人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ビリー・ホリデイ Billie Holiday / マイルス・デイヴィス Miles Davis - 私の彼氏 The Man I Love (Okeh, 1940/Prestige, 1955)

ビリー・ホリデイ - 私の彼氏 (Okeh, 1940)

f:id:hawkrose:20200319175147j:plain
ビリー・ホリデイ Billie Holiday & Her Orchestra - 私の彼氏 The Man I Love (George & Ira Gershwin) (Columbia/Vocalion, rec.'39, from the album "Billie Holiday Sings", Columbia CL 6129, 1950) : https://youtu.be/Bj8VRIrZhtA - 3:06
Recorded in NYC, December 13, 1939
Originally Released by Vocalion/Okeh 5377, 1940

[ Billie Holiday And Her Orchestra ]

Billie Holiday - vocal, Buck Clayton & Harry Edison - trumpet, Earl Warren - alto saxophone, Lester Young - tenor saxophone, Jack Washington - baritone saxophone, Joe Sullivan - piano, Freddie Green - guitar, Walter Page - bass, Jo Jones - drums

 18歳でデビューしたビリー・ホリデイ(1915-1959)、24歳の名唱。この曲と同日にはやはりビリー20代の名唱の一つ「夜も昼も(Night And Day)」も録音されています。オリジナル・シングル(SP)では「夜も昼も」がA面、「私の彼氏」がB面という豪華カップリングになりました。同年生まれで40年代中盤にはビリーを追い上げるフランク・シナトラ(1915-1998)は同年にはここまで熟していなかったどころか、ハリー・ジェームズ楽団専属歌手として7月にコロンビアから初シングルを出し10曲の録音を済ませたばかりでした。女性歌手と男性歌手の違いと言えばそれまでですが、ビリーは30代半ばから好調不調が激しくなったのに対してシナトラはますます大歌手になっていったのを思うと、シナトラはうまく年を取りましたがビリーは何とも無念な気がします。この曲はライヴでは準定番くらいの位置づけでしたが、ビリーは30代半ばからはこの可憐な声が出なくなりました。曲はガーシュイン兄弟が1924年のミュージカル『Oh, Lady Be Good !』挿入歌に書き、さらに二つのミュージカルに使われ、トーキー化以降の映画にも引っ張りだこで、1947年には同名タイトルの映画(監督ラオール・ウォルシュ、主演アイダ・ルピノ)まで作られています。まだ見ぬ夢みる恋人を「いつめぐり会えるのかしら、日曜?月曜、それとも火曜日?」と想う女心を歌ったあどけない純情な、恋に恋する歌で、若いビリーの声は歌う喜びに満ちあふれた素晴らしいものです。

 この曲は大ヒットはせずとも発表以来地道に人気のあった曲でしたが、ビリー・ホリデイが1936年に初のソロ名義の録音で採り上げたガーシュイン兄弟曲でも最大の人気曲「Summertime」(2,000種以上のヴァージョンあり)ほどではなくても、ビリーによるヴァージョンで認知されて大名曲に化け、ヴォーカル版だけで軽く100種以上のヴァージョンを誇ります。ビリーは大手コロンビア専属歌手とは言えレコードはコロンビア傘下の黒人音楽専門レーベル、ブランズウィックかヴォカリオン、オーケーから発売されていたので、ここまで歌えてもまだ知名度は黒人音楽のリスナーに限られていました。シナトラ所属のハリー・ジェームズ楽団は白人ビッグバンドですので、シナトラの歌唱したレコードはデビュー当時からコロンビア本社によって発売されています。

 ビリーはカウント・ベイシー楽団(当然黒人ビッグバンド)専属歌手を勤めていた経験から録音にもベイシー楽団出身のジャズマンが起用されることが多く、この曲もピアニスト以外はほとんどベイシー楽団のメンバーです。特にベイシー楽団の看板テナーサックス奏者、レスター・ヤング(1909-1959)が加わると抜群に息が合った録音になりました。'30年代のジャズはまだ2拍単位のビートが一般的でしたが、ビリーとレスターにはリズムを4ビート・8ビート・16ビートまで細分化する感覚があり、付点音符のタイミングやシンコペーションする奇数連符も自在に歌唱・演奏できる音楽家でした。ビリーとレスターが'40年代半ば以降のモダン・ジャズの誕生にもっとも寄与したミュージシャンだったのは、和声・旋法・リズム感ではすでにビ・バップ以降のジャズの発想に達していたからです。ビ・バップの2大リーダーだったディジー・ガレスピー(1917-1993)とチャーリー・パーカー(1920-1955)、特にバンドリーダー指向のガレスピーよりソロイストのパーカーが、レスターとビリーから最大のインスピレーションを得ることになったのは当然のことでした。

 ビ・バップの最盛期は'50年までで、ガレスピーはようやく組んだビッグバンドからもっと小さい編成のバンドに戻り(テナーサックスは新人ジョン・コルトレーン)、パーカーは'52年(ピアノのアル・ヘイグが相棒で他は臨時メンバー)までは徐々に、'53年~'54年(パーカーに心酔するベースのチャールズ・ミンガス、ドラムスのロイ・ヘインズが頼りでした)には急速に凋落してしまいます。パーカーがカンザスから上京してくる前からガレスピーとビ・バップを始めていたピアニストのセロニアス・モンク(1917-1982)は仕事を干され、ヒビ・バップ最年長者のドラムスのケニー・クラーク(1914-1985)は当時珍しい大学卒のエリート黒人ピアニスト、ジョン・ルイス(1920-2001)をリーダーとしたモダン・ジャズ・カルテット(MJQ)にミルト・ジャクソン(1922-1999)とパーシー・ヒース(1923-2005)とともにメンバーになりました。ルイスはビッグバンド時代のガレスピーマイルス・デイヴィス(1926-1991)の『クールの誕生』'48~'50のアレンジャーを勤めてきており、MJQはバンド単体でもパーカーやソニー・ロリンズ(1930-)のバッグバンドとしても、メンバー各自でも活動してニューヨークの黒人ジャズ冬の季節を乗り切っていました。

 マイルス・デイヴィス(1926-1991)はもともとガレスピーとパーカーが地方公演で見出した弟子でした。またソニー・ロリンズは、パーカーのバンドにマイルスとともに在籍していたモンクの弟分バド・パウエル(1924-1966)とマイルスが見出した、パーカーの大ファンのテナーサックスの天才少年でした。マイルス、バドが揃っていた時のパーカーのバンドのドラマー、マックス・ローチ(1924-2007)はニューヨークのジャズ不況に見切りをつけてガレスピーの弟子ファッツ・ナヴァロ(1923-1950)の弟分の天才トランペット奏者クリフォード・ブラウン(1930-1956)とロサンゼルスに渡っていました。シェリー・マン、ジェリー・マリガンリー・コニッツ、スタン・リーヴィーら白人ジャズマンの方が早くニューヨークのジャズ不況のためロサンゼルスに渡って成功しており、逆にロサンゼルス出身なのにこの時期にマックス・ローチと入れ替わりでニューヨークにやってきた変人がベーシストで作・編曲家のチャールズ・ミンガス(1922-1979)です。ミンガスはロサンゼルス巡業に来たマイルスとローチからパーカーの凋落を知り飛んできた義侠のジャズマンでした。

 さてマイルスは一時私生活の問題で引退同然でしたが、この頃にはMJQ、アート・ブレイキー(1919-1990)のジャズ・メッセンジャーズとともにニューヨークの黒人ジャズの希望の星となっており(モンクとミンガスはまだ不遇をかこっており、パウエルは精神病院への入退院をくり返していました)、翌'55年のコルトレーン(1926-1967)を含む初のレギュラー・クインテット結成に向けて、大手コロンビア移籍のために、インディー・レーベルのプレスティッジの専属契約分の録音を精力的にこなしていました。'54年には地方のホテルのラウンジに出張してビリー・ホリデイと交替制のバンドの仕事を勤め、ビリーのレパートリーからスタンダード曲へのアプローチをじかに学ぶ機会を得ます。'54年最後の仕事はプレスティッジの録音セッションで、クリスマスイヴの日にニューヨークのスタジオより格安で録音できる近郊ニュージャージーのアマチュア録音技師、ルディ・ヴァン・ゲルダーの自宅スタジオに出向いて行われました。当時プレスティッジと契約していたミルト、モンク、ヒース、クラーク(MJQからルイスを抜いてモンクが代役の編成)のオールスター・クインテットです。プレスティッジのいつもの方針でリハーサルなし・打ち合わせなしの一発録音、曲目もその場で決める段取りです。この日は2枚分の10インチLP(AB面各10分)がノルマでした。マイルス、ミルト、モンクとソロイストも3人いるので1曲10分弱で4曲仕上げようということになり、まずミルト作のブルース「Bag's Groove」、次にモンク作の「Bemsha Swing」、3曲目にビリー直伝の「The Man I Love」、次にマイルス作の「Swing Spring」が録音されました。あと30分ほど時間があったので出来は良かったがもっと良くなりそうな「Bag's Groove」テイク2と、最後の残り時間でモンクがいまいちだった「The Man I Love」テイク2が録音されました。ところがモンクがテイク1よりもっとたどたどしく、4分台のピアノ・ソロでは4小節ソロを止めてしまいます。マイルスがトランペットでせっつきモンクはソロの続きを何とか弾ききり、これがプレスティッジでのモンクの最終録音になりました。10インチLP『Miles Davis All Stars (Vol. 1)』『Miles Davis All Stars (Vol. 2)』(各'55)ではOKテイク4曲がリリースされましたが、12インチLP『Bag's Groove』と『Miles Davis And The Modern Jazz Giants』では、未発表だった「Bag's Groove」テイク2と「The Man I Love」テイク2が初収録されます。以来モンクのソロが途中で止まってしまう「The Man I Love」テイク2はテイク1よりスリリングと人気のヴァージョンになりました。前代未聞の没テイク、「The Man I Love」テイク2をぜひお聴き下さい。
f:id:hawkrose:20200319175236j:plain
Miles Davis All Stars - The Man I Love (Take1) (from the album "Miles Davis All Stars Vol. 2", Prestige LP 200, 1955) : https://youtu.be/f13hyaCuU9U - 9:15
f:id:hawkrose:20200319175321j:plain
Miles Davis All Stars - The Man I Love (Take2) (from the album "Miles Davis And The Modern Jazz Giants", Prestige PRLP 7150, 1959) : https://youtu.be/EiDoZ5GYRqg - 7:57
Both Recorded at The Van Gelder Studio, Hackensack, New Jersey, December 24, 1954

[ Miles Davis All Stars ]

Miles Davis - trumpet, Milt Jackson - vibraphone, Thelonious Monk - piano, Percy Heath - bass, Kenny Clarke - drums