人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

里霧への手紙(中学生時代の回想)

アンリ・ミショーの散文詩。「2000年後にもこんな小説を書く生意気な青年が現れるだろう。…ぼくは24歳、地球は飽き飽きした。月にも行った。木星にも。まるで面白くなかった。そして有名人はみんな退屈だった。…やがてぼくは一人の少女に会った。人類の歴史にどこにでもいるような、なんの取り柄もない少女…」
「…うんざりだ。今からこいつに死刑宣告。だがどうやって…」(「パサージュ」1943年)

同じ頃愛読したアントナン・アルトー(これも散文詩)はこんな感じ。
「…ぼくは本当に感じた。まわりの空気をきみが打ち破いて空虚にし、ぼくを解放する。可能性でしかなく、未知のぼくに、きみは不可能な空間をくれた。だからぼくは吸い上げられるように生まれてくることができる」(「神経の秤」1927)

それからもちろんアルチュール・ランボー「地獄の季節」「…もしぼくの思い出が本当なら、ぼくの生活はお祭りだった。誰もが心を開き、ワインが流れた」
「ある夜ぼくは彼女を膝に抱いた。ふざけんな、とぼくは思った。ぼくはさんざん彼女を侮辱した」
「だからぼくの地獄手帳の数ページをあなたに残す」(「序」1873年)

どうせだから中学時代のガールフレンドを列挙する。順不同、だって全員同時進行だったんだから(現在の職業は戻ってからあちこちで聞いた)。

?Nさん(児童福祉館館長)
?Sさん(出版社文芸部長)
?Iさん(主婦、福祉ボランティア)
?Kさん(女子大教授)
?Yさん(医科大教授)
?Kさん(同上)

Nさんが好きだった。Yさんが好きだった。Iさんが好きだった。みんな素敵な女の子だった。
「佐伯くんは頭がよくて時々いじわるだけど、本当は親切で優しいの。大好き!」と教室中に響き渡る励ましをくれたのはIさんだった。Yさんは授業中のぼくの所作ひとつひとつにため息をもらし「佐伯くんの字、佐伯くんの朗読、棒高跳び、マラソン…」そしてNさんはいつも静かにぼくの近くにいた。

どこに行ってしまったんだろう?あの頃ぼくは楽しさを楽しさと感じる感覚もなかった。そのためにずいぶんつらい思いをくぐらなければならなかった。
それでようやくきみに、里霧さん、あなたに言えるんだ。

ぼくには何の責任も感じなくていいんだよ。