人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

現代詩の起源(14); 高村光太郎 - 初出型・原「道程」

 高村光太郎(1883-1956)

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 詩集 道程 (抒情詩社・大正3年10月25日刊)

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 「道 程」 高 村 光 太 郎

僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにした広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため

(詩集「道程」大正3年=1914年10月刊より)


 高村光太郎(1883-1956)の中でも『レモン哀歌』(「智恵子抄」より)と並んで教科書採用頻度が高く、もっとも人口に膾炙した一篇でしょう。言葉のセンスの射程が長く古びない内容を持った作品です。
 高村は複雑な性格の詩人で、しかも本人はその自覚がありませんでした。戦前の社会批判詩、戦中の愛国詩、戦後の心境詩は教材には向きません。その点この詩は一見青少年向けの希望に満ちています。
 ところでこの詩は大正3年10月刊行の詩集ではこの通り9行を決定稿としましたが、同年3月の雑誌掲載時には102行の長詩だったことは意外に知られていません。以下、初出型・原「道程」をご紹介します。


 「道 程」 高 村 光 太 郎

どこかに通じてゐる大道を僕は歩いているのぢやない
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
道は僕のふみしだいて来た足あとだ
だから
道の最端にいつでも僕は立つてゐる
何といふ曲りくねり
迷ひまよつた道だらう
自堕落に消え滅びかけたあの道
絶望に閉ぢ込められたあの道
幼い苦悩にもみつぶれたあの道
ふり返つてみると
自分の道は戦慄に値ひする
四離滅裂な
又むざんな此の光景を見て
誰がこれを
生命(いのち)の道と信ずるだらう
それだのに
やつぱり此が生命に導く道だつた
そして僕は此処まで来てしまつた
此のさんたんたる自分の道を見て
僕は自然の広大ないつくしみに涙を流すのだ
あのやくざに見えた道の中から
生命の意味をはつきりと見せてくれたのは自然だ
これこそ厳格な父の愛だ
子供になり切つたありがたさを僕はしみじみと思つた
どんな時にも自然の手を離さなかつた僕は
とうとう自分をつかまへたのだ
恰度そのとき事態は一変した
俄に眼前にあるものは光りを放射し
空も地面も沸く様に動き出した
そのまに
自然は微笑をのこして僕の手から
永遠の地平線へ姿をかくした
そして其の気魄が宇宙に充ちみちた
驚いてゐる僕の魂は
いきなり「歩け」という声につらぬかれた
僕は武者ぶるひをした
僕は子供の使命を全身に感じた
子供の使命!
僕の肩は重くなつた
そして僕はもうたよる手が無くなつた
無意識にたよつていた手が無くなつた
ただ此の宇宙に充ちみちてゐる父を信じて
自分の全身をなげうつのだ
僕ははじめ一歩も歩けない事を経験した
かなり長い間
冷たい油の汗を流しながら
一つところに立ちつくして居た
僕は心を集めて父の胸にふれた
すると
僕の足はひとりでに動き出した
不思議に僕は或る自憑の境を得た
僕はどう行かうとも思はない
どの道をとらうとも思はない
僕の前には広漠とした岩畳な一面の風景が広がつてゐる
その間に花が咲き水が流れてゐる
石があり絶壁がある
それがみないきいきとしてゐる
僕はただあの不思議な自憑の督促のままに歩いてゆく
しかし四方は気味の悪い程静かだ
恐ろしい世界の果へ行つてしまうのかと思ふ時もある
寂しさはつんぼのやうに苦しいものだ
僕は其の時又父にいのる
父は其の風景の間に僅かながら勇ましく同じ方へ歩いてゆく人間を僕に見せてくれる
同属を喜ぶ人間の性に僕は奮い立つ
声をあげて祝福を伝へる
そしてあの永遠の地平線を前にして胸のすく程深い呼吸をするのだ
僕の眼が開けるに従つて
四方の風景は其の部分を明らかに僕に示す
生育のいい草の陰に小さい人間のうぢやうぢや這いまはつて居るのもみえる
彼等も僕も
大きな人類というものの一部分だ
しかし人類は無駄なものを棄て腐らせても惜しまない
人間は鮭の卵だ
千万人の中で百人も残れば
人類は永遠に絶えやしない
棄て腐らすのを見越して
自然は人類の為め人間を沢山つくるのだ
腐るものは腐れ
自然に背いたものはみな腐る
僕は今のところ彼等にかまつてゐられない
もっと此の風景に養われ育まれて
自分を自分らしく伸ばさねばならぬ
子供は父のいつくしみに報いたい気を燃やしてゐるのだ
ああ
人類の道程は遠い
そしてその大道はない
自然の子供等が全身の力で拓いて行かねばならないのだ
歩け、歩け
どんなものが出て来ても乗り越して歩け
この光り輝く風景の中に踏み込んでゆけ
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、父よ
僕を一人立ちにした広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程の為め

(1914年=大正3年2月9日執筆・「美の廃墟」3月号)

 10月刊の詩集では最後の8行だけ残し、末尾1行反復、為をために直した。これが雑誌初出の原型です。誇大妄想的な理想主義から時には社会批判詩人となり、時には好戦的愛国詩人となり、また自虐的な隠遁詩人ともなったファッショ的資質が露呈している点で、むしろこの冗長で高慢な初稿の方が詩人の性格を率直に反映していると言えるのです。

*引用詩の仮名づかいは原文のまま、用字は略字体に改めました。