人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2018年10月22日~23日/アメリカ古典モンスター映画を観る(9)

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 世界初のゾンビ映画とされるインディペンデント映画の『恐怖城(White Zombie)』'32はエドワード(製作、生没年不詳)とヴィクター(監督、1895-1983)のハルペリン(Halperin)兄弟が共同設立したハルペリン・プロダクションズが製作・監督し、主演のベラ・ルゴシ人気もあってメジャーのユナイテッド・アーティスツから配給され、製作費5万ドル(ユニヴァーサル『魔人ドラキュラ』'31の1/7、なんと実際には5,000ドルだったという説もあります)のインディペンデントの低予算映画としては画期的な大評判を呼びました。日本でも昭和8年(1933年)6月に劇場公開され、平成7年(1996年)11月にミニシアターでカルト映画としてリヴァイヴァル上映されています。ハルペリン兄弟は次作で続編の『ゾンビの反乱(Revolt of the Zombies)』'36でルゴシのキャスティング交渉が成立せずノー・スター・キャストでインディーズの零細配給になり、ロマンス風味の戦争ゾンビ映画という奇想天外なアイディアで勝負をかけましたが、興行的にも批評的にも大失敗してしまいます。ゾンビ映画の出発が『魔人ドラキュラ』をパクった(同作の撮影済みセットもユニヴァーサル社から借りて撮った)インディペンデント映画だったのは歴史的にも興味深い発祥で、現代ゾンビ映画で加わるさまざまなゾンビ設定がほとんどない、現代の観客にはゾンビ映画と名うたれていなければどこがゾンビ映画の嚆矢となったのか(ゾンビを古代エジプト起源のヴードゥー教に由来する着想はあり、それがロメロの革新的な『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』以前のゾンビ映画に継承される基本設定になりますが)と思うような西インド諸島のハイチ島が舞台の『恐怖城』から、第一次大戦下のカンボジア戦線でゾンビ兵士による無敵の軍隊と恋敵ロマンス絡みの戦争ゾンビ映画でマッド・ドクター作品に終わる『ゾンビの反乱』には大胆な企画としてメジャーが手をつけていなかったインディペンデント映画ならではの工夫があり、このハルペリン兄弟プロダクションの2作(ともに映画オリジナル原案・脚本)は色物扱い抜きにトーキー初期のインディペンデント映画として歴史的に無視できない作品と今日では認められています。――なお今回も作品解説文はボックスセットのケース裏面の簡略な作品紹介を引き、映画原題と製作会社、アメリカ本国公開年月日を添えました。

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●10月22日(月)
『恐怖城』White Zombie (Halperin Productions/United Artists'32)*67min, B/W; アメリカ公開'32年7月28日
監督 : ヴィクター・ハルペリン
主演 : ベラ・ルゴシ、マッジ・ベラミー、ジョン・ハロン、ブランドン・ハースト、ジョセフ・コーソン、ロバート・W・フレイザー
・ニールとマデリーンは、大農園主ボーモンの屋敷に向かう途中、奇妙な習俗とともにゾンビの集団を目撃する。この土地では、死体は墓から持ち去られ、砂糖工場の労働力となっていたのだった……。

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 アメリカ公開のヒットを受けて日本でも昭和8年(1933年)6月公開された本作は、ゾンビ使いの呪術師ルジャンドル役のベラ・ルゴシが住む海岸の岸壁に立つ古城にちなんで『恐怖城』の邦題がつけられましたが、原題はそのものずばり『White Zombie』とのちのロックバンドが名前を取ったインパクトの強いもので、日本人にはホラー映画からのイメージしかありませんがゾンビとは英米始めキリスト教圏では日常会話で口にするのも忌み嫌われているくらい強い単語だそうですから、メジャー会社が配給を引き受けたとは言えインディペンデント映画ならではの冒険的な着想だったでしょう。背景には'29年に刊行され話題になった西インド諸島に広がるヴードゥー教と、ヴードゥーの教義によるハイチ島の死者復活のゾンビ儀式を紹介した民族学者の本と、同書に基づいてハイチ島観光客が儀式を目撃するブロードウェイの劇「Zombie」の公演があり、本作はそこからハルペリン兄弟が企画を立てて製作した作品だそうです。日本初公開時のキネマ旬報の近着外国映画紹介は配給のユナイテッド・アーティスツ社の英文プレスの翻訳らしく、実際の映画とは間違いではないにしろ叙述の順序の転倒したシノプシスですが、歴史的価値の高さからご紹介しておきましょう。
[ 解説 ] ヴィクター・ホルベリンが監督し、エドワード・ホルベリンが製作したホルベリン作品で、ギャレット・ウェストンが原作脚色し、アーサー・マーティネリが撮影に当たったもの。主演するは「魔人ドラキュラ」「黒い駱駝」のベラ・ルゴシで、「地の極みまで」「電話姫」のマッジ・ベラミー、「盛り場の大蜘蛛」のジョン・ハロン、ジョセフ・カウソーン、ロバート・フレイザー、ブランドン・ハースト等が助演している。
[ あらすじ ] いつも恐ろしい伝説と奇怪な迷信に包まれている西インド・ハイチの島に起こった物語である。この島にゾンビイと呼ぶ1人の殺人鬼(ベラ・ルゴシ)が住んでいると言い伝えられている。彼は夜中、墓地を襲い死骸を盗み出し、魂なき肉骸を妖術によって思う侭に繰り、ありとあらゆる悪事を犯していると言うのである。原住民たちはゾンビイの名を聞くことさえ恐れ戦いた。ニューヨークの娘マデライン(マッジ・ベラミー)は許婚ニイル(ジョン・ハロン)の勤めの関係でこの土地へやってきた。船中で知り合ったボーモン(ロバート・フレイザー)の親切な言葉にすすめられて彼の邸宅に滞在し、そこでニイルとの結婚式を挙げようと暗い夜道に馬車を走らせるのであった。暗い暗い闇の彼方に6人の死人を伴ったゾンビイの恐ろしい眼が光っていた。ボーモンの親切には深い企みがあった。彼は一目見たマデラインに横恋慕しニイルの手から彼女を奪うために、世にも陰険な手段を取ったのである。すなわちゾンビイの妖術によることであった。結婚式の夜花嫁マデラインは奇怪にも死んだ。愛する者に先立たれたニイルは身も心もなく悲しみ酒に溺れ切った。しかしその頃ゾンビイたちはボーモンと共に墓地に姿を現しマデラインを何処ともなく運び去った。この島に30年間住み、原住民等の迷信を研究しているブルナー博士(ジョセフ・カウソーン)はこの奇怪な事件を島民が恐れる殺人鬼の仕業とにらみ、失意の極にあるニイルを励まし、殺人鬼の住居と目される絶壁の古城に向かった。それは禿鷹の群がる恐ろしい場所であった。今は殺人鬼のために生ける骸に失望を感じ、良心に責められ殺人鬼に向って彼女の魂を取戻すべく頼んだ。それは却って殺人鬼の怒りを招き、ボーモンは遂に殺人鬼のために命を奪われる破目になった。殺人鬼の悪業が絶頂に達し多くの人の命を奪われて行く時、彼の妖術を見破ったブルナー博士は科学の力によって、彼に対抗した。遂に殺人鬼は自らの操った死人等と共に絶壁から墜落して了ったが、彼の自滅によってマデラインは意識を取戻し、ニイルの手に抱かれたのである。
 ――実際の映画ではハイチ島のフランス系農場主ボーモン邸に招かれたマデリーンとニールが牧師資格を持つブルーナー博士の立ち会いで結婚式を上げるために到着し、馬車のハイチ系黒人従者(クラレンス・ミューズ)が途中ですれ違った連中に気づきましたか、ゾンビがうようよしている土地ですから気をつけて下さいよ、と警告して去っていきます。隣島か呼ばれて待っていたブルーナー博士はボーモンは怪しいから結婚式を上げたらすぐ島を出た方がいい、とカップルに警告し、ニールは結婚後ボーモンの農園で重職に勧誘されているので戸惑います。カップルを迎えたボーモンは結婚式の支度中に砂糖工場主のルジャンドルを訪ね、ルジャンドルに砂糖工場の作業員は全員自分がヴードゥーの呪術で操るゾンビであること、マデリーンをニールから奪いたいならこの薬を使え、と粉薬を渡します。結婚式の披露宴中ボーモンに薬を仕込んだ花をつけたマデリーンは突然死し、埋葬されたマデリーンの墓はルジャンドルが操るゾンビたちによって暴かれ棺ごと盗掘されます。ゾンビとして蘇ったマデリーンは魂がなく、ボーモンはマデリーンを元に戻せとルジャンドルに詰め寄りますが、ルジャンドルはボーモンの執事(ブランドン・ハースト)をゾンビたちに殺させマデリーンは自分のものだ、と宣言します。一方ニールはブルーナー博士とハイチ島の現地人にはルジャンドルは"Murder"と呼ばれているのを知り、マデリーンの亡骸を盗掘し復活させたのはルジャンドルの力を借りたボーモンに違いないと、ボーモンの潜伏先とマデリーンの居場所をルジャンドルの古城と目をつけ潜入します。マデリーンを見つけたニールはルジャンドルと対面し、ルジャンドルの操るゾンビたちと戦います。ボーモンの妨害でコントロールを失ったゾンビたちはテラスから海に面した断崖を落ちていき、さらにニールを襲おうとするルジャンドルをボーモンは断崖から突き飛ばし、自分も落ちていきます。マデリーンへの呪縛は解け、彼女は生きている時のマデリーンに戻ってニールの腕に抱かれます。
 ……と、『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』'68で刷新されて以降の、人肉を喰らうために暴徒化した感染性のゾンビ、という設定は本作にはなく、本作のゾンビはあくまで術者の傀儡(くぐつ)になる死体という設定で、この呪術は肉体の不死(もともと死んでいますが)を伴うらしく腐敗もしなければ攻撃にも不死身であり、『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』のように頭を潰すのが唯一の退治法、という設定もありません。マデリーンが一度ゾンビ化したのに術者ルジャンドルの死とともに生前の通りの人間に戻るのは、作中のブルーナー博士の説明によるとハイチ島では心肺停止すなわち死ではないそうですから(当時は脳死の測定もありませんでしたから)、ルジャンドルの薬は仮死状態を招く薬で、ゾンビ呪術の効果は本作では術者が死ぬと解けたり、『ゾンビの反乱』では寺院の呪術解除の鐘で解けたりもするようです。吸血鬼映画の催眠術に近いもので、実際本作にはゾンビ操作の術(手指を卍に組み合わせる)をルジャンドル役のベラ・ルゴシがすると、すごい太眉メイクのルゴシの両目のクローズアップになり、ゾンビたちも皆カッと大きく目を剥いているのが特徴で、これもアメリカ映画初の吸血鬼映画という『真夜中のロンドン』'27(ロン・チェイニーは丸眼鏡のフレームを外して両目に入れて巨大な目玉のメイクをしたそうです)以来の吸血鬼映画を継ぐものと言えます。本作は『魔人ドラキュラ』の解体前のセットをユニヴァーサル社から借りたのを生かした単なる低予算映画では実現不可能な豪華セットと、安定した撮影と適切なカット割り、分割スクリーンや凝った多彩なワイプ処理でインディペンデント映画を意識させない佳作になっており、作中設定でゾンビと言わなければ吸血鬼映画のヴァリエーションの作りですが、ボリス・カーロフ主演の死者復活映画『月光石』The Ghoul (Gaumont British'33)が本作や『魔人ドラキュラ』ではなく『ミイラ再生』'32の系譜なのでゾンビ映画にはまるで見えないことを思えば、RKOの戦前ゾンビ映画の決定版『私はゾンビと歩いた!』'43を頂点に『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』で刷新されるまでのゾンビ映画はすべて本作を源泉とするというのも、またゾンビ映画がロメロ作品の刷新以前はシリーズ化の向かない、散発的なサブジャンルに止まったのもわかる内容の作品です。

●10月23日(火)
『ゾンビの反乱』Revolt of the Zombies (Victor & Edward Halperin Productions/Academy Pictures Distributing Corporation'36)*62min, B/W; アメリカ公開'36年6月4日
監督 : ヴィクター・ハルペリン
主演 : ドロシー・ストーン、ディーン・ジャガー、ロイ・ダーシー、ロバート・ノーラン、ジョージ・クリーヴランド、ウィリアム・クローウェル
第一次大戦中、苦戦する連合軍は、銃弾を受けても倒れないゾンビをカンボジアから投入し、戦わせていた。ゾンビを作り出す方法を知ろうとする連合軍は、唯一秘密を知る僧侶から聞き出そうとするが……。

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 大ヒット作『恐怖城』の成功にあやかろうとハルペリン兄弟が再び作ったゾンビ映画。しかしベラ・ルゴシのキャスティングがかなわず、キャストも地味でメジャー会社からの配給がかなわずインディー公開になったため大して話題にもならず、批評的にも興行的にも惨敗した作品で、当然日本公開もされませんでした。2016年に日本盤DVDが初リリースされたのでキネマ旬報の映画データベースには掲載されており、簡略な紹介文ですが、その時のプレス・リリース紹介ともども転載しておきましょう。
[ 解説 ]『恐怖城』のハルペリン兄弟によるゾンビ映画。第1次大戦中、ドイツ軍に苦戦する連合軍はカンボジアから僧侶とゾンビの兵隊を連れて来る。銃弾を物ともしないゾンビ軍団にドイツ軍は総崩れとなり、連合軍は僧侶からゾンビの秘密を聞こうとするが…。【スタッフ&キャスト】監督・脚本 : ヴィクター・ハルペリン/製作 : エドワード・ハルペリン/脚本 : ハワード・ヒギン/撮影 : J・アーサー・フィーンデル/出演 : ドロシー・ストーン、ディーン・ジャガー、ロイ・ダルシー、ロバート・ノーランド
[ 内容(「Oricon」データベースより)]
 第一次世界大戦、ドイツ軍に苦戦する連合軍は、カンボジアから僧侶とゾンビの兵隊を連れてきて戦わせ、ドイツ軍を総崩れにする。連合軍の上層部は、僧侶からゾンビの秘密を聞きだそうとするが、秘密を聞き出せないまま僧侶たちを殺されてしまう。そこで、連合軍はゾンビの秘密を探ることにするが…。ヴィクター・ハルペリン、エドワード・ハルペリン兄弟が挑んだゾンビ映画。/2016/9/2DVD発売
 ――と、これだけでは序盤の設定にしか触れていないのでもっと詳しくあらすじを追うと、第一次大戦中のカンボジアフランコオーストリア戦線で、フランスの植民地連隊に協力した司祭ツィアン(ウィリアム・クローウェル)の提案でツィアンによるゾンビ兵士たちが目覚ましい戦功を上げます。しかしツィアン司祭はゾンビの呪術を軍部には教えないため、危険視した軍部はツィアン司祭を独房に終身禁錮刑にします。司祭が独房の祭壇で呪術の秘密のありかを記した羊皮紙を焼こうとした時、野心家のマゾヴィア大佐(ロイ・ダーシー)は司祭を刺殺して羊皮紙を奪います。軍部は司祭の死で軍事機密であるゾンビ呪術が漏洩した可能性を危惧し、植民地連合国の国際代表団による調査団がカンボジアのアンコールに派遣されます。メンバーは指揮官であるデュバル将軍(ジョージ・クリーヴランド)とその娘クレア(ドロシー・ストーン)、古代文字学者トレヴィサント博士(E・アリン・ウォーレン)と助手アルマン・ルーク大尉(ディーン・ジャガー)、イギリス青年クリフ・グレイソン(ロバート・ノーラン)、そしてマゾヴィア大佐です。アルマンとクレアは婚約していましたがクレアは次第にクリフに惹かれ、クリフが機材の事故にあって一命をとりとめたのをきっかけにアルマンとの婚約解消を持ちかけます。さらに2人の調査員が失踪し、相次ぐ事故により原住民が調査の協力を拒否したために、調査団はプノンペンへの帰還を余儀なくされますが、アルマンは見落としていた手がかりを現地の祝祭舞踏に見つけて、アンコール寺院に引き返します。寺院で古代の式典を見て再確認したアルマンは寺院の大祭司の召使いが沼地を抜けて神秘的な青銅の戸口に入るのを追跡します。召使いが去ったあと、アルマンは青銅の扉を通り、鐘を下げた銅像を見つけます。アルマンは誤って鐘を突き、壁のパネルが開き、小さな金属の碑文が現れます。アルマンは碑文を翻訳し、それが探していたゾンビの呪術なのを知ります。アルマンはゾンビの呪術を下僕ブナ(テル・シマダ)で試して成功します。アルマンは2週間の失踪を説明せずトレヴィサント博士に解任され、アルマンを怪しんだデュヴァル将軍はアルマン大尉の行方捜索をクリフに命じます。アルマン大尉がゾンビの秘密を解明したと突き止めたマゾヴィア大佐はアルマンを訪ねて、クリフの事故や2人の調査員の失踪を始め原住民の拒否による調査団のプノンペン帰還はアルマンに単独調査させるためのマゾヴィア大佐の策略であると打ち明けて協力を強要しますが、ブナを操ったアルマンに殺されます。さらに居場所を突き止めてきた調査員をゾンビ化したアルマンはデュヴァル将軍を訪ねてゾンビ呪術の秘密を独占した挑戦の意を表明し、デュヴァル将軍の警告をはねのけてクレアに求愛しますが、アルマンの計略を知るクレアは拒絶します。その時、寺院の点鐘とともにゾンビ兵士やアルマンがゾンビ化した人々の呪縛は解け、復讐のために襲撃してきた人々によってアルマンは射殺されます。デュヴァル将軍がアルマンに警告した言葉、「神秘を弄ぶ者は破滅を招く」をつぶやいて映画は終わります。
 ……そんな具合で、映画冒頭では青年将校同士で「ゾンビの存在なんて信じるかい?」と談笑しあっていた好青年の古代文字学者アルマン大尉が恋敵の出現と婚約破棄を機に後半どんどんマッド・ドクター化していって自滅するまでが怒涛のように展開する62分の小品の本作は、企画段階ではおそらくマゾヴィア大佐役がベラ・ルゴシだったろうと思われ、ツィアン司祭を殺すのもマゾヴィア大佐ですし、調査団に混乱をもたらし古代文字学者アルマン大尉が独力でゾンビ呪術の解明に至るまでのお膳立てをしたのもマゾヴィア大佐です。ベラ・ルゴシが企画通りキャスティングできればマゾヴィア大佐がアルマン大尉に協力を強要しに現れたあとの展開はマゾヴィア大佐が主役になってゾンビ軍団大暴れだったのでしょうし、映画の流れとしてもその方が自然です。しかしルゴシはキャスティングできなかったのでアルマン大尉を最後まで悪の主役にしてしまったのが結末が近づくほど無理が生じてしまったのも問題ですが、マゾヴィア大佐の出番も台詞からすればもっと全編に散りばめられたはずなので、そこでマゾヴィア大佐の野望としての空想場面でもゾンビ軍隊大暴れを描けたはずで、本作は全編に適宜にゾンビ登場シーンを散りばめていた『恐怖城』に対してゾンビ登場シーンは冒頭すぐのツィアン司祭尋問シーンでの戦場映像で描かれたあとはアルマンのマッド・ドクター化まで現れないので、見終わると『ゾンビの反乱』とはこのことか、とタイトルに偽りはないのですが、映画のテーマがゾンビ呪術の軍事利用の行く末なのか(ユニークで本来本筋にしていいテーマです)、野心達成のためのゾンビ呪術探求なのか(ルゴシ主演だったらこれでしょう)、恋敵へのマッド・ドクターの復讐なのか、アルマン大尉の場合これですがだったらゾンビ呪術でなくてもいいので、テーマが強烈な主演俳優の不在のために曖昧で映画を散漫なものにしている。皮肉なことにアルマンがゾンビ呪術を使う時に(映画冒頭のツィアン司祭の操るゾンビ兵士たちのシーンでもそうですが)ゾンビたちに重ねて『恐怖城』のベラ・ルゴシのゾンビ呪術の時の両目のクローズアップ映像が流用されています。それがいちばん印象的というくらい効いているので、ルゴシでなくてもマゾヴィア大佐役のロイ・ダーシーにルゴシ風のメイク(『恐怖城』ではユニヴァーサルの名手ジャック・ピアースにメイクをさせていましたが)をパクりでもいいからさせて、おそらく本来の企画通りマゾヴィア大佐が主役でアルマンのボスになる展開をすればもっと首尾一貫した映画になったでしょう。本作だってオール・セットなりに異国怪奇ムードは出ているし、撮影や演出手腕には『恐怖城』の監督の面目があるだけに、ルゴシ主演が実現せずマゾヴィア大佐からディーン・ジャガーのアルマン大尉に主役を変更した脚本改変の無理が映画を損ねています。そのあたり、本作ではインディペンデント映画規模の製作が裏目に出た恰好でもあるでしょう。