人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ザ・ビート・オブ・ジ・アース The Beat of the Earth (Radish, 1967)

ザ・ビート・オブ・ジ・アース The Beat of the Earth (Radish, 1967) Full Album : https://youtu.be/eM_mp9mWLJI

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Recorded at United/Western Studio #2, Hollywood, California
Released by Radish Records Radish ‎AS-0001, Orange County, California, 1967 (Private Press, 500 Copy Only)
Recording Engendered by Joe Sidore
Produced by Phil Pearlman
(Side 1)
A1. Beat of the Earth (Side 1) - 21:30
(Side 2)
B1. Beat of the Earth (Side 2) - 20:52
[ The Beat of the Earth ]
Phil Pearlman, Bill Phillips, J.R. Nichols, Karen Darby, Morgan Chapman, Ron Collins, Sherry Phillips

(Original Radish "The Beat of the Earth" LP Liner Cover & Side 1 Label)

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 限定500枚きりの自主制作盤で1967年にリリースされ、'80年代以降あまりの稀少さ、LP各面1曲(実質両面で全1曲)の大胆な内容、メンバーや活動実態も謎とコレクターズ・アイテム化していた本作ですが、LP起こしの海賊盤でなくようやくマスターテープから録音エンジニアのジョー(ジム)・サイドア、メンバーのカレン・ダービー公認で復刻専門レーベルStoned Circle社から正規盤リマスターCD化がされたのはつい先日、2016年になります。ザ・ビート・オブ・ジ・アースの中心人物フィル・パールマンイスラム教徒に改宗し、1994年に本作のセッションからザ・ビート・オブ・ジ・アース名義のアルバム『Our Standard Three Minute Tune』(Radish A.S. 0001½)をやはり自主制作盤LPのみでリリース(未CD化)したあと隠遁しており、『Our Standard~』もアルバム・タイトル曲がAB面各20分の構成で1967年録音の『ザ・ビート・オブ・ジ・アース』制作時のアウトテイクであり、サイドアが録音エンジニアを手がけメンバーも本作と同一です。本作のリマスターCD化にはパールマンは関わっていませんが、研究家の調査では『ザ・ビート・オブ・ジ・アース』に先立ってパールマンはフィル&ザ・フレイクス名義のサーフ・インストのシングルを'64年に、インディーのB級映画『Dirty Feet』のサントラを'65年に手がけていることが解明され、またパールマン以外のメンバー総入れ替えでさらに2作の自主制作LP、1970年の『ジ・エレクトロニック・ホール(The Electronic Hole)』、1976年の『リラティヴリィ・クリーン・リヴァース(Relatively Clean Rivers)』がリリースされているのが判明しました。どちらも『ザ・ビート・オブ・ジ・アース』の発展作と見るべきアルバムですが両作ともマスターテープが発見されず海賊盤CD化しかされておらず、パールマン関係の最新ニュースとしては2006年にFBIが白人イスラム教テロリストとして指名手配した当時28歳の青年がパールマンの長男だったのが話題になり、研究家が父パールマンのマスターテープを探していた時にFBIはパールマンの息子を追っていた、とリマスターCDの解説でも触れられています。Stoned Circle社はようやくエンジニアのサイドア経由で本作のマスターテープを探し当て、メンバー中カレン・ダービーの所在をつきとめ正規発売の許可とインタビューを取りつけたので、これまでLP起こしの海賊盤だけではわからなかった本作の背景が、主役のパールマンは不在ながら、ようやく相当部分の裏事情が、明らかにされました。

 カレン・ダービーとつきあい始めた頃にはフィル・パールマンボブ・ディランビートルズストーンズ、クリームやジェファーソン・エアプレインが共通のお気に入りで、ママス・アンド・パパスも好きならヴェルヴェット・アンダーグラウンドも好き(本作制作に先立ってヴェルヴェット・アンダーグラウンドを聴いていたという貴重な証言でもあります)と最新のロック・バンドを熱心に聴いていたそうです。エコロジストを父親に持つパールマンの口癖は「Organic」だったそうで、パールマンはヒッピー・カルチャーにエコロジー的側面から共感していました。もうサーフ・サウンドの時代ではない、バンドをやりたいとパールマンがダービーに相談をもちかけたところ、ダービーがふと「大地の鼓動(The Beat of the Earth)みたいなのがいいわね」と口にしたところ「それだ!」とパールマンは答えた、と言いますがカレンさん本人の発言なので話半分かもしれません。パールマンはすぐさま知人友人のつてを当たり、友人のビル(本名はフィルでしたが紛らわしいので改名)とシェリーのフィリップス夫妻(兄妹?)、エレクトロニクス担当者のモーガン・チャップマン、キーボードのロン・コリンズとギタリストのJ・R・ニコルズをメンバーにし、ロサンゼルスからサン・フェルナンド・ヴァレーを通ってオレンジ・カウンティに本拠を定めました。ほとんどライヴ活動実績もないのにパールマンはハリウッドのスタジオを借りてアルバム制作の予定を立て、録音エンジニアに旧知のジム・サイドアと組む機会を得ます。サイドアはチャビー・チェッカーやグレン・キャンベル、スパンキー&アワ・ギャング、カウント・ファイヴの「サイコティック・リアクション」やザ・シーズの「プッシン・トゥ・ハード」、ハーパース・ビザールの「フィーリン・グルーヴィ」を手がけてきたハリウッドの俊英録音エンジニアであり、LPのAB面各20分即興演奏、というパールマンのとんでもない自主制作盤ならではのアルバム構想に興味を持ち、パールマンの次のプロジェクト「ジ・エレクトロニック・ホール」にも録音エンジニアとして全面協力します。500枚限定プレスされた本作はメンバーの手売りで多少が売れただけで、パールマンは売れ残りのアルバムをレコード屋に持って行ってこっそり棚に置いてきて喜ぶ、という具合でした。結局結成から半年間でバンドは解散し、メンバーは全員音楽以外の道に進みました。しかしこの、素人の宴会芸みたいなLPのAB面即興演奏各1曲の本作は、これだけ聴いても馬鹿みたいですが、パールマンの次作『ジ・エレクトロニック・ホール』、次々作(かつ最終作)『リラティヴリィ・クリーン・リヴァース』と三部作をなす第1作として聴くとにわかに輝きだすのです。また同年の同傾向のイギリス作品、ハップサーシュ&ザ・カラード・コート、ザ・デヴィアンツの各初アルバムよりはるかに徹底していて、ハップサーシュやデヴィアンツを直接参照したとおぼしいアモン・デュールの『サイケデリックアンダーグラウンド』'69はむしろ存在すら知らなかったのが確実な本作の方に近い。そもそもフィル・パールマンの3作はもともとどれも20年以上埋もれていた自主制作盤ですから影響も何もあったものではないのですが、誰にも知られずひそかにこういう音楽が作られていた、しかもまったく商業目的ではなかったのは、市販流通されている音楽だけが音楽ではない当たり前の事実(50年あまりを経て初めて正規に商業発売されたわけですが)に改めて気づかせられもします。本作に始まるフィル・パールマンの三部作は、あとアルバム2作も明日・あさってとご紹介いたします。