セロニアス・モンク・ウィズ・ジョン・コルトレーン (Jazzland, 1961)
セロニアス・モンク・ウィズ・ジョン・コルトレーン Thelonious Monk with John Coltrane (Jazzland, 1961) Full Album : https://youtu.be/F1ALT0vuS9M
Recorded in April 12, 1957/June 26, 1957/July, 1957
Released by Riverside Records, Jazzland-46 , Early October 1961
All selections by Thelonious Monk except as indicated.
(Side one)
1. Ruby, My Dear - 6:17
2. Trinkle, Tinkle - 6:37
3. Off Minor - 5:15
(Side two)
1. Nutty - 6:35
2. Epistrophy (Kenny Clarke, Monk) - 3:07
3. Functional - 9:46
[ Personnel ]
Thelonious Monk - piano, unaccompanied piano on "Functional" (April 12, 1957)
on "Ruby, My Dear," "Trinkle, Tinkle", "Nutty" (date unknown, July, 1957)
John Coltrane - tenor saxophone
Wilbur Ware - bass
Shadow Wilson - drums
on "Off Minor" and "Epistrophy" (June 26, 1957)
Ray Copeland - trumpet
Gigi Gryce - alto saxophone
Coleman Hawkins, John Coltrane - tenor saxophone
Art Blakey - drums
*
(Original Jazzland "Thelonious Monk with John Coltrane" LP Liner Cover & Side 1 Label)
本作の『セロニアス・モンク・ウィズ・ジョン・コルトレーン(Thelonious Monk and John Coltrane)』というタイトルは実は半分ハッタリなのですが、それにはけっこうややこしい事情があります。セロニアス・モンク(ピアノ・1917-1982)は麻薬所持容疑の冤罪で5年間ニューヨークのミュージシャン組合からジャズ・クラブ出演を謹慎処分され、数少ないレコード発売で糊口をしのいでいましたが(母堂と夫人が家計を支えていました)、モンクと専属契約していながら仕事を干していたプレスティッジ・レコーズから、モンクの大ファンであるジャズ批評家オリン・キープニーズが経営していたリヴァーサイド・レーベルに移籍した1955年からアルバムの評価も高まり始めました。キープニーズはモンクの契約解除に伴う違約金までプレスティッジに支払って自社に迎え、プレスティッジ同様社長が一人で運営している弱小インディーズながら全力でモンクの新作のプロモートに勤め始めます。キープニーズはまずモンクのエキセントリックな自作曲は後回しにして、エリントン曲集『Thelonious Monk Plays the Music of Duke Ellington』(1955年録音)とオーソドックスなスタンダード集『The Unique Thelonious Monk』(1956年録音)の2組のピアノ・トリオ・アルバムを制作発売し、それらの好評を受けて制作された2管クインテット編成の、短いソロ・ピアノ以外は全曲オリジナルによる意欲作『ブリリアント・コーナーズ(Brilliant Corners)』(1956年録音)の発表で飛躍的に評価が高まり、ソロ・ピアノ集『Thelonious Himself』(1957)の頃にはジャズ界最注目ミュージシャンになっていました。モンクは20歳頃には若手ジャズマンとして頭角を現し、コールマン・ホーキンス(テナーサックス・1904-1969)らのバンドを経てブルー・ノート社から自作曲でデビューしたのは1947年でしたが、それから10年、40歳にしてようやくその実力を認められたことになります。
その後セロニアス・モンクはリヴァーサイド社から一連の傑作アルバムを発表、1962年には全米レコード会社最大手のコロンビア・レコーズに移籍してニューヨークから全国区に進出し、週刊誌『タイム』の表紙を飾った4人目のジャズマンにもなりました(モンク以前にはルイ・アームストロング、デューク・エリントン、デイヴ・ブルーベックのみで、モンクの後にはウィントン・マルサリスしかいません)。メジャーのコロンビアでモンクに求められたのは、インディー・レーベルのブルー・ノート、プレスティッジ、リヴァーサイドで発表してきたレパートリーの網羅的な再録音が優先され、新曲はアルバム毎に1、2曲、というものでした。モンクの名声を高めたのはリヴァーサイド時代のアルバムであり、コロンビア時代のアルバムは円熟期のモンクを示すものでしょう。リヴァーサイド時代のアルバムをリストにしてみます。
1. Thelonious Monk Plays the Music of Duke Ellington (1955)
2. The Unique Thelonious Monk (1956)
3. Brilliant Corners (1956 recording with Sonny Rollins, Ernie Henry and Clark Terry)
4. Thelonious Himself (unaccompanied solo piano, 1957)
5. Monk's Music (1957, with Coleman Hawkins, John Coltrane and Art Blakey)
6. Mulligan Meets Monk (1957, with Gerry Mulligan)
7. Thelonious in Action (1958, live at the Five Spot with Johnny Griffin)
8. Misterioso (1958, live at the Five Spot with Johnny Griffin)
9. The Thelonious Monk Orchestra at Town Hall (1959, Charlie Rouse joined the band then)
10. 5 by Monk by 5 (1959, with Thad Jones)
11. Thelonious Alone in San Francisco (unaccompanied solo piano, 1959)
12. Thelonious Monk at the Blackhawk (1960, with Harold Land and Joe Gordon)
13. Thelonious Monk with John Coltrane (1957 recordings, 1961 issue) – Inducted into the Grammy Hall of Fame in 2007.
14. Monk in France (recorded in 1961)
15. Thelonious Monk in Italy (recorded 1961, released 1963)
上記リストのうち13と14、15はモンクのコロンビア移籍が決定してからの発売で、14と15は新作の録音を拒否したモンクのマネジメント側(マイルス・デイヴィスと同じハロルド・ラベット)がヨーロッパ公演のライヴ録音を契約満了のためリヴァーサイド社に送りつけてきたものでした。キープニーズは直接モンクと新作の交渉をしようとしましたが、モンクはすべてをコロンビアとの契約を取りつけてきた敏腕マネジャーに任せきりにしてリヴァーサイド社に見切りをつけました。しかしリヴァーサイド社には最後の切り札がありました。それが未発表録音集『セロニアス・モンク・ウィズ・ジョン・コルトレーン』で、発表は1961年10月上旬ですが、録音された1957年にはまだマイルスやモンク門下の新進有望テナー奏者程度の認知度だったジョン・コルトレーンは、1961年10月にはマイルスやモンクと並ぶ一流ジャズマンとして時の人になっていました。
1959年8月発売のマイルス・デイヴィス『Kind of Blue』への一時参加を最後にマイルスのバンドから独立したコルトレーンはアトランティック・レコーズから『Giant Steps』(1960年1月発売)、『Coltrane Jazz』(1961年2月発売)、『My Favorite Things』(1961年3月発売)と話題作を連発、特に『My Favorite Things』はタイトル曲が異例のシングル・ヒットとなります。アトランティックはワーナー・ブラザース社傘下の黒人音楽レーベルでしたが、コルトレーンの人気に目をつけた大手のABCパラマウント社は新しく設立したジャズ・レーベルのインパルス!にコルトレーンを看板アーティストとして迎えます。そのインパルス移籍第1作『Africa/Brass』は鳴り物入りで61年11月に発売されました。お蔵入りになっていた4年前の録音とはいえ、『セロニアス・モンク・ウィズ・ジョン・コルトレーン』は1961年10月に発売されるや全ジャーナリズムからジャズ史に残る名盤とされ、以来その評価は揺るぎなく、2007年(録音50周年)にはグラミー賞の殿堂入りアルバムに表彰されました。
冒頭で触れたモンクのクラブ出演謹慎処分は、リヴァーサイドからのアルバムの好評や批評家や組合員の働きかけで1957年にようやく解除されました。モンクはテナーサックス+ピアノ・トリオのカルテット編成を望んでいました。その頃ジョン・コルトレーンは1955年から加入していたマイルス・デイヴィスのバンドをクビになっていました。コルトレーンがマイルスのバンドの在籍中に、コルトレーンが楽屋でマイルスに鉄拳制裁を受けている現場にたまたま訪ねてきたモンクが割って入り、マイルスのバンドなんか辞めて自分のバンドに来い、と誘った経緯もありました。これはマイルス自身が晩年の自伝で証言しています。マイルスの鉄拳制裁はコルトレーンの酒癖が悪く、飲酒してステージに上がるからでしたが、コルトレーンは禁酒してモンクのカルテットに加入することになり、7月に始まった週6日のクラブ出演はモンク人気の上昇とジャズ雑誌や一般誌からの大絶賛で飛び飛びに12月までの半年のロングラン公演になりました。コルトレーンもこの間に初リーダー作『Coltrane』をプレスティッジ・レコーズからリリースしており、マイルスのカルテットではまだ力量について評価の定まっていなかったコルトレーンも、モンクのカルテットでようやく有望な新進テナーとの定評を得ました。
リヴァーサイドのキープニーズは当然このカルテットのスタジオ録音を企画しましたが、アルバム半分相当になる3曲を録音したもののコルトレーンが参加を渋りました。コルトレーンはプレスティッジとの専属契約があり、先約には57年9月に録音予定のブルー・ノート社とのワンショット契約アルバム『Blue Trane』もあって、『Blue Trane』はプレスティッジの拙速セッションではできないオリジナルで固めた勝負作でもありました。プレスティッジは曲の著作権まで買い取りだったので、コルトレーンはあえてプレスティッジではオリジナル曲を録音せず移籍後までストックしていたほどです。アトランティック移籍後はコルトレーンはほぼ毎回オリジナル曲で固めたアルバム制作に移り、スタンダード曲は狙いを定めたものしか取り上げなくなります。翌1958年にはマイルスは再びコルトレーンを呼び戻したので、モンクはリヴァーサイド専属のジョニー・グリフィン(元ジャズ・メッセンジャース)をテナーに迎えましたが、その頃には1957年のコルトレーン入りカルテットの演奏は伝説化しつつありました。
1993年にコルトレーン元夫人の録音したライヴ・テープが発見されましたが、当初1957年夏の録音とされた同ライヴは1958年のステージでグリフィンの代役にコルトレーンが参加したものと判明しました。2005年には国会図書館の記録テープでカーネギー・ホールの黒人音楽祭に1957年のモンク・カルテットが出演したライヴが発見されました。どちらも発見されてすぐにCD発売されましたが、前者は1958年メンバー、後者はクラブ出演とは大きく異なる演奏環境で、1957年カルテットのクラブ出演の衝撃的(だったらしい)演奏を伝えるものとは言えません。1957年のコルトレーン入りモンク・カルテットが正式にスタジオ録音したのは日付不明の57年7月の3曲、この「Ruby, My Dear」「Trinkle, Tinkle」「Nutty」の本作収録ヴァージョンしかありません。曲はいずれもモンク自身のピアノ・トリオで初演されていた既成曲で、「Ruby~」は1947年にブルー・ノート、「Trinkle~」は52年・「Nutty」は54年にプレスティッジに録音されていました。「Nutty」は主旋律と副旋律が応答するテーマなのでピアノ・トリオよりもテナーサックス入りの方がキャッチーですが、1958年のライヴ盤『Misterioso』のジョニー・グリフィンのくつろいだ演奏に較べるとコルトレーン参加時のヴァージョンは生硬に聞こえます。またテーマ・メロディーにも変更が見られます。「Trinkle~」の打楽器的テーマはテナー入りよりピアノ・トリオの方が自然で、テナー入りのヴァージョンはライヴならともかくスタジオ録音では、テナーとピアノがもつれあう無茶なテーマ・アンサンブルを楽しむような、まだよく練れているとは言えないアレンジです。
このアルバムは3曲ではアルバムにならないので、コルトレーンも参加した1957年6月録音の『Monks Music』セッションからの没テイクが「Off Minor」と「Epistrophy」の2曲足してあります。同アルバムはオールスター・セッションでトランペット、アルトサックス、2テナーの4管セプテットですが、テナーサックスの父ことモンクの青年時代のボスでもあるコールマン・ホーキンスをフィーチャーしており、「Off Minor」はコルトレーンのソロはありません。「Epistrophy」はコルトレーンの先発ソロの直後に中断した没テイクを、完奏テイクにつなげて編集したテイクが収められています。『Monk's Music』にもホーキンスの1ホーンで「Ruby, My Dear」が収められており、本作収録のコルトレーン版の同曲と比較すると新旧世代ならではの違いを楽しめます。それでも収録時間が短いので、本作にはソロ・ピアノ作品『Thelonious Himself』1957から1曲、モンクの自作ブルース「Functional」の未発表のテイク1を加えています(つまりこの曲ではコルトレーン不参加です)。通常ブルースはAAB=12小節かAAB+AAB=24小節ですが「Functional」はAAB+A'A"B'=24小節と異なるブルース2曲を合体させた作りで、事前に作曲されていない即興ブルースと思われます。よって展開の練れたテイク2が『Thelonious Himself』に採用されていました。テイク1でも同一のAABが反復されないブルース、というこの曲の中心になっているアイディアは十分にわかります。
以上のような別々のアルバム用の3セッションからの未発表曲の寄せ集めアルバムが本作で、リヴァーサイド社も遠慮してサブ・レーベルのジャズランドからリリースしたほどなのですが、ひょっとしたら数あるリヴァーサイドでの傑作もブルー・ノート、プレスティッジ、コロンビアの全時代のモンク作品でも屈指の高評価、ジャズ史の里程標的名作とされているのは、やはりコルトレーン入りカルテットの唯一の公式録音がアルバムの核になっているからでしょう。カルテット録音に先立つ『Monk's Music』はコルトレーン参加とはいえホーキンスとアート・ブレイキーがフィーチャーされ、才人ジジ・グライス(アルトサックス)とレイ・コープランド(トランペット)による4管アレンジが聴きどころのアルバムでした。その『Monk's Music』ではコルトレーンのソロが聴けるのは「Epistrophy」だけなので、この別テイクでも「Off Minor」ではコルトレーンはテーマ・アンサンブルのみの演奏です。逆に「Epistrophy」は前述の通り中断テイクを編集でつないだもので、この別テイクではホーキンスのソロはありません。完奏テイクは『Monk's Music』で聴けますが、この曲はプレイヤー泣かせの難曲のためホーキンス、ブレイキー、何より率先してモンク自身がコード進行を見失ってしまって大変な演奏になっており、かえってコルトレーンが正確に小節構成を押さえた冷静な演奏を聴かせてくれます。オリジナル・アルバムというより没テイクのコンピレーションである本作が録音50周年を記念したグラミー賞の殿堂入りアルバムを表彰されたのは、モンクとコルトレーンの業績を改めて讃えたい現代ジャズ界からの声が反映されたのでしょう。本作を殿堂入りさせればモンクとコルトレーンまとめて表彰できるという割と都合の良い受賞だったと思われます。確かにモンクとコルトレーンから学んでいないジャズマンなど今では考えられませんが、それはあくまでProfessional Ratingであり、ビ・バップ系列のモダン・ジャズはポピュラー音楽全般でもごく一部のリスナーにしか聴かれていない、という現状があります。この拾遺集アルバムはモンクを聴くにもコルトレーンを聴くにも食い足りない落ち穂拾い的作品ですが、その力みのなさにかえって親密な味わいがあり、モダン・ジャズの心の故郷みたいなのどかさがあります。テナーサックスのソロのバックではほとんどピアノを弾かないモンク・カルテットのスタイルはもう出来上がっています。このカルテット録音が日付不明なのはリハーサルを兼ねたテスト録音だったからとも推定され、コルトレーンのプレスティッジとの契約上、リヴァーサイド社のキープニーズも録音当初はアルバム・リリースを諦めていたようです。本格的にリリース前提でセッションが組まれたらさらに2~3曲が録音され、本作収録分の3曲も複数テイクが録音されたとしても、雰囲気はかなり異なっただろうと想像されます。だとしたら本作にはリハーサル録音や没テイクならではの好ましい緩さがあり、時たま聴き返すたびに拍子抜けするのも本作ならではの愛嬌かもしれません。
(旧稿を改題・手直ししました)