人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2019年1月4日~6日/短編・中編時代のハロルド・ロイド(2)

イメージ 1

 ハロルド・ロイド作品は'20年には前年'19年の1巻もの36編・2巻もの2巻もの3編から2巻もの6編に減少しますが、その分1編単位は力作とヒット作として安定したペースに移ったわけで、ボックスセットには'6編中この年の第2作「ロイドの化物屋敷」Mar.14、第3作「都会育ちの西部者」May.2、第4作「眼が廻る」May.2、第5作「ロイドの神出鬼没(Get Out And Get Under)」Sep.12(次回紹介)が収録されています。チャップリンで言えば寡作の力作主義になった'17年に相当する時期で、チャップリンは'17年には2巻ものの短編4編、'18年には3巻ものの中編力作「犬の生活」「担え銃」、'19年には2巻もの短編2編で、'20年度は翌'21年の初長編『キッド』製作にかけ'21年に6巻の長編『キッド』と2巻ものの短編1編、以降数年1作の長編に進みますから、チャップリンの寡作とロイドの多作が'18年~'21年にはちょうど交代期に当たっていた具合です。また、ハロルド・ロイド作品のタイトル字幕は1916年以来ハル・ローチ・プロダクション専属ライター&イラストレーション・デザイナーのH(ハーレー)・M・ウォーカーが担当してきましたが、「ロイドのブロードウェイ」では実際はローチとロイドがノンクレジットで脚本を書きウォーカーはタイトル字幕のデザインのみ、「其の日ぐらし」もロイド脚本単独脚本で事情は「~ブロードウェイ」と同じ、と、ウォーカーの脚本クレジット(Titled by)は実際はスタッフのアイディアをイラストつきタイトル字幕デザインに起こす仕事に対して与えられていたようです。ハル・ローチ・プロのチーム製作体制というのはそうした、分業集団製作的なものでした。
 今回の'20年度からの作品は'20年度第2作「ロイドの化物屋敷」ではウォーカー単独クレジットですが、第3・4作「都会育ちの西部者」「眼が廻る」ではフランク・テリーとH・M・ウォーカーの共同クレジットになっていて、ウォーカーは本来タイトル字幕デザイナーですから、脚本専任ライターとしてフランク・テリーが加わったということになります。クレジットも「Story by Frank Terry」「Titled by H. M. Walker」です。もちろんローチ・プロのようなチーム体制の場合スタッフ全員がアイディアを出し脚本家がまとめる、という方式は続いていたでしょうが、字幕デザイナーのウォーカー一人の手には負えず専任ライターも加える必要があったのは作風の変化にもうかがえ、'19年末の2巻もの「ロイドのブロードウェイ」「其の日ぐらし」に較べて'20年度作品は「ロイドの化物屋敷」こそ過渡期ですが、フランク・テリーがストーリー担当とクレジットされた「都会育ちの西部者」「眼が廻る」では'19年度作品のような盛りだくさんの趣向は避け、シンプルなストーリーに集中するような作風に変わっています。これまで同様アイディアはスタッフ全員が積極的に提出しますが基本となるシンプルなプロットとストーリーを用意する、またはまとめ上げて作品をより整理された内容にする、という指向への変化です。ロイドが初の長編『ロイドの水兵』を発表するのは'21年12月ですし、これも短編ないし中編を撮るつもりが現場で乗って4巻の長編になったものであり(撮影に1年余をかけたチャップリンの最初の監督長編『キッド』'21は2月に公開されており、これは6巻の本格的な長編でした)、ロイド自身も'22年9月公開の第2長編『猛勇ロイド』はまだ習作で、'22年12月公開の第3長編『ドクター・ジャック』を最初から長編として構想した作品としていますが、この'20年の作風の変化は中心となるドラマを重視し始めた点で、この時点ではまだ過渡的な出来であり、短編喜劇としては喜劇性とドラマ性の案配で中途半端になっているきらいがあるとは言え、長編化への模索が見られるのに注目すべき特色があります。

イメージ 2

●1月4日(金)
「ロイドの化物屋敷」Haunted Spooks (監=ハル・ローチ/アルフ・グールディング、Hal Roach Production'20.Mar.14)*25min, B/W, Silent : https://youtu.be/D-CXQspZtMs

イメージ 3

 本作の舞台は「ミシシッピ川を下りて右に曲がる」とある町とタイトルに出ることから、南部のニューオリンズ州のどこか(左だったらテキサス州になります)であることが暗示されます。これも遺産相続をめぐってヒロインのミルドレッド・デイヴィスが窮地に陥り(今回デイヴィスを陥れるのは、遺産狙いの叔父の策謀です)、ロイドが救って結ばれる、と前年末の「其の日ぐらし」と同じような話ですが、相続するのは逝去した祖父の豪邸と農園で、最低1年その豪邸で夫婦で暮らすのが相続の条件ということから弁護士がふとしたことから出会った(失恋のショックで弁護士の車に轢かれようと飛び出してきた)ロイドをひとまず花婿にする、しかし豪邸には叔父がお化けに変装して使用人の黒人たち全員を脅かしており、南部の黒人は非常にお化けを怖がる、というクー・クラックス・クラン伝来の趣向を使っています。使用人たちが全員お化けを信じこんで怖がっている屋敷に新婚のデイヴィスとロイドが引っ越してくる。南部を舞台にしたのはその辺に理由があるのです。これも前回同様、ジャケット裏の作品紹介を引いておきましょう。
○祖父の死で邸宅を相続することになった孫娘(ミルドレッド・デイヴィス)。条件は1年間夫とその邸宅に住むこと。そこで、未婚の彼女は出会ったばかりの青年(ハロルド・ロイド)と形だけの結婚をして邸宅へ。ところが、その晩2人は次々と現れる幽霊に悩まされる。
 ――映画はまずヒロインの叔父(ウォレス・ハウ)が弁護士からの通達を妻の前で読んでいるところから始まります。内容は先の通りで、遺産の相続権の二番目は自分なので、叔父は妻に姪に遺産を渡すものか、と宣言します。一方姪ミルドレッドは弁護士(ウィリアム・ギレスピー)に直接説明を受け、ミルドレッドの味方の弁護士は花婿なら自分が何とかしましょうと請け負います。場面変わって男たちにモテモテの美女にロイドがすげなく振られるシーンになり、ロイドは川に投身自殺しようと石を結んで鼻と耳に綿を詰めて橋から投身自殺しようとしますが、川の深さは足首程度しかない。そこで走ってきた車に飛び出しますが、車はロイドの寸前で停車してしまい、方向を変えて走り出す車の前にロイドはすかさず周りこみますがまた停車してしまう、という現実にはあり得ない車とロイドの平行移動が数回くり返され、ついに車から下りてきたのは弁護士で、ロイドは何人目かの失恋で轢かれて死のうとしてたのに、と食ってかかります。そりゃいい、と弁護士は小躍りし、ロイドは牧師と待機していたミルドレッドとすぐさま結婚してしまいます。亡くなった祖父の豪邸ではシーツを被った叔父が走り回り、黒人の召使いやメイドたちはパニックに陥っています。ロイドとミルドレッドは夜になって豪邸に着きますが、使用人たちはパニック状態でお化けが出ると騒いでいる。もう晩遅いし休もうとミルドレッドとロイドは別々の寝室で寝ますが、ミルドレッドをお化けに化けた叔父が脅かします。ミルドレッドの悲鳴に駆けつけたロイドは、黒人たちのパニックの中、おっかなびっくり豪邸の中を探索します。後半の展開は案外あっけなく叔父は黒人執事(ディー・ランプソン)に正体を見破られ、ロイドにとっちめられて、ミルドレッドとロイドは心がけから夫婦になる誓いを立てる、とハッピーエンドに終わります。今回の3編いずれもそうなのですが、前回の'18年の1巻もの2編「ロイドの父に聞いて」「ハート張り」、2巻もの2編「ロイドのブロードウェイ」「其の日ぐらし」のこれでもかの視覚的アクションによるギャグの洪水から較べると、楽しく満足できる短編なのですが焦点の中心はロイドとデイヴィスのロマンスで、スラップスティック喜劇としての爆発力の点ではやや後退した仕上がりになっている。本作で言えばミルドレッドと出会うまでのロイドの滑稽な自殺未遂のくり返しギャグの方にギャグが集中していて、後半のお化け屋敷の方は起伏も少なく割とあっさりと進んでしまいます。ミルドレッド・デイヴィスをヒロインにしてからデイヴィスの評判がよほど良かったか、本作ではもうスラップスティック喜劇というよりロマンス喜劇(スクリューボール・コメディ)の系統に近くなっている。スクリューボール・コメディの父フランク・キャプラもハル・ローチ・プロ出身者でロイドの後輩(ロイドより年長者でしたが)ハリー・ラングドン喜劇の監督としてスタートした人でしたが、ラングドンの場合は失恋コメディ専門としてそれはキャラクターの違いなので、ロイドの場合は失恋コメディは似合わないキャラクターでしょう。'20年からロイド作品の本数が激減したのは人気の上昇から1編1編の興行成績が高まったとしても、デイヴィスとのロマンス喜劇に主流を絞ればヴァリエーションはさほど多く作れず、2か月に1編の年間6編がほど良いペースで、それ以上の多作ではマンネリに陥るのを回避した結果に思えます。またボックスセットでも今回の3編は'19年の2巻もの2編「ロイドのブロードウェイ」「其の日ぐらし」のような染色はされておらず、おそらくこれは原盤に由来するので、内容が甘いだけにあえて染色を避けるようになったとも思われます。長編ではまたロイドは染色を採用するようになるので、それも含め喜劇性とロマンスの配合について'20年のロイドはまだ試験的な時期だったように思えます。

●1月5日(土)
「都会育ちの西部者」An Eastern Westerner (監=ハル・ローチ、Hal Roach Production'20.May.2)*24min, B/W, Silent : https://youtu.be/QXHFf_A8F3U

イメージ 4

 前作「ロイドの化物屋敷」が南部のニューオリンズが舞台なら、2か月後の本作は西部ものです。集大成ボックス『ハロルド・ロイド・コレクション』は長編はメジャー配給の16作を網羅しているのに中短編時代の膨大な作品からは13編しか収録されておらず、'19年(全39編)から4編、'20年(全6編)から5編、'21年(全4編+長編1)から中短編4編と、ほとんど長編移行期寸前に傾いていますが、本作は'18年の「ハート張り」同様西部ものとは言え、ロイドが英雄的カウボーイのビリー・ブレイズに扮する歴史もの西部劇のパロディだった同作とは違い、現代の西部(もちろん誇張した無法地帯の西部ですが)を舞台にした短編で、「An Eastern Westerner」と原題も洒落ていれば邦題も「都会育ちの西部者」と直訳ながら決まっています。「ハート張り」よりさらに充実した作品ですが、本作もロイドとミルドレッド・デイヴィスのロマンスが中心になるので、ジャケット裏の紹介文を引いておきましょう。
○ニューヨークで暮らす道楽息子(ハロルド・ロイド)。遊びが過ぎて親の大目玉をくらった彼は、叔父の農場に行くよう命じられる。そこで仕方なく、彼は荒くれカウボーイたちが集う西部の町へ。そして、悪い男(ノア・ヤング)に誘拐されそうになっている娘(ミルドレッド・デイヴィス)と出会い、彼女のために一肌脱ぐことにする。だが、おかげで町の荒くれ男どもに追いかけられるハメになり……。
 ――実際は誘拐監禁されているのはミルドレッド・デイヴィスの父で、父の経営する酒場は町を仕切るマスクド・エンジェルスの首領のタイガー・リップ・トンプキンズ(ノア・ヤング)たちの部下たちに乗っ取られており、ロイドは叔父の農場に向かうどころかまずは酒場で一杯やろうと酒場に入ってきて、いきなりメキシコ人のナイフ投げ師(ウィリアム・ギレスピー)に頭のベレー帽を壁に飛ばされます。ロイドは平然とベレー帽を壁から取ろうとする、またナイフが飛んでくる、といった調子でロイドは酒場のゴロツキどもからの洗礼を次々と受け流し、親分のヤングにぶっ飛ばされる。そして酒場の娘のデイヴィスから父が二階の部屋に監禁されているの、鍵はあの男(ヤング)が内ポケットに持ってる、と聞き、ヤングと反対側のゴロツキにわざと食ってかかってぶっ飛ばされてヤングにぶつかり、スリとった鍵をデイヴィスに渡します。デイヴィスは父親に通報を頼んで逃がし、そのあとは町中をマスクド・エンジェルスがバラバラに逃げたデイヴィスとロイドを追いかけまわす、という追跡撃退劇になります。州境から逃がすな、とボスのヤングの命令で追ってくるエンジェルスを捲いたロイドとデイヴィスは州境の線路で落ち合い、手に手を取って隣の州に逃げて、エンドマーク。これだけ書くと他愛ない小品に見えますが、他愛ないのは確かにしても見ごたえのある現代アクション西部劇になっていて、結局ロイドは西部に何をしに来たのかと言えばもちろんデイヴィスと出会うために来たのがこの映画の内容だと観客は不自然には思わないので、わざわざ本作から専任ストーリー・ライターとしてフランク・テリーが参加したのもその役割はプロットとストーリーの単純化だったのがわかります。本作の場合ロイドの放蕩息子ぶりを描く前半はこれといったギャグはなく都会人ロイドのキャラクターを後半の西部編に対比するためのムード作りにすぎず、パラレルに描かれるデイヴィスと父の酒場がヤングたちに乗っ取られる様子に、後半ロイドがどう絡んでくるかを期待させるための仕掛けに過ぎません。チャップリンキートンではこの軽みは生まれず、相対評価がどうあろうとこれはロイドならではの持ち味です。

●1月6日(日)
「眼が廻る」High And Dizzy (監=ハル・ローチ、Hal Roach Production'20.Jul.11)*26min, B/W, Silent : https://youtu.be/tP-bha1Wqy4

イメージ 5

 本作は何と言っても長編4作目の大傑作『ロイドの要心無用』'23の先駆作としての意義が大きく、もちろん安全ネットや撮影法の錯覚で実現した演技、映像でしょうが、高層ホテルの高層階の窓の数10センチメートルの庇でロイドばかりかミルドレッド・デイヴィスまでがすたすた歩く、ロイドは密造酒を飲んでふらふらだしデイヴィスは夢遊病という設定で、自分だけ窓から部屋に戻ってからロイドを締め出したまま窓に鍵をかけてしまう。ロイドはついに落ちていたブロック片で足を滑らせ、素面に返って髪を逆立てます。この「恐怖で髪が逆立ち、また収まる」マンガ的な映像は言及しそびれましたが「ロイドの化物屋敷」ですでに始められており、逆光の中ロイドの恐怖の顔のクローズアップで徐々に髪が逆立ち最大に膨れ上がり、虚脱状態の顔になるとまたしぼんでいく、という映像ですが、数コマずつ止めて髪をセットしてまた撮影、数コマ撮影して止めてまた髪をセット、と手のこんだトリック撮影で1ショットが続くうちに髪が逆立ち、またしぼんでいく映像を撮影したものでしょう。手間がかかる分複数のカメラで少し違う別テイクを作り置きしたようで、「ロイドの化物屋敷」「都会育ちの西部者」、本作「眼が廻る」では違うテイクを使っているように見えます。本作もジャケット裏の紹介文を引いておきましょう。
○友人(ロイ・ブルックス)がこっそり作った密造酒を飲んで眼が廻ってしまった医者(ハロルド・ロイド)。ホテルで酔っぱらったまま狼藉を働き大騒動に。しかも、夢遊病の娘(ミルドレッド・デイヴィス)に誘われて窓の外に出てみたら、そこは眼もくらむ高さで……。
 ――本作のロイドは医者で、第3長編『ドクター・ジャック』'22のロイドは田舎町の名医ジャック先生役でしたが、本作のロイドは都会のぐうたら医者で、患者を数人診るごとに変装して診察室からさぼりに出る、という怠け者の青年医師です。開業医がこれではさっぱり儲けにならないと思いますが、健康保険制度の遅れた国アメリカでは医療費は患者10割負担なのでさぼりたいほど儲かる商売なのでしょう。さんざんさぼった挙げ句父親(ウォレス・ハウ)に連れられてきた美人患者(ミルドレッド・デイヴィス)は「娘は夢遊病なんです」とロイドの診察を受けますが、もちろんすぐさま治療法はありません。診療を終えたロイドに友人(ロイ・ブルックス)が「密造酒ができたぞ!」と呼びに来ます。大喜びで友人の密造酒製造室に入ったロイドと友人の二人は、醗酵しすぎた酒瓶のコルクがポンポン弾けるのに面食らいながらたまんないなとばかりに密造酒を痛飲します。禁酒法のあった国としてはかなり際どい題材をあつかっているように思えますが、禁酒法案が全米で施行されたのは1923年らしいので、この頃は法案の是非や一部地域での条令止まりだったのでしょう。ロイドはめろめろに酔っぱらってこれでは帰宅できないと、近場の高級ホテルに泊まることにしますが、チェックインから廊下の歩行、エレベーターへの乗りこみまでトラブルを引き起こしまくります。この高級ホテルにはデイヴィスも受診治療のため出てきたのでしょう、父親とは別室に止まっています。夢遊病のデイヴィスは起き出して、窓を開けて外壁の庇に出ます。自分の部屋で窓の外にデイヴィスの姿を見つけたロイドは誘われるようにデイヴィスのあとを追って外壁の庇を歩きますが、デイヴィスは自室に戻ると窓に鍵をかけてしまいます。酔っぱらったロイドはふらふらと庇に立っていますが、膝を崩した拍子に足元のブロック片を踏んで庇から滑り落ちそうになり、素面に戻ったロイドは総毛立ちます。なんとか両手を庇にかけてぶら下がったロイドはどうにか庇によじ登りますが、ここから何とかロイドが無事にデイヴィスの部屋に戻るまではまた長々と高所恐怖症ギャグが続いて視覚的ギャグの連続なので省略すると、目を覚ましたデイヴィスがロイドが顔をのぞきこんでいるのに気づいて、ロイドは結婚を申しこみデイヴィスは即座に承諾します。これもロイドが医師でありデイヴィスを見守って治すために結婚したい、デイヴィスも承諾する、と理屈はつきますが、ロイドの映画でミルドレッド・デイヴィスが出てきてともに危険を乗り越えれば結末では結ばれる、と観客は了解しているので、とやかく理屈をつけるまでもないでしょう。ロイドの長編の傑作は短編時代にさまざまなヴァリエーションが試されていた得意芸を上手く生かしたものであることがわかり、実際長編では短編で試されていたギャグがより洗練され、ギャグとギャグが組み合わされることでさらにイメージ豊かなものになっています。またエッサネイ社~ミューチュアル社時代のチャップリンと同様、ロイドにはこの長編化直前の習作期が必要だったのもわかりますが、後世の観客には長編の萌芽と見えても当時の観客には前代未聞の抱腹絶倒映画だったに違いないのです。