人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

こうして私はライターになった。

ぼくは本文とタイトルどちらが先か特に習慣はない。好みでいえば地味で明快かつ簡潔なタイトル、本文もまたしかり(そう、ぼくはそういう文章を書いているつもりなのだ)。今回は素材が先にあったからタイトル決めちゃおうと本文書き出す前に決め、よし、これでいいや。本当は「いかにして~」の方が包括的なのだが、タイトル文字数に収まらないので仕方ない。
先の好みに加えて、すっとぼけたタイトルというのもたいへんよろしい。ニーチェの自伝「この人を見よ」は章題もいかしていて、「なぜ私はこんなに賢明なのか」「なぜ私はこんなに利口なのか」「なぜ私はこんなに良い本を書くのか」「なぜ私は一個の運命なのか」と、さすが精神崩壊直前の最後の著作(ニーチェは45歳で入院、完全に症状は慢性化していて、53歳の病没までついに回復しなかった)だけある。書き出しも素晴らしい。
「近々私は世界に最大の難問を突きつける準備をしている」
ニーチェの場合あながち病理的な誇大妄想とは片づけられない。でもそれを言うならどんな誇大妄想にも切実な訴えがあり、それをかたちに残せるか残せないかの違いでヘルダーリン、ネルヴァルやアントナン・アルトーのような際だった詩人たちがいる。精神疾患発症後も執筆活動を続けた人たちだ(しかも重篤)。

「では公開できることはそのうちブログ記事の題目で、内密なことはメッセージで、と振り分けましょう。これまで何度か編集者時代やライター時代の回想を書こうと思いましたが、公にできないことが多いのです。
それと、ぼくの頃は出版もいわゆるバブルの時代で、娯楽雑誌が次々新創刊され乱立していました。仕事はきつく非人道的で、憧れで入ってきた人ほど数ヵ月で辞めていくので経験・未経験問わず雑誌編集者の求人はいつでもありました。
率直に言って、能力よりも適性が問われる仕事です。お薦めするなら堅実な人文書・児童書の書籍出版社ですが、その分採用枠は狭き門です。
「出版の仕事に就くにはどうしたらいいのか」というご質問が多いので、この返信はブログ記事に今回かぎり転用させて頂きます。もちろんお名前は出しません。ご了承ください」

というのが質問いただいた訪問者のかた(ぼくのブログの場合は「見舞い客」というべきか)への返信だった。
ではなぜぼくはライターになったか?次回に続く。