人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

出会い(続篇)

中学2年の頃、ぼくは母に迫られて近親相姦の状態にあった。実際の行為には至らなかったがきわどかった。
日曜の昼寝の布団に呼ばれ、赤ちゃんの時にはこうしてあげたのよ、赤ちゃんみたいにお母さんに甘えて。夢の中では本当の行為に進んで夢精した。数年後に母は急逝するが当時は40前、今はぼくは母より年上で母の溺愛の理由もわかる。
急逝後に見つかった母の専門学校時代の日記は男っ気はまったくなく恋愛願望すらなかった。母は「赤ちゃんがほしいわ。私の赤ちゃん」と繰り返し書いていた。里霧は「よくあることだわ」と言った。別れた妻もそう言っていた。
その時期父は転職が順調にいかず、毎晩ぼくは殴られていた。ぼくの躁鬱が父方の遺伝だとすれば、父は明らかに躁期だった。母は「私の子供なのよ!」と父の前に立ちふさがった。
水曜の晩、父は教会の祈祷会に行った。ぼくはしばらくしてからドアをロックした。「なんですぐしないの?」「音が聞こえたらさびしいと思って」「まあ」と母はぼくを抱きしめた。
弟は子供部屋でプラモデルを造っていた。母とぼくはキッチンで思い出話をした。上福岡のアパートは、とぼくはアパート全体の鳥瞰図を描いた。それでこっちが南。母は驚嘆した。まだ3歳なのになんでそんなに覚えているの?うちは南むきだったのに新入りだから洗濯物は西むきにしか干せなかったのよ。
じぁあみっちゃんは覚えてる?上福岡から相模原の公営に引っ越してお隣の、同じ歳のとても可愛い女の子だった。和ちゃんのお嫁さん(これが母の晩年にいたるまでの執着だった。和ちゃんのお嫁さん、私の娘)。
覚えていない。母は衝撃を受けたようで、みっちゃんのことを教えてくれた。
みっちゃんのお父さんは華族、お母さんはホステス。お父さんは働いていない、お母さんが支えている。
隣どうしでぼくとみっちゃんは毎日一日中一緒だった。母が「お嫁さんにしたいわ」と思ったのも無理はない。
みっちゃんは一家心中で死んだ。お父さんがお母さんを刺し、それからみっちゃんを刺し、最後に自分を刺した。
みっちゃんだけが死んだ。

ぼくの両親はみっちゃんの死を隠したのだろう。3歳にはガールフレンドの死は重すぎる。