とコメントしており、これはプロデューサーで大映社長・永田雅一の令息・永田秀雄氏の意向にも沿っていました。本編監督・特技(特撮)監督を兼任した湯浅監督は本作を3週間と4日で撮り上げ、スタッフもガメラ映画はこれが最後だろうと気合を入れて取り組んだそうで、確かに本作は内容は荒唐無稽な宇宙人拉致物語なのに勢いだけはあるのがアンバランスな魅力になっているとも言えます。それはもう、このイカだかタコだか酢の物を肴に一杯やっている頭で思いついたようなバイラス星人の登場一発で本作が背負いこんでしまった運命でもあるでしょうし、この本格的少年向け映画路線は子供たちに大好評の大ヒット作となって、設定・内容ともほとんど本作の焼き直しと言える次作『ガメラ対大悪獣ギロン』が製作されることになるのです。
●6月28日(木)
『ガメラ対大悪獣ギロン』(大映京都'69)*湯浅憲明監督, 82min, Color; 昭和44年3月21日公開
○解説(キネマ旬報新作邦画紹介より)「ある女子高校医の記録 失神」の高橋二三が脚本を執筆し、「蛇娘と白髪魔」の湯浅憲明が監督した、シリーズもの。撮影は「続セックスドクターの記録」の喜多崎晃。
○あらすじ(同上) 冒険好きの少年明夫(加島信博)とトム(クリストファ・マーフィー)は、不時着した無人宇宙船で遊んでいるうちにハッチが閉まり、宇宙に飛び出してしまった。二人を心配したガメラは、宇宙船を護衛したが、途中ではぐれてしまった。やがて、自動操縦される宇宙船は、謎の発進基地に戻った。だが、この星は荒涼たる廃墟で、恐しい怪獣が跳梁しており、二人は怪獣ギャオスと獰猛な悪獣ギロンとの凄絶な格闘に肝を冷すのだった。そして、とある物陰にひそんだ時、二人は円錐形のボックスに入れられてしまった。それは、高度の文明が生んだ交通機関で、地下のパイプを伝って移動するボックスだった。やがて、基地のコントロール・センターに来た少年たちは、電子翻訳装置を使って日本語を話す二人の女性、ガーベラとフローベラ(笠原玲子、甲斐弘子)に出会った。明夫とトムは、この星の素晴らしい文明の一端を見て驚き、地球への帰還をも約束して喜んでいた。ところが、彼女たちは仲間たちを食べて生きのびていたのだ。喜びも束の間、首枷をはめられ、頭髪を剃られ、二人は危機におちこんだ。少年たちを助けたのは後を迫っかけて来たガメラだった。ガメラが少年の味方であることを知った宇宙人は、リモコンを使ってギロンをけしかけ、ガメラと闘わせた。二転、三転、ガメラは少年たちの活躍もあってギロンを倒し、少年たちの乗込んだ宇宙船を口にくわえ、地球に戻っていった。
朝焼けの雲海をバックにした大映TMから「この宇宙にはさまざまな星雲が存在している」とさまざまな星雲の映像が続き、「しかしまだまだ星雲には未知の秘密が隠されている」と『ガメラ対大悪獣ギロン』のタイトルに続き焔、マグマなどの映像にクレジット・タイトルが流れます。規則的な電波が観測される、というニュースに科学者が記者会見の席で50億光年の彼方であるから宇宙文明からの信号とは考えられない、と談笑し、明夫(加島信博)少年と妹の友子ちゃん(秋山みゆき)、トム(クリストファ・マーフィー)少年が空飛ぶ円盤を林の中で見つけます。友子が気後れする中、明夫とトムは空飛ぶ円盤に試乗するとたちまち円盤は宇宙に飛翔してしまいます。明夫たちの円盤は宇宙空間でガメラに遭遇し、ガメラは円盤に衝突しそうな隕石を粉砕してくれますが、併走している最中宇宙船を止めようとし始めます。ガメラの制止に気づいた明夫たちは宇宙船を止めようとしますが、いつの間にか自動操縦になっていて、ガメラは回転噴射で追いつこうとしますが宇宙船はガメラを振り切って爆進してしまいます。明夫たちが目を覚ますと大気もあり、未来的な建物が荒野に林立する星でした(ここまで15分目)。外に出た明夫たちはこの星のギャオスを目撃し、もう一匹のナイフ型の頭部を持つ狂暴な怪獣を目撃します。ギャオスはナイフ型頭部の怪獣に右脚を切断され、飛行して急降下攻撃しますが左翼を切断されて左翼が転がり、仰向けに倒れたギャオスは首を切断されて首が転がります。さらにナイフ型頭部の怪獣はギャオスの上半身を二度三度輪切りにします。ここまで20分目で、少年たちは基地らしい建物に入りますが、そこには2人の宇宙人が待ち構えていました。宇宙人は若い女性の風貌に化け、日本語翻訳装置を作動させて少年たちにこの星は太陽系で地球の軌道と正反対の位置にあるテラという惑星であり、惑星テラの文明はコンピューターによるオートメーション化が栄えすぎて怪獣まで生み出し、この星の住民が住める環境ではなくなってしまったこと、中で唯一ナイフ型頭部の怪獣ギロンだけは自分たちの意のままにできること、現在ではこの基地だけが住める場所で自分たちはこの星の二人だけの生き残りで救援信号と宇宙船を送り、明夫たちが乗ってきたのはその宇宙船で、自分たちも明夫たちの住む星に移住を希望していることを話します。30分目から40分目にかけてテラ星人たちは地球に向かうことを決め、明夫たちを地球までの食糧にすることにし、明夫を催眠尋問して地球はガメラによって守られていることを知り、子供を助ける習性を持つガメラの存在(第1作~第4作のガメラによる子供の救出シーンに語りをかぶせた説明)から出発を急ごうとてっとり早く明夫たちを眠らせ、まず明夫の脳髄を食べようと明夫を坊主刈りにしますがガメラが到着してギロンと戦い始めます。ここまで60分目で一旦ガメラは湖底に沈められ、明夫たちはテラ星人たちから逃げおおせて、テラ星人は崩壊し始めた基地から宇宙船で地球へ出発しようとしますが、基地の装置でしか操れず制御のきかなくなったギロンに発進しようとした宇宙船を切断され、機械の下敷きになったガーベラをフローベラは光線銃で抹殺します。フローベラもすぐに建物の倒壊で死にます。明夫たちの声援が届いてガメラは目を覚ましてギロンに立ち向かい、ギロンの鼻翼から発射される手裏剣が四肢に刺さって手足を収めて飛翔できなくなりますが廃墟の鉄柵を鉄棒代わりに大回転して手裏剣を弾き飛ばし、追撃する手裏剣を氷柱で打ち返して、ギロンを抱えて飛翔し地面に垂直に突き立て、手裏剣を撃ちつくして穴のあいたギロンの鼻翼に火焔放射してとどめを刺します。明夫たちは動力の切れた宇宙船に乗りガメラの口にくわえてもらって地球に帰還し、宇宙人の実在や子供を守るガメラを信じていなかった大人に一泡吹かせます。明夫たちが「ありがとうー、ガメラー!」と叫ぶ声に青空に飛び去っていくガメラに姿で映画は終わります。
本作も同時上映は『東海道お化け道中』と、ガメラ映画は妖怪映画とセットになってしまったかの観がたりますが、前作『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』が『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』の1/3の製作費しか与えられなかったためさすがに次のガメラ映画はないだろうと監督スタッフ一同やり尽くした思いでいたところが『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』の大ヒット、そしてまたまたガメラ映画の新作を作れと会社命令が下ります。もちろん製作予算はすえおきです。年間2作という要望もプロデューサーからありましたが、さすがに年2作は無理と湯浅監督もスタッフも反対して、本作は冒頭が地球から始まり結末で無事に地球に帰還しますが、アメリカでのテレビ放映用輸出を考慮して(土曜日の夜の子供向けSF映画枠があったそうです)'50年代のアメリカSF映画でよく使われた宇宙冒険ものの、怪奇惑星探検映画の趣向が取り入れられました。前作で来日したバイラス星人の宇宙船に拉致される話はやっていたので、今回はそれとは知らずに地球人拉致用のトラップUFOに乗ってしまった、例によって日本人と在日アメリカ人少年2人が、地球の反対側の軌道を回る惑星テラに自動起動で拉致されてしまい、ガメラが少年たちを助けに惑星テラまで来て惑星テラの凶悪怪獣ギロンと戦うという、舞台こそ異なれ前作『バイラス』と同工異曲のプロットになっています。しかしバイラス星人の場合は合体巨大化という手段でバイラス星人自身が強敵だったのですが、テラ星人となると2人しか残っていない上に惑星テラでは怪獣ギロンを操れるが基地内の操縦機を使わなければギロンも操れず、しかもガーベラを始末した後ギロンが暴れて基地の倒壊で死んだフローベラの末期の様子から見ると、割とあっさり打撲事故程度で重態になって自然消滅してしまう非力な宇宙人で、これでは地球に着いた途端に大気汚染で肺疾患になるか、ちょっとしたウィルス感染でも死んでしまって、そもそも生殖形態自体が不明ですが個体数が2体では絶滅も同然でしょう。そうしたテラ星人が地球侵略を企てる設定そのものが目的不明ですが、テラ星人が明夫とトムの脳を食べてから地球へ向かおうとするのはガーベラとフローベラの会話によると地球人の大脳を食べることで地球の記憶(脳内情報)を摂取できるから「地球に着いてから地球人に化ける役に立つわ」だそうで、ガメラの世界の宇宙人はそういう妖怪レベルで存在している生き物と思った方が良さそうです。さて本作は本編ドラマ部分は遊び場にしている林の中で宇宙船らしき乗り物を見つけた明夫少年とトム少年が乗りこんでみたら飛び立ってしまうまでを描いたプロローグと、ガメラに宇宙船を咥えられて帰還した後で宇宙文明も宇宙人も見てきたんだと明夫少年とトム少年が浮かれるエピローグが地球の場面でお母さんたちや大村崑演じるお巡りさんが出てきますが、本編は明夫少年とトム少年、ガーベラとフローベラ(笠原玲子、甲斐弘子)の女性宇宙人2人の4人だけのドラマという思いっきりミニマムな内容で、後は宇宙ギャオスとギロンの戦い、ガメラとギロンとの戦いにたっぷり時間が割かれます。宇宙ギャオスがあまりにギロンにあっけなく殺されてしまうので前々作の強敵ギャオスが好きだった子供たちにはこれは不評だったそうで、また片翼切断するのみならず首をはね胴体を輪切りにするのは怪獣とはいえ残虐描写すぎるとアメリカ版ではカットされてしまったそうで、湯浅監督もやり過ぎだったと後悔した場面だったそうですが、ここまで来るとキャンプ(意図的な俗悪趣味)な味すらあります。ギロチンに由来するギロンも強烈な悪趣味怪獣ですし、頭部がナイフ状になっているのは角の延長とこじつけられないでもありませんが、鼻翼の位置から手裏剣を飛ばすというのはどんな発想から出てきたものやら(手鼻?)、テラ星人の説明によるとオートメーション化されたコンピューター文明が生み出した怪獣といいますからもう何でもあり状態と考えるしかありません。尖端状になった頭部を逆用して倒す方法はバイラス星人をやっつけたやり方の応用編で、ガメラの意外な学習能力を示すとともに、観てしまえば後からバイラス星人の時と同じじゃないかと気づくものの、軟体動物的な直立生物のバイラス星人と切れ味で迫る四つ足怪獣ギロンではヴィジュアル的にもキャラクターとしてもあまりに異なるので、この倒し方に二番煎じの印象がほとんどないのはガメラ映画ならではの愛嬌でしょう。怪獣の造型を思いっきりいかれたものにすることで映画の内容は似たようなものなのに登場怪獣の個性によってまったく異なる見かけの映画に仕立てる、というのはプログラム・ピクチャーとしてはまっとうな発想なので、ギャオスもバイラス星人も面白く観た子供は本作のギロンも存分に楽しんだはずで、何を隠そう今回観直した筆者も何だかんだ言って楽しんで観直したのです。