まずはデータを。
○赤線地帯(1956年・大映作品 脚本=成沢昌茂 撮影=宮川一夫 音楽=黛敏郎 主演=若尾文子、京マチ子、木暮実千代、三益愛子、沢村貞子)
溝口健二についての参考文献では1936年の「浪華悲歌」以来没年まで伴にした脚本家・依田義賢による回想録「溝口健二の人と芸術」1970があり、キネマ旬報日本映画年間ベスト1に選出されたドキュメンタリー映画「ある映画監督の生涯・溝口健二の記録」(監督・構成・インタビュア=新藤兼人)がある。だが依田氏は関西人なので、東京撮影(舞台が吉原だから)のこの作品には関わっていない。
通常映画脚本は決定稿になったらセット・衣裳・照明・撮影・音楽など各部所に回され、監督・俳優含めて部所ごとに準備されるものだが、溝口映画は例外中の例外だった。撮影前から撮影中も毎日のように全スタッフとキャスト総動員で溝口の指導とディスカッションがあるのだ。当然脚本家も参加しなくてはならない。なぜ例外かといえば無駄に時間もコストもかかるからだが、溝口はこのやり方を要求した。
依田氏の著書のタイトルにある通り溝口は自分の映画は芸術であり、完全主義のためなら常識的な制作の枠を踏み越えても当然と思っていた。日本映画三大監督と呼ばれる溝口、小津、黒澤はみんなそうだ。
新藤兼人のドキュメンタリー映画は溝口作品の大半に主演した田中絹代との関係を主に探ったもので、「赤線地帯」に田中は出演していないからこれも参考にならない。
「赤線地帯」という遺作はなんとなく溝口作品から浮いて見えるきらいもなきにしもあらず、そもそもタイトルからして「真空地帯」のもじりではないか?
しかしこれが面白いのだ。吉原の小さな店(主人・女将・従業員5人)を舞台に、売春防止法案に一喜一憂する吉原の雰囲気が描かれ(法案は可決して58年には公娼制度はなくなる。この映画にはそういう歴史的価値もある)従業員5人の描き分けもうまい。お店のNo.1で実は守銭奴・若尾文子、セクシーな家出娘・京マチ子、結核の夫を持つ若い母・木暮実千代、息子に裏切られて発狂する沢村貞子、実家に逃げ出すがすぐに戻ってくる三益愛子。
入院した沢村と入れ替わりにまだ稚さの残る少女が入ってくる。「生娘はやだね!」と口々に言われ、京に励まされて初めて店に出る。 このラストシーンは怖い。