人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

このブログの(大雑把な)過去記事カタログ

f:id:hawkrose:20191219023703j:plain
 このお方はアメリカのサイレント映画最大の俳優の一人、「千の顔を持つ男」ことロン・チェイニー(1883-1930)様です。オジー・オズボーン様ではありません。
f:id:hawkrose:20191219023834j:plain
 さて、本ブログは2011年5月からブログサービス終了までの2019年9月まで毎日欠かさずヤフーブログに更新掲載してきた約4,800記事ごと引っ越してきたものです。総分量400字詰原稿用紙換算2万枚程度になりますが、筆者は元雑誌ライターのご隠居ですので足かけ8年も毎日ブログ作文を書いていればそのくらいの分量にはなります。
 以降はしばらく休んで、10月以降は同一内容を、

 「F2ブログ」では、
https://fifthofjuly1964.fc2.net/
 「はてなブログ」では、
https://hawkrose.hatenablog.com/
 「アメーバブログ」では、
https://ameblo.jp/fifth-of-july/
 
 に掲載しています。アメーバブログでは1記事の文字量制限が少ないので、1万字以上の分量が大半を占めるヤフーブログ時代の過去記事は転載していません。どれもブログタイトルはヤフーブログからの「人生は野菜スープ」、HNはアエリエルを踏襲しています。
 現行ブログのフォーマットでは記事分類(カテゴリー)がご覧になれるかわかりませんが、旧記事の分類は日記・雑録・エッセイの他に、

●詩・創作童話
●読書感想文(海外文学、日本の現代詩・詩史)
●美術(一般)
●音楽(一般)
●ジャズマン・バイオグラフィー
●今日のジャズ名曲
●60年代ロック(主にサイケデリック、ガレージ系)
●実験派ロック(プログレッシヴ・ロッククラウトロック、ポストパンク)
●サン・ラ(全アルバム解説)
クラウス・シュルツェ(全アルバム解説)
ジョン・レノン訳詞集
ボブ・ディラン訳詞集
●映画日記(一般)
サイレント映画
ヌーヴェル・ヴァーグと60年代映画
●アニメーション

 などの記事を載せています。文学、美術、音楽、映画いずれも国の内外問いません。
 一例では、サイレント映画ではグリフィス、チャップリン、ロイド、キートンロン・チェイニーの現存全作品にフランスのサイレント映画史、ドイツのサイレント映画史、日本のサイレント映画(主に時代劇)史など。映画一般としてはラオール・ウォルシュ、カール・Th・ドライヤー、フリッツ・ラングジャン・ルノワールハワード・ホークスウィリアム・ウェルマンアルフレッド・ヒッチコックロベール・ブレッソンミケランジェロ・アントニオーニスタンリー・キューブリックなどの現存ほぼ全作品、ユニヴァーサル・ホラーやB級西部劇、フィルム・ノワール、トーキー以降のフランス映画史(ジャン・ギャバン全主演作など)のご紹介とレビュー。ヌーヴェル・ヴァーグも同様に各国の主要監督作品を系列的にご紹介しました。アニメーションでは映画クレヨンしんちゃん全作品など。
 海外文学では大嫌いなアンドレ・ジッドとヘルマン・ヘッセを周密に再読。日本の現代詩は明治20年代から現代詩史を代表的詩人、マイナー・ポエットを取り混ぜて追いました。
 60年代ロック、プログレッシヴ・ロッククラウトロックはバンド単位に主要アルバムから埋もれたアーティストまでご紹介。ジャズはアーティストと楽曲単位で、サン・ラ(歿年発表まで)とクラウス・シュルツェ(20世紀いっぱいまで)の全アルバム紹介・解説はやりがいがありそうだからやりました。

 このブログに書き下ろし公開してきた中で、映画日記を除けば最大の分量の作文が創作童話体の連作『偽ムーミン谷のレストラン』五部作です。全五部は毎回1,000文字、一章10回・全八章80回で均等な分量に統一してあり、全五部で400字詰め原稿用紙1,000枚におよびます。五部構成は各部完結で第一部『偽ムーミン谷のレストラン』、第二部『荒野のチャーリー・ブラウン』(初出は『ピーナッツ畑でつかまえて』でしたが改題しました)、第三部『戦場のミッフィーちゃんと仲間たち』、第四部『新☆NAGISAの国のアリス』、第五部『魍魎綺譚・夜ノアンパンマン』からなりますが、題材・内容ともに商標権・著作権侵害その他の事情で決して公刊される見込みのない闇文書としてブログの過去記事に眠っています。ご興味お持ちの方は過去記事から簡単に検索できますので、恥も掻き捨てですから五部作のそれぞれ第一回を再録・ご紹介しておきます。これが全編では全400回、1,000枚(200枚×五部)の、いわばサンプラーです。筆者としてはお手持ちのプリンターでも簡易印刷でも何でもいいので、私家版でも海賊版でも何でも公認しますと歓迎申し上げます。『偽ムーミン谷』に限らず映画日記や音楽記事なども構いません。ご自由に転載いただいて結構ですし出典を明示されなくてもいい。何でしたらお好きなように書き換えくださっても一向にかまいません。

 創作童話について簡単に概要を記すと、第一部『偽ムーミン谷のレストラン』は偽ムーミンの暗躍とよそ者スナフキンの放浪を対照に、時のない無法地帯のトロール特区ムーミン谷の危機を描いたユーモア童話。第二部『荒野のチャーリー・ブラウン』(原題『ピーナッツ畑でつかまえて』)はヘタレ少年チャーリーと誇大妄想犬スヌーピー、ヌケサク鳥ウッドストックを描いたアメリカン・コミック『ピーナッツ』を逃亡西部劇の世界に無理矢理移したどたばたコメディ童話。第三部『戦場のミッフィーちゃんと仲間たち』はミッフィーちゃん率いる従軍慰安部隊と、ライヴァル従軍慰安部隊のハローキティー部隊との女の闘いをブレヒトの古典『肝っ玉おっ母と息子たち』を全然参照せず描いたハートウォーミングな戦場の天使もの童話。第四部『新☆NAGISAの国のアリス』はそろそろ惰性で、『不思議の国』『鏡の国』のアリス連作を原文から直接リライト&シャッフルし、ルイス・キャロル=チャールズ・ドジソン自身の語りと平行してフォーク・クルセダーズ主演の大島渚の映画『帰ってきたヨッパライ』'68を動物擬人化挿入したおふざけコラージュ童話。第五部『魍魎綺譚・夜ノアンパンマン』は深夜アニメ『夜ノヤッターマン』のタイトルだけお借りして内容は全然関係なく、「食」が主題のアンパンマン世界を「色」に置き換えアンパンマン世界の住人たちを色情狂にし、終盤は通俗ポルノと化す完全に惰性で書いた官能低俗童話です。

 このご紹介だけで十分げんなりされたと思いますが、こうしたものを辛抱強く書いたというのは一種の課題作文みたいなもので、これはパロディですらなく、創作家ではないただの元雑誌フリーライターが書いたリライトなので、書いた本人にすら属さないような代物と開き直らせていただきたい。お読みくださった方に生じたご感想だけが実体なので、それぞれの本文に書いてあることは何ひとつ確かなものはないのです。このブログは2011年の5月に始めましたが、筆者はその直前の3月に今のところ最後の精神病棟入院から退院したばかりで(退院3日後に震災がありました)、それまで1度の投獄、失職、離婚、数度に渡る精神病棟入院を数年間に経験したばかりでした。そうした経験がこの童話連作に反映しているかどうかも筆者自身はわかりません。どの話も一種の監禁・監視状況に始終し、自我の境界が崩壊している(そもそも自我すら持たない)キャラクター以前のキャラクターしか出てこないのはそもそもこれが「童話」だからで、童話とはキャラクターが自分のキャラクターも自分の運命も選べないからこそ成立します。こんなものには一片の価値もありませんが、書いて公開したからにはそれなりの労力や愛着も多少はあります。公刊の見込みなどまったく考えられない内容もあわせて、私家版や海賊版、転載など何でも歓迎いたします、構いませんと申し上げる次第です。

 では、全五部のそれぞれ第一回を再録いたします。全文は過去記事検索にて閲読いただけます。


第一部『偽ムーミン谷のレストラン』

 第一章。
 ムーミン谷にレストランができたそうだよ、とムーミンパパが新聞から顔を上げると、言いました。今朝のムーミン家の居間には、
・今ここにいる人
・ここにいない人
 ……のどちらも集まっています。それほど広くもない居間に全員が収まるのは、ムーミン谷の住民は人ではなくトロールで融通が利くからです。
 そうだ、わが家は食事のふりならずっとしてきたが、それは家庭という雰囲気の演出のためであって実際に食事をしたことはない。そうだねママ?
 そうですよ、とママはおっとりと答えます。
 私がパイプをくゆらせ安楽椅子で新聞を読んでいるのもそうだ。読売新聞ムーミン谷版は半年に一度しか出ない。半年に一度の紙面を年中読むのを新聞と呼べるだろうか。ムーミン谷にはタウン誌というものもないのだ。
 それで、ねえパパ、新聞にレストランができたって載っていたの?と偽ムーミンが無邪気を装って尋ねます。その頃ムーミンは全身を拘束され地下の穴蔵に幽閉されていました。
 かなり冷え込み、また拘束のストレスもあり恒温動物なら風邪をひくような環境ですが、トロールなのでただ動けないだけです。容貌は瓜二つなので、なにか弱みを握るたびに偽ムーミンムーミンを脅して入れ違い遊びをしてきましたが、弱みを握られる側にも落ち度があると考えて現状を肯定してしまう卑屈さがムーミンにはありました。
 ねえレストラン行くの?とふたたび偽ムーミン。よく見ると頭部のつむじにあたる部分からアホ毛が三本生えていることでも偽物だと気づくはずですが、ムーミン谷の人びとは細かいことは気にしません。
 そこだよ問題は、とムーミンパパ。レストランに行くには、あらかじめいくつかの条件がある。まず正当な連れがいること、これは問題はない。ムーミン一家だからな。正当な連れ?おかしな組み合わせでレストランに入ったら変だということだよ。たとえばママがスナフキンとミーの三人でレストランに行ったらミーをアリバイにした不倫のように見えるだろう?
 あなた止めてくださいよ、とムーミンママがおっとりたしなめます。
 なら簡単に言おう。ムーミン、きみはお腹が空いたことがあるか?
 うん。そうか。でも一家で食卓につくともう空腹ではなくなるだろ?私たちムーミントロールは食事のふりをするだけでいいのだ。だがレストランでは実際に料理を食べなければならないのだぞ。
 偽ムーミンは驚いたふりをしてみせました。わお。

(以下略・全80回)


第二部『荒野のチャーリー・ブラウン』(原題『ピーナッツ畑でつかまえて』)

 第一章。
 ある暗い嵐の夜でした。
水皿の水にぼくのかおがうつっている。ぼくはのどが渇いているけど、この水をのみほせばぼくのかおは見られなくなる。ならぼくを見ているほうがいいや。そうナルシシストの小型ビーグル犬は考えると、そろそろおやすみの時刻かな、と犬小屋の屋根に億劫そうに上りました。彼は閉所恐怖症なのです。
 空模様はまずまずで、犬小屋には実は広大で快適な地下室もあり、タイプライター(執筆に関しては、彼はアンチ・パソコン派でした)を据えたデスクの正面には不運な火災で焼失するまではゴッホの小品が飾ってあり、やむなくビュッフェに変えてからは自分の創作力も低下しているように思えるのでした。「ある暗い嵐の夜でした……」
 彼は脊柱ががっちり犬小屋の屋根の峰を押さえこんでいるのを背筋の感触で確かめると、この小屋を彼に与えたくりくり坊主の少年のことを思い出し、自分ほどの知性ある犬、なにしろ少年の知人の少女には人間だと思われていたことすらあり、かつての戦線では撃墜王として勇名を轟かせ、探偵経験も弁護士資格も持ち、絶版ながら小説の著作も一冊ある(「ある暗い嵐の夜でした……」)。なのになぜあの少年はくりくり坊主としか覚えられないのだろう、と小首を傾げました。
 まあそれは自分のせいではないのだろう、とこの自惚れの強い小型ビーグル犬は気持よさそうに伸びをし、自分が彼らにどう呼ばれているかを、心地良い優越感とともに思い巡らしました。くりくり坊主とその仲間たち、その誰を取っても彼の名前と結びつけずには人物像が浮かばないほど、世界は彼を中心に形成されていたのです。
 ではもしあの少年の名がシルヴァーまたはゴールドだったら?あるいは陰影の深いアジュールやグレイやブラックだった?色鉛筆や草花のようにレッド、ローズ、パイン、ミント、グリーン、ヒース、プラム、ガーネットだったら?
 ……ですがそれはあり得ないことでした。 少年の名前はチャールズ、愛称チャーリー。そして名前はブラウン、変哲もないブラウンだったからです。彼は何の役目も持たずにこの世界に生まれ、たまたま知らないうちにチャーリー・ブラウンという個性になったのでした。それでもスヌーピーにとってはただのくりくり坊主でしかなかったのです。

(以下略・全80回)


第三部『戦場のミッフィーちゃんと仲間たち』

 第一章。
 まったくあの女ったら!とミッフィーちゃんはアイスピックをふるいながらバーバラにこぼしました。あいつらなんかみんな私たちの商売を真似てるだけじゃないの。おかげでうちの店も閑古鳥つづきじゃ、上がったりもいいところだわ。ねえアギー?とミッフィーは親友にふりました。そうねナインチェ、とアギーはおろおろして答えました。ミッフィーはナインチェと呼ばないと怒るのですが、アギーをアーヒェとは呼ばないのです。もっとも仕事場では別で、ナインチェミッフィーですしアーヒェはアギー、バーバラも本名はバルバラと言いました。これをいわゆる源氏名と言います。
 いや、より正しくはコードネームと言うべきでしょう。以前はともかく、現在の彼女たちは公務員、さらに言えば軍務に服しているのですから。そこにのれんをかき分けて、ウインとメラニーもやってきました。やれやれ、安月給でもお給料が安定しているのはいいけれど、タイムカードにはどうも慣れないわね。順番に決めて誰かが全員分を押すことにしない?だめよ、掌紋認証つきカードなのよ。あ、そうか、と5人の少女たちは笑いました。実はこの話題は毎日誰かが口にするのですが、うさぎなのですぐ忘れてしまうのです。バーバラだけはくまでしたが、友だちが全員うさぎなので本人もくまなのを忘れていました。ちなみにウインの本名はウィレマインといいましたが、これでは誰でも縮めて呼びたくなります。
 男なんて少しでも若い子になびきやがって、とまだミッフィーちゃんは愚痴っていました。そお?あの子いくつだっけ?とメラニーはさっさと着替えながら訊きました。さあ、1974年生まれっていうけど、と代わりにアギーが答えました。てことはアラフォーね、それであんたは?1955年生まれの5歳、とミッフィー。そのわりには老けてるわね、とメラニーがからかうと(ナインチェをからかえるのはペンフレンドだった頃の恥ずかしい手紙を握っているメラニーことニナだけなのです)、ミッフィーの×の口が*になりました。
 しかし怒りを親友にぶつけるのは八つ当たりと自制するくらいの理性はミッフィーちゃんにもありました。あのメスねこ!どうにかできないかしらねえ!萌えの元祖はこっちじゃない?とミッフィーちゃんは殴り込みにでも行きかねない様子です。まあ戦争は兵隊さんたちに任せて、とメラニーがなだめました、ほっとこうよ、ハローキティたちなんかさ。

(以下略・全80回)


第四部『新☆NAGISAの国のアリス』

 第一章。
 10歳のアリスはお姉さんのロリーナ(13歳)と妹のエディス(8歳)といっしょに川のほとりに座り、ドジソン先生のお話を聞くのが好きでした。ドジソン先生は当年とって30歳、男ざかりの数学の先生で、年ごろの男性にはよくあることですが同年輩の男も苦手なら女ざかりの女性はなお苦手で、くつろげるのは第2次性徴期前の少女を相手にしている時だけ、というタイプでしたが、そんなことはアリスたちにはわかりません。ドジソン先生にとってこの三姉妹は、13歳のロリーナはぎりぎり相手にできる年ごろで、8歳のエディスは姉たちと並ぶと幼なすぎる。ですからちょうど真ん中の歳の、10歳のアリスが先生にはいちばんのお気に入りでした。さすがにそれは少女たちにも感づかれていて、アリスは靴の中に画鋲を入れられたり、砒素を盛られて髪がごっそり抜けたりしましたが、ドジソン先生が姉妹どうしの嫉妬に気づいていたかどうかはわかりません。
 「学生時代最後の夏休みに」と先生は話し始めました、「大ノッポ、中ノッポ、チビの3人は田舎の海に遊びに行きました。暖い陽気に誘われて3人は泳ぎましたが、その隙に服を盗まれ、かわりに軍服がありました。3人はそのため先々で密入国者扱いされ、パトカーに追われる破目になったのです」。
 そして、たまたまセクシーなおねいさんから温泉で服を盗んだらいいわ、とアドヴァイスされましたが、謎の青年たちに拳銃を突きつけられ、元の服に戻されてしまいます。彼らには何か事情があるらしいものの、3人には何が何だかさっぱりわかりません。ただただパトカーと青年たちを逃れて走り回らねばなりませんでした。追われているうちに3人は次第に逃げ方も隠れ方も上手になりましたが、今は都会が平和で天国のようなところに思えるのでした。三人の逃走に協力してくれたおねいさんは毒虫のような悪者の情婦でしたが、3人には天使のように親切でした。そんなうちに中ノッポがおねいさんに恋してしまいました。ですが3人はパトカーと、消えてはまた現われる謎の青年たちの拳銃におびえながら首都に向って逃亡を続けていかなければならなかったのです。
 先生、とロリーナは首をかしげました。そのお話にはどういう教訓があるのですか?
 いや、これは正確にはお話ではなく、と先生、動物ならば骨に相当する、プロットと言うものです。そして骨はそれだけでは動物にはならず、教訓もありません。

(以下略・全80回)


第五部『魍魎綺譚・夜ノアンパンマン

 第一章。
 あんパンが初めて製菓店の店頭に並んだのは1874年とされており、翌1875年(明治8年)4月4日には花見のために向島水戸藩下屋敷行幸した明治天皇山岡鉄舟が献上し、お気に召された天皇によりあんパンは宮内省御用達となりました。以降、4月4日は「あんぱんの日」となりました。
 創世当時のあんパンはホップを用いたパン酵母の代わりに、酒まんじゅうの製法にならって日本酒酵母を含む酒種(酒母、こうじに酵母を繁殖させたもの)を使っていました。中心のくぼみは桜の花の塩漬けで飾られます。パンでありながらも和菓子に近い製法を取り入れ、パンに馴染みのなかった当時の日本人にも親しみやすいように工夫して作られていたのが成功につながり、1897年(明治30年)前後には全国的に大ブレークして、製菓店の本店では1日10万個以上売れ、長蛇の列で30分以上待たさせることもあったといいます。
 現代では中の餡はつぶあんこしあんの小豆餡が一般的です。いんげんまめを使った白あんパンや、イモあんパン、栗あんパンなどの豆以外の餡を使ったもの、桜あんやうぐいすあんを使った季節のあんパンもあります。
 典型的な形状、つまり顔に当たる部分は平たい円盤で、ケシの実(ケシの種)、塩漬けの桜の花(ヤエザクラ)、ゴマの実が飾りに乗せられます。ただし必ずしもそれがあんパンの必須条件とは限りません。
 いつ彼が人格を持ち、人びとを飢えから救うのを自分の使命とするようになったかは、本当のところよくわかっていません。バットマンがジョーカーを必要とするように、ばいきんまんが現れるまでは彼はパッとしない絵本のヒーローでした。取り柄といえば空腹な人に、あんパンでできた頭をちぎって差し出すだけ。ちぎられた頭は完全になくなっても替えの頭を乗せればいいだけのようですが、ではアンパンマンの魂のありかとはいったいどこにあるのでしょうか?というのは、人間に限らず哺乳動物の身体構造からすればアンパンマンにとってあんパンには目鼻がついた頭部をなしているように見えますし、頭部が欠損して餡が露出すると脳漿以外の何物にも見えず、そのような状態で生命に支障がないとは擬似ヒューマノイドとしか考えられないからです。
 今夜はそんな謎に包まれたアンパンマンの、あまり面白くもない真相に肉迫してみたいと思います。ではばいきんまんさんからお話をうかがってみましょう。

(以下略・全80回)

(お借りした画像は本文とあまり関係ありません。)