今回も軽い話題でいきます。このブログはもともと12年ほど前に、当時あったヤフーブログで始めて、ヤフーブログの廃止でこちらのブログに移ってきたのですが、ヤフーブログを始めた当初に簡単なコラムにしたら大きな反響があり、書いて載せた筆者の方が面喰らったというネタです。というよりは、文中で軽く触れたら本題よりもついでに出した例の方が反響があったというものでした。
12年前というと青年層のベストセラー小説はライトノヴェル(これを「ラノベ」と略して平気な風潮が、ヴォーカロイドを「ボカロ」、ヴォーカルを「ボーカル」と、B音とV音を混同して表記する、または何でも四文字に略す風潮の定着を促進しました。「エレベーター」や「プラットホーム」のように古くから定着した名詞と較べてもこれは問題で、その伝で言えば「ベートーヴェン」が「ベートーベン」と原綴のB音とV音の区別がつかない表記になってしまいます)にすっかり移っていましたが、筆者が話題にしたのは「ラノベ」の匿名性や集団創作性で、マルチメディア展開とマーケティング戦略で成り立つそうした創作には古典的な作者概念はもう当てはまらないのだろうけれど、創作物とは個人作者の個性の反映という作者概念自体が18世紀末~19世紀初頭のロマン主義から20世紀全般のモダニズムまでのせいぜい200年間くらいの現象で、昔々にさかのぼればヴェルゲリウスやダンテ、近松門左衛門のように個人作者の特定できるものはごく例外で、『旧約聖書』も『新約聖書』も伝承聖典のアンソロジーなら唐文学も『千夜一夜物語』も『源氏物語』も『平家物語』も中世フレスコ画もシェイクスピアも西鶴もほとんどロマン主義以前の文学・美術などの芸術作品は当時としては一種のマルチメディア作品か集団創作だったのだから、ラノベやアニメと『源氏物語』や『源氏物語絵巻』では成立過程こそ異なれその事情には大差ないっていうのは皮肉です、というようなことを書いたわけです。
そうしたら主に記事を読まれた女性の方々から「『源氏物語』は紫式部の作品じゃないんですか!?」「シェイクスピアの作品はシェイクスピアが書いたんじゃないんですか!?」と大量のコメントが寄せられて、驚いたのは筆者の方でした。筆者は靖国神社の隣の大学では文学部で日本文学科(一応文学史と比較文学専攻)にいましたが、ほとんど図書室ばかり利用していて教養過程までしかろくに授業を受けなかったような筆者でも、大学の入学試験を受ける前からそれなりに文学史や比較文学の基礎文献は読んでいて、伝承文学の『千夜一夜物語』や『平家物語』はもちろん『源氏物語』も紫式部の初期稿が当時の王朝貴族たちの筆写稿によって次々加筆されて超大作に膨れあがったものであり(それは江戸時代に木版本で刊行されるようになった頃にはすでに定説であり、複数の筆写稿を体系化する研究が国文学者によって行われていました)、ロンドンの人気劇団団長シェイクスピアの作品もシェイクスピアが指揮を執って門下生たちの持ち寄った題材を団長シェイクスピアの監修によって個人名でまとめられたものなのは、『新約聖書』の四福音書がマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの個人執筆ではなくマタイ派学派、マルコ派学派というように宗派ごとに門下生たちがまとめ上げたものなのと同様、という事情と同じことくらい普通に知られていることと思っていました。井原西鶴の場合はまだ定説が定まっていないのですが、国文学者によっては文体検証によって処女作『好色一代男』のみが西鶴の真筆、他の西鶴作品はすべて西鶴門下生の作品と断定している極端な説すらあります。
刊本ではなく筆写稿で伝承されてきた『源氏物語』の場合、「雲隠」までの正編40帖(光源氏の逝去を暗示する第41帖の「雲隠」はタイトルのみで本文なし)は紫式部による初期稿がベースになっており、42帖の「匂宮」と43帖「紅梅」、44帖の「竹河」は「匂宮」と内容の重複する「匂宮並びの巻」としてそれぞれ別作者による後世の追加とされ、源氏の息子の薫の半生を描いた「宇治十帖」と呼ばれる45帖「橋姫」~最終巻54帖「夢浮橋」が紫式部の没後に別作者たちによって成立し、そのイントロダクションとして「匂宮並びの巻」の3帖が追加されたと推定されています。「宇治十帖」は正編同様「光源氏の息子・薫の物語」という一定の構想が下地になっていることから紫式部に代わる別作者が初期稿を書いたというのが古来からの説で、紫式部の娘が初稿原案執筆者という説が劇的でロマンチックなので人気がありますが、信憑性は他の作者説と大差ありません。いずれにせよ当時は印刷技術の開発以前の時代で、刊本ではなく王朝貴族の間で筆写に筆写を重ねられた筆写稿によって伝えられたため、『源氏物語』を愛好して筆写するほどの王朝貴族たちですから次々と細部に二次創作を加筆していったものとされ、さらに『源氏物語絵巻』として絵巻物化や屏風絵化される際に具体的な絵画化されたものが本文の描写に逆流して混入した(または絵巻物のために本文が加筆された)とも想定され、逆に全54帖全編が紫式部個人によって創作・執筆完成された可能性の方がはるかに低いというほど多数の本文違いの写本が伝わっているのです。しかしそうした複数(多数!)作者加筆による成立事情があるからこそ『源氏物語』が一個人の作者の創造力と力量を越えた途方もない大作になったとすれば、それは千年に一度あるかないかの文学上の奇蹟ではないでしょうか。
また16世紀末~17世紀初頭のイギリスで、約20年間に渡りほとんど失敗作というものがない一世一代の才人、シェイクスピアは活版印刷開発後の時代ですから、シェイクスピアの名前で出された37作の戯曲、数冊の詩集に『源氏物語』のようなテキスト上の問題は一応考えずに済みます。史劇、悲劇、コメディの分野に渡るシェイクスピアの作品は、商人の家に生まれて俳優になり、やがて自身の劇団を立ち上げた、シェイクスピアのビジネスでした。それはほぼ年2作ペースで必ずヒットし、スポンサーやパトロン、大勢の専属スタッフと俳優を抱えた劇団に収入をもたらせねばならず、また貴族から中産階級、平民階級まで固定ファンと新規ファンを満足させなければならないものでした。中世イギリスの戦国時代を描いた史劇はともかく、悲劇やコメディのほとんどが少し昔の外国(イタリアやデンマークなど)、または架空のヨーロッパ諸国を舞台にしているのは注意すべきことで、それは日本では江戸時代の滝沢馬琴や柳亭種彦の小説が幕府の検閲から戦国時代以前の日本を時代設定としなければ武家社会を描くのを禁じられていたように、具体例な同時代のイギリス国内の貴族らへの風刺や批判となるのを避ける工夫でした。シェイクスピアは年に2作もの新作を、スポンサーやパトロンの意向、観客受けを考慮しながら、また自分の劇団で専属スタッフと専属俳優によって上演することを前提に(また自分が演出するのを前提に)、劇団内や門下生たちをブレインとして題材を集め、考証し、必ずヒット作となるべくしてまとめ上げたでしょう。シェイクスピアはほぼ30歳で劇団長になるまでそれこそ色と欲、金にまみれた猥雑な演劇人の世界を知りつくしていたでしょうし、新作ごとにブレインたちからさまざまな企画を立案させながら今季の新作として一番ヒット性のあるものを作り上げていったと思われます。シェイクスピアの戯曲は極限状態に置かれたキャラクターの造形や極端で奇抜な設定、洗練され印象的な台詞で現代文学ですらおよばないほど矛盾と葛藤に満ち、複雑な解決を鮮やかに示したものですが、これは一人の作者の創案というよりは闇鍋のようなブレインたちのアイディアをまとめ上げたシェイクスピアの才気が一個人の才能を越えたとんでもない代物を生み出したというべきで、芸術的な文学者としての劇作家というよりものちの映画監督、アニメーション監督に近い感覚でとらえた方がシェイクスピア作品の魔力を理解できます。おそらく50歳間近になって引退作として連作されたファンタジー喜劇『ペリクリーズ』『シンベリン』『冬物語』、ことに最後の劇壇引退作『テンペスト』(シェイクスピアは引退から5年後に逝去しましたから、これらは最晩年の作品と見なせます)は引退興行作としてシェイクスピアの自発的意志によって書かれ、これらの引退連作はスポンサーやブレインの依頼・発案を度外視して引退興行の話題性を見こんで書きたいことを書いた作品と思われますが、巨匠として押しも押されぬ時期の四大悲劇『ハムレット』『マクベス』『オセロ』『リア王』(あるいはそれに先立つ『ロミオとジュリエット』を合わせて五大悲劇、いずれもブレインやスタッフのアイディア、専属俳優の力量を多く見こんだ性格の強いものです)が興行当時から大評判を呼んで早くから古典視されたのに対して、引退興行のファンタジー喜劇連作は20世紀に再評価されるまで傑作の評価が定着しませんでした。ほとんどドストエフスキー的な人間性の解体を250年以上前の近世に予見した四大悲劇に較べても、晩年のファンタジー喜劇連作はその奔放な空想性と達観した味わいで現代性を持ち得ます。
そのように成立事情に時代的、または環境的な状況によって集団創作的な背景があったとはいえ、むしろだからこそ『源氏物語』やシェイクスピアの諸作は一個人の創造力を越えた人類史上の大文学になり得たのですが、寄せられたコメントの多くは「紫式部(またはシェイクスピア)に対する冒涜です!」「『源氏物語』は紫式部の作品、シェイクスピアの戯曲はシェイクスピアの作品です!」と、強い非難がこめられたものばかりでした。それが12年前に、これと同じ内容を書いた記事への反響です。筆者は『ジェーン・エア』を幽閉された精神障害者の夫人からの視点から描いたジーン・リースの『広い藻の海』を例に出して文学作品創作・読解の例としてそうした非難への回答としましたが、ますます非難(「シャーロット・ブロンテへの冒涜です!」)と不興を買うばかりでした。紫式部もシェイクスピアも実在した歴史上の人物で、それは確かです。しかし『源氏物語』やシェイクスピアの諸作は紫式部やシェイクスピア個人の創作とは言えないのです。さて、2010年と2022年では時代が一周しましたが、この記事は今でも紫式部やシェイクスピアへの冒涜と読まれるのでしょうか。それともお読みくださった皆さまには、そういう文学的な神秘現象もあると楽しんでいただけたでしょうか。