人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

鮎川信夫「白痴」「Who I Am」

(鮎川信夫<大正9年=1920年生~昭和61年=1986年没>)
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白痴  鮎川信夫

ひとびとが足をとめている空地には
瓦礫のうえに材木が組立てられ
鐘の音がこだまし
新しい建物がたちかけています
やがてキャバレー何とか
洋品店何とかになるのでしょう
私はぼんやりと空を眺めます
ビルの四階には午後三時から灯がともり
踊っている男女の影がアスファルトに落ちてきます

私は裏街を好みます
そこにはジャズがぼそぼそとながれ
むかし酒場で知りあった女が
あまり感心しない生活をしています
無意味な時代がしずかに腐敗しています
ある冬の晴れた日に
私はゆっくり煙草をふかしながら
そこを通ってゆきました
私の立派な人生には
いつもそんな汚い路地があって
破れた天井の青空が
いつもいくらか明るいようです

日が暮れかかると
劇場は真黒な人を吐き出します
ふるえる電線の街の
灰色の建物のしたを孤独な靴音が
もみあうおびだだしい影をぬってゆきます
その孤独のこだまのなかには淋しさの本質がちょっぴりあります
十字路には警官が立っていて
これが本当の東京の街路ですが
この街のどこもかしこも
光りの痕跡が小さくなってゆくようです
つかれているのは私ばかりではありません
指輪や装身具の飾ってあるショーウィンドをのぞいて
うつくしく欠伸をしている女がいます
その横顔をぬすみ見ている紳士がいます

春のころ代議士候補が
サラリーマンや労働者を相手に
よく政府の悪口を言っていた広場には
サーカスの看板がこがらしに吹かれています
街路樹の枯枝に
小鳥がとまっていることも見のがせません
サーカスのむすめの写真をながめながら
私はかるい舌うちをしました
もちろん誰にも聞えるきづかいはありません
どうやら私は今年も結婚しそこねたようです

これから私は何をしたらよいのでしょうか?
ひとびとのうしろに行列して夕刊を買い
今日の出来事を
昨日のように読みすてましょうか?
そしてニュースが私を読みすてたら
茶店でコーヒーをのみ
それからあとの計画は
一杯のコーヒーをまえにして考えようと思うのです
一人の若いウェイトレスが
たまたま可愛いい瞳をしていたからといって
少しばかり恥をかくようなことがなければよいのです

(初出『荒地詩集一九五一年版』昭和26年=1951年・『鮎川信夫詩集』昭和30年=1955年収録)

Who I Am  鮎川信夫

まず男だ
これは間違いない

貧乏人の息子で
大学を中退し職歴はほとんどなく
軍歴は傷痍期間も入れて約二年半ほど
現在各種年鑑によれば詩人ということになっている

不動産なし
貯金は定期普通預金合わせて七百万に足りない
月々の出費は切りつめて約六十万
これではいつも火の車だ

身長七十四糎体重七十瓩はまあまあだが
中身はからっぽ
学問もなければ専門の知識もない
かなりひどい近視で乱視の
なんと魅力のない五十六歳の男だろう
背中をこごめて人中を歩く姿といったら
まるで大きなおけらである

ずいぶんながく生きすぎた罰だ
自分でもそう思い人にもそう思われているのに
一向に死ぬ気配を見せないのはどうしたわけか
とことんまで生きる気なんだおまえは
罰を受けつづけることに満足を覚えるマゾヒストなんだおまえは

どうしようもないデラシネ
故郷喪失者か
近親相姦者か
パラノイアック・スキゾフレニック症
近代人のなれの果て
電話の数字にもふるさとを感じ
おまえをおとうさんと呼んでいる娘を裸にし
おもちゃにすることもできるのである

世上がたりに打明ければ
一緒に寝た女の数は
記憶にあるものだけでも百六十人
千人斬りとか五千人枕とかにくらべたら
ものの数ではないかもしれないが
一体一体に入魂の秘術をつくしてきたのだ

有難いことにどんな女にもむだがなかったから
愛を求めてさまよい
幻の女からはどんどん遠ざかってしまった

はじめから一人にしておけばよかったのかもしれない
悲しい父性よ
おまえは誰にも似ていない

自分を思い出すのに
ずいぶん手間暇のかかる男になっている

(初出「現代詩手帖」昭和52年=1977年新年号・詩集『宿恋行』昭和53年=1978収録)


 鮎川信夫(東京生れ・大正9年1920年生~昭和61年=1986年没)にはあまり話題にされませんが好ましい佳篇がいくつもあります。「荒地」同人編『荒地詩集一九五一年版』収録の鮎川詩集は「死んだ男」「アメリカ」「白痴」「繋船ホテルの朝の歌」「橋上の人」の5篇で、「死んだ男」「アメリカ」「繋船ホテルの朝の歌」「橋上の人」はいずれも鮎川の代表作となった作品です。このなかで「白痴」は力作4篇にあって箸休めのようにも見えます。ですが、この詩を単独で読むと実にしみじみと良い詩なのが沁みてきます。一方で、それから25年を経た昭和52年(1977年)の「現代詩手帖」新春号の巻頭を飾り、センセーショナルな話題を呼んだ異色作が「Who I Am」です。特に「世上がたりに打明ければ/一緒に寝た女の数は/記憶にあるものだけでも百六十人」の3行が話題になりました。その真偽はともかくとしても、「Who I Am」のきびきびとした行文から弾ける自虐的ユーモア、先が読めない展開、セクシュアルな話題の突拍子もない挿入と大仰な表現からみなぎるイロニー、萎んだように詩を収束して初老の倦怠・疲労感を表現する鮮やかさは、内容的には「白痴」と対照をなしていながらともに融通無碍に一筆書きで確かな手応えを残す名人芸の観があり、さすがの手並みというしかありません。

(旧稿を改題・手直ししました)