アルチュール・ランボー(1854-1891)が決定的に日本に浸透したのは批評家・小林秀雄による詩集「地獄の季節」「飾画」の全訳1930だろう。共に18~19歳作で以後ランボーは37歳の病没まで一切詩作しない。では作品を。
『錯乱ll 言葉の錬金術』より
《一番高い塔の歌》
時よ、来い、
ああ、陶酔の時よ、来い。
よくも忍んだ、
覚えもしない。
積る怖れも苦しみも
空を目指して旅立つた。
厭な気持に咽喉は涸れ
血の管に暗い蔭がさす。
ああ、時よ、来い、
陶酔の時よ、来い。
穢らはしい蠅共の
むごたらしい翅音を招き、
毒麦は香を焚きこめて、
誰顧みぬ牧場が
花をひらいて膨れるやうに。
ああ、時よ、来い、
陶酔の時よ、来い。
*
《飢》
俺に食ひけがあるならば
先ず石くれか土くれか。
毎朝、俺が食ふものは
空気に岩に炭に鐵。
俺の餓鬼奴等、横を向け、
糠の牧場で腹肥やせ。
昼顔の陽気な毒を吸え。
出水の後の河原石、
踏み砕かれた砂利を食へ、
教会堂の朽ち石を、
みじめな窪地に播かれたパンを。
*
また見付かつた、
何が、永遠が、
海と溶け合ふ太陽が。
独り居の夜も
燃える日も
心に掛けぬお前の祈念を、
永遠の俺の心よ、かたく守れ。
人間共の同意から
月並みな世の楽しみから
お前は、そんなら手を切つて、
飛んで行くんだ…。
もとより希望があるものか
立ち直る筋もあるものか、
学問しても忍耐しても、
いづれ苦痛は必定だ。
明日といふ日があるものか、
深紅の燠の繻子の肌、
それ、そのあなたの灼熱が、
人の務めといふものだ。
また見付かつた、
何が、永遠が、
海と溶け合ふ太陽が。
*
ああ、季節よ、城よ、
無疵なこころが何処にある。
俺の手掛けた幸福の
魔法を誰が逃れよう。
ゴオルの鶏の鳴くごとに、
幸福にはお辞儀しろ。
俺はもう何事も希ふまい、
命は幸福を食ひ過ぎた。
身も魂も奪はれて、
何をする根もなくなつた。
ああ、季節よ、城よ。
この幸福が行く時は、
ああ、おさらばの時だらう。
季節よ、城よ。
(詩集「地獄の季節」1873より)