人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

冬来たりなば

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このブログを始めたのは確か今年5月の中旬で、ぼくは恋愛の終りで(覚悟の上とはいえ)鬱になり、読書も駄目なら日記も書けなくなっていた。ところがなぜか携帯サイトなら読めてヤフー・ブログの存在を知り、初めてブログを始めるにいたったのだった。
「普通の鬱じゃないな」と主治医。「普通の鬱なら読むのも書くのもできないもんだけどね」
「ええ、わかります。なぜか携帯ならできるんです。1日に3時間しか起きていられないのに」
「できるならやった方がいいよ。ほどほどにね」
「はい。ほどほどに」
やる以上は毎日更新する。さいわいぼくには華やかで悲惨な人生経験と精神障害者生活保護受給者という背景がある。おまけに前科者(神奈川県条令違犯)ですらあるが、執行猶予3年は去年の9月で満了している。書いてもいい。
鬱はすぐには治らなかった。別れた女性のつらさを考えると起きて彼女のことを思うのは耐えがたい苦しみだった。
それは別れた妻子についても同じことだった。ぼくの躁鬱病の発症で、妻は保健所と警察の勧めで(捏造の)家庭内暴力指定とそれに伴う県条令の違犯告発にサインするまで追い詰められていたのだ。ぼくは夏の4か月間を麻薬犯や密輸犯のなかで過ごした。
寝癖頭で遅刻してくる検事には苦笑した。いちいちぼくに「卑劣にも」「悪質なことに」「許されざるべき」と枕詞をつける。しかも獄中から長女に出したバースディー・カードまで振りかざした(これはちょっと、別れた妻を恨んだ)。「このように被告は、悪質にも-」
「この審理には関係ないものとします」
と間髪入れずに、怒気を含んだ声で、裁判長。
裁判長はいい。検事と弁護士はまるで無能だった。もし仮に警察の描いたシナリオが先行していた(その意味でも妻は気の毒だった)という事実が入ってきたら-最終的には無罪を勝ち取れたか?(あの弁護士じゃ駄目だ)ぼくはありもしなかった告訴内容のすべてを認めて2回の出廷で釈放されたが、これが捏造だと訴えたらさらに何か月獄中生活が続いただろうか。
しかも出所後、生活相談に訪ねた市役所で、ぼくの違犯とされたのはその年の新条令だと知る。さらに法律相談で弁護士会の重鎮と面談し、告訴内容を認めたとしてもぼくはその条令を違犯していないという解釈を教示される。
ひとりの闘病生活は、それから始まった。今もだ。