人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

アシュ・ラ・テンペル Ash Ra Tempel ‎- ベルン1971ライヴ Bern, Switzerland, September 10, 1971 (Seidr, 2006)

(Manuel Gottsching: Private Tapes, Vol.6)

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アシュ・ラ・テンペル Ash Ra Tempel ‎- ベルン1971ライヴ Bern, Switzerland, September 10, 1971 (Seidr, 2006) Full Album : https://youtu.be/ZoHOzXpBOfg
Recorded in Bern, Switzerland, September 10, 1971
Reissued Released by Seidr Records Seidr 020, 2006
Originally Released by Manikin Records as "Manuel Gottsching: Private Tapes" Vol.6(MRCD 7016), 1996
(Tracklist)
1. Ein Wurdiger Abschluss - 54:16
[ Personnel ]
Manuel Gottsching - guitar, vocals, electronics
Hartmut Enke - bass
Klaus Schulze - drums, percussion, electronics

(Originally Manikin "Manuel Gottsching: Private Tapes, Vol.6" CD Liner Cover & CD Label)

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 本作もSeidrレーベルから単体アルバム化されましたが、ジャケットなしのCD-Rリリースでしたのでジャケット画像はオリジナル・リリースの『Manuel Gottsching: Private Tapes, Vol.6』から採りました。デビュー作『Ash Ra Tempel』 '71発表に伴うライヴ出演だったプロモーション公演だったと思われ、Seven Up(LSD)を決めたゲッチングとエンケのヘヴィな暴走サイケデリック演奏はドラマーという役割上素面で演奏しているシュルツェのドラミングをますますテクニカルで燃え上がらせており、シュルツェ参加のスタジオ録音盤『Ash Ra Tempel』'71、『Join Inn』'73を超えています。特にベルン公演の本作は1曲で54分を超えており、エンディング近くでは終わったかとおもうと始まる始末ですが、当時のLPがAB面各面20分前後の制約があったと思うと、ライヴではこれほど奔放で1曲1時間近い即興サイケデリック・ロックの泥沼を演奏していたのが音源として残っていたのは貴重極まりないドキュメントです。5月のベルン公演同様尋常ではない殺気に満ちたライヴで、シュルツェこそ24歳ですがゲッチングとエンケは19歳のヒッピー・ミュージシャンで、シュルツェのドラムスが引き締めているにしても19歳の二人の暴走をなんとか形にしているのが確かなテクニックで叩き切るシュルツェのドラムスです。
 このスイスの首都ベルンでのライヴも1時1時間というのはおそらくメドレー式に2、3曲で1時間の持ち時間が即興演奏中に止まらなくなって1時間1曲になってしまったと思われるので、ぶっ飛んで演奏しているゲッチングとエンケの即興を楽曲らしい演奏の流れにリードしているのはシュルツェのバンド・ドラマー時代の確かな、しかもスタジオ録音アルバムの演奏をはるかに凌駕する演奏力です。この時期のアシュ・ラ・テンペルは猪突猛進するエイト・ビートで、それを暴走するギターとベースの即興演奏に1曲30分~1時間エイト・ビートを正確なタイム感で猛プッシュし、楽曲らしい起伏に富んだ展開にコーディネートするシュルツェの力量は、19歳のゲッチングとエンケと5歳年上のシュルツェの実力差を感じさせるもので、スタジオ録音アルバムではシュルツェはゲッチングとエンケを立てて一歩引いていたのもわかります。エンケの脱退とともにゲッチングはクリーンになり改名したアシュ・ラではサイケデリックからエレクトロニクス・ミュージックに方向転換し、一方エンケは逝去まで重度の薬物性精神疾患から精神病院に入退院をくり返し、2,000年限定のアシュ・ラ・テンペル再結成アルバム『Friendship』,ライヴ盤『Gin Rose at the Royal Festival Hall』もゲッチングとシュルツェだけのデュオ再結成結成でしたが、ゲッチングの成長によって互角の好アルバムになりました。しかし'71年と'73年のシュルツェ参加のアシュ・ラ・テンペルはエンケの存在によって異形のヘヴィな地獄サイケデリック・ロックになっており、この時期のアシュ・ラ・テンペルでしか聴けない音楽でもあります。