人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

July's also the cruellest month

タイトルはT.S.Elliotの長篇詩'The Waste Land'(「荒地」1922年)の書き出し、'April is the cruellest month,'(四月は残酷な月だ)のもじり。なら他の月はと思うが、四月、植物の繁殖と同時に生の意識が拡充し、生は常に死をはらむもの、とこの詩の屁理屈は展開する。
それだけなら正岡子規晩年の短歌と俳句、

・瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり(明治34年)

・鶏頭の十四五本もありぬべし(明治33年)

の方が生と死の対照を草木に託して鋭い。あえて逆年に引用したのは子規は晩年に短歌に重点を移したからで、作品としては鶏頭の句の方が優れていると思うからだ。
ただ子規にはなくエリオットにはあり、むしろそれが「荒地」の主題といえるものがある。生と死。その間にあるもの--荒廃の過程。それこそが日本文学の盲点で、西洋文学が始終取り組んできた課題だった。

「荒地」から一気に50年、ボブ・ディランがバイク事故で隠居中に書いた名曲「怒りの涙」を引用しよう。テーマのつながりは、読めば判る。

ぼくらはきみを腕に抱き/独立記念日に行ったよね/でも今きみはすっかり/ぼくらを嫌っている/太陽のような娘が父に/そんな振舞いをするのかい?/手足をとって育てた娘が今では/いつも「ノー」としか答えてくれないなんて

怒りの涙、苦しみの涙/なぜぼくはいつもおびえていなければならないのだろう?/おいで、ぼくのところに、わかっているはずだ、/だれもが独りぼっちで/人生はあまりに短い

きみは疑いもせずに/ぼくらには信じられない/ごまかしの教育を/受けに行ったね/きみの心はたぶん黄金が/詰まった財布のようなんだろう/でもこの愛をなんと呼べばいいのか/日に日に悪くなっていくばかりだなんて

ぼくらはきみに道を示そうと/砂にきみの名前を記した/でもそれはきみには/ただの踏み台だったんだ/知らなければいけない、生きているうちに/人が人を裁くことはできないことを/若い頃にはぼくも/そんな考えは幼稚だとおもっていたものだ

怒りの涙、苦しみの涙/なぜぼくはいつもおびえていなければならないのだろう?/おいで、ぼくのところに、わかっているはずだ、/だれもが独りぼっちで/人生はあまりに短い(拙訳・7月4日)