人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

リヒャルト・ヴァーンフリート Richard Wahnfried - ミディテーション Miditation (Inteam, 1986)

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リヒャルト・ヴァーンフリート Richard Wahnfried - ミディテーション Miditation (Inteam, 1986) Full Album
Recorded at INTEAM Studio, Hambuhren, 1981 & 1985
Released by Metronome Musik GmbH/Inteam GmbH, ID 20.009, February 1986
CD Reissued by Innovative Communication IC 710.096, 1990
All tracks composed by Richard Wahnfried (Klaus Schulze)
(Side 1)
A1. Miditation : https://youtu.be/r5s1NGWEIkc - 25:33
(Side 2)
B1. Midiaction : https://youtu.be/F8ztWTYx73I - 29:28
[ Personnel ]
Klaus Schulze - electronics
Steve Jolliffe - flute
(with Guest Performers)
Oldauer Mannerchor - chorus
Jennifer Uberberg - sitar
Karl Wahnfried - keyboards
Tex Texton - programming keyboards
Tim Bales - percussion

(Reissued "Miditation" CD Front Cover & Original Inteam LP Side 1 Label)

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 クラウス・シュルツェのセッション・プロジェクト名義のリヒャルト・ヴァーンフリート作品は前回の第3作『メガトーン』'84のご紹介文で次作以降のアルバムはバンド編成を取らなくなりシュルツェのソロ名義のアルバムと変わらなくなってはいまいか、とまとめてしまいましたが、実際にバンド編成から一気にデュオ(LPには他にも参加ミュージシャン名がクレジットされていますが、サンプリング用音源の提供者にとどまるらしく、シュルツェの公式サイトのディスコグラフィーではスティーヴ・ジョリフェのみ正式メンバーのデュオ作品とされています)になりましたが、不足感は一切なく濃密なシュルツェの音楽が充満したアルバムです。本作で組んだジョリフェはタンジェリン・ドリームにアルバム『Cyclone』'78の1作だけメンバーだった人で、シュルツェもメンバーだったタンジェリンのデビュー作('70年)前の'69年に在籍していたフルート、キーボード、ヴォーカル担当者だったようです。『Cyclone』はタンジェリンとしては過渡期の、黄金トリオ時代のメンバーのペーター・バウマンが抜けた直後のアルバムですが、タンジェリンのディスコグラフィー上では目立たなくても作風変化の兆しは見えた作品でした。
 本作は本格的にサンプリング時代に入る初期の頃のシュルツェのサウンドで初期のアルバム『ブラックダンス』'74や『ピクチャー・ミュージック』'74の頃の呪術的ムードを蘇らせたような内容で、デジタル機材でダーク・サイケな、LPのA面1曲25分半、B面1曲29分半というのも'70年代シュルツェを彷彿させます。'86年頃のシュルツェのアルバムというと『Inter*Face』'85や『Dreams』'86の頃ですし、本作は「1981 & 1985」とされた録音年が各曲ずつなのか'81年のベーシック・トラックを'85年に手を入れて完成させたのかわかりませんが、'81年のアルバム『ディグ・イット』より本作は各段にデジタル機材を使いこなしていますし、'82年のアルバム『トランスファー』は親交の厚いウォルフガング・ティポールドとマイケル・シュリーヴの参加でむしろ両者の参加したリヒャルト・ヴァーンフリート第1作『タイム・アクター』の姉妹作と言えるので、やはりこの録音年クレジットは'81年の未完成ベーシック・トラックをシュルツェがジョリフェとのコラボレーションによって最新スタイルのクォリティーに高めたものと思われます。もちろん創作物の価値は一律にクォリティーうんぬんで済まされるものではなく、シュルツェの場合全人的に自己の創作力を投げこんだのはソロ名義の作品にあり、ヴァーンフリート作品は最初の3作はバンド形態、本作からは作品ごとに組んだ相手との座談や対話のような副次的な制作であって、アルバム・タイトルがかけてあるように当時最新のMidi機材による音楽表現の拡張、というごくごく音楽家的興味からの発想によるもの、と言えなくもありません。そのあたりを物足りなさと見るか、シュルツェの余裕と見るかで本作の聴こえ方も違ってくるような気がします。