人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ザ・モップス The Mops - サイケデリック・サウンド・イン・ジャパン Psychedelic Sounds in Japan (Victor, 1968)

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ザ・モップス The Mops - サイケデリックサウンド・イン・ジャパン Psychedelic Sounds in Japan (Victor, 1968) : https://www.youtube.com/playlist?list=PLF37626A2ECD3D2DF
Released by 日本ビクター Victor SJV356-PERFECT SOUND 6, April 1968
Arranged By The Mops (tracks: A2 to A5, B1 to B6) except noted.
(Side A)
A1. 朝まで待てない (Lyrics by 阿久悠/Music & Arranged by 村井邦彦) - 3:14
A2. サンフランシスコの夜 (Lyrics & Music by B.Jenkins, D.McCulloch, E.Burdon, J.Weider, V.Briggs) - 3:59
A3. アイ・アム・ジャスト・ア・モップス (Lyrics & Music by 鈴木ひろみつ, 星勝) - 3:01
A4. 孤独の叫び (Lyrics & Music by A.Lomax, C.Chandler, E.Burdon, J.Lomax) - 5:53
A5. あの娘のレター (Lyrics & Music by W.C.Thompson) - 2:18
A6. ブラインド・バード (Lyrics by 阿久悠/Music & Arranged by 村井邦彦) - 2:59 *not included
(Side B)
B1. あなただけを (Lyrics & Music by D.Slick) - 2:48
B2. ベラよ急げ (Lyrics by 阿久悠/Music by 大野克夫) - 2:33
B3. ホワイト・ラビット (Lyrics & Music by G.Slick) - 2:47
B4. 朝日よさらば (Lyrics by 阿久悠/Music by 村井邦彦) - 2:29
B5. ハートに火をつけて(Lyrics & Music by The Doors) - 6:05
B6. 消えない想い (Lyrics by 阿久悠/Music & Arranged by 村井邦彦) - 3:15
[ Personnel ]
鈴木ヒロミツ - vocals
星勝 - lead guitar, vocals
三幸太郎 - side guitar
村上薫 - bass guitar
スズキ・ミキハル - drums

前回、東芝リバティ移籍後2作目になる『御意見無用(いいじゃないか)』1971をご紹介したところ、履歴を見ると閲覧してくださった方がたいへん多かった。この時代の日本のロックはいまだに評価が定まらない作品も多く、ある程度の知名度があってもなかなか手を出すには思い切りがいる。日本でもやはりロックの移入はエルヴィス・プレスリー影響下のソロ・シンガーたちで、当初ロカビリーはカントリー&ウェスタンから派生したと思われていた。エルヴィスはリズム&ブルースをカントリー&ウェスタンのスタイルで歌唱・演奏したので間違いではないが、エルヴィスの人気もブームを過ぎるとアメリカ本国でもロックはポール・アンカのようなティーン向けポップスやザ・ヴェンチャーズに代表されるギター・インストルメンタル・バンドに変質する。
そんな具合にむしろエルヴィス以前のポピュラー・スタイルと折衷しながら細々と続いていたロックを、ヴォーカル担当者も楽器担当者も同等のバンド・サウンドでやってのけて本質的にポピュラー音楽の主流に切り込んだのが、本来ロックの原産国ではないイギリスからのザ・ビートルズのデビューだった。
(Original Japan Victor "Psychedelic Sounds in Japan" LP Liner Cover)

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 いや、実はアメリカ本国でもザ・ビーチ・ボーイズも同じことをやって数か月前にデビューしていた。ビートルズと表裏一体だったのはザ・ローリング・ストーンズではなくビーチ・ボーイズだったのだが、では日本ではビートルズのブレイク以降ロックはどんな具合に演奏されたかというと、ビートルズ出現前のアメリカのロックの音楽性を引きずったまま、ビートルズ、またはストーンズ風に演奏するのが大半のバンドのスタイルだった。つまり歌はポップス、演奏はギター・バンドというのが日本のロックがグループ・サウンズ(GS)と呼ばれた時期(1966年~1969年)の主流になる。
GS最大のヒット曲はジャッキー吉川とザ・ブルー・コメッツの「ブルー・シャトー」で1967年のレコード大賞受賞曲(150万枚)だが、ブルコメはロカビリー時代からソロ・シンガーのバックで定評あるプロ中のプロ集団だった。GSの典型かつ最高の人気グループはザ・タイガースで、人気のピークは「君だけに愛を」「銀河のロマンス c/w 花の首飾り」(7週連続1位・70万枚)「シー・シー・シー」(6週連続1位)とヒットを連発、日本人アーティストとしては初のスタジアム公演(後楽園球場=現東京ドーム)を成功させた1968年だった。
(Reissued Japan Victor "Psychedelic Sounds in Japan" LP Side1 Label)

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 だが当時GSでなく、真に欧米ロックと同じ精神的背景を持っていたのは、フォーク・ソングのアマチュア大学生グループから出てきたザ・フォーク・クルセダーズとジャックスだった。フォークルは京都で結成され、発売2か月で100万枚のヒットになった「帰って来たヨッパライ」(1967年12月発売)はメジャーの東芝音工から発売されたがもともと自主制作盤で出されたもので、大学生の宅録が最終売上280万枚など空前絶後と言うしかない。洋楽のエッセンスを徹底的に摂取したフォークルに対し、ジャックスは東京出身で深い洋楽の素養を持ちながら完全に洋楽要素を排した異様な音楽性で異彩を放っており、フォークル、ジャックスともに前世代のカレッジ・フォークとは明らかに異質の反逆性を持っていた。1968年はフォークルの『紀元貮阡年』(7月)、ジャックスの『ジャックスの世界』(9月)によってグループ・サウンズの次の時代が予告されたと言える。
フォークルやジャックスほど屈折や真のオリジナリティには到達できなかったが、真剣にビートルズストーンズの音楽に迫ろうとしていた好ましいグループ・サウンズのバンドのアルバムもブルー・コメッツ、ザ・スパイダーズの両巨頭バンドを始めとして決して乏しくない。単発~数枚のシングル発売にとどまったバンドでもレコード発売にこぎ着けただけの勢いが楽しめるものが少なからずあり、アルバム制作まで届いたバンドは数少ない分、グループ・サウンズの商業的制約の中では限界まで可能性が試行されていたと評価されるべきだろう。
(Reissued Japan Victor "Psychedelic Sounds in Japan" LP Side2 Label)

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 モップスのデビュー作の紹介にグループ・サウンズの概括から始めているのは、このデビュー作はモップス唯一のグループ・サウンズ時代のアルバムだからでもある。日本の自作自演ロックのアルバムの嚆矢は加山雄三&ザ・ランチャーズ『加山雄三のすべて~ザ・ランチャーズとともに』1966.1でエレキ・インストが半数を占めるが、同年4月にはザ・スパイダーズが全曲ヴォーカル入りオリジナルのデビュー・アルバムを発表、ブルー・コメッツのGSとしての初アルバムは同年9月発売される。寺尾聰在籍のザ・サヴェージのデビュー・アルバムが同年12月で、ここまではビートルズ以降の日本のロック第1世代のグループといえる。
翌67年にはザ・ワイルドワンズザ・タイガース、ザ・テンプターズなど歌謡性・アイドル性の高いバンドが次々とアルバム・デビューを果たす。1968年はもう爛熟で、ザ・カーナビーツザ・ジャガーズゴールデン・カップス、ハプニングス・フォー、ザ・ダイナマイツらと並んでモップスもデビューしたが、前年までのグループ・サウンズよりはっきりと洋楽ロックに対応できる音楽性を追求しており、タイガースですらフォークルに刺激されアート性の高いコンセプト・アルバムに挑戦している。だが68年末にデビューしたオックスは初期タイガースをさらにアイドル化したような路線で一躍人気グループになった。そしてこれらのバンドのほとんどが1969年からは急激に失速・解散を余儀なくされる。

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 モップスはギタリスト星勝を中心とした高校生のエレキバンドに、メンバーの兄がヴォーカリストとして加入(この辺の自然発生的結成がビーチ・ボーイズと似ている)して活動するや間もなく芸能プロダクションにスカウトされ、事務所側のアイディアで日本初のサイケデリック・ロック・バンドとして売り出された。ひと月早いデビュー・アルバム『ザ・ゴールデン・カップス・アルバム』1968.3でずば抜けた存在感を発揮したゴールデン・カップスは当時の流行でロックより最先端かつ本格的とされた「R&B」のバンドとして売り出されたが、カップスとモップスはまったく同期に隣りあった音楽性で出てきた。この際年表にする方が早い。

加山雄三&ザ・ランチャーズ『加山雄三のすべて~ザ・ランチャーズとともに』1966.1
・田辺昭知とザ・スパイダース『アルバムNo.1』1966.4
ジャッキー吉川とザ・ブルー・コメッツ『青い瞳/青い渚 ブルー・コメッツ・オリジナル・ヒット集』1966.9
・ザ・サヴェージ『この手のひらに愛を』1966.12
ザ・ワイルドワンズザ・ワイルドワンズ・アルバム』1967.6
寺内タケシとバニーズ『レッツゴー「運命」』1967.9
・アウト・キャスト『君も僕も友達になろう』1967.11
ザ・タイガースザ・タイガース・オン・ステージ』1967.11
ザ・ジャガーズ『ファースト・アルバム』1968.2
ザ・カーナビーツ『ファースト・アルバム』1968.2
・ザ・ブルー・コメッツ『ヨーロッパのブルー・コメッツ』1968.2
・ザ・ヴィレッジ・シンガース『グループ・サウンズの貴公子』1968.3
ザ・ゴールデン・カップスザ・ゴールデン・カップス・アルバム』1968.3
ザ・ダイナマイツ『ヤングサウンドR&Bはこれだ』1968.4
・ザ・モップスサイケデリックサウンド・イン・ジャパン』1968.4
ザ・タイガース『世界はボクらを待っている』1968.5
・ザ・テンプターズ『ファースト・アルバム』1968.6
ザ・ビーバーズ『ビバ・ビーバーズ』1968.6
ザ・ハプニングス・フォー『マジカル・ハプニングス・トゥアー』1968.7
・ザ・ボルテイジ『R&Bビッグヒット』1968.8
ザ・スパイダース『明治百年・すぱいだーす七年』1968.10
ズー・ニー・ヴーR&Bベスト・ヒット』1968.10
・タイガース『ヒューマン・ルネッサンス』1968.11
・オックス『ファースト・アルバム』1968.12
・パープル・シャドウズ『小さなスナック』1968.12
・ザ・テンプターズ『5-1=0』1969.2
・オックス『テル・ミー/オックス・オン・ステージNo.1』1969.3
ザ・ジャガーズ『セカンド・アルバム』1969.6
・ザ・テンプターズ『ザ・テンプターズ・オン・ステージ』1969.7
ザ・ゴールデン・カップス『スーパー・ライヴ・セッション』1969.8
ズー・ニー・ヴー『ゴールデン・ズー・ニー・ヴー』1969.11
ザ・ハプニングス・フォーアウトサイダーの世界』1970.7
ザ・タイガースザ・タイガース・アゲイン』1970.9
ザ・タイガース『自由と憧れと友情』1970.12
ザ・ゴールデン・カップス『フィフス・ジェネレーション』1971.1
・ザ・テンプターズ『ザ・テンプターズ・アンコール』1971.1
ザ・タイガースザ・タイガース・サウンズ・イン・コロシアム』1971.2
ザ・タイガースザ・タイガース・フィナーレ』1971.7

このGS代表アルバム年表に、ポストGSと言うべきアルバム系列として、
ザ・フォーク・クルセダーズ『紀元貮阡年』1968.7
・ジャックス『ジャックスの世界』1968.9
・ザ・バーンズ『R&Bイン・トーキョー』1969.2
・パワーハウス『ブルースの新星』1969.4
・ザ・ヘルプフル・ソウル『ソウルの追求』1969.4
岡林信康『私を断罪せよ』1969.8
エイプリル・フールエイプリル・フール』1969.10
ブルース・クリエイションブルース・クリエイション』1969.10
・ジャックス『ジャックスの奇蹟』1969.10
かまやつひろしムッシュー/かまやつひろしの世界』1970.2
岡林信康『見る前に跳べ』1970.6
モップス『ロックン・ロール'70』1970.6
はっぴいえんどはっぴいえんど(ゆでめん)』1970.8
・サムライ『河童』1971.3
フラワー・トラベリン・バンド『SATORI』1971.4
モップス『御意見無用』1971.5
ストロベリー・パス『大烏が地球にやってきた日』1971.6
・スピード・グルー&シンキ『前夜』1971.6
・トゥー・マッチ『Too Much』1971.7
ブルース・クリエイション『悪魔と11人の子供たち』1971.8
・サムライ『侍』1971.8
ザ・ハプニングス・フォー『引潮・満潮』1971.8
PYGPYG』1971.8
はっぴいえんど『風街ろまん』1971.11
PYG『Free with PYG』1971.11
フラワー・トラベリン・バンド『Made in Japan』1972.2
フライド・エッグ『ドクター・シーゲルのフライド・エッグ・マシーン』1972.3
頭脳警察頭脳警察2』1972.6

を重ねると、グループ・サウンズの全盛期は本当に短く、結局は新しい英米ロックのトレンドにスライドしたか、あえて英米ロックと距離を置くかに分かれて、GS時代の音楽的試行が順当に後継されたとは言いがたい。タイガースとカップスほど対照的なバンドはないが、ともにぎりぎりまでグループ・サウンズ時代のかっこよさに殉じたのは共通する。モップスはGSとしては華に欠けていたのでビクターからのGS時代はシングル3枚とアルバム1枚しか残せなかったが、逆に同等以上に実力派のカップスやハプニングス・フォーですら果たせなかった脱GS化に成功した、70年代唯一のGS出身バンドになった。スパイダース、タイガース、テンプターズからのピックアップ・スーパーグループだったPYGですらスタジオ盤1枚、2枚組ライヴ1組しか続かなかったほどGS出身者は時代とズレてしまったのだが(ブルー・コメッツはメンバー・チェンジして完全な歌謡曲グループになっていた)、GS全盛期にはせいぜい通好みグループだったモップスだけが生き延びたのは実力だけでは説明がつかない。
鈴木ヒロミツのヴォーカルの力量、ギタリストにとどまらない星勝のトータルな音楽的才能、と数えてみても、モップスはフォークルやジャックスのように真に革新的な音楽をやっていたのではなかった。だがGSの中では洋楽を自然に消化して、外部ライター提供の日本語歌詞のオリジナル曲と英語詞のままの洋楽カヴァーを同等に違和感なく演奏できる資質があり、その感覚がモップスを1970年代まで生き延びさせた、と言えるかもしれない。また、グループ・サウンズ時代のヴォーカリストのほとんどは特定の音程が正確に発声できない癖があり(タイガース、テンプターズジャガーズに顕著、またカップス、ハプ4、ジャックスも)、つまり西洋音階を会得していなかったのだが、鈴木博三は正確な音程で歌える数少ないヴォーカリストだったのは意外と見過ごされている。

このアルバムに収録された洋楽ロックのカヴァーの内訳はこうなる。
・San Franciscan Nights (Eric Burdon & the Animals)
・Inside Looking Out (Eric Burdon & the Animals)
・The Letter (The Box Tops)
・Somebody To Love (Jefferson Airplane)
・White Rabbit (Jefferson Airplane)
Light My Fire (The Doors)
アニマルズ曲の出来がずば抜けているのは、もともと鈴木ヒロミツの嗜好がエリック・バードンのヴォーカルにあったのにもよる。ボックス・トップスの1967年の年間No.1ヒット「あの娘のレター」も鈴木ヒロミツのヴォーカルで原曲より激しい。ジェファソン・エアプレインとドアーズのカヴァーは星勝が歌っているが、サイケを強調したアルバム制作のためのレパートリーと思われ、ライヴで練られた形跡がないのがリズムの緩みから推察できる。モップス最高の演奏力はアニマルズ・ナンバー2曲、特に「孤独の叫び」の凄まじいインタープレイに現れており、ブルース・ロックがサイケデリアを通過してヘヴィ・ロックというヴァリエーションを生んだ時代的過程を日本のバンドではもっともよく表した例となっている。

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 アニマルズの「孤独の叫び」をカヴァーした流儀は阿久悠作詞・村井邦彦作曲のシングル用提供曲「朝まで待てない c/w ブラインド・バード」「ベラよ急げ c/w 消えない思い」、大野克夫作曲の「朝日よさらば」にも表れており、日本語詞でこれほど激しいサウンドを出していた先例はアウト・キャストくらいしかいないが、アウト・キャストには多分にサウンド設計の勘違いに由来するような不安定さがあった。「ブラインド・バード」は歌詞の問題で自主規制され2014年のリマスターCDまで再発売から除外されており、リンクも引けなかったので申し訳ないが、デビュー・アルバムの日本語詞曲では群を抜いてヘヴィな曲だった。後にこの曲からバンド名をとったと覚しいバンドがおり、1971年7月発売のオムニバス・アルバム『ロック・エイジ・コンサート』(ワーナー・パイオニア)収録の1曲しか残していないが、もしフルアルバムを制作していたら70年代初頭の日本のロックのモンスター・アイテムになっていただろう。ブルー・チアー、MC5直系のヘヴィ・ロックをやっているが、意図せずしてモップスアメリカのヘヴィ・ロック勢と同時に似たような音楽にたどり着いていた。これはフォークルやジャックス、はっぴいえんどとはまったく関係ない方向に日本のロックが進んだ可能性を示すものでもある。

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Blind Bird - Kick the World (1971) : https://youtu.be/P9L91Mxfpgg