人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

入院日誌(里霧へのメール)

きみはぼくと出会う前から鬱があり、リストカットが癖があり、過食があり、アルコール依存症があった。そんなきみとぼくは出会った。きみは可憐だった。

今回のぼくの入院はお先真っ暗だった。隔離室から出てノートとペンを許され長い長い日記を毎日書いた。3分の1は病棟記録、3分の1は回想と省察、3分の1はあなたへの想いだった。

ぼくを「純文学」と呼んだあなたは正鵠を得ている。ぎりぎりの状況で濃縮した表現では嫌でもそうなる。
現状と回想・省察、そしてあなたへの想い…これらを関連させて圧縮すれば確かに「純文学」だ。あなたは「ダロウェイ夫人」を引き合いにして面映ゆかったが、ぼくの散文はウルフなら「波」まで行く。もとより俳句も。
ぼくの文章は時空と内面を自在に操作できる。できるようになった。

…ぼくはあなたを想った。あなたをもっと知りたいと思った。あなたの目に映る世界を感じとりたかった。
やっと自宅外出できて、崩壊状態の室内に暗然とし(自分でやったことだが)、「ザ・大杉栄」「ザ・花田清輝」の2冊を持って戻った。大正時代のアナーキスト、昭和のコミュニスト、繰り返し読んだ。

運よく一人きりになれた時には、あなたの首筋に顔を埋める妄想をしてマスターベーションした。

退院不可能な慢性スキゾイドばかりの病棟で、回復期のぼくが自分を保つのは読書と日記、そしてあなたへの想い。

隔離室3週間から病棟に出てきたぼくは、最初フランケンシュタインのように警戒された。だが穏やかで知的、細身で推定年齢32歳(笑)という外見が警戒を少しずつ溶いた。
そしてスキゾイドたちの世界で退院までを過ごし、この世界に帰還してきた。

ぼくは患者40人、職員12人のキャラクターを把握した。看護婦のマリアさんには「モテる男はつらいわね」とからかわれ、池田さんには尻を撫でられてさっそく「思わずも撫でたくなるかわが尻は」と俳句でお返しした。

よく退院できたものだ。入院期間が半年を越えると福祉課から家賃扶助が出なくなる。コーポMを引き払い、グループホームや各種施設への入居待ちになる。これからの人生をずっと福祉=医療施設で暮らすのと同じことだ。
やがてそうなるとしても、まだ踏みとどまりたい。