人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(8)詩人氷見敦子・立中潤

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そろそろ氷見敦子最晩年、最後の作品で死の翌月発表された一篇をご紹介したい。現代詩中もっとも異様な突然変異的作品といえる。85年9月20日頃に末期癌の病床で書かれ同人誌に郵送、作者の逝去は翌10月6日になる。

日原鍾乳洞の「地獄谷」へ降りていく』
その日を境に
急速に体調が悪化していった
(…)
八月、千石からレンタカーをとばし
奥多摩の陽射しをぬって(井上さんと一緒に)
日原鍾乳洞に入った
見学料金
大人・500円 中人・350円 小人・250円
入洞時間
午前8時~午後5時
(…)
冷気が洞穴に満ちているので
思考する速度が急速に下がり始める
かつて、狭くて暗い道を通って来たことがある
という記憶が
脳の奥で微かにうづくようだが
恐怖はなく
本能だけがわたしの内部をぼんやり照らし出している
柔らかい胎児の足が
濡れた道をこすって穴の奥へ這い寄っていく
(…)
鍾乳洞の壁を伝って地下水がしたたり
足元に水溜りを作っていた
「格天井」「船底岩」を過ぎ
「天井知れず」の下で頭上をながめる
重なり合った鍾乳石の割れ目にぽっかりあいた穴の果ては
見きわめることもできず
目を凝らすうちに
とりかえしのつかない所まで来てしまったことに気づく
わたしの足には
もう鎖のあともないが
数百年前、ひとりの男であったわたしは
このような地の底の牢獄に閉じ込められていたような気がする
(…)
「三途の川」を渡って「地獄谷」に降りる
地の底の深い所に立つわたしを見降ろしている井上さんの顔が
見知らぬ男のようになり
鍾乳石の間にはさまっている
ここが
わたしにとって最終的な場所なのだ
という記憶が
静かに脳の底に横たわっている
今では記憶は黒々とした冷えた岩のようだ
見上げるもの
すべてが
はるかかなたである

九月、大阪にある「健康再生会館」の門をくぐる
ひた隠しにされていた病名が明らかにされる
再発と転移、たぶんそんなところだ
整体指圧とミルク断食療法を試みるが
体質に合わず急激に容体が悪化する
夜、周期的に胃が激しく傷み
眠ることができない
繰り返し胃液と血を吐く、吐きながら
便をたれ流す

翌日、新幹線で東京へもどる
(遺稿詩集「氷見敦子詩集」1986より)