人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

詩人・左川ちか( 続)

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左川ちか(1911-1936)のこの写真は、北海道の女子高を出て上京し、銀座の出版社に勤めながら新進詩人としてデビューした頃の一枚ですね。当時のモダン・ガールの典型的なファッションなのでしょう。ガーリーな作風で70年代になってから評価が高まった尾崎翠(1896-1971、代表作「第七官界彷徨」1931)と共に戦前のモダニズム文学の最良の作品を書いたのが左川ちかだと思っています。
左川ちかには習作期というものがなく、いきなり完成されたスタイルでデビューしました。25歳の早逝を予期するかのようです。『死の髯』

料理人が青空を握る。四本の指跡がついて、
--次第に鶏が血をながす。ここでも太陽はつぶれている。
たずねてくる青服の空の看守。
日光が駆け足でゆくのを聞く。
彼らは生命よりながい夢を牢獄の中で守っている。
刺繍の裏のような外の世界に触れるために一匹の蛾となって窓に突き当たる。
死の長い巻髯が一日だけしめつけるのをやめるならば私らは奇蹟の上で跳びあがる。

死は私の殻を脱ぐ。

それでも詩集を読んでいくと次第に死の予感がほのめかされていきます。『夢のように』

果樹園を昆虫が緑色に貫き
葉裏を這い
たえず繁殖している。
鼻孔から吐き出す粘液、
それは青い霧がふっているように思われる。
時々、彼らは
音もなく羽搏きをして空へ消える。
婦人らはいつもただれた目付で
未熟な実を拾ってゆく。
空には無数の蒼痕がついている。
肘のようにぶらさがって。
そして私は見る、
果樹園がまん中から裂けてしまうのを。
そこから雲のようにもえている地肌が現れる。

優れた詩ですが、詩集巻末近い次の作品を読むと、この完成度を乗り越えなければ本当の大成はなかったと思われます。それを望むのは夭逝した詩人には酷なことでしょう。『Finale』

老人が背後で われた心臓と太陽を歌う
その反響はうすいエボナイトの壁につきあたって
いつまでもおわることはないだろう
蜜蜂がゆたかな茴香の花粉にうもれていた
夏はもう近くにはいなかった
森の奥で樹が倒される
衰えた時が最初は早く やがて緩やかに過ぎてゆく
おくれないようにと
枯れた野原を褐色の足跡をのこし
全く地上の婚礼は終った