人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

暗い感覚(わからない読書・3)

つい前に「患者側から見た精神医学」というべき記事を載せた。これはぼくのような立場の人間が書くからこそ多少の意義があることで、専門医とは異なる視点で、しかも医学上誤りがあってはならない。ぼくには本来手に余る作業なのは明白だった。
ただ書くことは自分の知識と経験を追体験することでもある。再学習によって気づくこともある。いち精神疾患患者であるぼくは、社会的な視点からも当事者として精神疾患患者の経験を語ることができるし、再三の入院で接してきた患者たちの様子を同床者の目線から見てもきている--保育園のように、リゾートホテルのように、監獄のように、アウシュヴィッツのように。
だが、これは読み手に通じるのだろうか?

ぼくは入獄経験もあるのだから、いつ解放かも知れず便器と布団しかない薄暗い一室に閉じ込められるのもムショよりマシかと思うしかなかった。少なくともここでは死なない手筈になっている。
拘置所から出てきて古本屋で求め、出所以来初めて読んだのはカフカの「審判」だった。知らない内に内容不明の告訴で死刑にされる男の話だ。死刑でこそないが、ぼくが体験したのも同じようなことだった。カフカはなんでこんな変な小説(しかも発表の意図なしに)を書いたか? もちろん思いついたら書かずにはいられなくなって書いたのだ。
カフカの描く世界は一片の狂気もない。意味づけもない。作品があるだけだ。

日本のダダイズム詩人・高橋新吉が30歳から3年間の入院後上梓した「戯言集」はこんな調子。
*
私は盲目も同然である
四方は板壁にふさがれた牢屋の中に居る
*
いくらあせっても もがいても
此の二畳半敷の牢の中より 一歩も外へ足を
踏み出す事も 手を出す事も出来ない
此の苦しみを三年の間 一日も例外なしに 憤怒と汚辱とで精神を磨滅し 骨をケズル思いで通した事は 私の将来に何を持ち来すと云うのか
早死にと悔恨以外にはあるまい
*
私は掘出された刹那の
芋の如き存在でありたい
*
生きている事は滑稽な事だぞ 馬鹿者共
生きている事は滑稽な事だぞ 馬鹿者共
生きている事は滑稽な事だぞ 馬鹿者共

生きている事は 滑稽な事だ