『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』(大映京都'67)*湯浅憲明監督, 87min, Color; 昭和42年3月15日公開
○あらすじ(同上) ある日突然、富士火山帯の活動で日本列島は揺らいだが、この地殻変動によって、一匹の大怪獣が出現し、ギャオスと名付けられた。ギャオスは怒ると、口から強力な超音波を発し、物質の構造を破壊する力を持っている。そのため、自衛隊のジェット機も落され、戦車も大きな翼で吹き飛ばされてしまい被害は益々大きくなっていた。その頃、高速道路建設にあたっていた堤志郎(本郷功次郎)は工事が始っても用地買収に応じない金丸辰衛門(上田吉二郎)に手こずっていたが、ギャオスの出現で工事を中断せざるを得なかった。しかし、辰衛門の孫息子英一少年(阿部尚之)が、ギャオスが夜行性怪獣であることを発見したことから、六百燭光もある対ゲリラ戦用のAGIL照明弾を使うことになった。ところが、明るさを嫌ったギャオスは名古屋市に飛んでくると、名古屋城を破壊し、一帯は火の海となった。そこへ現われたのが炎を好むガメラである。忽ち、すさまじい大怪獣同士の決闘となった。しかし、首の回転がきかないギャオスは決闘の場が海上に移ると全く形勢不利になり、からくもガメラをふり切って逃げ去った。一方ギャオス対策本部は、ギャオスの好物である人間の血液と同じ液体をホテルのラウンジに置いてギャオスを誘い寄せ高速で回転するラウンジにギャオスを釘づけにして日の出を待とうと計画した。ギャオスの細胞が紫外線によって壊れることが分ったからである。しかし、それも電力不足で失敗。最後に、山火事を起してガメラを呼び、ギャオスと対決させることになった。ギャオスは炎を求めて、飛来したガメラと、空いっぱいに戦いを繰り展げたが、ついにガメラに敗れ去り、火口の中に突き落されたのだった。
同時上映は少年サスペンス映画『小さい逃亡者』だったという本作は、前作『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』で子供が主人公の作品ではなかったこと、第1作『大怪獣ガメラ』でもっとも反響を呼んだのはガメラが灯台から転落しそうになった子供を手のひらに乗せて救う場面だったことから、本作で再び本編監督に再起用された湯浅憲明監督によって意図的に子供の活躍を中心にして内容が詰められました。これは大映社長・永田雅一の意向とも一致しましたし、湯浅監督は怪獣映画は荒唐無稽で子供が対象の作品であるべき、という考えの監督で、また前作『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』では特技(特撮)監督を勤めたため本作以降は本編監督・特技(特撮)監督とも湯浅監督が兼務することになりました。本作でもガメラが英一少年を甲羅に乗せて空を飛ぶシーンは子供たちが大喜びしたそうです。また東宝のゴジラ映画は科学者や新聞記者を主人公にして怪獣の生態や対策を討論する場面が多いですが、これも湯浅監督が避けた側面で、とにかく子供と怪獣が活躍する映画、という指向が本作では立ち退き問題で揉める道路建設予定地に怪獣出現、と最小限の人間ドラマ要素とバランスの取れた出来になっており、次作以降はほとんど大人はドラマの脇役でしかなくなりますから脚本家の高橋二三氏は本作までは子供向けのガメラ映画ではなかった、としています。ちなみに高橋氏は本作を観て感激した本多猪四郎監督から絶賛と、いずれ一緒に仕事がしたい旨の葉書を寄せられたといいますから、怪獣映画の巨匠・本多猪四郎監督のビッグ・ハートが偲ばれる良いエピソードです。本作の魅力は東宝ゴジラ映画の怪獣のリアルさとは次元の異なる、マンガかアニメーションの世界から出現したような、映画を観た子供がすぐにでも落書きできそうなガメラとギャオスの絶妙な組み合わせでしょう。カメの怪獣ガメラはもちろん、当初巨大ドラキュラ、すなわちコウモリをイメージしたギャオスは丸っこい四つ足怪獣のガメラに対して三角形の頭部を持ち逆三角形のフォルムを持つ翼竜で、前作のバルゴン同様人肉を好む残虐凶悪怪獣であり、この設定は以降のガメラ映画でも使われます。赤い血液ではありませんが怪獣同士が血を流しながら戦い、傷が癒えるのを待つ描写もゴジラ映画にはないもので、本作はガメラとギャオスの戦いは中断を挟んで3回あり、人間側の作戦も見所になっていて特に回転台作戦という面白いアイディアがでてくる。また、前作で本編監督をヴェテランの田中重雄監督に譲り特技(特撮)監督に回った湯浅憲明監督の本編演出の腕前が第1作『大怪獣ガメラ』から飛躍的に向上しており、渋い内容ながら100分以上の長尺怪獣映画をテンポ良く視点・時制の統一も巧妙にこなした『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』の田中監督の手腕は、25歳あまり年少の湯浅監督には編集段階の整合性を学ぶ上でも助監督に就いた以上の経験になったと思われます。頻繁なカットバックによって視点や時制の混乱・不統一をきたし怪獣の居場所すら判然としないで話がどこまで進んだかもわからずシークエンスが展開していた『大怪獣ガメラ』と較べると長足の進歩、面目を一新した会心作となっており、田中監督の『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』のような重厚さはありませんが本多猪四郎監督が絶賛したというのもあながち過褒ではないような、子供も大人も楽しめる好作になっていてゴジラ映画の怪獣対決路線とは違った面白さがある。テンポの快調さと展開の工夫は本作では5分・10分刻みで着実に進行していくのは感想文中でストーリーを追った通りです。次作以降本格的に少年向け映画化していくガメラ映画ですが、演出の手堅さだけは本作で確立されて以来安心して観ることができるようになるのもシリーズが続けられていった要因でしょう。その意味では、ガメラ映画の正式なシリーズ化(前作はバルゴンが主役で、ガメラは脇役怪獣でした)は本作から始まるとも言えそうです。
●6月27日(水)
『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』(大映京都'68)*湯浅憲明監督, 81min, Color; 昭和43年3月20日公開
○あらすじ(同上) 宇宙空間を猛烈なスピードで地球に接近する謎の宇宙船があった。この宇宙船は地球を占領する命を受けていた。折しもジェット噴射で飛行中のガメラは、火焔を放って地球の危機を救った。その頃、茅ケ崎海岸ではボーイスカウトのキャンプがはられていた。世界各国から参加した少年少女たちがリーダーの島田伸彦(本郷功次郎)や国際海洋研究所所長ドビー博士(ピーター・ウィリアムス)の指導で海底調査用小型潜水艇の運転訓練を受けていた。いたずらコンビの正夫(高塚徹)とジム(カール・クレイク)は潜行中にガメラに出会った。大喜びの二少年はガメラと遊び興じているうちに突然オレンジ色の光のドームに包まれてしまった。第一号機の復讐に現われた宇宙船が発射したスーパーキャッチ光線に捕えられてしまったのである。ガメラは必死に抵抗し、二少年の潜水艇を脱出させた。だが、その間に宇宙船の高度なメカニズムはガメラの弱点を調べあげていた。子供に対しては異常なまでに好意を示すガメラの性質。これを探知した宇宙船は再び二人を人質にしてしまった。危険にさらされる二人を見ては身動きも出来ず、ガメラは脳波コントロール器を打込まれてしまった。今やガメラの行動は字宙船の命ずるままとなり、地球征服者の狂暴な手先と化した。ダムや都市がつぎつぎに破壊された。降伏すべきか、少年を犠牲にしても攻撃すべきか、地球防衛対策本部は剣ケ峰に立たされた。そんな時島田は一計を策し、彼から連絡を受けた正夫とジムはガメラの行動を支配するリモコン装置のコイルをあべこべにつけ替えた。自由をとり戻したガメラは猛然と宇宙船を襲った。しかし九死に一生を得て地上に降り立った宇宙人のボスは、次々に部下五人を吸収し、見る見る三十二倍に巨大化。三つの頭部と六本の足を持つ宇宙怪獣バイラスとなった。地球防衛の期待を一身に担ったガメラは、バイラスと壮烈な死闘を展開した。形勢互角のまま海中に没したガメラとバイラス。やがてキャンプ場の上を、隊員たちの歓声を浴びて、悠悠と旋回するガメラの姿があった。
同時上映は『妖怪百物語』となかなか強力な2本立て春休み映画だった本作は快調なテンポは前作のままですが、『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』ではドラマ本編の主演俳優、『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』では大人の登場人物では主役だった本郷功次郎が本作では子役主人公2人の保護者役のボーイスカウト指導員としてほとんど大人の登場人物が設定上の背景人物でしかないのが印象的です。キャスティングには当時の大映の魅惑のセクシー・ヒロイン、渥美マリも出演しているようなのですが見落としてしまいました。大人の登場人物で物語上活躍するのは宇宙人役の5人の俳優だけで、捕らえられている宇宙生物と思ったら実は宇宙人たちのボスだったバイラス星人の声は若山弦蔵です(笑)。この足は6本、頭部は5肢に割れていて、花弁のように開いたり角のように閉じて尖ったりするこの頭部を含めて、バイラス星人の造型はいかれているとしか言いようがありません。ゴジラ映画にも異形のキメラ大怪獣キングギドラやシリーズでは破格の変形ヘドロ怪獣ヘドラ('71年作品)がいましたが、一応サイが原型になっているバルゴン、コウモリ+古代翼竜が原型のギャオスと較べるとバイラス星人の造型の非常識さは円谷プロのウルトラシリーズに稀にあった程度で、テレビ・シリーズの1エピソードならともかくフィーチャー・フィルムでこれはないでちゅと観客の脳波までも幼児化させる馬鹿馬鹿しさがあります。ガメラ映画はアメリカでは第1作こそ劇場公開でしたが『バルゴン』『ギャオス』はテレビの子供番組枠放映で、本作もその輸出条件下で作られ、しかも特撮予算を含まない一般映画製作費、『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』の約1/3の予算での製作を課せられたため、ボーイスカウト・キャンプ地と戦闘シーンに茅ヶ崎のホテル(当時加山雄三経営)、宇宙船内部の部屋はどの部屋も同じ作りという設定、さらにシリーズ従来作からのフィルムを大量に流用して作られ、脚本家の高橋二三氏は不本意ながら子供向けの条件を引き受けたそうですが、湯浅憲明監督は「子供が冒険し、怪獣が出ずっぱりの『バイラス』が、シリーズ当初から本来やりたかった形だ」とコメントしており、これはプロデューサーで大映社長・永田雅一の令息・永田秀雄氏の意向にも沿っていました。本編監督・特技(特撮)監督を兼任した湯浅監督は本作を3週間と4日で撮り上げ、スタッフもガメラ映画はこれが最後だろうと気合を入れて取り組んだそうで、確かに本作は内容は荒唐無稽な宇宙人拉致物語なのに勢いだけはあるのがアンバランスな魅力になっているとも言えます。それはもう、このイカだかタコだか酢の物を肴に一杯やっている頭で思いついたようなバイラス星人の登場一発で本作が背負いこんでしまった運命でもあるでしょうし、この本格的少年向け映画路線は子供たちに大好評の大ヒット作となって、設定・内容ともほとんど本作の焼き直しと言える次作『ガメラ対大悪獣ギロン』が製作されることになるのです。
●6月28日(木)
『ガメラ対大悪獣ギロン』(大映京都'69)*湯浅憲明監督, 82min, Color; 昭和44年3月21日公開
○あらすじ(同上) 冒険好きの少年明夫(加島信博)とトム(クリストファ・マーフィー)は、不時着した無人宇宙船で遊んでいるうちにハッチが閉まり、宇宙に飛び出してしまった。二人を心配したガメラは、宇宙船を護衛したが、途中ではぐれてしまった。やがて、自動操縦される宇宙船は、謎の発進基地に戻った。だが、この星は荒涼たる廃墟で、恐しい怪獣が跳梁しており、二人は怪獣ギャオスと獰猛な悪獣ギロンとの凄絶な格闘に肝を冷すのだった。そして、とある物陰にひそんだ時、二人は円錐形のボックスに入れられてしまった。それは、高度の文明が生んだ交通機関で、地下のパイプを伝って移動するボックスだった。やがて、基地のコントロール・センターに来た少年たちは、電子翻訳装置を使って日本語を話す二人の女性、ガーベラとフローベラ(笠原玲子、甲斐弘子)に出会った。明夫とトムは、この星の素晴らしい文明の一端を見て驚き、地球への帰還をも約束して喜んでいた。ところが、彼女たちは仲間たちを食べて生きのびていたのだ。喜びも束の間、首枷をはめられ、頭髪を剃られ、二人は危機におちこんだ。少年たちを助けたのは後を迫っかけて来たガメラだった。ガメラが少年の味方であることを知った宇宙人は、リモコンを使ってギロンをけしかけ、ガメラと闘わせた。二転、三転、ガメラは少年たちの活躍もあってギロンを倒し、少年たちの乗込んだ宇宙船を口にくわえ、地球に戻っていった。
本作も同時上映は『東海道お化け道中』と、ガメラ映画は妖怪映画とセットになってしまったかの観がたりますが、前作『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』が『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』の1/3の製作費しか与えられなかったためさすがに次のガメラ映画はないだろうと監督スタッフ一同やり尽くした思いでいたところが『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』の大ヒット、そしてまたまたガメラ映画の新作を作れと会社命令が下ります。もちろん製作予算はすえおきです。年間2作という要望もプロデューサーからありましたが、さすがに年2作は無理と湯浅監督もスタッフも反対して、本作は冒頭が地球から始まり結末で無事に地球に帰還しますが、アメリカでのテレビ放映用輸出を考慮して(土曜日の夜の子供向けSF映画枠があったそうです)'50年代のアメリカSF映画でよく使われた宇宙冒険ものの、怪奇惑星探検映画の趣向が取り入れられました。前作で来日したバイラス星人の宇宙船に拉致される話はやっていたので、今回はそれとは知らずに地球人拉致用のトラップUFOに乗ってしまった、例によって日本人と在日アメリカ人少年2人が、地球の反対側の軌道を回る惑星テラに自動起動で拉致されてしまい、ガメラが少年たちを助けに惑星テラまで来て惑星テラの凶悪怪獣ギロンと戦うという、舞台こそ異なれ前作『バイラス』と同工異曲のプロットになっています。しかしバイラス星人の場合は合体巨大化という手段でバイラス星人自身が強敵だったのですが、テラ星人となると2人しか残っていない上に惑星テラでは怪獣ギロンを操れるが基地内の操縦機を使わなければギロンも操れず、しかもガーベラを始末した後ギロンが暴れて基地の倒壊で死んだフローベラの末期の様子から見ると、割とあっさり打撲事故程度で重態になって自然消滅してしまう非力な宇宙人で、これでは地球に着いた途端に大気汚染で肺疾患になるか、ちょっとしたウィルス感染でも死んでしまって、そもそも生殖形態自体が不明ですが個体数が2体では絶滅も同然でしょう。そうしたテラ星人が地球侵略を企てる設定そのものが目的不明ですが、テラ星人が明夫とトムの脳を食べてから地球へ向かおうとするのはガーベラとフローベラの会話によると地球人の大脳を食べることで地球の記憶(脳内情報)を摂取できるから「地球に着いてから地球人に化ける役に立つわ」だそうで、ガメラの世界の宇宙人はそういう妖怪レベルで存在している生き物と思った方が良さそうです。さて本作は本編ドラマ部分は遊び場にしている林の中で宇宙船らしき乗り物を見つけた明夫少年とトム少年が乗りこんでみたら飛び立ってしまうまでを描いたプロローグと、ガメラに宇宙船を咥えられて帰還した後で宇宙文明も宇宙人も見てきたんだと明夫少年とトム少年が浮かれるエピローグが地球の場面でお母さんたちや大村崑演じるお巡りさんが出てきますが、本編は明夫少年とトム少年、ガーベラとフローベラ(笠原玲子、甲斐弘子)の女性宇宙人2人の4人だけのドラマという思いっきりミニマムな内容で、後は宇宙ギャオスとギロンの戦い、ガメラとギロンとの戦いにたっぷり時間が割かれます。宇宙ギャオスがあまりにギロンにあっけなく殺されてしまうので前々作の強敵ギャオスが好きだった子供たちにはこれは不評だったそうで、また片翼切断するのみならず首をはね胴体を輪切りにするのは怪獣とはいえ残虐描写すぎるとアメリカ版ではカットされてしまったそうで、湯浅監督もやり過ぎだったと後悔した場面だったそうですが、ここまで来るとキャンプ(意図的な俗悪趣味)な味すらあります。ギロチンに由来するギロンも強烈な悪趣味怪獣ですし、頭部がナイフ状になっているのは角の延長とこじつけられないでもありませんが、鼻翼の位置から手裏剣を飛ばすというのはどんな発想から出てきたものやら(手鼻?)、テラ星人の説明によるとオートメーション化されたコンピューター文明が生み出した怪獣といいますからもう何でもあり状態と考えるしかありません。尖端状になった頭部を逆用して倒す方法はバイラス星人をやっつけたやり方の応用編で、ガメラの意外な学習能力を示すとともに、観てしまえば後からバイラス星人の時と同じじゃないかと気づくものの、軟体動物的な直立生物のバイラス星人と切れ味で迫る四つ足怪獣ギロンではヴィジュアル的にもキャラクターとしてもあまりに異なるので、この倒し方に二番煎じの印象がほとんどないのはガメラ映画ならではの愛嬌でしょう。怪獣の造型を思いっきりいかれたものにすることで映画の内容は似たようなものなのに登場怪獣の個性によってまったく異なる見かけの映画に仕立てる、というのはプログラム・ピクチャーとしてはまっとうな発想なので、ギャオスもバイラス星人も面白く観た子供は本作のギロンも存分に楽しんだはずで、何を隠そう今回観直した筆者も何だかんだ言って楽しんで観直したのです。